無愛想な二人
「もう三月か…」
「あ、店員さん、餃子二人前追加で」
「はいよ!」
ガヤガヤと賑やかな店で呟いたホークスの小さな声は、メニュー表から顔を上げた亜希の注文する声に見事に遮られた。
「何か言った?」
「…いえ」
ホークスと亜希は二人で出かけたあの日から、よく共に食事を取るようになった。どちらかが合わせようと言い始めた訳ではないが、ホークスは朝のバイキングに顔を出すようになり、夜はこうして一緒に外で食べる。ヒーローとしての芸能活動や公安からの依頼が多いホークスだったが、出来るだけ亜希と一緒に食事を取れるように時間を作っていた。
電気“個性”
不審人物の目撃情報を調査したり電気の“個性”を持つ者への聞き込みを重点的に行っているが決定的なものはなく、気付けば亜希がこの世界にやってきて一ヶ月の時が経とうとしていた。
亜希は随分この世界に慣れたようだが、相変わらずホークスと塚内以外の人間とは関りを持たないよう徹底している。そして街中で小さな喧噪を見つければ自分が飛び出すのではなく、まず空を確認するようになった。ホークスが近くにいれば代わりに助けに入ってほしいと連絡し、赤い翼が見つからなければパトロール中のヒーローにそれとなく声を掛け、静かにその場を去る亜希。
まるで忍者みたいだよなあ、と、目の前で大盛りラーメン定食を食べている亜希を見ながらホークスは思う。
「食べないの?麺、伸びるよ」
「あ…そうですね」
大きめにカットされたチャーシューを一口で食べている亜希の問いに、ホークスは割ったままの状態だった箸を動かした。濃厚で旨味がたっぷりのとんこつラーメンは地元福岡に引けを取らない美味しさである。
「ホークスの翼ってさ」
「ん?」
いつの間にか大盛りラーメンを完食していた亜希は、セットのチャーハンをレンゲで掬いながらホークスの背中に視線を送る。
「すごく速いし、器用だよね。羽、一枚一枚操れるんでしょ?」
「まあ、そうですね。でも力押しには割と無力ですよ」
例えば、重量のある鉄骨なんかが落下してきたり、巨体が相手だったら。剛翼は避難や救助には向いているが一人ではどうにも出来ない時は結構ある。実際、亜希に助けられていたし、周りからは便利だと言われる“個性”だが自分では克服できない弱点があるものだ。
「…でも、
チャーハンの最後の一口を頬張りながら言う亜希の思いがけない言葉に、ホークスは思わず頬が緩んだ。
「嬉しいこと言ってくれますねえ。速さだけは自信あるかな。あ、でも足で走ったら亜希さんには負けます」
「そんなことないと思うけど」
「いやいや、めちゃくちゃ走るの速いじゃないですか。塚内さん置いてきぼりにしてたし」
「……塚内さんが遅いだけじゃない?」
「あ、亜希さんが塚内さんの悪口言った!報告しよ〜」
「ちょっと、やめてよ」
笑いながらスマートフォンを出すと亜希が慌てたようにホークスの腕を叩く。「塚内さんが傷つくでしょ」って、気にするのはそこなんだと思いつつも、自慢の速さを褒めてくれたことが嬉しい。
「餃子二人前、お待ちぃ!」
威勢の良い店員がやってきて、出来立ての餃子を二人の間に置く。待ってましたと言わんばかりの表情で亜希は小皿にタレを注いだ。
「食べる?」
「…いや、俺はいいです」
亜希と同じ大盛りラーメン定食を注文したホークスだが、まだラーメンもチャーハンも半分残っている。亜希は足だけじゃなく食べるのも早い。
▽▽▽
空腹を満たした二人は寒さが残る街に出た。時刻はもう夜の十時を回っており、今日は夜のパトロールもしなくていいと言われたホークスは亜希と一緒に宿泊先のホテルへと向かう。
人通りの少ないビル街を歩いている時、通り過ぎたコンビニから何か揉めるような声が聞こえた。ホークスと亜希が顔を向けた瞬間、道に面しているコンビニの扉が大きな音を立てて割れる。
「強盗だ!!」
続いて響く悲痛な叫び声と、二人がいる方へ向かって走ってくるの五人の男。全員が何らかの“個性”を持っているらしく武器のような物を手にしていた。その内の一人は三メートル程の巨漢で、大きな包丁と紙幣の入った半開きのトランクを抱えている。
ホークスが瞬時に飛ばした羽は四人の男を一瞬で地面に平伏せたが、巨漢だけは包丁を使って羽を弾いた。畳み掛けるように羽を連続して飛ばそうとした時、走り出した亜希。
「任せて」
「え、ちょ…!」
ホークスが止める間もなく巨漢に向かって真正面から突っ込んでいく亜希のドミネーターは、腰のホルスターに入ったまま。巨漢が亜希に対して包丁を振り上げた時、ホークスの視界の端に白い何かが入った。
亜希と巨漢に向かって真っ直ぐに伸びてくる白い何か。亜希はそれを上半身を屈めて避け、巨漢の鳩尾に向かって勢いよく飛び蹴りを放ち、ふらついた巨漢の腰にさらに拳で一撃を入れた。右ストレートが綺麗に決まる。
巨漢が白目を剥いて倒れるまでの時間、僅か数秒。次いで、巨漢の足先を掴むように白い布が巻かれているのがハッキリと見えた時、
「…ホークスか?」
「え?あ、イレイザーさん!」
ビルの陰から姿を現したのは、抹消ヒーロー・イレイザーヘッドこと、相澤だった。暗闇に同化するような彼の手に握られている白い布は、武器である操縛布。
一見すると不気味にも見える相澤の登場に亜希は咄嗟に殴り掛かろうとしていたが、ホークスの名を呼んだことで動きを止めた。
喚いている四人の男を羽で拘束しつつ、ホークスは慌てて二人の間に入る。警戒心を剥き出しにしながら戦闘態勢を解かない亜希と、そんな彼女を睨みながら髪を逆立てる相澤。一触即発、そんな雰囲気が二人の間に流れていた。
「…いきなり飛び出してきやがって…お前誰だ?ヒーローではなさそうだが、危ねえだろ」
「お前こそ…その白いのは何だ。私のことも攻撃しようとしただろ」
「ああ?」
「ちょ、ちょーっと二人とも、一旦落ち着いて、ね?」
「「…」」
そういえば彼女は初対面の時、けっこう言葉遣い悪かったなと思いつつ、今にも胸倉を掴み合いそうな二人の間に割って入る。身長が高い相澤は“個性”を発動させたまま見下すように亜希を睨んでおり、亜希も眉間にこれでもかという程の皺を寄せて睨みつけている。
「おいホークス、このガンつけ女誰だ」
「ホークス、この不審者誰」
二人から同時に言われ、思わず苦笑する。
「…えっと、とりあえず、イレイザーさん“個性”発動するのやめてください。この人は警察の協力者です。亜希さんも握り拳おろして。イレイザーさんヒーローだから」
「…警察の?もしかして電気“個性”
「あ…そうです、ご存じでしたか」
逆立っていた前髪を下ろした相澤はホークスと亜希を交互に見て、それから散らばっていた操縛布を首に巻き付けるように手繰り寄せた。
「塚内さんから協力要請が来てな。今は雄英も落ち着いてるから捜査に加わっていたんだが、そういえば協力者がいるって言ってたか…こいつ“無個性”だろ、さっき抹消が効かなかった。一体何者だ?」
「ええっと…」
何と言えばよいのか分からず、ホークスは右手で頭を押さえる。亜希は異世界から来た事件の被害者で、彼女しか扱えない武器であるドミネーターが敵逮捕に必要だと言ってしまいたい。相澤は同じ捜査チームの一員だし問題はないだろうが…塚内が彼に亜希の存在を詳しく伝えていないということは、まだ言える状況ではないのかもしれない。
相澤の不躾な態度に亜希は何か言い返そうとしたが、困ったように言葉を探すホークスを見て口を閉じる。その時、ふと、少し離れたコンビニの入り口で動く人影に気付いた亜希が「もう一人いる」と小声で呟いた瞬間、響く叫び声。
「ち、近付くな!それ以上こっちに来てみろ、この女を殺す!!」
「助け、て…」
破壊されたコンビニの入り口で、男が女性店員の首にナイフを突きつけ叫んでいた。強盗は六人いたらしく、逃げ遅れた一人が店員を人質に取っていた。倒れている五人の仲間とホークス達を見た男は明らかに動揺し、泣いている店員の首を今にも刺す勢いだ。
相澤は即座に抹消を発動させるが、男は“個性”を使っていないのか効果はない。ホークスも応戦するため羽を飛ばそうとした時、翼の一部の付け根に感じたことのない激痛が走った。
「ぎゃ!痛あ?!え?!」
突然の痛みに短く叫んだ瞬間、隣にいた亜希が何かを男に向かって投げ付ける。赤い羽…見間違うことない、自分の翼の一部。亜希が羽を一房毟ったのだと理解したのと、投げられた羽が男の額に直撃したのは同時だった。
いきなり叫んだホークスと亜希の行動に相澤も面食らったように固まるが、亜希は構うことなく走り出し、ふらついた男に一気に詰め寄って真っ直ぐに伸ばした指先で男の喉を突いた。
叫ぶ間もなく気を失った男を蹴飛ばし、腰を抜かして座り込んでいる人質の店員に声を掛けながら、亜希は転がっていたトランクを拾い上げて中身を確認するよう伝えている。
一瞬の出来事と亜希の大胆すぎる行動に「…ターミネーターみてえだな」と呟いた相澤の言葉は、痛みに激怒するホークスには聞こえていない。
「ちょっと亜希さん!急に何すんの?!俺の羽なんの躊躇いもなく引き千切りましたね?!」
「近付いたら人質が危ないし、距離があったから何か投げようと思って」
「いやいや待って、めちゃくちゃ痛かったんですけど!」
「え、しょっちゅう羽飛ばしてるのに?」
「自分の意思で飛ばすのと、いきなり毟られるのは全然違う!」
「あ…そうだったんだ、ごめん」
申し訳なさそうに目を逸らす亜希を見たホークスは溜め息を吐く。そうだったんだってなんだ、そうに決まってるだろ生えてるんだから。ものすごく痛かった。
「人の羽を手裏剣みたいに投げて…やっぱ忍者でしょ…」
「え、何?」
「…なんでもないですよ」
そんな二人の様子を見ていた相澤は「…クッ」と息を吐き、口に手を当てながら肩を震わせて笑った。
「ちょっとイレイザーさん、何笑ってんですか!」
「…いや、まあ、なんか面白くてな。ククク…」
相澤も笑うことがあるのかと少し驚くが、ホークスとしては笑い事じゃない。抗議しようかしたが、パトカーのサイレンがすぐ近くで鳴って口を閉じた。人通りは少ない道だが騒動を聞きつけた誰かが通報したのだろう。ホークスは相澤に向き直る。
「…イレイザーさん、悪いんですけど…ここの後始末お願いしてもいいですか?」
「……この女、公にできねえのか」
アングラヒーローは勘が鋭くて助かる。
「そんな感じです…今はまだ、ちょっと」
「分かった。おい女」
「…何」
相澤は面倒くさそうに髪をかき上げて、亜希を見た。
「訳アリみたいだが、あんまりホークスのこと困らせるんじゃないぞ」
鼻で笑う相澤に亜希もムッとして言い返そうとするが、涙目のホークスを見て言葉を詰まらせ、渋々という風に小さく頷く。
近付いてくるサイレンの音と赤いランプに背中を押されるようにして、ホークスと亜希はその場を離れた。
▽▽▽
しばらく走り、静かな通りに出たところで亜希は立ち止まった。
「…ホークス、ごめん」
「え?」
「また軽率な行動したから…」
先程、相澤に言われたことを気にしているらしい。極力人と関わらないようにしていたのに
「…軽率じゃないですよ。亜希さんは迅速に行動して無事に人質を助けた。それで十分です。あ、でも今後、俺の羽は毟らないでくださいね?」
「…ごめん」
「それに…さっき俺が力押しの相手が苦手だって言ったから、あのデカい人をやっつけてくれたんでしょ?」
「…」
ぎこちなく小さく頷く亜希に、ホークスは笑う。どこにあんな瞬発力と攻撃力を隠しているのか分からないが、彼女の弛まぬ努力の結晶なのだろう。頼りになる。それに何より、自分の弱点をカバーしようと動いてくれたことが嬉しかった。
「あと、イレイザーさんはペラペラ話すような人じゃない。良い人だから気にしなくて大丈夫ですよ」
ホークスが安心させるように言うと、亜希は眉間に皺を寄せる。
「…あのイレイザーって人、無愛想だった」
「それ、貴方が言いますか…」
ホークスから見れば、どっちもどっちであるが。
それでも出会った頃からは考えられない程に柔らかくなった亜希の表情に、ホークスはまた笑った。
20200630
ホークスと相澤先生はプロヒの会合などで顔見知り程度という設定。