名前を呼んで


槙島聖護。

シビュラシステムで裁けない、ドミネーターが効かない犯罪者。狡噛が追い続け、亜希が何としても捕まえると誓った男。


「マキシマ、って…」


確か、亜希が追っていた容疑者の名前では。それを思い出したホークスは思わず呟く。

亜希は一枚の写真に手を伸ばした。画質は悪いが、あの男と同じ顔。灰白色の髪も、金色の瞳も、纏う雰囲気も何もかもが生き写しの様だ。強いて違いを言うならば、髪の長さが少しだけ短いことだけ。


「この男は…私が元の世界で追っていた犯罪者と、同じです」


亜希の呟くような言葉に、塚内と相澤は驚愕の表情を浮かべる。それはつまり、彼女の世界の住人なのか?と。しかし、塚内はすぐに写真を見ながら口を開いた。


「…マキシマは、間違いなくこの世界の人間だよ。奴は大学卒業後、薬剤師として製薬会社を転々としている。まだ行方は掴めていないが戸籍から出生も、これまでの在籍記録も確認した」

「亜希の追っていた犯人とは、別人ってことですか?」


相澤の言葉に頷いた塚内は、「そんなに似ているのか?」と亜希に問う。


「…似てるどころか、同じ、なんです」


亜希はベッドサイドの棚に手を伸ばし、傷まみれのドミネーターの上に置いてあった腕時計型デバイスを装着して電源を入れた。空中に浮かび上がるホログラム画面のディスプレイを操作してデータファイルをタップし、一枚の画像を拡大する。常守のモンタージュにより露わになった槙島聖護の顔写真、それを三人に見せるように向けた。

過剰なほどに整った顔立ちと、見下す視線が冷酷さを物語っている。ホークスも塚内も相澤も二つの写真を見比べるが、亜希の言う通り瓜二つだった。

全員が驚きと困惑で押し黙る中、相澤が躊躇いがちに口を開く。


「…俺は、非現実的な話は好きじゃないんだがよ、マキシマと槙島は同一人物ではないが、同じ人間なんじゃねえか?」

「…どういうことです?」


相澤の訳が分からない言葉にホークスが尋ねる。亜希も塚内も頭に疑問符を浮かべており、相澤は「説明すんの難しいな…」と呟きながらも続けた。


「…パラレルワールド、って分かるか。平行世界ってやつだよ。そこには自分と同じような人間がいて、同じようなことをしているらしい」

「…ドッペルゲンガーみたいなやつですか」


ホークスの言葉に、相澤は「ハッキリしたことは分からんが…名前まで同じなんだ、そう考えるのが合理的だろ」と付け加える。亜希はしばらく考えてから、ハッと顔を上げた。


「…マキシマは、この世界の槙島。なら、きっと…何か大きな犯罪を企てているはず」

「…立花さん、それは、どういうこと?」

「槙島聖護は、自分は直接手を下さず殺意を持て余している人間に目をつけては、犯罪の技術等を提供して協力していました」

「やべぇ奴だな…」


相澤の呟きに、亜希は頷くことすら出来ず、奴が犯してきた犯罪を思い出す。

八王子のドローン工場、ホロアバタークラッキング、私立桜霜学園、常守の友人の誘拐、偽装ヘルメットによる大規模暴動…そして、標本事件。
全て、残酷な殺人が行われていた。


「槙島は犯罪を創造して、でも一度相手に失望したら即座に切り捨てていた。そして最終的に社会の礎…シビュラシステムそのものを壊そうとしていたんです」


亜希の言葉に、今度こそ三人は驚いて声が出せなくなった。もし、マキシマと槙島が、同じ考えを持っているとしたら。そんな大それたことを、マキシマも成し遂げようとしているとしたら。

この世界にシビュラシステムはない、あるのは、ヒーロー。このヒーロー社会を壊そうとしているというのか。
 
ブースト薬はそのための道具で、これまでに発見した自我を失っていたブースト薬使用者はマキシマに切り捨てられた人間、電気“個性”ヴィランですらも、マキシマの道具の一つだったとしたら。

静寂に包まれた室内で、塚内が立ち上がった。


「…すぐに本部に戻って、マキシマの行方を追う。立花さんはゆっくり休んでいてくれ。ホークスは電気“個性”が襲ってくるかもしれないから、立花さんについててあげて」

「俺はこれから雄英で本業があるが、夜には戻れるよう片付けてくる。とりあえずそれまで沢山食って体力つけとけ」


続いて相澤も腰を上げ、二人は足早に病室を出て行った。

足音が聞こえなくなった頃、亜希がベッドから出ようとしたのでホークスは慌てて止める。


「ちょっと、どこ行くつもりですか」

「…早くマキシマを捕まえないと、また犠牲者が出る」


切羽詰まった表情を浮かべる亜希の手を、ホークスは力強く握った。


「…気持ちは分かるけど落ち着いて。貴方は今重症です、危険だ」

「…」

「塚内さんがマキシマの居所を突き止めてくれます。それまで少しでも休んだ方が良い」


ホークスの言葉に亜希はベッドに大人しく戻った。今の自分は片目を負傷しているだけではなく背中の火傷が思ったよりも痛い。こんな体ではまともに戦えないことに気付き、俯きながら呟く。


「…こんな時に、戦力にならなくてごめん」

「何言ってんですか、亜希さんが謝るようなこと何も無いですよ」

「でも、ホークスも私のせいで自由に動けないでしょ?…申し訳ない」


ホークスは握っている亜希の手に少しだけ力を入れた。それに気付いた亜希が顔を上げたので、彼女の丸い瞳を真っ直ぐに見つめる。


「…俺は、傍にいたい。塚内さんに言われなくても亜希さんを一人にするつもりは無かった。だから、気にしないでください」


朝の時と同じ至近距離で言うと、亜希は少し耳を赤くしながらも小さく頷いた。ホークスはそんな彼女の手を優しく包むように握って、ゆっくりと口を開く。

話さないといけないことが、ある。あんな話の後にするのも、どうかと思うが。でも二人きりの時にしか話せない。


「…亜希さん、さっき言いそびれたこと、言ってもいい?」


真剣な声色のホークスは、きっと、涙の理由を話してくれるつもりだ。そう察した亜希は小さく頷く。


「…うん」

「……あのね、この事件が終わったら…亜希さんは、どうしたい?」


思ってもみなかった質問に、亜希は黙った。ついこの前、これからの未来をどうしようかと考えていたところだったから。

あの時は、答えは出なかった。でも、今は。

亜希は、助けた子どもから貰った折り紙の花を見た。


「……私は、刑事でいたい」


この世界で自分は異質な存在で、警察でもないことも分かっている。でも、子どもから「ありがとう」と、自分のような刑事になりたいと言ってもらって。


「私は、啓悟くんに恥じない刑事でいたい。この世界で、もし叶うなら…これからも刑事として生きていきたい」


言葉にして、驚く。自分はいつの間にか、この仕事がとても好きになっていた。最初は辛くて仕方なかったのに、今では誰かを助けられる刑事になって良かったと心から思える。

真っ直ぐにホークスを見つめて言うと、一瞬驚いた彼は笑って、そして少しだけ悲しさを滲ませた表情で口を開いた。


「…ねえ亜希さん、もう一回、男の子の名前言って?」

「え?啓悟くん?」

「もう一回」

「…?啓悟くん」


頭に疑問符を浮かべながら言うと、ホークスは亜希の手を引き寄せて細い肩に頭を乗せた。それから耳元で囁くような小さな声で、ポツリと言葉をこぼす。


「俺も…啓悟なんだ」

「え…」

「鷹見啓悟。それが俺の名前です…でも、この名前は捨てた」

「…」

「捨てたはず、だったんだ。なのに亜希さんに呼んでもらえる男の子が羨ましくて…俺も、呼んでほしくなっちゃった」


少しだけ、声が震えているのは気のせいではないだろう。突然密着した体に心臓が跳ねたが、亜希はホークスの背中に手を回して、優しい手つきで撫でる。


「…どうして、捨てたの」

「…俺、ガキの頃から特別なヒーローになる為の訓練を受けてたんです」

「特別な…?」


亜希の手に、指を絡ませる。自分よりもずっと細くて折れそうな彼女の指は、いつもは冷たいのに今は温かい。


「…俺は、ヒーローや警察が表立って動けない事件の調査をする、公安預かりのヒーローです」


――警察組織は大きく二つに分けられる。一つは塚内がいる、犯罪を取り締まる『刑事組織』、そしてもう一つが、政府に対する犯罪や、反社会的な活動を取り締まる『公安警察』である。公安の目的は日本の治安を維持することで、破壊活動を行う団体をマークしたり、テロ活動を行う可能性がある組織の構成員を調べたりと、その活動内容は極秘裏とされている。

ホークスは、プロヒーローとしての顔を持つ裏で、諜報活動を行う公安の人間だった。


「もうずっと昔から、俺は“鷹見啓悟”じゃない、公安の手足となる“ホークス”だった」


絞り出すような言葉に、亜希は驚きを隠せなかった。

彼はNo.3ヒーロー。大小問わない犯罪の取り締まりや、人助けなどを次々と行う大人気ヒーロー。街を歩けば人に囲まれ、みんなを笑顔にする、絵に描いたような、ヒーロー。

あの貼り付けられた笑顔で、日本の諜報活動を担う重い役目を隠していたというのか。本当の名さえ捨て去って、誰にも気付かれずに、その身を犠牲にしていたというのか。

自由の象徴のような赤い翼が、しおれるように垂れ下がっている。亜希はただ、彼の背中をさすりながら耳を傾けた。


「…この事件が解決したら、亜希さんを公安に入れろって…言われたんです」

「…私を?」

「亜希さんが優秀で、顔も世間に知られていないから、…工作員にするつもりです」


亜希は黙って、ホークスの小さな声を聞き続ける。


「俺は公安に育ててもらったし、学ぶことも多かった。諜報員兼任だけどプロヒーローにもなれた…でも、いつからか、うまく笑えなくなった。多くのモノと引き換えに、本当の笑顔を失くした」


愛想笑いを続ける内に、いつの間にか笑い方を忘れてしまった。けれど自分を“ホークス”としてしか知らない人達は誰も気付かなくて、それでいいと、思っていたのに。

亜希に出会って、笑みを浮かべない冷たい彼女は、どんな風に笑うのか気になって。小さな笑顔を見せてくれるようになって…いつの間にか、一緒にいる時は素の自分でいられた。自分の笑顔を取り戻してくれた彼女もまた、少しずつ、表情が豊かになっていくのがとても嬉しかった。なのに。


「亜希さんが、たくさん笑ってくれるようになったのに…」


刑事でいたいと、彼女は望んでいるのに。似ているようで全然違う公安が彼女を欲している。公安に入れば自分のように飼い殺されてしまう。顔が知られていないことで自分以上にこき使われるに違いない。不器用な彼女は過酷な任務に感情を殺されて、また無表情に戻ってしまうだろう。


「…俺は、貴方から笑顔を奪うようなことはしたくない」

「…私は、」


ホークスの悲痛な声に亜希が口を開きかけた時、突如、病室の外が騒がしくなり、

悲鳴が、聞こえた。




20200710
ヒロアカ世界の警察組織、ホークスの過去については、明かされていないことが多すぎるので想像で書いています。


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