憧れ(常守独白)
常守side
PSYCHO-PASS本編最終話
『亜希ちゃんが使っていたドミネーターの反応があるわ』
桜が芽吹く季節。
執行官となった宜野座さんの付き添いで外出した帰り道、唐之杜さんから入った通信内容に一瞬呼吸を忘れた。
「…場所、は?」
『ノナタワーよ。この位置は…たぶん屋上じゃないかしら』
「…分かりました、すぐに向かいます」
隣で驚いている宜野座さんを引き連れ、東京の中心にある現場へと急行する。
シビュラシステム本体の所在地…縢君が理不尽に殺され、亜希さんが行方不明になった場所。監視官権限で見張りのドローンを退かせエレベーターで登った先、誰もいない静かな屋上の中心に、見慣れた黒い銃がポツンと落ちていた。
宜野座さんが警戒しながら近付き腕時計型デバイスで照合すると、それは間違いなく亜希さんのドミネーターだった。
装甲は傷だらけで引き金に手を添えても起動しない。完全に故障している。
「なんで…あんなに探したのに」
亜希さんが消えた後、ノナタワーを隅から隅まで探した。こんな目立つ場所にあるはずが無い。
呟く私を気遣うように、宜野座さんが口を開く。
「…ここじゃ何も分からない。まずは唐之杜に分析してもらおう」
「……はい」
混乱する頭をどうにか落ち着かせて厚生省へと戻り、タバコを咥えながら待っていてくれた唐之杜さんに渡すと彼女は慣れた様子でドミネーターを解析した。
「…何これ。まさか、改造されてるの?」
信じらんない、とキーボードを叩きながら呟く唐之杜さんは戸惑った表情で私を見る。
「壊れちゃってるから詳細は分からないけど…内装が明らかに変わってる。通常のドミネーターと作りが全然違うわ」
「改造って…そんなこと、あり得るのか?」
驚愕する宜野座さんに、唐之杜さんは「普通は無理、公安局の最強武器にそんなことしたらすぐ街頭スキャナに引っ掛かるし、不可能よ」と答えた。
「…亜希さんの指紋が最後に認証されたの、いつか分かりますか」
私の問いに唐之杜さんは再度キーボードを叩いて、そして驚きの声を上げる。
「嘘でしょ…?つい、さっきよ」
「な…」
今度こそ言葉を失った宜野座さんを横目に、私も目を見開いた。一体どういうことだ、亜希さんの姿はどこにも見当たらない。周辺の監視カメラにも、それらしき人物は映っていなかったのに。
「……うーん…これは、プライベートなことだと思って言ってなかったんだけどさ、」
先が短くなったタバコを指先で挟みながら、唐之杜さんが静かに口を開く。「何でしょうか」と聞くと、目の前の巨大スクリーンにある文字が映し出された。
『これからは、自分の道を進め。』
亜希さん宛に送信された、メッセージ画面。送り主は…狡噛さんだった。日付は、彼が槙島聖護を撃った日より少し前。征陸さんのセーフハウスで粉々になっていた彼の腕時計型デバイスが発見されたのを思い出す。
「おい、なんでこんな大事なことを言わないんだ!」
「…だって慎也君、ずっと亜希ちゃんのこと探してたじゃない?電話も何度もしてたの履歴で知ってたから…だから、このメッセージは彼なりのケジメ?みたいなのかなぁって思ったの」
肩を竦める唐之杜さんに、宜野座さんは訳が分からないと眉を顰めた。そんな二人は画面を食い入るように見つめている私を見て、ギョッと驚く。
「お、おい、どうした監視官、」
「朱ちゃん?!大丈夫?泣かないで」
狼狽る宜野座さんとティッシュを差し出してくれた唐之杜さんに、私は自分でも止められない涙を必死で拭いながら、笑う。
「ご、ごめんなさい…嬉しくて」
…亜希さんは、生きているんだ。
▽▽▽
約半年前。厚生省公安局に入局しキャリア研修を終えた私は刑事課一係に監視官として配属された。
その日の内に狡噛さんをパラライザーで撃ってしまい落ち込んでいた時。一番最初に声を掛けてくれたのが亜希さんだ。
「狡噛さんは頑丈だから大丈夫。貴方も、きっとすぐに強くなるよ」
とても綺麗で冷たい無表情が印象的だった亜希さんは、優しく私の肩の叩いて、オレンジジュースを渡してくれた。
当時、何もかもを突き放したような物言いをする宜野座さんにビクビクしていた私が亜希さんに懐いたのは言うまでも無い。彼女はいつだって私の味方でいてくれて、落ち込んだり悩んだりする私を気遣ってくれた。
「はぁ〜…宜野座さんって、なんかいつも怒ってませんか?」
「真面目で不器用なだけだよ。じきに慣れてくるんじゃないかな」
「慣れかあ…」
同じ監視官の亜希さんと休日がかぶる事は無かったが、食堂で一緒にご飯を食べることがいつしか日課になっていて。私はその時間が好きで、つい彼女に甘えるように愚痴をこぼしていた。
「狡噛さんも、なんと言うか…極端というか、振り回されるというか…」
「狡噛さんはいつも真っ先に走っていってしまうからね。組んだら大変なのは分かる」
「亜希さんも焦ったりするんですか?」
どんな時も冷静で落ち着いている亜希さんに驚きながら聞くと、普段は一切笑わない亜希さんが、ほんの僅かに、微笑みのような笑みを浮かべたのを今でも覚えている。
「…狡噛さんは勘が鋭いから、驚かされることが多いよ。でも彼の仕事に対する姿勢を近くで見ていれば、きっと朱ちゃんも成長できると思う」
だから、たくさん狡噛さんと一緒に現場に行ってみて。刑事とは何か分かるはずだから。そう言ってくれた。
そんな亜希さんは私とほとんど背格好が同じなのに、とても身体能力が高くて強かった。スパーリングロボを素手で壊す程に力強くて様々な格闘技を身につけている狡噛さんを掴み合いの末に投げ飛ばしたり、柔道に秀でた義手の征陸さんを背負い投げしたりと、彼女の無駄の無い動きには感嘆の声を上げたものだ。
「亜希さん!私にも戦い方を教えてください!」
「いいよ…って言っても、私も狡噛さんから教えてもらったんだけどね」
「狡噛さんから…すごいなあ…私も亜希さんみたいに強くなりたいです」
私の言葉に、亜希さんは首を横に振る。
「…訓練とトレーニングをしてるだけだよ。私は弱いから、どんなに努力しても…あの背中には追いつけない」
そう言って悲しげに目を伏せた彼女の視線の先にいる、大きな背中。疎い自分でも亜希さんが彼に対して同僚以上の気持ちを抱いていることには気付いた。
狡噛さんもまた、亜希さんに対してだけは優しい笑顔を浮かべていのを知っている。
監視官と、執行官。本来なら相入れない存在。それでも私は、そんな二人が並ぶ姿が大好きだった。
亜希さんは私の憧れの人。自分の弱さを認めながら、それでも真っ直ぐに前へと進んでいく姿に自分もそうなりたいと思えた。
狡噛さんも亜希さんの言う通り、共に過ごす中で尊敬するべき人なのだと分かった。
…なのに。
槙島聖護、奴は私から、二人の大事な人を奪っていった。
亜希さんがノナタワーから投げ落とされたと狡噛さんから聞いた時、どれだけ絶望したことだろう。けれど彼女の遺体は一切見つからなかった。あの高さから落ちて無事でいるはずない、落下の衝撃で体が飛び散ったのかと探しても、欠片の一つも見つからなくて。
大怪我を負っていたという傷口から流れ出たであろう、ほんの少しの血痕だけが、外壁に付着していただけ。
それからの狡噛さんは、誰の目にも分かるほど荒れていた。いつも亜希さんを探しては、ふと彼女が座っていたデスクを悔しそうに見つめる。せめて遺体があれば諦めもつくのに、忽然と姿を消した亜希さんの行方は誰にも分からなかった。
同時に消えた縢君に関しては現場から離れた場所でドミネーターが見つかり、まるで隠蔽工作のようなだと一係全員が言った。
ほどなくして狡噛さんが刑事課から逃亡し、槙島を殺す為に一人で行ってしまった。私はシビュラシステムの本当の姿を知り、縢君がシステムによって殺されたことを聞かされ。
「ふざけないで…!何様のつもりよ…!…、まさか、亜希さんもあんた達が殺したの?!」
『立花亜希はノナタワーから落下中、瞬間的最高電力値が計測された後、突如生命反応が消えました。我々は彼女の生死について関係ありません』
「馬鹿言わないで!!どうせ縢君みたいに、死体が残らないようデコンポーザーで撃ったんでしょう?!」
『いいえ。彼女は我々の機密事項や正体を見た訳ではない。消す必要はありません』
目の前で、忙しなく動く人間の脳を唖然と見つめる。
なら、亜希さんは、どこにいるの?
システムすら認知していないことを、私がいくら考えても分かるはずがなかった。
ついに狡噛さんも槙島殺害後に行方不明になり、憧れていた二人が一気にいなくなってしまった私は、半ば諦めに近い形で考えるのをやめた。
たくさんの人が立て続けに殉職し深刻な人手不足に陥った刑事課の激務をこなしながら、亜希さんに教えてもらったトレーニングに励む日々を過ごし、
そして、今日。
▽▽▽
「…朱ちゃん、落ち着いた?」
「はい…すみません、いきなり泣いてしまって」
いいのよ、と、唐之杜さんは私の頭を優しくポンと撫でてくれた。宜野座さんは腕を組みながら画面に映し出されている短いメッセージをじっと見て、口元に小さな笑みを浮かべながら静かに口を開く。
「…まるで、生きてる奴に送るような文章だな」
「生きてますよ、亜希さんは」
私がハッキリ言うと、唐之杜さんが笑った。
「そうねぇ…現実離れしてるけど、なんか私もそう思うわ」
「フッ…俺たちの理解が及ばないような場所で、案外元気にやってるのかもな」
突如として現れた亜希さんが使っていたドミネーターと、狡噛さんのメッセージ。『これからは、』と送ったのは、亜希さんが生きていることを分かってて言ったのか、それとも願って言ったのか、真相は分からない。
けれど…
「…私は、罪を犯した狡噛さんを何としても逮捕します。時間が掛かっても絶対に。そして…亜希さんが生きてることを伝えたい」
もう、いなくなってしまった私の憧れの人達。けれど二人は、場所は違えど生きている。
その事実が嬉しくて、また潤む視界。
「亜希ちゃん今頃何してるのかしらね〜…ふふっ、良い男でも捕まえて、幸せそうに笑ってたりして」
「あいつの笑顔か…想像できないが、そうだったら狡噛も嬉しいだろうな」
楽しそうに笑う唐之杜さんと宜野座さんに、私も頷く。
あの二人が並ぶ背中を二度と見れないのは寂しい。でもきっと、私と狡噛さんの願いは同じだろう。
優しい亜希さんが、幸せに笑っていられますように。
20200719