独りにはしないから


「立花さん、傷の具合は?」

「大丈夫です。リカバリーガールさんには怒られましたけど…」


亜希の言葉に、塚内は苦笑いを返す。

――あの後。
翼の大半を焼け失ったホークスは亜希と電気“個性”の男を抱えて東京タワーから降りることが出来ず、塚内に連絡した。病院内で起こった騒ぎに駆け付けていた塚内は驚愕しながらもすぐに本部からヘリを飛ばし、三人を保護。

急いで警察病院へと戻る途中でボロボロだったホークスは緊張の糸が切れてしまったのか気を失ってしまった。全身に電流を浴びていた満身創痍の体は限界だったのだろう。塚内は定期検診の為に病院に来ていたリカバリーガールをすぐに呼び、ホークスに治癒を施してもらった。
今現在、彼は深い睡眠の中にいる。

亜希も重体を無理に動かしたせいで目元と背中の火傷の傷は悪化していたが、それもリカバリーガールの治癒で随分とマシになった。亜希は過去に二度治してもらっていたが、どちらも意識が無かった為、今回初めて彼女と顔を合わせたのだが。


「ホークスもだけどアンタも無茶しすぎだよ!一体どうやったら、そんな怪我で動けるんだい」


開口一番にお説教が始まり、亜希が礼を言う暇もなく怒られ続けた。目元のヒビはもうくっついているらしいが瓦礫で殴られた時に出来た眉上の傷は深い為、大きな絆創膏が必須だった。全身の火傷の跡も薄くなったものの背中の爛れは中々治らないとのことで、火傷に効く軟膏を処方してもらってから、亜希は謝りながらリカバリーガールがいる処置室を出た。

雨に濡れ赤黒く染まっていた入院着を脱ぎ去り、院内のシャワーを浴びてからスーツに着替える。いつも羽織っていた公安局のジャケットは爆発の時にほとんどが燃えてしまったようで、もう手元には無かった。

身なりを整えた亜希は待合室にいる塚内と合流し、ホークスが眠る病室をそっと覗く。


「よく眠ってるね…最近ずっと働きっぱなしだったし、疲れも溜まってたんだろう」

「…そうですね」


彼の翼を考慮した少し大きなベッドから規則正しい息の音が聞こえて、亜希は安堵する。普段から人の何倍も動いている彼に少しでもゆっくり休んでほしかった。

亜希は病室の扉を静かに閉めてから、塚内に向き直る。


「…電気“個性”の男は、どうなりましたか?」


亜希は確かに、男の両腕目掛けてデコンポーザーを放った感覚を覚えている。電子分解銃の威力は凄まじい、腕だけでなく体を消し去る可能性もあったのに…男は五体満足の状態で倒れていて、それが不思議だった。


「まだ意識は戻ってないけど、じきに目を覚ますと思う。あと…男から“個性”反応が消えていた」


ホークスが背中に突き刺した傷は深かったものの、内臓を傷つけないように避けられていたため命に別状はない。しかし、何度検査をしても電気を操れる“個性”は元から無かったかのように、綺麗さっぱり消滅していた。

亜希は、淡い光を思い出す。


「…男の“個性”を全部ドミネーターが吸収して、私がいた世界と繋がったんでしょうか」

「立花さんの世界と…?」


驚く塚内に、亜希は先程の出来事を簡潔に説明した。いつも腰に差していた黒い銃は、今はもう無い。


「おそらくドミネーターだけ、元の世界へ戻ったんだと思います。ホークスが私を引っ張ってくれなかったら、私もそのまま…」

「そう、だったのか…」


時間にすれば、ほんの一瞬だったのかもしれない、あの瞬間。交わることのない二つの世界が、ブースト薬によって増強された電気“個性”のパワーと電磁波を放つドミネーターの同時使用によって、確かに繋がった。

亜希の言葉に、塚内は安心したように「この世界に残ってくれて嬉しいよ」と笑い、言葉を続ける。


「…立花さん、実はね、話さなくちゃならないことがあるんだ」


真剣な表情を浮かべる塚内に、亜希も姿勢を正した。


「上層部から、立花さんの今後についての指示が出た」


今後について。
亜希の頭にホークスから聞いた『公安』の話が浮かぶ。警察の中にある特殊な組織への勧誘、もとい命令。当初の目的だった電気“個性”を逮捕した今、亜希の処遇は、この世界にきてからずっと面倒を見てくれた塚内にも知らされているのだろう。


「…もう、ホークスから聞いてるかな?」

「え…」


塚内の言葉に、亜希は“ホークスが公安”であるということを知っているのかと、思わず驚く。そんな亜希に頷きを返す塚内は続けた。


「長く警察にいるからね。ホークスがどれだけ陰から尽力してくれているか、知ってるつもりだよ」


塚内は、ホークスが公安預かりのヒーローであることを知る数少ない一人だ。塚内は若くして様々な犯罪者に向き合い経験値が高く、上層部からの信頼も厚い。警察組織の中の一つである公安と関わることも多く、ホークスが幼少期から公安にいることも知っていた。

幼かった子どもに過酷な訓練を受けさせ“個性”の使い方を教え込み、忠実な駒として育てていく様子をずっと見てきた。ホークスはあまり笑わない子どもだったが、成長していくにつれて益々表情が消えていき、気付いた時には何を考えているか分からない作り笑顔を貼りつけていた。それに気付いてなお見て見ぬフリをして、彼に任せきりにしていた自分達警察、公安の酷さに、ずっと嫌気が差していた。

ホークスに頼りすぎているんだ、俺達は。そう呟く塚内を、亜希はじっと見上げる。


「…そうでしたか」

「…ホークスが、君にちゃんと話しているか分からないから、って。俺からも立花さんに話すように言われたんだ」


上司から念を押されたのだろう塚内は悔しそうな、悲しそうな表情を浮かべている。一人の少年が平和を守る為に犠牲になった場所へ、今度は亜希を放り込もうとしているのだ。強烈な縦社会では組織の上に向かって反論することは出来ず、言いなりになるしかない自分が情けなくて仕方ない。

そんな塚内を責めるでもなく、亜希は静かに、けれどハッキリとした口調で。


「…塚内さん、お願いがあります」


ホークスから公安の話を聞いて、考えていたこと。亜希は真っ直ぐに塚内の目を見て、自分の意思を伝えた。

それを聞いた塚内は目を見開いて言葉に詰まっていたが、やがて、小さく口を開く。


「…そんな…、いいのか、本当に。」

「はい。塚内さんにはお手数をおかけしますが…どうか、お願いします」


亜希に迷いは一切なく、強い決意が込められている。


「…すぐに手配する」


胸元からスマートフォンを取り出した塚内は、頷く亜希を見て、


「…ありがとう」


小さく呟いた。





▽▽▽





「貴方の活躍は聞いているわ。電気“個性”も貴方のおかげで確保できた…感謝しています」


広い部屋の窓際に立つ女は、「でも、まさか私に直接会いにくるとは思わなかった」と言葉を続けた。

今、亜希の目の前に、公安のトップであるヒーロー委員会の会長がいる。塚内に無理を言って謁見を願い出たのだ。塚内が警察上層部を通し頭を下げてくれたおかげで、ほんの数分だが時間を取ってもらえた。
警察病院から然程離れていない場所にある高層階のビル、その一室にヒーロー公安委員会の本部があり、亜希は一人で足を踏み入れた。


「ここに来たということは、ホークスか…もしくは塚内警部から話は聞いているのよね?」


良い返事を期待しているのだけれど。そう言う会長の表情は無表情で冷たさを含んでいる。まるで、かつての上司だった禾生局長のようだと思いつつ、亜希は会長から視線を逸らさずに口を開いた。


「公安の件は、お引き受けします。ただし条件がある」


亜希の言葉に会長は眉を寄せ、「…何かしら」と小さく呟く。不快さを隠そうともしないその表情に、亜希は一切怯むことなく言葉を続ける。


「私が公安に入ることは、ホークスには秘密にしてください」

「…どうして?」

「今後、ホークスに任せる予定の捜査や活動を私に回してほしいからです。彼の“個性”が必要不可欠なものを除いて、全部」

「なんですって?」


ホークスの過去を聞いて、公安の話を聞いて、亜希が思ったのは。


「私は公安に入る。工作員だろうが諜報活動だろうが、なんだってやる。必要があれば人を殺すことも躊躇わない。だから、ホークスの負担を減らしてください」


彼が一人きりで抱えてきた大きな責任を、少しでも軽くしたい。一緒に背負いたい。そして、少しでも自由になってほしい…それだけだった。

亜希の言葉を聞いた会長は、嘲笑する。


「…無個性の貴方に、ホークスの代わりが務まるとでも?」

「確かに私には、彼のような秀でたものはない。でも、個性が無いことが私の“個性”です。この超人社会では私のような何も持たない者に相手は絶対に油断する。世間から認知されているNo.3ヒーローよりもずっと、私の方が隠密活動に向いています」


断言する亜希に会長は面食らったように一瞬言葉に詰まり、フッと笑いを漏らした。


「…随分と自信があるようだけど、ホークスの代わりなんて並大抵の心構えでは出来ないわよ」

「覚悟の上です。でもホークスには絶対に言わないでください。彼が知ったら私を気遣ってしまう。それだと意味がない」

「…」

「私はいざという時、公安の為に誰よりも速く忠実に動いてみせる。好きに使ってくれて構わない、どんな汚れ仕事でもやってみせる。だから…」


お願いします、と、頭をさげる亜希を会長は見つめる。“個性”という、最期には自分を守る術を持たないのに、彼女はどうしてそこまで強い意思を持てるのか。ただの駒にしようと思っていた彼女は、想像していた以上に芯が通っている。


「…ホークスは、とても目聡く耳聡いわよ。隠し通せるかしら」

「それは…」


亜希はしばらく考えてから、「どうにかしてください」と投げやりに言った。会長は今度こそ声を上げて笑い、亜希を見据える。
自分に対して一切怯むことなく意思を提示する為に直談判しに来た彼女は、きっと良い工作員になるだろう。それにホークスただ一人に頼りきりだったのは事実。亜希がいれば出来ることも増えるのは確かだ。


「…分かったわ、条件を飲みましょう。ただホークスにどう説明しようかしらね…」


ホークスには直接、亜希を公安に引き入れるように話している。それを覆すとなれば、きっと彼は何かあったのではと勘繰るだろう。
さてどうするかと考えている時、ふと、亜希が刑事であったことを会長は思い出した。


「…これからも、刑事でいるつもりはある?」

「え…」


予想にしなかった言葉に、亜希は目を見開く。


「警察に身を置くの。表向きは刑事として、でも有事の際には公安に従ってもらう。刑事と公安、二つを兼任するのはどう?」


ホークスがプロヒーローと公安の二つの顔を持つように、貴方には刑事と公安の二つの顔を持ってもらう。そう続ける会長に、亜希は驚きながらも頷いた。


「…願ってもないことです。私は…刑事でいたかった。きっとホークスも気付かないと思います」


こんなに上手い話があるのか、と。刑事でいたかったのは本音だが、ホークスの為なら捨てても構わないと思っていたのに。


「…分かっていると思うけど、大変よ。本当にいいのね?」


会長は念を押すように亜希を見る。


「よろしくお願いします」


亜希は迷いなく、頭を下げた。




▽▽▽




夜。

警察病院に戻った亜希はホークスが眠る病室に戻ってきた。彼はまだ眠っているが、白いシーツに広がっている赤い翼は少しだけ生えそろってきているようだ。亜希はベッドに腰かけて、ホークスをじっと見つめる。


「…昨日と逆だね」


たった一日で、いろんなことが起こったなと思いながら起きている時よりもずっと幼さを残している寝顔に向かって小さく呟く。すると、閉じられていたホークスの瞼がゆっくりと開いた。


「…あれ…亜希さん…?ここって…あー、俺、気失ったんか」


独り言のように呟いてから、欠伸を一つこぼす。その無防備な姿に亜希は思わず小さく笑った。


「ごめんね、起こしちゃった?」

「ううん、全然…ねえ亜希さん」

「ん?」


ホークスは自分を見下ろす優しい瞳を見上げながら、その顔に向かって手を伸ばす。頬に手を添えて、その感触を確かめるように撫でた。


「…ありがと、この世界を選んでくれて」


柔らかく笑うホークスの温かい手に、亜希も自分のそれを重ねる。


「私の方こそ、助けてくれてありがとう…今までも、たくさん助けてくれて本当にありがとう」


亜希はホークスの手をぎゅっと握りながら、「これからは、私が貴方を助けるから」と呟いた。「へ?」と間抜けな声を出すホークスを、亜希はじっと見つめる。


「…私の前では、“ホークス”でいなくていい。“鷹見啓悟”でいてほしい」


優しい声色に、ホークスは驚いて言葉に詰まる。そして、じわりと目が滲むのを感じた時には涙がこぼれていた。亜希は手を伸ばし、溢れる彼の涙を人差し指で拭う。


「泣きたくなったら、思う存分泣いていい。私が全部拭うから」


今までずっとホークスが一人きりで抱えていたものを、これからは一緒に背負う。二人なら少しは軽くなるはず。だから自分はこの世界にいることを望んだのだと、口には出さずとも彼には伝わったのかもしれない。いつもは鋭い瞳からぽろぽろ流れる涙を、亜希はスーツの袖も使って拭った。
ホークスは嗚咽を漏らしながら、口を開く。


「…なんか…、亜希さん男前すぎん?」

「ホークスは泣き虫だよね」

「な…っ、亜希さんのせいです!」


声をあげるホークスの髪を、亜希は笑いながら優しく撫でた。


「今まで我慢した分、これからは、たくさん泣いていいから」


恥ずかしそうに目を逸らしながら鼻を啜るホークスに、亜希は「もう一回寝た方がいいよ、まだ傷は治ってないから」と声を掛ける。


「…亜希さん、傍にいてくれると?」

「うん。ずっと傍にいるから安心して」

「…じゃあ、手繋いでてほしか」


たまに砕けることはあるが基本的に敬語を話す彼の、あまり聞かない言葉遣い。亜希には馴染みない方言だったが彼が口にすると可愛らしく聞こえる。
要望通りに手をぎゅっと握るとホークスは嬉しそうに笑って目を閉じ、やがて寝息を立て始めた。


「…貴方を、守るから」


貴方の負担を減らせるように、もっと強くなる。私は貴方がいれば笑っていられるから、心配しないで。そしてどうか、私が公安に入ったことには気付かないで。

もう貴方を独りにはしないから、だから、また笑顔を見せてね。

穏やかな寝顔を見つめながら、亜希は小さく笑った。



20200713


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