年長者の気遣い
「塚内さん、お疲れ様です」
「あ、立花さんお疲れ…一人?」
「はい。ホークスはヒーローコスチュームに着替えにホテルに戻っています」
亜希は塚内が男の見張りをしている隔離病棟の一室にやってきた。徹夜続きだろうと思い、病院内の売店で栄養ドリンクやブラックコーヒー、軽く食べられそうなお菓子や塚内の好物だというキュウリの一本漬けなどを買って渡すと、「ありがとう!」と喜んで早速キュウリをポリポリと食べ始めていた。
ガラスで仕切られた、窓の無い白い部屋。部屋の中央にあるベッドには電気“個性”を持っていた男が手足に拘束用具を装着されて眠っている。見張りができるスペースには男の容態を監視できるモニターがあり規則正しい電子音が鳴っていた。“個性”反応が消えたとはいえ、万が一に備えて数分おきに“個性”検査を自動で更新しているらしい。
この世界にやってきた時、自分もあの男と同じ場所に運び込まれたことを思い出す。まさか自分がこちら側に立つことになるとは、あの時は微塵も思っていなかった。
亜希は塚内の隣にパイプ椅子を出して座り、自分用に買ってきたハムカツサンドを食べ始める。そんな彼女を横目に、塚内は伺うように口を開いた。
「…立花さん、ホークスにはうまく話せた?」
「はい、問題ないです」
「…そうか…なあ立花さん。君が二つの顔を持つことを知っているのは上層部以外だと俺だけだ。そしてこれからは君の上司になる。何か辛いことやしんどいことがあったら、迷わず相談してくれ」
亜希は一瞬驚いてから、ありがとうございます、と小さく笑う。塚内も笑みを返して栄養ドリンクを一気に飲み干した。それから足元に置いてあったアタッシュケースを取り出して彼女に渡す。
「それと…もうドミネーターは無くなってしまったから、今日からはこれを肌身離さず持つようにして」
亜希がケースを開けると、小型の黒い回転式拳銃と予備弾薬、ホルスター、警棒、そして銀色の手錠が入っていた。
「…拳銃、初めて使います。見たことはありましたが」
「使い方は簡単だよ、ここをこうして…こうで、あとは引き金を引くだけで連続で五発撃てる」
これまでにドミネーターしか使ってこなかった為、手のひらに収まるサイズの拳銃は随分小さく感じるが、どうやら取り扱いは難しくなさそうだ。ただ、今までは自動で眼球に照準が映っていた。それに狙いを定めれば外すことはほぼ無かったが拳銃は違う。角度や狙う位置など自分で考えて撃たなければ当たらないだろう。
「塚内さん、射撃練習ってできますか?少しでも慣れておきたくて…」
「警察本部の地下に訓練場があるよ。今後使う時は俺に使用許可書を出してくれたらいいから今日は俺が書いておく。早速行ってくる?」
「はい。男が目を覚ましたらすぐ戻ってくるので、それまで練習してきます」
「おう、頑張ってね」
亜希は手早くホルスターを腰に巻き付け、拳銃などを身に着けた。ドミネーターのように大きくないのでスーツのジャケットでうまく隠れるし、身軽で動きやすい。
塚内に礼を言ってから、亜希は警察病院のすぐ近くにある本部へと向かった。
▽▽▽
着替える為に一度ホテルに戻ったホークスは身支度をして、すぐに塚内と亜希が待つであろう隔離病棟へと向かった。しかし男は一向に目覚める気配はなく、亜希は初めて使うという拳銃の練習をしに本部へ行ったらしい。
「はー、亜希さん真面目ですねえ」
「ドミネーターとは全然勝手が違うだろうからね、頼もしいよ」
ホークスは亜希が座っていたパイプ椅子に腰かけ、ガラスで仕切られた向こう側にいる男をぼんやりと見る。
「…なんか、懐かしいな。亜希さんを保護した時も塚内さんと一緒にここから見てましたよね」
「そういえば…そうだったな」
全く違う世界からやってきた亜希に掴みかかられ殺気を交差させた時は、まさか自分がこんなにも彼女のことを好きになるとは思わなかった。二カ月も経っていないのに、あの頃が遠い昔のことのように感じる。
「…亜希さん、これからは塚内さんの部下になるんですよね?」
「…ああ、そうだ」
塚内は、僅かの動揺も悟られないように気を付けながら返事をする。ホークスは特に何も気付く様子はなく「亜希さんも塚内さんみたいに目の下に隈とか作るのかな〜」と笑ったので、安堵した。
「人手不足の警察に来てくれて有難いよ。来月…四月になったら新人も入ってくるだろうし、これを機に勤務形態も見直して休日も取れるように善処する」
だからさ、と、塚内は言葉を続ける。
「…ホークス、たくさん会いにきてあげてよ。立花さんに」
塚内の部下として警察本部に身を置くことになった亜希は、マキシマの件が落ち着いたら宿泊しているホテルを出て東京で暮らすことになるだろう。福岡を拠点とするホークスとは事件が落ち着いたら今のように毎日一緒にはいられないのは明白だ。
福岡県警に亜希を異動できないかとも一瞬考えたが、いつ公安に呼び出されるか分からない為、東京にいることは絶対条件だった。
そして公安の仕事も兼任する彼女を待っているのは激務だろう。せめて部下として自分が亜希を預かっている内は、少しでも自分の時間を持ってほしいと切実に思っていた。
塚内の言葉に、ホークスは笑って頷く。
「…もちろん。亜希さんが嫌って言っても会いにきます」
ホークスは本音を言えば、亜希を福岡に連れて帰りたかった。けれど塚内の直属の部下になる以上、それは無理なことだと十分に分かっている。「刑事でいたい」と言った彼女の願いが叶ったのなら現状を無理にどうこうするつもりはなかった。
ホークスの返事に塚内も笑顔を浮かべ、「はあ〜若いっていいなあ」と言いながら伸びをする。凝り固まった首と肩をゴキゴキと音を鳴らしながら回した時、塚内のスマートフォンが震えた。
「あ、イレイザーからだ…え〜何々…『昨日は肝心な時にいなくてすいませんでした。今からそっち行きます』」
メッセージを読んだ塚内は「残業で抜けれなかったんだって」と笑う。
「名門の教師ともなると春休み中も忙しいんですね」
「うん、もうじき新入生も入ってくるしね。確かエンデヴァーの息子さんも推薦枠で入学予定じゃないかな」
「えっ、それは興味あるなあ…どんな子なんだろ」
「たぶん体育祭の中継で観れるんじゃないかな。推薦ってことは実力はあるだろうし」
「へぇ〜…絶対観よ」
幼少期から憧れていたNo.2ヒーローの子。一体どんな“個性”を持っているのか楽しみだなとホークスは内心で思った。
その隣で、相澤に返信を打つ為にスマートフォンの画面に再度視線を向けた塚内は、驚いた声を上げる。
「え、もう夕方?!まだ昼過ぎだと思ってたのに…」
「この部屋、窓がないですもんね」
無機質な病室は白の壁に囲まれており、四六時中明かりが灯っているので時間感覚が失われる。塚内は溜め息を吐きつつホークスに向き直った。
「もうこんな時間だし帰っていいよ。怪我も完治してる訳じゃないからね。立花さんにも今日は休んでいいからって伝えてくれるか?」
「え、大丈夫ですよ。見張りは俺がやるんで塚内さんが休んでください」
もう一生消えないのでは?と錯覚しそうな程に濃い隈を浮かべながら、塚内は首を振る。
「イレイザーと交代してもらうから心配無用さ。だから二人はゆっくりしてて。何かあったら連絡するから」
きっと、塚内は自分と亜希を気遣ってくれてるのだろうなとホークスは思い、ありがとうございますと頭を下げた。
「…お言葉に甘えます。塚内さんも、無理しないでくださいね」
仕事が早くて、優しくて頼りがいのある塚内。そんな彼の元でなら亜希も安心して働けるだろう。
ホークスは笑顔を浮かべて頷く塚内にもう一度軽く頭を下げてから、亜希がいる警察本部の訓練場へと向かった。
20200715