重なる想い


警察本部の地下にある訓練場。そこには警察官が普段所持している回転式拳銃からライフルやバズーカまで、対ヴィラン用の様々な種類の武器が揃っており、衝撃吸収の防壁に囲まれた室内でいくらでも射撃練習をすることができる。

警察だけでなく一部のプロヒーローも使用を許可されている為ホークスも何度か来たことがあった。最も、自身の羽を銃弾のように飛ばせるため普段は武器を使うことは無いのだが、一応の経験として。

重厚な扉を開けると銃声が連続して聞こえてきた。室内に充満している火薬の匂いに眉をしかめつつ、換気扇のスイッチを全開にする。

誰もいない広い室内の奥、射撃スペースに人影が見えて近付くと亜希がいた。声を掛けようとしたが彼女は射撃練習の真っ最中の為、気配を消して少し離れた場所で見学してみようと壁に背中を預ける。

亜希は集中しているのかホークスに気付くことなく、動く的に向かって拳銃を連射しており、その弾は全て真ん中に当たっていた。小さな的は俊敏に動いているが亜希は一切の躊躇なく弾丸を撃ち込んでいく。

五発しか撃てない為すぐに弾は無くなるが、素早く弾薬を交換して撃ち続けている。亜希は両手で拳銃を構えていたが、やがて右手だけで的を狙うようになり、拳銃を持ち替えて左手だけでも同じように発砲した。

亜希は右利きだったはずだが、器用にそれぞれの片手で銃を扱っており、ホークスは思わず「すごいな…」と感嘆の声を漏らしてしまった。それに気付いた亜希が驚いたように顔を向ける。


「あれ、どうしたの?」

「今日はもう俺達帰っていいって言われたから、呼びにきました」

「塚内さんは?大丈夫?」

「イレイザーさんが来てくれるそうなんで、見張り交代してもらうって」

「そっか」


ホークスは亜希の元まで近付き、ずっと動いている小さな的を見た。ここからはかなり距離があるが、ほとんど中心から外すことなく穴が開いており原型を留めていないものも多い。


「すご、百発百中じゃないですか。ドミネーターと全然違うのに慣れるの早すぎません?さっき左手でも撃ってたでしょ」

「小型だし、手への衝撃も少ないから使いやすいよ。左手はまだ微妙だけど、両手で扱えたら便利だから」


亜希はちょうど全弾撃ち切ったらしく、新しい弾薬をセットしてからホルスターに仕舞った。


「もう練習しなくていいの?」

「うん、感覚は掴めたし…お腹空いた」


そう言って小さく笑う亜希に、ホークスも笑顔で頷く。二人で何を食べようかと話しながら後片付けをして、訓練場を出た。





▽▽▽





「…ちょっと食べすぎたかもしれない」


思えば昨日からあまり食べていない、どうせならガッツリいこうということで、二人は焼肉屋に行った。大盛りの白米を三杯食べ、さらにビビンバやサイドメニューも次々に食した亜希は流石に苦しそうである。
そんな彼女の顔を見て、夜道を歩きながらホークスは声を上げて笑った。


「しっかりデザートまで食ってましたもんね、ホント良い食いっぷりで見てて気持ち良いですよ」

「だって…期間限定のアイスだったし」


そういえば初めて一緒に亜希と食事をした時も、自分が勧めたとはいえ期間限定のケーキを食べていた。限定ものに弱いのかなと思いつつ、こうやって一緒に過ごす時間もあと少しなのか、と寂しさが襲う。


「…亜希さん、マキシマを逮捕したら警察本部の近くに部屋借りるんですか?」

「そうだね、いつまでもホテルに泊まる訳にもいかないし」

「…そっか」

「……うん」


ほとんど毎日一緒に過ごし、部屋は違っても同じ場所に帰れる今が、ずっと続けばいいのにと思う。剛翼があればいつでも会えるが共に過ごせる時間はかなり減るだろう。

それに…彼女は自分のことをどう想っているのだろうか。

この世界にいたいと、自分の名を必死に呼んでくれた。“鷹見啓悟“”でいてほしいと、涙を全部拭ってくれると、ずっと傍にいる、と、言ってくれた。小さな微笑みも満面の笑顔も、泣き顔も見せてくれた。自分には、心を許してくれているのだとは、思う。

でも、一つだけホークスの心に引っ掛かっているのは、狡噛の存在だった。

偶然にも彼からメッセージが届いた時に浮かべた穏やかな笑みが、ずっと忘れられない。結果として彼がいる世界ではなくこちらを選んでくれたのは嬉しかったが、亜希の心に彼の面影が残っているかもしれないと思うと不安で。
彼女の気持ちを聞きたい。そして自分も、きちんと伝えたかった。


「亜希さん…あのさ、」

「ん?」

「…もう少し、一緒にいたいんだけど」


宿泊ホテルの前に到着しホークスが呟くように言うと、亜希は少し驚いてから「…私も」と小さく笑う。ホークスは立ち止まった彼女の腕を引き寄せて、横抱きにするように抱き上げた。


「じゃあ、夜景でも見ながら話しをしませんか」

「翼は平気?」

「うん、まだ完全に元通りって訳じゃないけど亜希さん軽いから余裕」


亜希が「焼肉詰まってるから重いよ」と楽しそうに言いながらホークスの首に両腕を回したのを合図に、ゆっくりと飛び上がる。

真っ直ぐに上昇し、ホテル屋上にある小さなスペースに亜希を下ろした。高層ホテルのため立入禁止であるこの場所は景色も星空も見渡せる絶好の穴場スポットだ。
亜希は「綺麗だね」と言いながら、そっと腰を下ろす。ホークスも隣に座り、自然と肩が触れ合う距離で耳を澄ませば彼女の息遣いと風の音が聞こえた。

亜希に視線を向けると、彼女の漆黒の瞳に夜景の光が反射してキラキラと輝いている。宝石のようなそれをじっと見つめていると、その視線に気付いた亜希はホークスに顔を向けた。


「…狡噛さんからメッセージがきたって言ったの、覚えてる?」


突然の言葉にホークスは驚きつつも黙って頷く。忘れられる訳がない。亜希は星空を見上げながら、あの時のような穏やかな表情を浮かべ静かに話し出した。


「…どこまでも、強い人だった」


身も心も文字通り強くて、どんな時も真実に向かって走っていく大きな背中に憧れ、尊敬して。いつか追いつきたいと、あの獰猛な瞳に浮かぶ憎しみを少しでも軽くしたいと思った。

けれど彼はいつも一切の弱みを見せずに一人で走っていく。せめて彼の復讐の手伝いだけはしたいと願い努力を重ね、どれだけ強くなろうとしても、ずっと独りで戦ってきた彼から頼られることはなくて、去って行く背中に手は届かないまま追いつくことが出来なかった。

そして槙島に敵わなかった自分は、この世界にやってきて。

ホークスに出会って。


「…貴方も、強い人だと思った」


亜希は、黙って耳を傾けるホークスの黄土色の瞳を見つめる。

狡噛と同じ真っ直ぐな目を持つホークスも強い人なのだと思っていた。どんなに小さな助けを求める声も溢さず拾い上げる彼もまた、狡噛と同じく心が強い人なのだろうと。たった一人の大切な人さえ救えなかった情けない自分とは大違いだ、と。

そんな頼りなくて不甲斐ない自分に笑顔を向けてくれるホークスの存在は、いつしか安心するものとなり。一緒に過ごすことが当たり前のようになって、笑う彼につられるように強張っていた表情が緩くなっていくのを自分でも感じた。鏡に映る自分はいつも無表情で冷たい目をしていたのに、笑おうとしても笑い方すら分からなかったのに、今では自然と笑えるようになったのは間違いなくホークスのおかげだった。

そして自分と正反対だと思っていたホークスの背中は、いつも手の届く場所にあった。先に行ってしまうことなく隣を並んで歩いてくれて、歩幅が違っても振り返って待っていてくれる。狡噛よりも、誰よりもずっと近くにいてくれた。


「…だから、貴方が泣いた時…びっくりした」


笑顔を奪いたくない、と、絞り出された言葉に驚いて、どうして自分の為に泣いているのか戸惑い、泣き止んでほしいと、笑顔を見せてほしいと思った。強い人だと思っていた彼が見せた弱さに、何か自分ができることは無いのかと必死で考えた。

涙の訳を、ホークスがずっと一人で背負ってきた重責を知り、もう独りぼっちにはさせないと思った。優しい笑顔を守りたいと、独りで泣かせはしないと。


「…貴方の弱さも、涙も全部、私が受け止める」


亜希はホークスを見て、笑みを浮かべる。


「…大事な人の背中を追いかけるだけの弱い自分は捨てて、今度こそ並んで守っていく」


自分が公安に入ったことを知ったらホークスはきっと悲しみ、今以上に何もかも背負いこんでしまうだろう。もう笑ってくれなくなるかもしれない。隠すことに罪悪感が無い訳ではないが、ホークスが笑ってくれるのなら亜希は他に何も要らなかった。


「…狡噛さんがね、背中を押してくれたよ」


届いたメッセージは、たった一言。


『これからは、自分の道を進め。』


きっと狡噛は一人で槙島と決着を付けたのだ。共に過去を背負わせてほしいと交わした手は振り解かれ、独りで復讐の代償としての罪を背負ったのだろう。そして狡噛の正義を信じて、その為に生きてきた自分に終止符を打ってくれた。消えた自分を生きていると信じ、新しい生き方を後押ししてくれるメッセージを送ってくれたことが、亜希は嬉しかった。


「…亜希さん、」


月明かりに照らされる亜希の表情は凛としていて、綺麗で、微笑みのような笑顔を浮かべている。

ホークスは亜希の冷たい手を取って、指先を絡ませるように握った。やんわりと握り返してくれたことが、どうしようもなく嬉しくて。引き寄せるように力を入れると小さな体は簡単にホークスの腕の中におさまる。突然のことに亜希は驚いていたが、そっと背中に手を回してくれた。


「…ホークスは、温かいね」

「…名前で、呼んで」


首元に顔を埋めて耳元で言うと小さな声で「…啓悟」と聞こえ、抱き締める腕に力を込める。


「…俺も、亜希さんのこと守るから。今みたいに一緒にいられなくなっても、たくさん会いに来るから」

「…ん」

「だから、亜希さんが辛くなったり泣きたくなったら俺を頼って。俺も亜希さんの全部、受け止めるから」

「…うん」


小さく笑う亜希の細い体を、腕と翼で覆うように包んで、


「…亜希さん、好きです」


呟く。

彼女の自分を想う気持ちは十分に伝わった。自分だけの一方通行な想いではなかったことが嬉しくて、どうにかなりそうだった。けれど、どうせならハッキリとした言葉も聞きたくて。


「…」


しばらく待ってみるが、亜希から返答はない。ホークスが顔を向けようと動くと、「待って」と制止する声が聞こえた。


「…見ないで、お願い」


絞り出すような亜希の声を無視してホークスが顔を見るように覗き込むと、亜希は頬を紅潮させて目を逸らす。


「…可愛い」


普段の彼女からは想像できない程に恥ずかしかっている表情に、思わず口をついて言葉が出た。「なんで見るの」と言いながらホークスの胸に顔を埋める亜希の背中に手を回しながら「見たいもん」と笑う。

さっきまで目を見て話してくれていたのに。分かり切った「好き」という言葉だけで、こんなに照れてしまう亜希が愛しくて仕方ない。

しばらく何も言わないで抱き締めていると、やがて亜希が小さな声を出した。


「…啓悟」

「はい」

「…あの、」

「うん」

「…わ、たし、も」

「…うん」

「…」

「言って?」


長い沈黙のあと、消え入りそうな声で、


「…好き」


その言葉にホークスが亜希からゆっくりと顔を上げると、彼女も躊躇いつつ視線を合わせてくれた。分かっていても大好きな声で言ってもらえると嬉しい。幸せが胸いっぱいに溢れてきて、


「好き、大好き」


何度も言って笑うと、


「わ、分かったから…」


勘弁してくれと言いたげな亜希が目を伏せたので、ホークスは赤い頬を撫でるように手を添わせる。

形の良い唇を親指でぷにぷにと触りながら顔を近付けると、亜希はハッとしてホークスの口を塞ぐように手で押さえた。


「…何するの、」

「何って、キスしたい」

「……これ何回目?」


キッと睨むような視線に、ホークスは「あ」と声を漏らす。


「…気付いてた?」

「…なんとなく、だけど」


つい先日、寝ている彼女に何度も手を出したことを思い出した。やっぱりバレてたんだなと思いつつも、眉間に皺を寄せている亜希が全く怖くなくて笑ってしまう。


「…数えてないや」


ごめんね?と続けたホークスは自分の口を押さえる手を退かすように握って、亜希の唇に自分のそれを重ねた。

一瞬の出来事に目を見開いた亜希だったが、視界いっぱい広がるホークスの顔に、やがて、ゆっくりと目を閉じる。

数秒、触れるだけの口づけを交わしてから、どちらとも無く離れて額をくっつけた。


「…これが、一回目ってことで」


ホークスが笑うと亜希も赤い顔のまま「…ん」と小さく笑みを返し、互いに見つめ合って、引き寄られるように再び唇を合わせる。

星空の下で、啄むような触れるだけのキスを何度も重ねた二人は、幸せそうに笑った。



20200716


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