平和の裏側が


柔らかい光を眩しく感じ、ゆっくりと目を開けた。左手に感じる温もりに亜希が「ずっと傍にいるから」と言ってくれたことを思い出したホークスは、ぼんやりする視界に彼女を映そうと顔を向けて、


「ひぃ?!」


短い悲鳴を上げた。


「そんな驚かなくてもいいだろ。失礼な子だね全く」


自分の手を握っていたのはリカバリーガールだった。驚愕するホークスの手を離した彼女は「まあ元気そうで良かったよ」と言って、座っていたパイプ椅子から飛び降りる。ホークスも慌てて起き上がるが口からは「え…え?!」という戸惑いの言葉しか出てこない。


「…勘違いするんじゃないよ。もう一度あんたに治癒をやってやろうとここに来たら、あの子に頼まれただけだ」

「あ、あの子って…亜希さん?え、なんて頼まれたんです?」

「ホークスが目覚めるまで手を握っててあげてください、って」


なんだそれは。どう考えても目覚めるまで亜希が一緒にいてくれると思うだろ、とホークスは内心で絶句する。
亜希だから手を繋いでいてほしかったのに、まさか他の人に頼むなんて…恥ずかしさよりも悲しみの方が大きい。
ホークスは半泣きになりながらも、失礼な態度を取ってしまってすみませんとリカバリーガールに頭を下げた。


「…その、亜希さんは…どこに?」

「塚内警部が呼びに来てね、少し前に出て行ったよ」

「そうですか…」


急ぎの用だったのかもしれないが、ショックを隠し切れないホークスは項垂れる。そんな彼にリカバリーガールは溜め息を吐きつつ背を向けた。


「まだ翼は生え揃っていないが、それ以外の傷はもう大丈夫だと思うよ。少し休んだらとっとと帰ってベッドを空けな。警察病院はいつも病床不足だからね」

「は、はい」


じゃあね、と言って足早に病室を出て行ったリカバリーガールを呆然と見送ってからホークスは自身の翼を確認する。元通りではないが大半の羽が揃っており十分飛べるくらいにはなっていた。電流を浴びて傷だらけだった全身の傷も随分マシになっており、偉大なリカバリーガールに感謝する。

ふと、ベッドサイドに置かれたスマートフォンが点滅していることに気付いた。手に取るとヒーロー委員会会長からの電話で、慌てて通話ボタンを押す。


「もしもし、すみませんお待たせしました」

『構わないわ。怪我の具合はどうなの?』

「もう、大丈夫、です…」


答えながら、きっと、亜希のことだろうと内心で溜め息を吐いた。彼女は刑事でいることを望んでいる。しかし会長が納得するような断る理由をまだ考えてはいない。どうしようか迷っているホークスに構うことなく、会長は口を開いた。


『彼女…立花亜希についてだけど、』

「…あー、そのことなんですが、」

『刑事として警察で預かることにしたわ』

「そうですか…刑事として…って、え?…ええ?!」


電話越しで『…うるさいわよ』と不快そうな声が聞こえたが、それに謝る余裕もないくらいにホークスは驚く。聞き間違いかとも思ったが、確かに会長は今、刑事、と言った。


「どういう風の吹き回しですか…」

『…彼女の武器だった電磁波の銃、あれがあれば“個性”にも対抗できたはず。でももう消えてしまったのよね。よくよく考えれば“個性”もないのに公安が務まるハズがないと思ったの。けれど警察なら無個性でも役に立つ。彼女には塚内警部の部下として刑事を続けてもらうわ』


いつもと同じ感情の読めない声。自分のことも亜希のことも駒としか見ていない、冷徹で平和の為なら何でもするような会長が、ドミネーターが無くなったからといって亜希という優秀な人材を要らないと判断するのかと疑問が浮かぶ。しかしホークスが何かを言う前に『引き続きマキシマ逮捕に向けて尽力なさい』と言って、通話は切られてしまった。

言いようのない不安が拭えなくて何かかがおかしいと思いながらスマートフォンを見つめるが、いくら考えても理由は分からずに頭を悩ませた時、コンコンとノックする音が聞こえた。ホークスが返事をする前に開かれた先には、亜希。


「おはよう。体調どう?」


全く悪びれもしない亜希は後ろ手で扉を閉めて近付いてくる。ホークスはさっき自分がされた仕打ちを思い出し、思わず彼女を恨めしそうに睨んだ。


「…どこ行ってたんですか」

「リカバリーガールさんから聞いてない?塚内さんに呼ばれたの」


ベッドに腰かけた亜希は手に持っていたコンビニの袋をガサガサと漁りながら中からオニギリ三つとペットボトルのお茶を取り出し、残りを「お見舞い」と言って差し出す。ホークスはそれを受け取りつつ、早速一つ目のオニギリの包装を開けている亜希のスーツの袖口を掴んだ。


「…傍にいるって、言ったじゃないですか」


拗ねたように口を突き出しながら言うと、亜希は一瞬ポカンとして「リカバリーガールさんが手握っててくれたでしょ?」と平然と言ってのける。彼女は本当に分かっていない。


「俺は、亜希さんに一緒にいてほしかった」

「うん、それよりさ、」


抗議の言葉を見事にスルーされ、ホークスは今度こそ泣きそうになるが堪えた。そんなことって酷すぎやしないか。
黙るホークスを気にも留めず、亜希はオニギリを食べながら胸元から何かを取り出して、見せるように広げる。


「え…これ、って、」


ホークスは驚いて亜希が持っている物をまじまじと見つめた。

黒い、二つ折りの…警察手帳。

見覚えのある亜希の顔写真は彼女が所持していたIDカードと同じものだろう。どこまでも冷たい出会った頃の表情は、今目の前にいる亜希とは別人みたいだ。


「今日付けで、刑事として警察に所属することになった」


そう言って、亜希は笑う。ついさっき交付されたばかりで塚内に渡されたのだと。


「…本物?」

「うん。事件が落ち着いたら一応体力テストや筆記試験やるって言われたけど、この手帳は本物」


オニギリを食べ終えた亜希は、未だ自分の袖を掴んだままのホークスの手を握った。


「…私、刑事でいられるよ。刑事として生きていける。だから、もう気にしなくていいからね」


優しい表情を浮かべる亜希に、ホークスもつられるようにして笑う。先程会長から言われた言葉は嘘じゃなったのだと、自分の杞憂だったのだと思うと、とても嬉しい。

ホークスは安心して、冷たい小さな手を握り返した。





▽▽▽





「(…ホークスにバレてないかな…手帳は本物だし大丈夫だろうが…彼は勘が良いからなあ)」


警察病院内の隔離病棟、ガラスで仕切られた一つの病室で塚内は独り言ちる。意識の戻らない電気の“個性”を持っていた男を見下ろしながら、昨日亜希と交わした会話を思い出していた。


「…塚内さん、お願いがあります。これから私が言うことは全部、ホークスには秘密にしてください」

「…分かった。お願いって、なんだい?」

「私は公安に入ります。そして、ホークスに任される仕事を出来るだけ多く振り分けてもらうつもりです」

「…まさか、彼の代わりになるつもりか?君には“個性”がない、そんなの無茶だ」

「塚内さん以前、私のことを『その辺の警察官よりよっぽど強い』って言ってくれましたよね。だから大丈夫ですよ」

「そんな…まあ確かに言ったし実際そうだけど…でも公安は危険な場所だ、断ったって…いいのに」



「入りたくない」と言ってくれさえすれば他に何か方法がないか考えることも出来たのに。そんな選択肢なんて最初から存在しないかのように、亜希は強い意思も持っていた。


「私は…ホークスの負担を少しでも軽くしたいだけです。できることは限られると思いますが、彼がしなくてもいいことを引き受けることは出来る」

「立花さん…」

「でも本人に知られたら意味がない。…だから彼を通さずに公安の人に直談判したい。その時間を作ってほしいんです。ホークスが眠ってる今の内に」

「…そんな…、いいのか、本当に」

「はい。塚内さんにはお手数をおかけしますが…どうか、お願いします」



頭を下げた亜希に、塚内は泣きたくなった。

ホークスが社会の裏側でどんな思いで生きているかなんて世の中の人間はほとんど知らない。近くで見てきた自分だって根本的には理解できていないのだろう。

それを亜希は、彼と同じ立場になって共に背負おうとしている。過酷な場所と分かっていながら身を投じることには大きな覚悟と勇気が必要だが、彼女はそれを持っていた。

自分は彼に何もしてあげられなかった、それを後悔していた。けれど彼女は、自己犠牲の精神で、誰よりも彼を守ろうとしている。


「…すぐに手配する」


最近、ホークスはよく笑うようになった。貼り付けた表情ではなく年相応な笑顔を浮かべるようになったのは間違いなく亜希のおかげだ。そんな彼女が傍にいるなら彼はきっと、もう孤独と隣り合わせになることはないだろう。


「…ありがとう」


ホークスを、救おうとしてくれて。
誰に言うでもなく呟く。


そして、亜希が公安に出向いた後ほどなくして上司から連絡あり、彼女が公安と刑事を兼任することと自分の部下として身を置くことになったことを聞かされた。

勘が鋭いホークスにバレないように策を講じたのだろうが、あまりにも過酷な結果に唖然とした。しかし戻ってきた亜希は小さな笑顔を浮かべている。


「塚内さんのおかげでうまくいきました。本当にありがとうございました」

「…俺は何も出来ていない。それに…立花さんの負担が大きすぎやしないか」

「私は刑事の仕事に誇りを持っています。だから、どんな形でも続けられるのは嬉しい。これからも宜しくお願いしますね」



その小さな体で何もかもを背負おうとしているのに、亜希は屈託なく笑う。

彼女も初めて会った時から、随分と表情豊かになったと思う。それもきっと、ホークスが一緒にいたからだろう。

互いに支え合っている二人の若者の未来が、どうか明るいものでありますように。

塚内は一人、静かに祈った。




20200714


- ナノ -