心に棲みつく存在


「もうそろそろ鑑識結果が出ると思う。二人とも疲れているところ悪いが、あと少し待っていてくれるかい?」


塚内の言葉に頷いたホークスと亜希は、警察本部内の休憩所へと通された。とっくに消灯時間を過ぎているため、月明かりと自動販売機の人工的な灯りだけで照らされた廊下の奥に佇むこの場所は、薄暗い。

一つしかないソファーの端に腰を下ろした亜希は、さすがに疲れたのだろう。顔には疲労の色が浮かんでいる。

救助活動は、あれからすぐに救急車や救助に適した“個性”のヒーロー達がやってきたおかげで、予想よりもスムーズに終わった。

巨大ヴィランはブースト薬の効果が切れたせいか、いつの間にか普通の人間サイズに縮んでいた。ホークスが救助の合間にヴィランの首筋に注射の痕を確認し、現場の指揮を取っていた塚内に亜希から渡された注射器を見せて説明すると、塚内はすぐにそれを鑑識に回した。やはり彼は仕事が早い。

ホークスは、懸命に瓦礫を掘り起こし、小さな声も漏らさないよう救助に勤しんでいた亜希の姿を見た。いつも綺麗なスーツが今は所々破れており土や埃で汚れている。必死に人を助けようとした証拠だ。


「何か飲みます?奢りますよ」


自動販売機の前に立って言うと、亜希は少し考えてから「…オレンジジュース」と答えた。ブラックコーヒーかな、と勝手にイメージしていたが聞いてよかった。自分の分のカフェオレも買って、一人分のスペースを空けて彼女の隣に座る。

冷たい缶を手渡すと、亜希は小さく礼を言ってからプシュッとプルタブを開け、喉を鳴らしながら一気飲みした。


「…はあ、生き返る」

「ははっ、大げさだなあ。でも疲れましたねえ」


ホークスもカフェオレを喉に流し込む。酷使した体に甘さが染み渡り、伸びをしながら硬めのソファーに身を沈めた。東京に来てからというもの激務続きで疲労が溜まっている。

日中は空から東京を重点的に、夜は東京外まで飛んで調査をし公安に随時調査報告をする毎日。もう十日以上休みが取れていない現状に思わず溜め息が出る。

ふと横目で亜希を見ると、彼女もまたホークスと同じように伸びをしてソファーの背もたれに後頭部を預けていた。僅かな灯りに照らされるその横顔は相変わらずの無表情だが、ついさっき見せた小さな笑顔と重なり、思わずじっと見てしまう。そんなホークスの視線に気付いたのか、亜希は少しだけこちらに顔を向けた。


「…死亡者や、怪我人は?」

「重軽傷者、合わせて二百名弱。死亡者は奇跡的にいませんでした」

「…そっか」


安心したように一息つく亜希に、ホークスは疑問を口に出す。


「…ずっと思ってたんですけど…亜希さん、運動神経良すぎません?」


この世界では“無個性”に分類される彼女は、巨大ヴィランをたった一人で倒してしまった。その身体能力や判断の速さは、ホークスがこれまで出会ってきたヒーロー達の中でも群を抜いている。
あれだけの巨体が蹂躙したのにも関わらず死亡者が出なかったのは、亜希が迅速に動いたおかげだ。

ホークスの問いに、亜希は首をかしげる。


「…そうかな。普通だと思うけど」

「亜希さんの世界の普通ってどうなってんですか…あ、もしかしてハイパーオーツ?でしたっけ。あの食べ物に何か秘密があるとか?」


彼女の世界の食べ物は単一食品に頼る食料体制だ。そのことを思い出したホークスが真面目に言うと、呆れたような表情を浮かべる亜希。


「…そんな訳ないでしょう。まあ、でも、筋トレや訓練はたくさんやったかな…私は、弱かったから」

「…弱い?」

「…ドミネーター、ずっと上手く扱えなかったの。私はいつも足手まといで…死ぬと思ったことも多くて、だから、身も心も強くなりたいと思った」


ホルスターからドミネーターを取り出した亜希は、両手で装甲を撫でるように触る。公安局刑事課という仕事がどれほど過酷で辛いものだったのかをホークスが知る術はないが、彼女の言葉と思いを馳せるような声色から、想像することはできた。

自分の弱さを克服するために鍛え、犯罪者に真っ向から対峙する彼女は、


「…怖く、ないんですか?」


罪を犯そうとする者は容赦なく襲い掛かってくる。剛翼という汎用性の高い“個性”を持っている自分でさえ、強大なヴィランに対して怯んでしまうことはあるというのに。

亜希はドミネーターはあれど、その身一つで鉄骨の男や、先程の巨大ヴィランに突っ込んでいった。しかもブースト薬で自我を失っている危険な状態の相手に。どうして、あんなにも迷いなく突き進めるのだろうか。

ホークスが亜希を見つめて言うと、彼女は少し驚いたように目を開いて、そしてドミネーターに視線を落とした。


「…怖いよ。でも、それ以上に犠牲者を出したくない」


ほんの一瞬の迷いや油断で、犯罪者はいとも簡単に人を殺す。なら、その隙を与えなければいい。自分が誰よりも速く動いて、自分がドミネーターを撃つことで守れる命があるなら躊躇わない。
亜希はホークスを真っ直ぐに見返し、また、小さく笑った。


「…私は、刑事だから」


凛とした笑顔がとても綺麗で、目が離せなくなる。

亜希はホークスに先程、自分を監視しているのかと言ったが、そうじゃない。システム社会とは全然違うこの世界で彼女が何かトラブルに巻き込まれないか心配で、なんとなく、いつも気付けば彼女の姿を探していた。だから道に迷ったことにも、すぐ気付けたのだ。

亜希は捜査中、よく周りを見ていた。そして、困っている人に誰よりも速く気付いて、何度か陰から助けに入っていたのをホークスは知っている。人通りが多い場所での争い事には出ていかず、パトロール中のヒーローが来るまで身を隠して見守って、無事に解決したら何事もなく去っていく。
自分の存在を公にできないと言われたことを気にしているのだろう。亜希は極力誰かと関わろうとはせず、いつもひっそり動いていた。

公安局刑事課、シビュラシステムの目。その存在は自分達とは全く違うと思っていたが、今目の前にいる彼女は、ヒーローや警察と同じ瞳をしている。


「…私が穢れて、みんなが安心できるようになるのなら、それでいい」


そう言い放つ亜希の言葉に、ホークスは息を飲んだ。


「(…貴方は…別の世界で、俺と同じことを思っていたのか)」


ヒーロー公安委員会に拾われた自分は、通常のヒーローとは少し違う。秘密裏に動き、時として非道な事もした。大勢を救うために少しの犠牲を払ったこともある。どんなに恨まれても構わない、いつか先の未来で平和が待っているのならと偽の笑顔を貼りつけて活動していた。

彼女は、自分よりも小さな体で、その細い体で。人々が恐怖するドミネーターという武器を握って、毎日犯罪者に向き合って。感情を捨てたような無表情の下で、どれだけ泣いて…どれだけ自分の笑顔を殺してきたのだろう。自分と亜希は、似ている。

じっと見つめたまま何も言わないホークスに、亜希は言葉を続けた。


「それに…“刑事ってのは誰かを刈り取る仕事じゃなく、誰かを守る仕事のはずだった”、そう言ってくれた狡噛さんに恥じない自分でいたい」

「…コウガミさん?」

「前に話した、同僚」


答えるその目は優しい。亜希の大事な人である、男の名。亜希に多大な影響を与えた人物のことが少しだけ知りたくなったホークスは、問う。


「…どんな人だったんです?」

「…真実に向かって、ひたすら突き進む人だった。とても強くて、面倒見が良くて…そして、」


ゆっくりと狡噛を思い出すように答える亜希は、ホークスと視線を合わせた。じっと見つめ返され、少しだけ戸惑う。


「…亜希さん?」

「…ホークスと、似てる目をしてた」


その声が、表情があまりにも優しくて。でもその柔らかな笑みは、自分を通して狡噛に向けられたものだと気付いてしまったホークスは、思わず目を逸らす。


「…好きだったんですか」


聞かなくても分かることを口に出してしまった、そう後悔しても、もう遅い。少しの沈黙のあと小さな声で、


「……たまに見せてくれた笑顔が、とても…好きだったよ」


言われた言葉が、大きく響く。

分かっていた。彼女の中に棲みつく大きな存在を。なのに、どうしてこんなにも胸が痛むのか。

何も言えなくなったホークスは残りのカフェオレを飲み干し、聞こえないように小さく溜め息を吐く。その時、廊下の先からパタパタと足音が聞こえ、塚内が姿を現した。


「二人とも〜お待たせ」

「…塚内さん、お疲れ様です」


少し気まずく感じていた空気を取り払うようにホークスが席を立って譲ろうとすると、塚内はそれを断って、自動販売機の横に立てかけていたパイプ椅子を取り出して腰かけた。

今さっきまで二人が交わしていた会話を何も知らない塚内は「いや〜思ったより時間掛かっちゃったよ」と笑いながら話し出した。


「立花さんのおかげでブースト薬の正体が分かったよ。あれは…人体から生成されているモノだと判明した」

「…人体?」

「うん。おそらく…薬を生み出す“個性”を持った者がいる。人間の細胞が大量に含まれていた。鉄骨落下事件の男の体内に残っていた僅かな成分と同じであることから、ここ最近のブースト薬をばら撒いているのは単一犯だ」

「…人体、単一犯、ってことは…人物を特定できるんじゃないですか?」


ホークスの言葉に、塚内は苦笑いを浮かべる。


「細胞が繰り返し何回も分裂していてね…復元に難航してる。医療機関に該当者がいないか調査を依頼しているけど、時間がかかるだろう」


はあ、と大きな溜め息を吐く塚内の目の下には隈があり、ドミネーターの改造のために発目に付き合わされて徹夜をしてから休めていないのでは、とホークスは彼の苦労に同情した。


「…塚内さん、そろそろ休んだ方がいいんじゃないですか?疲れ溜まってたら怪我しますよ」


そう声を掛けると塚内はバッと顔を上げ、満面の笑みを浮かべる。


「うん、明日休みを貰えたんだ!最近捜査ばっかりだったからね。俺とホークスと立花さん、三人とも明日は一日オフだよ!」

「え、俺もですか?」

「ああ、君は夜もパトロールしてくれているからね。しっかり休んでくれ」

「…私も、いいんですか?」


伺うような亜希に塚内は大きく頷いた。久々の休日が余程嬉しいらしく、彼は笑顔を絶やさない。


「もちろんさ!立花さんもこっちに来てからずっと働き詰めだったじゃないか。こき使って本当にすまないね」

「いえ…」


上機嫌な塚内が腕時計を確認すると、時刻は二十三時を回った頃。


「二人とも飯はまだだよね?俺が奢るから何か美味いものでも食いに行こう!って言っても居酒屋かラーメン屋くらいしか開いてないだろうけど」

「え、いいんですか?じゃあお言葉に甘えようっと」

「立花さんは、何か食べたい物ある?」


亜希は少し考えて、「…焼き鳥」と小さく答えた。宿泊ホテルは朝と晩に食事が出る。朝はバイキング形式で、夜は併設されているレストランで好きな物を選べるようになっている為、彼女は割と色々な物を食べているようだったが。
先日行ったお店が気に入ったのかもしれないと、ホークスはなんだか嬉しくなる。


「焼き鳥!いいねえ、ホークスも焼き鳥でいい?」

「もちろんです」

「じゃあ俺の行きつけの店、開いてるか電話してみるよ」


塚内が嬉々として胸元からスマートフォンを取り出した瞬間、それは着信音を鳴らして震えた。画面を見た塚内から笑顔が消え、一気に顔面蒼白になる。


「塚内さん、もしかして…」


ホークスがおずぞずと声を掛けると、塚内はガックリと肩を落とした。


「…上から呼び出しだ…せっかく久しぶりにゆっくりできると思ったのに…嗚呼…飯は二人で行ってきてくれ…俺は…戻るよ…」


重い足取りで廊下を引き返す塚内にホークスも亜希も何も言えない。公安も大概だが警察も引けを取らないくらいに人使いが荒すぎると思う。

悲壮感漂う後姿が見えなくなった頃、ホークスは隣で何とも言えない表情を浮かべている亜希に話しかけた。


「…行きますか。あの焼鳥屋」


亜希は塚内を気にしていたみたいだが、やがて小さく頷く。


「…行く」

「よし、決まり」


立ち上がったホークスは亜希が持っていたオレンジジュースの缶をひょいと取り上げて、自分が飲んでいたカフェオレの缶と一緒に自動販売機の横のごみ箱に投げ入れた。


「(…亜希さん、今日もたくさん食べるんだろうな)」


美味しそうに食べていた表情を思い出して、小さく笑う。

気まずいと勝手に感じていた雰囲気は、いつの間にか消え去っていた。




20200627
亜希さんの身体能力の高さはPP3の慎導監視官をイメージしています。


- ナノ -