涙の訳


「立花さん、なんか元気ないね?お腹でも痛い?」

「食い過ぎじゃねえのか」

「…違います」


会議の翌日。
同じ捜査チームの塚内と相澤と共に街を捜査中、二人から声を掛けられた亜希は視線を逸らす。体調は悪くない、ただ、あまり眠れなかっただけだった。
電気“個性”ヴィランがいつ襲ってくるか分からない今、集中しなくてはいけないことは重々承知しているが、昨晩のことで彼女の頭はいっぱいだった。

ホークス。彼は一体何を伝えようとしたのか。

突然抱き上げられて飛ばれた時は驚いたが、想像もできない程に美しい景色を見せてくれて嬉しかった。昨日一日どこか浮かない表情をしていた彼が笑ってくれて良かったと思ったのに。

自分を力一杯に抱き締めて、まるで小さな子どもの様に、我慢する様に涙を流したのは何故だろう。

いつも飄々として何でも器用にこなす彼の初めて見る姿にどうしたら良いのか分からなくて、顔を掠めるフワフワの髪を撫でることしか出来なかった。

風の中を駆ける彼の腕の中は太陽のような匂いがして、温かくて、とても居心地が良かくて。抱き寄せられる力が少し痛かったけど、そんなことよりも早く泣き止んでほしい気持ちで一杯だった。

どれくらいの時間、星空の中にいたか分からない。やがてホークスがゆっくりと顔を上げた頃には、温かい腕の中は少し冷えていた。

ゴーグルを外していた彼の目元は赤くなっていて、亜希は僅かに残る雫を指で拭った。ホークスは目を細めて亜希をじっと見つめ、何も言わずに宿泊先のホテルまで飛び、「…また、明後日」そう一言だけ言い残して自分の部屋に帰ってしまったのだ。

今日、彼は朝一で福岡の事務所へと向かったらしい。ホークスのことを考えて中々眠れなかった亜希が明け方にカーテンを開けると、ちょうど飛び立っていく赤い翼を見た。あっという間に見えなくなったホークスの後姿をぼんやり見つめながら彼に何があったのだろうかと考えていると、気付いたら捜査の時間が迫っていた。亜希は朝食を食べることなく待ち合わせに向かい、そして現在に至る。

腹は痛くないが空腹ではある為、亜希の機嫌が少し悪いのも事実だ。そんな亜希を見て相澤は揶揄うように彼女の頭を小突く。


「いつも一緒のホークスがいねえから寂しいのか?」

「…はい?」


変なことを口走る相澤を亜希は睨んだが、相澤は怯むことなく意味あり気に笑っている。塚内も「立花さん寂しいの?」と真っ直ぐに聞いてくるのだから、亜希は狼狽えた。


「…寂しくありませんよ、何言ってるんですか」

「ハハッ、素直になれよ。女は正直な方が可愛いぞ」

「立花さん、実際のところどうなんだい?」

「塚内さんまで…いい加減にしてください」


ニヤニヤ笑う相澤と真剣な目で自分を見つめる塚内に亜希は思わず溜め息を吐く。

確かに、いつも視界の端には赤い翼が映っていたし空から街を見渡している彼を見上げることも多かった。この世界に来てから多くの時間を共に過ごしていたから、近くにいないのは変な気はする。でも常に隣り合って行動していた訳ではないし、少し姿が見えないだけで寂しいなんて、そんなこと…

亜希は自分を見下ろす二人を避けるように歩くが、そんな彼女の腕を相澤が掴んだ。


「待てよ、お前ちょっとコレ掛けてみろ。わざわざ持ってきてやったんだ」

「…サングラス?」


相澤に手渡されたのは、黒いフレームのスタイリッシュなサングラスだった。一体何故こんな物を自分に?と疑問を浮かべるが、相澤は「いいから掛けろ」としか言わない。亜希はとりあえず、言われるままにそのサングラスを掛ける。

すると、相澤が口を押さえて笑い出した。


「グククッ!!ほら塚内さん、ターミネーターみたいでしょ?」

「ブフッ…!た、確かに…!立花さん…あはは!すごく似合ってるよ」


塚内まで腹を抱えて笑い出し、亜希は無言でサングラスを地面に投げつけた。相澤が「何しやがる!」と慌てて拾っているが、踏み潰さなかっただけ良かったと思え。


「…私で遊ぶのは止めてください。もう先に行きますから」

「ご、ごめんって立花さん…ブフフ」

「コレ高かったのに…」


未だに笑っている塚内とサングラスに入ったヒビを恨めしそうに見てる相澤を横目に亜希はずんずん進み、捜査を再開した。





▽▽▽





電気“個性”との接触は無いまま、夕日が沈む時間になった。

ドミネーターは常に多大な電力を垂れ流している様な状態のためヴィランはすぐ気付くはずだが、もしかするとまだ動けないのかもしれないし、そもそも生きているかも分からない。

しかし不審死や変死体などは見つかっておらず、ここ一カ月の間に提出された死亡届の中に電気“個性”の者がいないかも調べたが該当者はなし。行方不明の線もあるが、それでも生きている可能性が高い今、新たな被害を出さない為にも何としても身柄を確保したいのが警察の考えだった。

ヴィランが現れるまで亜希を囮にし続け捜査をする…中々骨が折れる作戦だが現在有効な手段は他に無い。

こんな気を張った毎日が続くと思うと、顔には出さないものの亜希は少し憂鬱な気分になる。しかし…当初の目的だった電気“個性”ヴィランを逮捕したら、その後、自分はどうなるのだろうか。

最初は長いと思っていた一カ月はあっという間に過ぎ去ってしまった。併せて捜査をしているブースト薬についても今日も何の成果も無かったが、出来るなら最後まで協力したい。

でも、その後は?

塚内は亜希のことを「仲間」だと言った。居場所が出来て嬉しかったし自分が出来ることなら尽力する。しかし刑事であっても警察ではなくヒーローでもない自分が、事件解決後もこの居場所に居続けることは出来るのだろうか。

帰宅ラッシュで人が溢れる街中、ふと、電気屋の前で亜希は足を止める。ショーウインドウに並べられた多くのテレビ、その中に見慣れた赤い翼を見つけた。画面右上には【最速の男、ホークスの活躍特集】と題され、女性キャスターが「“個性”も素晴らしいですが、一番目を惹くのは整った顔立ちの笑顔ですね!」と興奮気味に話している。

じっと見ていると、制服を着た学生の女の子が二人、亜希の隣で立ち止まって同じ映像を覗き込んだ。


「ホークスだ〜!なんか最近こっちにいるらしいよ」

「え、ホント?写真撮ってもらいたいな。ホークスってカッコいいし、笑顔が可愛いよね」


過去のインタビュー映像も流れた。ヒーロー活動や私生活について次々と質問をされているが、いつもの貼り付けた様な嘘くさい笑顔で当たり障りのない返答をしている。女の子二人はホークスが映る度に楽しそうに声を上げて、やがて特集が終わると残念そうにしながら去って行った。

たった今見たばかりの、画面越しのホークスの笑顔が残像のように脳裏に浮かぶ。表情は笑っているのに悲しんでいるように見えたのは何故だろう。昨日、彼が泣いたせいだろうか。いつも楽しそうに笑いかけてくれる彼の顔を見慣れていたせいで、映像のホークスが別人のように思える。


「…俺は、貴方から笑顔を奪いたくないんだ…」


あの言葉の意味は、何を示すのか。彼の偽物のような笑顔に関係しているのか。

亜希が立ち尽くしていると、突然後頭部をペシッと叩かれて我に返る。顔を上げると、見下すような視線を向ける相澤と目が合った。


「はぐれんなよ、ボーっとすんな」

「…すみません」

「人混みなんだから気ぃ引き締めろ」


…そうだ、今は仕事中。今後については、またその時に考えればいい。ホークスには明日、涙の訳を聞いてみよう。

一度大きく深呼吸して、亜希は前を歩く相澤に並ぶ。その時、前方を歩いていた塚内が無線を片手に振り返った。


「近くのショッピングモールでヴィランの暴動発生!数が多い、至急現場に向かうぞ!」


亜希と相澤は、走り出した。




20200703


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