溢れ出す気持ち


事務所に溜まっていた仕事は予想以上だったが、昼食も取らずに取り組んだおかげで夕方には終わらせることが出来た。山積みになった書類をまとめているとホークスの自室のドアが大きな音を立てて開き、血相を変えた相棒サイドキックが入ってくる。


「ホークス!大変だ!!東京で…」


その言葉を聞き終わる前に部屋を飛び出し、相棒達が集まっている休憩室に向かった。大きな画面に映し出されている映像とアナウンサーの実況中継にホークスは目を見開く。


『こちらがヴィランの暴動が発生しているショッピングモールです!ヴィランは多数!…あ、ヒーローでしょうか?!今すごいスピードで突入しました!』


画面に一瞬映った人影は間違いなく亜希と相澤だった。続いて塚内らしき人物も映りパニックになっている人混みの中へと消えていく。ホークスは脱いでいたジャケットを掴み、ゴーグルを掛けた。


「みんなごめん、俺は東京に戻る」


窓枠に足を掛けながら言うと、察してくれた相棒達は黙って頷いてくれた。「何かあったらまた連絡して」と言い残したホークスは一気に上空へと飛び立つ。何も遮る物がない場所まで昇り翼を平行に動かして最大速度で一気に前進する。

沈みかけている夕焼けを横目にポケットの中のスマートフォンを操作して音声をヘッドフォンに接続し、先程のニュースの続きを聞いた。


『続々とヒーロー達が駆け付けていますが、人々の避難や怪我人の対応に追われています!中からは悲鳴が鳴り止みません!…え、きゃあ?!』


突如聞こえたアナウンサーの悲鳴と、鼓膜を突き破る様な激しい轟音。ホークスは思わずスピードを緩めてスマートフォンを取り出し、映像を見て唖然とする。

ショッピングモールの入り口が爆破され、倒壊していた。土煙が舞っているせいでよく見えないが大半の屋根が崩れ落ちており、周りにいたヒーロー達も人々を庇って倒れている。


『…そ、そんな…!ば、爆発が起こりました!これもヴィランの攻撃なのでしょうか?!中に取り残された人々やヒーロー達の安否はどうなっているのでしょうか?!』

「嘘だろ…」


爆発ということは、これは電気“個性”ヴィランの仕業なのか?大量の人が瞬間移動してしまったのか?もしそうだったら、亜希はどうなっている?

頭に浮かぶ考えを振り切り、ホークスは再度翼を羽ばたかせて空を切る様に飛んだ。とにかく一刻も早く現場に行かなければと、気持ちが焦る。


「(亜希さん…!)」


昨日、公安の話をすることが出来ず、あろうことか彼女の前で泣いてしまった。ずっと気付かないフリをしていた気持ちが溢れて、好きで、どうしようもなくて泣いてしまった情けない自分を…馬鹿にするでもなく、涙を拭ってくれた優しい亜希。


「(…絶対に助ける!)」


こんな別れは絶対に嫌だ。まだ何も、彼女に話していない。

ホークスは空気抵抗を最小限に抑え、真っ直ぐに東京へと突き進んだ。





▽▽▽





辺りが暗くなった頃、ショッピングモールが見えてきた。パトカーや救急車が集まる光と共に微かにガスの匂いを感じ顔を顰めながら上空から近付くと、出入口を塞ぐように山積みなっている瓦礫の山に巨大な穴が不自然に開いているのが目に入った。どうやらガスはここから漏れ出している様で、下降する程に匂いは濃くなっていく。
騒がしい人の群れの中に見慣れた姿を見つけたホークスは、すぐに降り立った。


「塚内さん!イレイザーさん!」

「ホークス?!来てくれたのか!」

「これは電気“個性”の仕業ですか?!」

「いや違う…別のヴィランだ!」


塚内がホークスの問いに答えながら、相澤に肩を貸して瓦礫の山から出てくる。相澤は左足を引きずっており血がポタポタと滲み出ていた。ホークスも慌てて相澤に手を伸ばそうとするが、それを相澤が止める。


「亜希が、一人で人質の救助に向かった」

「え…」

「おそらくガス“個性”を使う厄介なヴィランだ、亜希が危ない」


早く行ってやってくれ。そう言った相澤にホークスが頷いた時、どこかで爆発する音が聞こえた。地響きの様な破裂音に周囲の人々が悲鳴を上げる。少し離れた空に煙が上がっているのが見えたホークスは勢いよく空へと登り、駆けた。

ショッピングモールから少し離れた場所にあるビル、その屋上に人影を見つけた瞬間、炎が押し寄せる波の様に屋上一面が燃え広がり爆風が舞い上がる。その強すぎる勢いに小さな人影は弾き飛ばされ、夜空に投げ出された。

火の粉が降りかかる中ホークスは真っ直ぐに突き進み、その人影を抱き締めるように受け止める。


「亜希さん!」


やっと見つけた愛しい人は全身ボロボロで、頭からは大量に出血していた。気を失っている子どもを守るように抱き締めている亜希の腕は僅かに震えており、ホークスは必死で彼女の名前を呼ぶ。

ゆっくりと、血が流れていない左目を開けた亜希は、定まらない焦点で彼を捉えて、小さく笑った。


「…ホー、ク…、ぅ…」


聞き取れない程に小さな声を発して意識を手放した亜希。力が抜けた腕から子どもが落ちそうになり、ホークスは二人をしっかり抱き締める。同時に先程まで亜希が立っていたビルが大きな音を響かせながら崩れ出した。バチバチと炎を轟かせて原型を無くしていくビルに、もう人の気配は無い。

ホークスは急いで、警察病院へ向かった。





▽▽▽





大量のガスを吸い込んでいた亜希は意識が混濁しており、額の右側…目元の骨にはヒビが入っていた。熱風を間近で浴びたせいで全身に火傷を負っており、特に背中は酷いという。しかし騒ぎを聞きつけたリカバリーガールが警察病院に来てくれたおかげで集中的に治療され、今は個室のベッドで寝ている。ホークスは、ずっと亜希の傍にいた。


「この子、ちょっと前にも傷だらけで手術しただろ?あんまり無茶させないようにね。いくら体力あっても、こう何度も大怪我してちゃ命に関わってくるよ」

「…はい」


リカバリーガールはポケットから小袋を取り出し、ベッドの横で顔を伏せるホークスに手渡した。


「あんたも疲れたろ?ハリボーだよ、食べて元気だしな」

「…ありがとうございます」


悲痛な面持ちで礼を言うホークスに、リカバリーガールは小さく「あんたは良くやったんだから、そんなに気に病まないようにね」と声を掛けて病室を出て行った。
入れ替わる様に、今度は塚内と相澤が入ってくる。二人とも顔にいくつかの絆創膏を貼っており、相澤は松葉杖をついていた。


「…“個性”持ち相手に、よくやる女だな」


亜希の痛々しい姿を見て、ベッドに腰かけた相澤が小さく呟く。それから俯くホークスを見た。


「…事務所は大丈夫か?急いで飛んで来てくれたんだろ?悪かったな、頼っちまって」

「いえ…ちょうど溜まってた仕事も終わったところだったんで」


首を振るホークスの肩を、塚内が優しく叩く。


「…本当にありがとう。人質だった子どもは少しの火傷だけで無事だ。今日はもう遅いから検査入院してるけど、元気だったよ」

「そうですか…」


良かった。と、言葉には出来なかった。あと少し速く現場に到着していれば亜希はここまで酷い状態にならなかったのかもしれない。そう思うと悔しくて堪らなかった。

黙り込むホークスに相澤は声を掛けようとするが、気持ちが痛い程分かるため何も言えない。相澤もまた、足を負傷せずにいたら亜希と共に行けたのに、自分がいれば、抹消があったのにと思わずにいられなかった。

黙る二人の横で、塚内は手にしていたコンビニの袋を亜希の枕元に置く。


「…俺はこんなことしか出来ないけど、お見舞い置いておくよ。立花さんお腹空いてるだろうしね」


袋からは溢れるように食べ物が入っており、置いた弾みでキュウリの一本漬けが飛び出した。それを見た二人は思わず声を上げる。


「…病人に漬物て、絶対自分の好物でしょ」

「俺だったら食わねえな」

「え?!美味いじゃないか、立花さんも多分好きだよ」


慌てる塚内を呆れた目で見ながら、相澤は胸元から何かを取り出してキュウリの近くに置いた。


「一個やるよ。ま、お前の胃袋には足りねえだろうがな」


彼がいつも常備しているゼリー飲料だ。ホークスはそんな二人の様子を見て小さく笑う。塚内が選んだお見舞いの中にはクッキーやチョコレートの菓子類の他にサバの缶詰や袋麺も入っており彼のセンスを疑うが、亜希が起きたら何から食べるだろうと考えると面白かった。

やっと明るい表情を見せたホークスに、塚内と相澤も安堵したように息を吐く。


「…ホークス、君ももう休んだ方がいい。東京と福岡を往復して疲れたろ?」

「大丈夫です…あの…亜希さんに付いてていいですか」


ホークスの言葉に、塚内は「もちろん」と頷いた。


「立花さんも嬉しいと思うよ。今日なんか寂しそうだったし」

「え?」


予想外の言葉に驚くと、「よっこらせ」と立ち上がった相澤がニヤニヤした顔でホークスを見る。


「テレビでやってたお前の特集番組、食い入る様に見てたぞ」


そういえば今日はそんな番組が放送されるようなことを相棒サイドキックから聞いた気がするが…まさか亜希が見ていたとは。しかも、寂しそうだったなんて…亜希が?
何も言えなくなったホークスに、二人は顔を見合わせて笑う。


「…じゃあ、また明日にでも事件の詳細について話に来るから」

「若者同士、仲良くな」


そう言い残し、静かに病室のドアは閉められた。

ホークスはベッドに腰かけ、寝息を立てる亜希をじっと見つめる。


「…寂しかったんですか?」


問いかけても、眠る亜希から返事はない。右目を覆う包帯が痛々しく、窓から漏れる月明かりに照らされた白い肌は透けそうだ。


「ねえ、亜希さん…」


ホークスはそっと、壊れ物を扱うような手つきで亜希の頬に手を伸ばす。なめらかな肌は温かく、いつまでも触れていたいと思った。

細く息を吐く度に揺れる唇は赤く、なんとなく親指でなぞってみる。ふにふにと柔らかい感触に頬が緩んだ。早く、声を聞かせてほしい。

そう思った瞬間、もう片方の手を亜希の顔の横に付いていた。欲しいと思ったら我慢できない性分が理性を追いやり、眠る亜希に近付いて、

触れるだけの、口づけを落とす。何度も、何度も唇を押し付けた。

デートすらしたことが無かった彼女は、どう思うだろうか。バレたら怒られて、軽蔑されるかもしれない。こんな傷だらけの、それも寝ている時に、こんなことをするなんて卑怯だと分かっている。でも…


「…亜希さん、好きです」


どうにも止められなかった。一度認識してしまったら、気持ちがどんどん溢れ出す。キスの合間に名前を呼び、想いを呟いて、また唇を落とす。繰り返し、繰り返し。


「好きです…好きだ、離れたくない」


ボロボロの姿を見た瞬間、死んでしまったのではと錯覚した。もう会えないのかと絶望した。あんな気持ち、二度と味わいたくない。彼女の存在が何よりも愛しくて、自分の物に出来るならそうしたかった。


「…ん……」


数え切れない程の口づけの途中、亜希が小さく息を吐いた。包帯の巻かれていない左目がゆっくりと開く。鼻先が触れ合った距離で重なる視線にホークスは動きを止め、漆黒の瞳をじっと見つめた。


「…ホー、クス?」

「…うん」


近すぎる距離に亜希は一瞬誰か分からないようだったが、やがて、小さく笑う。


「…助けて…くれて、ありがとう…嬉しかった」


やっと聞けた声に、心の底から安心したホークスの瞳から涙が一筋流れた。いつの間に自分の涙腺はこんなに緩くなったんだろう。雫が亜希の頬にポタリと落ちて、輪郭を濡らしていく。

亜希は涙を拭おうと手を伸ばすが、上手く力が入らず動かない。なんとか動く顔を少しだけ上げて、ホークスの額に自分の額を合わせた。


「…泣かないで」


それだけ呟いて、亜希はまた枕に沈んだ。すぐに規則正しい寝息が聞こえてきて、ホークスはもう一度キスを落とし、微笑んでいるような寝顔を見つめる。自分のせいで濡れてしまった彼女の頬を撫でるように拭うと、瞬く間に幸せな気持ちで胸がいっぱいになった。

ホークスはやっと顔を上げてベッドサイドの椅子に座る。亜希の手に頬を寄せて目を閉じた。

どうか、夢の中でも優しい亜希に会えますようにと願って。





20200706


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