死闘開幕


―――午前八時五十五分。


「何かあったら、すぐに連絡してくれ」


一切の情報が無いまま敵のアジトに攻め込むのは非常に危険だ。しかしマキシマが何をしでかすか分からない危険人物である以上、ことは一刻を争う。だから塚内は、誰よりも速いホークスと、どんな時でも冷静な亜希を信頼し、廃病院を任せることに決めた。


「はい、塚内さん達も気を付けて。そっちにマキシマがいたら戻ってきます」


地図で方角を見ていたホークスは塚内の言葉に頷き、隣で予備弾薬や装備の確認をしている亜希に「準備できましたか?」と声を掛ける。


「いつでも行けるよ」

「じゃあ出発しますか」


ホークスは亜希を軽々と抱き上げて空へと舞い上がる。あっという間に見えなくなった二人の背中を見送った塚内は「…頼んだよ」と小さく呟き、続々と集まる部下たちの元へと走った。





―――午前九時二十分。

東京郊外の山奥に、三階建ての廃病院はひっそりと佇んでいた。随分前に潰れたのだろう、外壁には蔓が巻き付いている。まだ昼前だというのに生い茂る背の高い木々が作り出す影のせいで薄暗く、この場所だけが世界から切り離されたように静かだ。


「一つだけ、生体反応ありますね」


ホークスは亜希を抱えながら病院を旋回するように見下ろす。偵察として落とした羽が僅かな呼吸音を拾った。病院の入り口は正門の大きなガラス戸と、小さな裏口の二つ。いくつかある窓には全て木の板が張り付けられており中は見えない。

少し離れた場所に降り立ったホークスは亜希をそっと下ろし、風切羽を構えた。


「俺が正面、亜希さんは裏口から、二手に別れて乗り込みましょう」


亜希もホルスターから拳銃を取り出し、安全装置を解除しながらホークスを見上げ、頷く。


「もしマキシマなら、ヒーローのホークスを狙うはず…気を付けてね」

「うん、亜希さんもね」


心配そうな表情を浮かべる亜希にホークスは笑顔で返し、二人は別々の方向へと走り出した。





▽▽▽





正面のガラス戸に鍵は掛かっておらず、音を立てないように静かに開ける。病院内に足を踏み入れたホークスは途端に漂ってきた異臭に思わず口と鼻を押さえた。見当はすぐにつく、これは、死体の匂い。

院内は薄暗く視界が悪いが中は吹き抜けになっており、高さと広さがある体育館のように感じる。目を凝らしながら気配を消し中へ進むと、奥に人影が見えた。


「誰かな」


聞こえる声に視線を向ければ、壁にもたれるようにして立っている一人の男。窓から漏れる僅かな光に反射した金色の瞳と灰白色の髪に、ホークスは静かに口を開く。


「…お前が、マキシマか」

「君は…ホークスかい?」


愉快そうな口調で「まさかNo.3ヒーローが来てくれるなんて思わなかった」と笑うマキシマは、黙ったままのホークスをじっと見た。


「どうして僕の居場所が分かった?…電気の彼が喋ったのかな」

「話す必要は無い」

「…まあ、なんでもいいか。結果として君みたいな有名ヒーローを連れてきてくれたんだから、期待以上だよ」

「…」


ホークスが返事をせずに風切羽を構えて睨むとマキシマは嬉しそうに笑い、


「さて。君の“個性”はどうなるかな…?」


呟く。

その瞬間、天井から雨のように噴出された液体がホークスの全身を濡らした。咄嗟に腕で顔を覆うのと同時に背後に異様な気配を感じて振り向くと、


「グ…アア、ア」

「ガアアア、グ、ウウ…」


口や鼻から大量の血を垂れ流しながら、焦点の定まっていない目で呻き声を上げる多数の男達。何も纏っていない上半身は不自然な程に赤黒く腫れあがっており、うまく歩けないのか全員が体をふらつかせながら近付いてくる。中には床を這っている者もおり、あまりの光景にホークスは言葉を失った。


「気を付けた方がいい、この液体は全部ブースト薬だから」


すぐ近くで聞こえた声と殺気に瞬時に飛び上がり剛翼を一斉に飛ばした。両手に注射器を握りながら殴り掛かってくるマキシマの拳をギリギリで避けたホークスは空中で態勢を整え、男達にも羽を突き立てていく。何も出来ないまま倒れていく男達をマキシマは踏み付けながら、ホークスを見上げて笑った。


「目、口、鼻、耳…少しでもブースト薬を体内に入れたら、その自慢の翼は爆発するかもね」


ゴーグルとヘッドフォンをしている為、ホークスは鼻と口だけを腕を覆うようにして息を止める。液体の出所は天井に無数に取り付けられたスプリンクラー。羽を飛ばし一瞬で全てを壊すが、突然、ほんの一瞬だけ剛翼の付け根が燃えるように熱くなってバランスを崩し、転がるように落下してしまう。


「(…ちょっと吸い込んだかも)」


受け身を取って立ち上がるホークスに今度は男達が波のように襲い掛かってきた。何度羽で切り裂いても起き上がってくる姿に、ふと亜希がガス“個性”と対峙した際の出来事について「死体相手と戦っていた」と言っていたのを思い出す。道理で生体反応が無い訳だ。

悪趣味にも程ある。この男達は全員マキシマの犠牲者だろう。中には微かにヒーローコスチュームのようなものを身に着けている者もおり、胸が痛んだ。

断末魔のような叫び声を上げながらも倒れることが出来ない人間だった者達。ホークスはせめて、楽にしてやりたいとの思いから、力強く風切羽で四肢を切断していく。
しかし、ほんの僅かに吸い込んでしまったブースト薬の影響のせいで普段通りに体を動かせず、防戦一方になってしまう。


「君は、速すぎる男なんだろ?少しスピードが落ちているんじゃないか?」


まるで歌うような口調で、いつの間にか背後に迫っていたマキシマ。振り上げられた注射器の先端がホークスの首筋に突き立てられそうになった時、

鳴り響く、銃声。


「っ…!」


小さな呻き声を上げたマキシマは右肩に撃ち込まれた銃弾に驚いてホークスから距離を取り、振り返る。少し離れた場所、ホークスの視界の端に、血だらけの亜希が映った。


「…誰だ君は、ヒーロー…いや、違うのか?」

 
マキシマは痛みなど一切感じていないのか、肩から血を流しながらも亜希に向き直る。


「ホークスごめん、遅くなった」

「亜希さん…」


亜希は右手で拳銃を構えたまま、横目にホークスを見た。少し息切れしている表情には焦りと怒りが浮かんでいる。赤黒く染まったスーツはどうやら彼女自身のものでは無いらしい。おそらく裏口で死体の男達と一戦交えたのだろう。亜希が走ってきたと思われる床には動かなくなった死体が数多に転がっていた。彼女が無事であることにホークスは安堵しつつ、マキシマとは反対方向から迫っていた死体の攻撃を躱す。


「…誰でもいいが、邪魔をしてくれるな」


小さな苛立ちを含ませながら呟いたマキシマが亜希に向かって走り出した。ホークスは羽を飛ばし援護しようとするが、まだ動ける男達が一気に突っ込んできて阻まれてしまう。


「クソっ…!」


舌打ちをしながらも身を捻って攻撃を避け、切り裂いていく。死体達の相手をするのに精一杯で亜希の元に行くことが出来ない。


亜希は距離を詰めてくるマキシマの両膝に二発の銃弾を放ち命中させるが、マキシマは一切怯むことなく彼女に詰め寄って腕を振り上げる。身を屈めた亜希は拳銃をマキシマの腹に食い込ませるように突き付け、容赦なく発砲した。

衝撃に口から血を吐き出したマキシマは、それでも倒れることなく亜希の首に目掛けて注射器を叩きつけるように振り下ろす。

バリ、と、響く無機質な音。その音にホークスが死体達の攻撃を避けながら視線を向けると、亜希の左手首に注射器が突き刺さっているのが見えた。


「亜希さん!」


腕時計型デバイスを貫通した針が、細い手首に刺さっている。首を守ろうと亜希が咄嗟に自身の腕で庇ったのだ。

ホークスの叫び声に反応するように亜希はマキシマから距離を取り、中身が空になっている注射器を引き抜いて地面に投げ捨てる。腹から血を流しているマキシマは、そんな彼女の姿を見て驚いた。


「…ブースト薬が効いていない…君は、“無個性”なのか」

「…だったら何」


静かに答えた亜希に、マキシマは今度こそ声を出して笑い出す。


「ハハハッ!!この時代に珍しい存在だな!君は“個性”もないのに、僕に挑んでいるのか」


マキシマは胸元から何かを取り出しながら、ニヤリと、至極楽しそうな笑みを浮かべた。彼の手には銀色に輝く、鋭利な剃刀。


「面白い、興味が湧いた。これで君を殺す」


亜希は拳銃の引き金に力を入れるが、弾が無いことに気付く。裏口から侵入した時に襲い掛かってきた数多の死体を倒す為に予備弾薬も全て撃ち尽くしていた。

空っぽになった拳銃をホルスターに仕舞った代わりに警棒を取り出す。伸縮性振出式の特殊警棒を、腕を力一杯に振ってジャキンと伸ばした。

マキシマは体内で常にブースト薬を生成しており、痛みを感じない体になっている。肩、腹、そして両膝からどれだけ出血しようとも、自身の血液すら創り出すことができた。

不死身ともいえる不気味なマキシマは再び亜希に向かって走り出し、宙を切り裂くように剃刀を振り回す。亜希は警棒でその攻撃を全て弾き返していくが、マキシマは俊敏で一つ一つの攻撃も力強く重い。

加えて、先程のスプリンクラーによりブースト薬が撒かれた床は足場が悪く、マキシマの剃刀を受け止めた反動で亜希はほんの少しだけバランスを崩してしまい倒れ込んでしまった。彼女の体に覆い被さるように馬乗りになったマキシマは上から両手で押さえ付けるように剃刀を突き立てる。


「僕の“個性”は製薬…ブースト薬しか作れないって訳じゃない」


間一髪、警棒で防ぐが、剃刀の先端はギリギリと音を立てながら真っ直ぐに亜希の左肩に食い込んでいく。


「マキ、シマ…!」


亜希が眉を顰めて必死で耐えていると、マキシマの口から流れていた血が顎からポタリと落ち、剃刀を伝いながら亜希の左肩へと沁み込んだ。


「“無個性”でも、毒は効くだろう?」


途端に迫りくる、僅かな痺れのような感覚。マキシマは“個性”を使って自身の血液を毒物に変え、亜希の傷口から投与したのだ。

自分を見下すマキシマを歯を食いしばりながら睨む亜希は、かつて槙島聖護にも同じように跨られ、左肩を抉られたことを思い出した。

…私は、どの世界でも槙島マキシマに敵わないのか。

そう思った瞬間、亜希の視界、マキシマの背後に赤い翼が映る。

目にも止まらぬ速さで風切羽を振り下ろしたホークスが躊躇なくマキシマの右腕を肩から切断した。そして突然のことに反応できなかったマキシマの胴体を思い切り蹴り飛ばす。

亜希に突き立てられていた剃刀は腕と共に真横に吹っ飛ばされ、ホークスは亜希をすぐに抱き起こした。


「ごめん、すぐ助けられなくて」

「ホークス…」


…違う、私は今、あの時のように一人じゃない。

痺れがだんだんと熱さに変わってきたが、亜希はホークスに支えられるようにして立ち上がった。形勢不利の亜希を助ける為、ホークスが咄嗟に薙ぎ払った死体の男達の大半は物言わぬ塊となって転がっているが、それでもまだ数多の死体は蠢いており、ゆっくりと近付いてくる。


「…容赦ないなあヒーロー…でも、こんなに楽しいのは久々だ」


左半身を真っ赤に染めるマキシマが、小さく呟きながら起き上がる。狂気に満ちた笑顔を浮かべながら、動ける死体を従えるように院内の中心にいるホークスと亜希を取り囲んだ。
二人は互いに構えつつ辺りを見渡し、背中合わせになる。


「俺さっき、ブースト薬ちょっとだけ吸い込んじゃって…いつものように羽操れないんですよね」

「私も少しだけ、毒を食らった」

「え?!嘘でしょ大丈夫?!」


慌てるホークスに亜希は思わず小さく笑った。


「まだ動けるよ。ホークスの方こそ禁断症状とか出てない?」

「うん、ほんの少しだったから大丈夫です」


互いに安堵しつつも、じりじりと詰められる距離に二人は、多勢に無勢の絶望的この状況を切り抜ける方法はあるのかとマキシマを見据える。


「もうそろそろ、終わりにしよう」


マキシマの言葉に死体達が一斉に動き出した。全員が悲鳴のような叫び声を上げながら襲い掛かってくる。

“ヒーロー”のホークスから“無個性”である亜希に興味の対象を移したマキシマは亜希に狙いを定めて一直線に向かってきた。


「死体は俺がやる!!」


声を上げたホークスは全力で羽を全方向に飛ばしながら風切羽を振り上げ、男達を切り裂いていく。
亜希は迫りくるマキシマの拳を流すように避けて片腕を掴み背負い投げる。しかしマキシマも同時に亜希の胸倉を掴み、二人は縺れるように転がった。互いに首を絞めながら、睨み合う。

雪崩のように迫ってくる死体達にホークスが眉間にシワを寄せた瞬間、何かが轟くような激しい地鳴りが聞こえた。その音はどんどん近付いてきて…

病院正面の入り口であるガラスを派手に壊しながら、一台の白い車が突っ込んできた。猛スピードとノンブレーキで半ば浮くように突入してきた車は勢いのまま死体の男達を次々と跳ね飛ばしていき、やがて壁に激突する形で停止。

突然の衝撃になんとか身を守るように避けたホークスは、見覚えのある車に目を見開く。

白い、パトカー。そこから転がるように降りてきたのは、


「運転荒すぎるでしょ!俺のこと殺す気か?!」

「ハハッ!権力舐めるなよ!」


相澤と、塚内だった。

頭をぶつけたらしく二人とも額から血を流しているが、呆然とするホークス、同じく驚いている亜希とマキシマ、そして血だらけの室内の惨状を見て、すぐに臨戦態勢に入る。

即座に抹消を発動させた相澤が辺り見渡すと死体達の動きが止まった。次いで投げられた操縛布と塚内が連射する銃弾によって、あっという間に倒れていく。

そして、マキシマも。


「ッ、なん、だ…?!」


“個性”を消されたマキシマは亜希とホークスから散々受けた傷口から吹き出す血と痛みにより、彼女の首を絞める力が緩んだ。

亜希はその一瞬の隙を見逃さず、左手でマキシマの首を掴んだまま右掌を力強く握り、顔面に向かって思い切り拳を打ち込む。首が折れる勢いで右ストレートを受けたマキシマは声にならない呻き声を上げて仰け反るように倒れた。

亜希は肩で息をしながら白目を剥いて動かなくなったマキシマの片腕を掴み上げ、銀色の手錠を取り出す。


「…マキシマ、逮捕する」


ガシャン、と。静かになった室内に響く音。やっと槙島マキシマを捕まえることが出来た。そう思った瞬間、亜希は一気に力が抜けてその場に倒れ込む。


「亜希さん!!」


ホークスが慌てて駆け寄り細い体を抱き起こすと、「うっ…」と苦しそうな声を漏らす亜希。ホークスはハッとして彼女が着ているジャケットとカットソーの首元を引き裂くように破った。

真っ白な肌の左肩が、赤黒く膨れている。マキシマの毒が回り始めていたのだ。剃刀で突き刺された傷口はドクドクと脈打っており、僅かに目を開けた亜希が「大丈夫、だから」と小さく微笑む。


「ホークス、は、翼…大丈夫?」


辛いはずなのに、それでも自分を心配する亜希にホークスは返事をする間も惜しいと、勢いよく彼女の傷口に噛みついた。そして思い切り毒を出すように吸い込み、ぺっと吐き出しては吸い付く。鉄の味と僅かな痺れが口内に広がるが、お構いなしに何度も繰り返した。


「ちょ、待っ…」


驚いた亜希が制止させようと手を伸ばすがホークスはその手を握り締めて遮り、ほんの少しの毒も残してたまるか、と、吸い出すことを止めない。

やがて、赤黒く腫れていた肌が落ち着きを取り戻した頃、ホークスはやっと口を離した。所持している簡易救急セットから包帯を取り出して、傷口を止血するように巻いていく。


「痛みは?」

「う、ん…大丈夫…」

「本当に?辛くない?」

「うん、だから…その…」


先程より幾分か顔色が良くなった亜希は頬を赤くしながら目線を泳がせており、ふとホークスが顔を上げると、倒れているマキシマに操縛布を巻き付けている相澤と、無線で応援を呼んでいる塚内がじっとこちらを見ていることに気付いた。


「…合理的な応急処置だ。亜希には刺激が強すぎたようだがよ」

「いや〜…目のやり場に困っちゃうな」


二人の言葉にホークスは慌てて自分のジャケットを亜希に被せるように掛けつつも、恥ずかしそうに目を伏せる彼女が生きていることに安心し、笑みを浮かべる。


「…終わったね」

「…うん」


亜希も、小さく笑った。



―――午前十一時三十分。

およそ二時間に渡って繰り広げられた戦いは、静かに幕を閉じた。



20200718


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