満天の空の下で


「お前、よく食うなあ。胃袋ブラックホールか?」

「…ジロジロ見ないでくれる?」


向かい合わせに座る亜希と相澤は、相変わらず雰囲気が悪い。

会議終了後、捜査チームの振り分けや街を巡回する順番等を決めた。塚内とホークスはこれまでずっと行動を共にしていたため変わりなく、そこに新たに相澤が加わった。抹消“個性”を持つ彼が傍にいれば亜希が電気“個性”ヴィランに狙われても安全だろう、という塚内の配慮である。

その夜。塚内の「親睦も兼ねて晩飯でも」という提案で、ホークス、亜希、塚内、相澤の四人で個室居酒屋にやってきたのだが…


「ホークス、俺…チームの振り分けミスったかな…?」

「…いや、塚内さんは悪くないですよ。ただ単に二人の相性が良くないだけだと思います」


慰めるように言うが、塚内は項垂れる。ホークスはウーロン茶を飲みつつ、やたらと絡んでいる相澤と自分の隣の席で嫌そうにしながらも料理を黙々と食べている亜希を見た。二人の間に入ってまた睨まれるのは怖いので、見守ることに徹する。


「おい亜希、お前、歳はいくつなんだ」

「…二十二」

「「え?!」」


唐突な相澤の問いに答えた亜希に塚内とホークスの声が重なった。塚内が飲んでいたコーラを若干吹き出したせいで正面に座るホークスにまで飛沫が掛かったが、そんなことよりも亜希の年齢である。同世代だとは思っていたが、勝手に自分より年上だとホークスは思っていた。


「亜希さんタメだったんだ…なんか意外…」

「若いとは思っていたが…俺より冷静なのに一回り以上違うなんて…」


驚きを隠さない二人の反応に何とも言えない表情を浮かべる亜希。そんな三人の様子を見て、相澤は笑った。


「ハハッ、まあ美人は実年齢より上に見られるもんだ」

「…」


亜希は怪訝そうな目で相澤を見る。


「…オイ何だその“何言ってんだコイツ”みたいな顔。褒めてやってんだから喜べよ。ついでに目上の人にはちゃんとした言葉遣いをしなさい。俺は三十だ、人生の先輩だ」


ジンジャーエール片手に鼻で笑う相澤を若干大人げないと思いつつ、ホークスはまだ咽ている塚内に水を渡す。亜希はしばらく何かを考えるように黙り、


「……………どうも」


たっぷりの間を空けて小さく礼を言い、トイレへと席を立った。


「ホント愛想ねえ女だな。面白えけどよ」

「まぁまぁ…そんなに立花さんに絡まないでやってくれよ。彼女も最近やっと勝手が違うこの世界に慣れてきたんだから」

「…世界、ねえ…亜希がいた世界ってのは、どんなとこだったんです?」


亜希の世界については捜査には関係ないだろうと会議では話していなかったが、どうやら相澤は気になるらしい。トイレから戻ってきた亜希に、塚内は伺うように声を掛けた。


「ねえ立花さん、イレイザーに話してくれないかな?君の世界のこと」


亜希は面倒くさそうにしつつも、頷く。そしてシビュラシステムのこと、数値で管理される社会について、いつかホークスと塚内に話したように淡々と説明した。
聞き終えた相澤は想像だにしない、けれど実在する世界の存在に呆気に取られてたが、既に氷が溶けたジンジャーエールを一口飲んで呟く。


「…合理的な世界だな。ちっとばかし面白味に欠けるが…良い人間か悪い人間かの判断基準を数字で明確に分けてりゃ、取り締まる側は楽できる。ま、基準の境目にいる人間からすれば地獄だがな。ほんの少し数値を超えたら自分は一気に犯罪者になるんだろ」

「…そう、ですね」


明け透けな相澤の言葉に亜希はぎこちなく返答してから黙り込んだ。ホークスの目には、少しだけ俯く彼女がどこか悲しげに映る。
これまで、その境目にいた人もシステムの判断があれば迷わず執行してきたのだろう。でもそれが彼女の世界では当然のことで、市民を守るための行動だということを共に過ごしてきたホークスは十分理解していた。


「あー、えっと…」


居た堪れないような表情の亜希を気遣うようにホークスが話題を変えるために口を開いた時、彼のポケットでスマートフォンが震えた。確認すると自分の事務所の相棒サイドキックからのメールで、内容を読んだホークスは思わず「あ」と声を出す。


「どうした、事件か?」

「…事務所からです。俺が全然帰らないんで仕事が溜まってるらしくて…」


相澤の問いかけに、ホークスは苦笑を浮かべた。
ちょくちょく連絡は取っていたが、こんなにも長期に渡って帰らなかったのは久しい。留守にすることは多いが、それでも自分が雇い主である仕事場だ。ホークスが居なければ処理できない書類や定期的な地元の会合等があることをすっかり忘れており、思わず溜め息が出る。


「そうか。なら明日、事務所に帰ってあげてくれ」

「え…いや、だって…」


塚内の提案にホークスは首を横に振る。ヴィランが動き出して亜希が狙われるかもしれない今、東京を離れたくはなかった。


「大丈夫だ。イレイザーもいるし…相棒サイドキック達は困ってるんだろう?移動する君には負担かもしれないが、一日くらいなら俺達で持ち堪えてみせるさ」

「俺はホークスのように優しくはねえが、捜査はちゃんとやるから安心しろ」


 二人の頼もしい言葉にホークスは何も言えなくなる。隣に座る亜希を見ると彼女もまた「大丈夫」と頷くもんだから、ホークスは複雑な気持ちで相棒サイドキックに「明日の朝一で帰る」と連絡した。





▽▽▽





ホークスが明日早い為、早々に四人は解散することになった。ホークスと亜希は帰宅場所が同じなので、共に暗くなった道をゆっくりと歩く。

昨日強盗が入ったコンビニは何事もなかったかのように営業しており、普段から人通りが少ないビル街のこの道は平日の夜ということもあって今は静寂に包まれている。

ホークスは、公安の話を亜希に言おうか迷っていた。こんな重要なことは早々に伝えるべきだ。自分が公安預かりのヒーローだということも、公安という組織がどんな場所なのかも…全部知ってもらった上で彼女の意思を聞きたかった。

でも、なんと話し出せばいいのか分からなくて、俯いて立ち尽くす。隣を歩いていた亜希が歩みを止めたホークスに気付いて、振り返った。


「…どうしたの?今日はずっと元気ないけど」

「え…」


気付いていたのかとホークスが驚いて顔を上げると、思ったよりも近い距離で顔を覗き込む亜希と目が合う。


「会議の時も俯いてたし、ご飯もあまり食べてなかったから。何かあったのかなって思ってた」


もう癖となった笑顔を張り付けて過ごしていたはずなのに、彼女の勘が鋭いことを忘れていたホークスは自分を気にかけてくれる亜希に何も言えなくなって、自嘲するように笑ってから目を逸らした。

いつもと明らかに様子が違うホークスに、亜希はそれ以上問いかけることをやめ、そして、空を見上げる。


「…今日は星が綺麗だね。ほら、ホークスも見て」

「…星?」


彼女の静かな声に誘われて、顔を上げた。見慣れた夜空なのに、初めて見るものの様に美しく見えるのは、なぜだろう。


「ホークスは、この星の中を飛べるんだよね。羨ましいな」


そう言って目を細めて笑う亜希の細い腕を、気付いたら掴んでいた。


「…なら、飛んでみませんか」

「え…、わっ!」


華奢な体を引き寄せ、小さな悲鳴ごと抱き込んで一気に空へと舞い上がる。亜希の背中と膝裏に回した腕にギュッと力を入れると、突然の浮遊感に驚いた亜希は両腕をホークスの首に回してしがみ付いた。


「しっかり掴まってて」


耳元で呟いてから、更に翼を羽ばたかせる。上へ上へと高く飛び、澄んだ空気の音しか聞こえない場所まで昇った頃、腕の中で固まっている亜希に声を掛けた。


「亜希さん、目を開けて」


恐る恐る腕の力を緩めた亜希は、目前の景色に目を大きく開く。

夜空と眼下に広がる夜景が一体化して、どこまでも続く星空の中に二人だけが存在しているような、静かで、キラキラと煌めいている場所。


「綺麗…」


そう言って、ホークスを見た。息がかかりそうな距離で見つめ合う亜希の表情は、満面の笑顔。たまに見せる小さな笑みではなくて、目尻を下げて口角が上がった、幸せそうな笑顔。星の輝きが照らされた亜希はとても綺麗で、ただただ、綺麗で。


「…亜希さんは、笑顔が似合いますね」

「…え、私笑ってた?」

「…気付いてないんですか?よく笑ってますよ」


驚く亜希に、ホークスも笑う。今日、初めて本当に笑った気がした。そんなホークスを見て、亜希はまた笑う。


「…私が笑えるのは、ホークスが私に笑いかけてくれるから」

「え…」


亜希の言葉に、今度はホークスが驚いた。


「いつも嘘くさい笑顔を貼り付けてるなって思ってたけど…たまに、今みたいに笑ってくれるから。私もつられちゃって、笑顔になるのかも」


ホークスは人を笑顔にする天才だね。そう続いた言葉に、細められた漆黒の瞳に誘われるように、ホークスは腕の中の小さな体を抱き締めた。壊れ物を扱うようにそっと、でも力強く。

少しだけ離れていた距離が隙間なく縮まり、ずっと触れたいと思っていた柔らかい髪に顔を埋めるようにして抱き込む。香水なんて付けていないだろうに、どうしてこんなにも良い匂いがするんだろう。


「え、あの…ホークス、ど、どうしたの?」


戸惑う声が耳元で聞こえる。この凛とした声を聞くと安心するようになったのはいつからだろう。

亜希の前では偽りない自分でいられた。小さい頃から叩き込まれた愛想笑いではなくて、心の底から楽しいと思えた。亜希が笑ってくれたら嬉しくて堪らなかった。


「公安に引き入れなさい」

「…俺は、貴方から笑顔を奪いたくないんだ…」


ホークスがすがりつく様に小さく言うと、躊躇いがちに動いた細い腕。ゆっくりと、泣いている子どもをあやすかの様に、亜希の冷たい手がホークスの髪を優しく撫でる。

気付けば、ホークスの瞳から久しく流れていなかった涙が流れて、亜希の首元を濡らした。それでも泣き顔を見られたくなくて、止められなくて。どうしようもないホークスは亜希を抱き締める腕に力を込める。


「…私は、ホークスがいれば笑えるよ」


耳元で囁くように言う亜希が笑顔を浮かべている気配がして、また涙が溢れる。せめて声は出さないようにとしても、喉からは抑えきれない嗚咽が漏れた。


こんな風に、自分に笑いかけてくれるようになった亜希を、自分が本物の笑顔を失ってしまった場所になんて連れて行きたくない。

今まで、どうして自分の想いに気付かなかったのだろう。

亜希を見つけた、あの日。

迷いなくドミネーターを向けられたあの瞬間、鋭い瞳にきっと射抜かれていた。

綺麗な人だと思った、冷たい無表情がどこか悲しげで、放っておけなかった。

小さな笑顔を初めて見た時、こんな風に笑うんだと見惚れて、もっと見せてほしいと思った。笑ってほしくて、彼女が笑えるなら何でもしたいと思った。

一緒にいる時間が、いつの間にか幸せで溢れていた。

美味しそうに食べる姿も、助けることに迷いの無い強さも、耳を赤くして照れた表情も、小さく笑った綺麗な横顔も、彼女の全てを、好きになっていた。


こんなにも、愛しくて仕方ない。




20200702


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