触れられない距離


「え」


朝食後、一時間後にフロントで待ち合わせをしようと亜希に言ったホークスは、レンタカーを借りに先に外に出ていた。ヒーローコスチュームでない私服を着るのは随分久しい。ゴーグルの代わりにサングラスをかけて外に出れば、声を掛けられることはあっても案外気付かれないものだ。

それでも女性の亜希を横に連れて歩いていれば週刊誌に写真を撮られる可能性がある。亜希自身が目立たないよう注意して行動しているのに自分のせいで公になることは避けたかった。
移動も飛んだ方が速いが、今日は亜希もいる。目立たずに移動できるのは車の方が良いと判断し、翼を折り畳んで乗れば余裕のある乗用車を近場のレンタカーで借りた。

そして一時間後。準備万端で待機していたホークスの前に現れた亜希の姿に、絶句する。

公安局のジャケットに、黒のパンツスーツ。

いつもと全く変わらない姿の亜希は、口を開けて固まったホークスに首を傾げる。


「どうしたの?」

「…服、それしか無いんですか?」

「うん」


長期滞在のため警察から金銭が給付された亜希は、元々着ていたスーツと同じデザインのものを数着買って着回していた。
確かに私服は必要ないだろうが、それにしても…とホークスはガックリと肩を落とす。


「…デートって、言ったのに」


不貞腐れたように言って背を向ける。亜希は彼を怒らせてしまったのかと視線を彷徨わせてから、いつも装着している腕時計型デバイスをいじった。


「…あの、」


伺うような小さな声に振り向いたホークスは、また絶句した。

二頭身ほどの背丈に、頭にはサイレンのランプがついた、笑顔を貼り付けている見たことのないマスコット…キャラクターのようなもの。

亜希が立っていた場所に突如現れた謎の何かに言葉を詰まらせると、その何かは焦ったように腕を動かした。


『私だよ、亜希』

「え…亜希さん?!」

『うん。これはホロスーツ』


変声機能も付いているらしく、聞こえてくるのは落ち着いた亜希の声ではない。機械的な音声で『ホロスーツっていうのはホログラムが投影された衣装で、これは公安局のマスコットキャラクターのコミッサ花子』と淡々と説明する亜希に、ホークスは吹き出した。


「…あははは!なっ、なんですかそれ、びっくりした〜!近くで見てもホログラムって分からないもんですねえ…コミッサ花子か…、ぶふふ、ちょっと手振ってみてくださいよ」


腹を抱えて笑いながら言うと、亜希は渋々といったように両手を動かしてくれた。コミッサ花子の表情は笑っているのに、やる気のなさが前面に出ているせいか全く笑顔に見えず、ホークスはゲラゲラと声を上げて笑う。


『…そんなに笑わなくても。コミッサちゃん、結構人気なんだけど』

「いや、そういう問題じゃなくて…なんか亜希さんがこれ着てるの面白くて…わはは!」

『…これでいい?』

「…へ?何が?」

『…その…デ、デート。服はスーツかコミッサちゃんしか持ってないし、そういうのしたことないから分からなくて』


散々笑っていたホークスは笑みを引っ込める。デートをしたことない?こんな美人が?


「…マジですか」

『…』


コミッサ花子に隠れた亜希が今どんな表情をしているのかは分からないが、どうやら困ったように俯いているように見える。ホークスは笑いすぎて目に溜まった涙を軽く拭ってから、亜希の顔がありそうな位置に視線を向けた。


「えっと…とりあえず、その恰好は目立つんで元に戻ってくれます?」

『…分かった』


亜希がデバイスのボタンを押すとコミッサ花子を映し出していたホログラム映像が一瞬で消え、少し気まずそうにする亜希が姿を現した。そんな彼女の小さな手を掴んで、ホークスは歩き出す。


「…よし、まずは服を買いに行きましょう!」

「え」

「俺も久々に服見たいし、ほら乗って」


ホテルの入り口付近に駐車していたレンタカーの助手席を開け、何か言いたげな亜希を押し込めるように乗せる。自分も羽を折り畳んで運転席に乗り込み、エンジンを掛けた。





▽▽▽





「…服なんて要らないよ。スーツあれば十分だし」

「オフなのに仕事と同じ服着てたら休めるもんも休めませんよ、ハイ着いた」


行きつけの店に到着したホークスは渋る亜希を引っ張るように店内に入る。メンズとレディースの両方を置いてあるこの店はシンプルなデザインが多いので亜希も選びやすいだろう。
ホークスは「俺はメンズ見てるんで試着したら呼んでください」と声を掛けて離れた。自分が彼女に選んでもいいが一人でゆっくりと見たいかもしれないと配慮したのだが…


「(…亜希さんが、究極にダサかったらどうしよう)」


彼女ならあり得る、と思ったため、買う前に試着の段階で確認したかった。美人な人ほどファッションに無頓着ということもあるし…もしセンスが絶望的だったら、その時は自分が選んであげようと密かに誓う。


「ホークスさん、お連れ様の試着が終わりました」

「え、もう?」


まだ入店して数分なのに早すぎやしないか?疑問を抱きつつ店員に連れられて試着室に向かい「亜希さん」と声を掛ける。シャッとカーテンが開き、ホークスはまたもや絶句した。

黒のジャケットに、黒のテーパードパンツ。


「…普段と変わらんやん!」

「え、だって動きやすいし…」

「却下!」


困惑する亜希を思い切り無視してカーテンを閉めたホークスは、レディースの洋服売り場にズカズカと足を運ぶ。

どうにも動きやすい服が良いらしい彼女はスカートは履かないだろう。ワンピースなんてもっての外だ。ホークスは服を数着掴んで女性店員に亜希に渡してもらうように頼む。試着室の方から亜希の困惑の声が聞こえたが、知ったこっちゃないホークスはメンズ売り場に戻った。




▽▽▽




数分後、また店員が呼びにきた。相変わらず着替えるのが早いなと思いつつ試着室のカーテン越しに声を掛ける。先程同様にシャッと開いたカーテンの先にいる亜希を見て、ホークスは息を飲んだ。

インディゴブルーのスキニージーンズに、淡いグリーンのニットトップス。全体的にタイトめな服がスタイルの良い亜希によく似合う。ホークスは数種類のデニムとトップスを亜希に渡していたが、その中から自分で選んだ彼女のセンスは良い。同じパンツスタイルでも冷たい印象のスーツとは全然違い、着こなす姿はモデルのようだ。

…しかし、どこかニットトップスに違和感がある。


「動きやすいね。これにする」


頭の先から足の先まで見たホークスが褒めようと口を動かす前に亜希は言って、カーテンを閉めた。


「え、なんで閉めるの?そのまま出掛けますよ」

「…ちょっと待って、このニット、前後逆だった」


違和感の正体が分かったホークスはまた声を出して笑って「ゆっくり着替えてください」と声を掛ける。亜希が着替えている間にニットだけじゃ寒いだろうと白のジャケットも選んで、会計を済ませた。





▽▽▽





「ホークス、お金…」


二人とも私服になってようやくデート感が出たな、と思いつつ車に戻る。亜希は店を出てからずっと代金のことを気にしており、ついには財布から紙幣を取り出そうとした。ホークスはエンジンを掛ける前に亜希の手を掴んで、それを阻止する。


「俺からのプレゼントだから、気にしないで」

「え、祝い事でも何でもないのに。私が着替えるのが遅かったから先にお会計してくれてたんでしょ?」


デートをしたことがない彼女は本気でそう言っている。亜希はかなり着替えるのが早かったのだが…いやそうじゃなくて、と、ホークスは掴んだ冷たい手にぎゅっと力を入れてキョトンとする亜希をじっと見つめた。


「…俺があげたいって思ったんです。亜希さんは、ただ受け取ってくれたらいい」

「…」

「その服、よく似合ってますよ」


しばらく見つめ合うと、亜希はほんの少しだけ耳を赤くしてからホークスの手を振り払うように財布をポケットに直した。そして、


「…ありがとう」


小さく呟いた亜希は、窓の景色を見るようにホークスから視線を逸らす。慣れていない彼女の反応と初めて見た表情に、ホークスまで顔に熱が集まる。
この顔は亜希にはバレていないと思いたい。ホークスは運転に集中しようとかぶりを振って、エンジンを掛けて車を走らせた。




▽▽▽





昼食は市場で新鮮な海鮮丼を食べ、女性が好きそうな雑貨屋に行った。亜希はアクセサリー類に興味がないらしく反応はよくなかったが、比較的人が少ないレトロな商店街で食べ歩きを提案すると喜んでいたように見える。

焼餅や肉まん、きび団子や鯛焼きや串カツなど。亜希が気になった物を片っ端から食べたせいで空は暗くなっているのにホークスは満腹だった。今日はそこまで動いていないからか、さすがの亜希も腹が一杯らしい。

パンケーキはやめてテイクアウトのドリンクだけを買い、ホークスは「ドライブでもしましょうか」と車を走らせた。

静かな車内にラジオから流れる洋楽が心地良い。ふとルームミラー越しに助手席の亜希を見ると、彼女は視線を窓の外にじっと向けていた。その先には、海。


「寒いですけど、海、行きますか?」

「…いいの?」

「もちろん」


海沿いの道に車を停め、運転席を降りて助手席のドアを開けようと手を伸ばすが亜希は自分でドアを開けて出てきた。行き場を失った手が空中で止まったのを亜希は不思議そうに見ており「ホント慣れてないんだなあ」と内心で思いつつ、海に向かう。

誰もいない浜辺に、二人分の足音が静かに響く。海を見つめながら歩く亜希の数歩後ろにいるホークスは、月明かりに照らされる横顔を見つめた。漆黒の瞳を最初はとても冷たいと思っていた。でも今はそう思わない。

前を歩く亜希が、ゆっくりと振り返った。


「…私のいた世界の海は、汚染されていたの」


世界中で紛争が起こっているが、シビュラシステムという管理の下で唯一の平和な国となった日本。ハイパーオーツという単一食料により自給自足の道を見出し、完全な鎖国を実行した。
工業廃棄物が大量に流れた海は汚染水となり、生身で浴びたら無事では済まない程に危険なものだった。

真実は汚れたモノでも外観ホログラムでいくらでも綺麗に出来る。汚いモノは人々の精神に異常をきたすから、亜希の世界では周りに映る景色は全て寸分の狂いもなく、ただただ綺麗だった。

立ち止まって海を見つめる亜希にホークスはゆっくりと近付き、言葉の続きに耳を澄ます。


「…ホログラムでどれだけ綺麗に映していても、どこか濁ってた。海は、私達を閉じ込めるような大きな籠みたいだった」

「…大きな籠、ですか」


まるで、ヒーロー社会のようだ。
かつて憧れ、夢見た世界いまは、雁字搦めの鳥籠みたいに狭い。

手を伸ばせば届く距離にいる亜希を真っ直ぐに見つめると、亜希はホークスを視界に映した。身長差のせいで少しだけ見上げるような瞳に、月の灯りがキラキラと反射している。


「…でも、今目の前に広がる海は本当に…とても綺麗。吸い込まれそうなくらい、どこまでも澄んでる」


目を細めて笑う亜希。随分と笑うようになった。いつか、その小さな口を大きく開けて、声を出して笑う日もくるのだろうか。


「…夏になったら、泳ぎにきませんか」


ホークスの問いに、亜希は曖昧に頷く。

電気“個性”のヴィランを逮捕するために協力している彼女は、捕まえた後どこに行くのだろう。きっと夏になる頃には事件も落ち着いている。

この世界で行く当てのない彼女は、どうするのだろう。未来を、どこで生きたいのだろう。


「戻れたとしても、きっと私の居場所はもう無い」


そう言った亜希は…狡噛がいる世界に帰ることが、もしできるのなら、戻る選択をするのか。


「(…ここに、いてほしい)」


もっと、亜希を知りたい。凍らせていた表情が解けていく瞬間を、傍で見ていたい。


「…どうしたの?」

「…ん、海が綺麗だなって」


すぐ近くにいるのに、夜風になびく柔らかい髪に触れることが出来ず、ただ自嘲気味な笑みを浮かべる。

この世界に、いてほしい。

そう願うことは、籠のようだったという元の世界から放たれた亜希を、新しく閉じ込めることになるのか。

海を眺める亜希の綺麗な横顔を、ホークスはただ、見つめた。




20200629
車内で流れてた洋楽はThe Chainsmokersの「Paris」をイメージ。ものすごく好きな曲なのですが和訳の歌詞は内容と全然違います…パリじゃない…リズムだけ。


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