始まりの場所


湧き上がる悲鳴の中に、地響きのような音が聞こえる。

亜希がベッドサイドの棚に置いてあるドミネーターを素早く手にし、そんな彼女を咄嗟に抱き締めたホークスが身を守るように翼を広げた時、室内の電球がチカチカと点滅して病室のドアが破裂するように吹っ飛んだ。

大きな破片が容赦なく二人に襲い掛かるが、それを赤い翼が弾き飛ばす。衝撃と共に体に走るビリビリとした感覚に、亜希は翼の隙間からドミネーターを掲げるように構えた。


「よ、ヨよ、寄越セえええ!!!!」


天井から聞こえる叫び声に亜希は即座にパラライザーを放つ。同時に雷のような電流が室内を包み込んで電球の先端が小さく爆発し、そこから痩せ細った男が姿を現した。床に落下した男は体を痙攣させながら近付いてくる。


「電気“個性”か…!」


ホークスはすぐに数多の羽を飛ばす。しかし、男の両手から放出された電流が赤い羽を次々に焼け焦がしていき、攻撃が当たらない。男は狙いをドミネーターに定め亜希に向かって電流を撒き散らしながら走り寄ってくる。

亜希はホークスの腕から飛び出してベッドに片膝をつき、男の顔面を迎え撃つように麻酔銃を再度撃った。しかし、いつも両目で合わせていた照準を片目で狙ったことにより僅かにズレが生じてしまい外してしまう。目前に迫った男がドミネーターの銃口を掴んだ。

その瞬間、激しい痺れが亜希の全身を駆け抜ける。耐電使用のドミネーターを突き破るような強い電力に耐えながら亜希がもう一度引き金に力を込めた時、腕時計型デバイスが光って、メッセージ受信を知らせるホログラムのディスプレイが浮かび上がった。

両手でドミネーターを構えていた亜希の目に、メッセージの送信元が映る。


「…!」


それを見て、一瞬、驚きでドミネーターを握る手が緩んでしまった。

男はそれを見逃さず、銃を奪い取るように亜希をベッドに沈み込めながら圧し掛かる。ホークスは瞬時に天井に回り込んで、男の背後に飛びついて風切羽を思い切り突き立てた。


「グアアアアア!!」


鮮血を激しく散らせながら叫ぶ男は血走った目で亜希を睨み、彼女の両手ごと抱き込むようにドミネーターを掴む。


「コれが…あれバ…」


男は血を吐きながら呟き、ニヤリと笑った。

瞬間、男から電流が爆発のように勢いよく飛び出し、病室の窓ガラスが内側から一気に叩き割れる。激しい風圧に亜希もホークスも思わず目を閉じた一瞬の隙に、男は忽然と姿を消した。

男の背中に飛び乗っていたホークスはバランスを崩し、ベッドの上で横たわるように受け身をとっていた亜希を押し倒すような格好でなんとか着地する。

至近距離で亜希を見下ろすと、彼女は驚愕と困惑がない交ぜになった表情でホークスを見上げていた。ドミネーターを握る亜希の両手は電流の痺れのせいか少し震えており、ホークスは片手でその小さな両手を包むように握る。


「怪我してない?」


頷いた亜希の手を引いて起き上がらせる。男から溢れ出した血を浴びてしまったせいで白い入院着の大半が赤黒くなっているが、彼女自身に傷は無くてホークスは一安心した。そんな彼を、亜希は呆然とした瞳で見つめる。


「…メッセージ、が…届いた」

「メッセージ?」

「狡噛さん、から…」

「え…」


予想しない名に、ホークスは驚いて言葉を失った。狡噛、は、彼女の世界の人間だ。


「さっき、ドミネーターを撃とうとした時に…受信した…」


どうして、何故。彼女の世界とこちらの世界は繋がらなかったはずなのに。まさか…電気“個性”と接触したことで、二つの世界が交差したというのか。

それに、狡噛は…亜希の…

何も言えないでいるホークスの前で、亜希はメッセージを開く。それを読んだ彼女は一瞬驚き、そして、小さく笑った。

その表情は、いつも見る亜希の笑顔より少しだけ穏やかで、ホークスの胸は締め付けられる。

狡噛は…彼女の、想い人だ。

どれだけ自分の気持ちを押し付けても、亜希が可愛い表情を見せてくれたとしても、心に棲みつく存在を上回ることはできないのか。


「…戻りたいですか?元の世界に」


以前、自分が亜希に問うた言葉。叶わないだろうと思いつつ、なんとなく言っただけだったのに。

本当に、亜希が元の世界に戻れるかもしれない、なんて。突き付けられた現実に動揺を隠せず、ただ亜希を見つめることしかできない。

近い将来、公安に引き入れられることを知ってしまった亜希は、きっと元の世界に帰りたいはずだ。刑事でいたいと望み、刑事としての生き方を教えてくれたという狡噛からのメッセージを読んだ亜希は、きっと彼に会いたいと思ったに違いない。

嫌だ、行かないで。ここにいて。

そう思うのに、亜希の幸せを考えれば、この世界に引き止める理由が見つからなかった。自分の我儘だけで彼女を縛り付けることは、出来ない。


「…、亜希さん」


思ったよりも弱々しい声が出て、驚く。亜希は顔を上げて、ホークスをじっと見つめた。昨日何度も触れた唇が開いて何かを言いかけたと思ったら、彼女はハッとしたようにドミネーターを見る。そして、全ての窓ガラスが割れて曇り空が丸見えになっている窓辺に近付いた。


「…東京タワー」


亜希が呟いて指差す先には、広がる景色の中心にそびえ立つ赤いシンボル。


「奴の行き先は東京タワーだ!」


そう言って窓枠に足を掛ける亜希を、ホークスは慌てて止める。


「ま、待って!ここ十階ですよ?!」

「早く行かないと、東京タワーが爆発する!」


振り返った亜希はホークスのジャケットを両手で掴み、声を上げた。


「…どういうことですか」

「…ドミネーターが貯蔵していた電力のほとんどを奪われた。もう充電が少ししかない」

「え…」

「ここから一番近くて電力が集中する場所は、東京タワーだ」

「…」

「奴はさっき、“これがあれば”って呟いてた。ドミネーターと東京タワーの電力を使って…私がこの世界にきた時みたいに、また爆発を起こすつもりなんだと思う」


亜希はホークスに縋り付くように彼のジャケットを強く握る。
 

「…また誰かが巻き添えになる前に、絶対に止める。ホークス、私を東京タワーまで連れて行って」


真っ直ぐに自分を見上げる瞳に、先程までの困惑の色はない。あるのは、犠牲者を出さないという強い信念だけだ。

電気“個性”と対峙したら、今度こそ亜希は元の世界へ戻る道筋を見つけるかもしれない。でも…

ホークスは外していたゴーグルを掛けて、亜希の抱きかかえるように持ち上げる。細い体は随分と軽く、こんな小さな体でヴィランに立ち向かおうとする彼女の意思に逆らえる訳がなかった。

…もし亜希が帰ることになっても、それを彼女が選択したなら、自分は…せめて最後まで一緒にいたい。


「…スピード出すから、落ちないようにしっかり掴まってて」


静かに言ったホークスの首に亜希は両腕を回して密着する。その瞬間、ホークスは空に舞い上がった。亜希に出来るだけ風の負担がかからないよう細心の注意を払いながら東京タワーまでの道のりを目下で確認すると、電気“個性”が移動するのに使ったであろう電線がバチバチと火花を散らしている。曇っていた空からはやがて冷たい雨が降り出してきた。

火花はそびえ立つ東京タワーの赤い柱を登って行ったらしい。上へと続いている枠組みが所々焼け焦げているのが確認できる。

ホークスは亜希をしっかりと抱き締め飛び上がり、頂上アンテナ付近にある外階段の踊り場に降り立った。雨がどんどん強くなってきて昼間だとは思えない程に空は暗いが、東京タワーのライトアップで辺りは赤く光っている。

ホークスは電気“個性”の男よりもずっと速かった。下層から、こちらに向かってくる電流が伝う音が微かに聞こえくる。
しがみついていた亜希が顔を上げたのを合図に、ホークスは彼女をそっと下ろした。


「…足元、滑るかもしれないから気を付けてね」


骨組みが剥き出しの足場は悪く、雨が真横に流れる程に風が強い。ついさっきまで病院にいた亜希は素足で、襟元が緩い入院着から覗く首や胸元には包帯が巻かれている。背中の火傷はまだ痛むだろうに、彼女はホークスから離れるとすぐに階段の手すりを掴んでドミネーターを力強く構えた。
地上から三百メートル以上もある場所で、命綱もなく身一つで立つ彼女を、ホークスは目に焼きつけるように見つめる。

初めて出会ったこの場所で、亜希はあの時と同じようにボロボロで、瞳に青を灯している。そんな姿が、どうしようもなく綺麗だ。


「…啓悟、」


突然小さな声で呼ばれた自分の名に驚いて目を見開くと、亜希がホークスを横目に見た。


「…まだ、貴方のことを名前で呼んでいなかったから」


素敵な名前だね。そう続けて亜希は笑う。

こんな状況の中で、それでも自分に優しさを向けてくれる彼女と、もう二度と会えなくなるかもしれない。

でも。


「…ありがと」


せめて、記憶の中の自分は笑顔でいてほしいと、ホークスも精一杯の笑顔を浮かべた。

その時、ガタガタと音を立てて足場が揺れ、火花が散る。


「…来た」


亜希の声と共に、鉄骨の骨組みから男が飛び出すように姿を現した。




20200711


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