違法薬物


鉄骨落下事件の調査に時間がかかるらしく、塚内から「今日は二人ともゆっくり休んでくれ」との連絡がホークスに入った。塚内も徹夜をしているのに警察は大変だと思いつつも、ホークス自身も剛翼の大半を失ったのでいつものような活動は出来そうもない。その申し出は有難く受け取ることにする。


「今日はもう休んでいいらしいですよ」


改造したドミネーターについて熱く語る発目のマシンガントークに無理矢理付き合わされている亜希に言うと、彼女は心底ホッとしたような表情を浮かべた。発目と亜希は見ての通り正反対のタイプで、終始ハイテンションの発目に亜希は明らかに疲弊している。


「不具合あったらいつでも来てね!あ、充電は毎日しっかりするんだよ?!」

「は、はい…ありがとうございました」


別れ間際まで大きな声で話し続ける発目から一刻も早く離れたいのか、亜希は軽く頭を下げて急ぎ足でホークスに駆け寄る。会社を出たところで、ホークスは声を出して笑った。


「あははは!顔に出すぎでしょ〜?笑い堪えるの大変でした」

「…あの人、テンション高いので…」


大きな溜め息を吐いた亜希は笑い続けるホークスを睨む。ドミネーターを構えていた時よりも柔らかく見える彼女の表情に、ホークスは少しだけ安心した。

犯罪者であっても殺さないヒーローと、システムに判定されれば罪を犯していなくても殺す刑事課。その違いを先程ハッキリと見せつけられたが、倒れる男を撃とうとしたのをホークスが止めれば彼女は従ってくれた。あの時戸惑っていた瞳は冷徹になりきれていない証拠だ。最初は極端な考え方をしており危険だと思ったが、もうあんな無茶な行動はしないだろうとホークスは思う。

ひとしきり笑うと、ポケットから着信を知らせる音が鳴った。スマートフォンを確認すると塚内からのメールで、画面を開くと長々と書かれた文が目に入る。びっしりと詰まった文字に思わず眉間に皺が寄るが、内容に軽く目を通して驚愕した。

突然黙ったホークスを亜希は怪訝そうに見る。長文を読み終えた彼は、


「…近くに行きつけの焼鳥屋があるんで、とりあえず昼飯でも食いましょうか。それから今後のことを話します」


そう言って歩き出した。亜希がついてくるのを横目で確認したホークスは店に個室が空いているかの連絡をする。まだ昼時には早い時間だったため無事に予約をし、店へと急いだ。





▽▽▽





「何にします?ここ焼き鳥も美味いんですけど鳥鍋も絶品なんですよ」

「じゃあ…それで」


奥の個室に通され、ホークスは串焼きの盛り合わせと鳥鍋、サラダと一品料理を複数注文した。亜希は特に何も言わないが、メニュー表を物珍しそうに見ている。


「何か食べたいものありますか?」

「あ、いえ…こういうの、あまり見たことなくて、つい」

「え?」


どういうことですか?とホークスが疑問を口にすると、彼女は自分がいた世界の食べ物は合成加工食品が主だったと言った。見た目も味も本物に近いが、食卓に並ぶ食品の99%がハイパーオーツという遺伝子組み換えの麦を原料にしたものだという。


「…料理が好きな同僚がいたので本物の食材を食べたことは一応あるんですけど。でも、こんなに沢山あるメニューは初めてで…」


単一種に頼る食料体制。なんだか不味そうだと思ったホークスだが、分厚いメニュー表を興味深そうにめくる亜希を見て余計なことは言わないでおこうと口を閉じる。

そうこうしている間に注文した料理が一気に並んだ。ここは味も良いがスピードも速いのが良い。ホークスはさっさと小皿に料理を取り分けて亜希に渡した。


「さあさあ、どうぞ」

「あ、ありがとうございます…いただきます」


湯気が立つネギマをおずおずと口に含んだ亜希は無言で咀嚼し、飲み込んだあとで一言「美味しい」と小さく呟いてから、ホークスが取り分けた他の料理も無言でパクパクと食べていく。この細い体のどこに入るのかと思う程に亜希は箸を動かし、二人前の鳥鍋もほとんど一人で食べてしまった。

あまりの食べっぷりに思わず自分の手を動かすことを忘れてじっと見てしまう。箸の持ち方や食べ方が綺麗だと思った。


「…美味かったですか?」

「はい。…あ、すみません…一人で食べてしまって…」


即答した亜希はホークスの手元の取り皿に乗っている料理がほとんど減っていないことに気付き、焦ったように頭を下げる。その表情は先程よりも随分と人間らしい。


「全然いいですよ、お気に召してもらえて良かったです。デザートも頼みましょうか」

「…い、いえ…」

「遠慮しないで。俺も食べたいし…あ、この期間限定ケーキにします?」


控えめに頷いた亜希の頬は少しだけ赤く、ホークスはまた笑った。





▽▽▽





食後のケーキも食べ終えた頃、店員がサービスで熱いお茶を出してくれた。甘さが広がる口内に苦いほうじ茶が染み渡る。

どことなく満足げにお茶を啜る亜希を見てから、腹も膨れたことだしと、ホークスはスマートフォンを取り出して塚内からのメールを開いた。画像が二枚添付されており、一枚目を拡大する。


「食後にちょっとグロいんですけど…これ、さっき暴れていた男の首です」


亜希に画面を向けると、彼女は映し出された画像を食い入るように見つめた。男の首筋は赤黒く腫れており、その膨らみの中心には折れた小さな針が不自然に刺さっている。


「…注射の痕、ですか?」


亜希の言葉にホークスは頷く。注射器型の違法薬物であると塚内からの連絡には書いてあった。


「“個性”の威力を高めるブースト薬の種類です。この男、さっき自我失ってたっぽいし」


言葉にならない叫び声をあげながら襲ってきた男の姿を思い出す。全身の血管を浮き出させ、白目を剥いた悲惨な姿。塚内によると男の“個性”は両手の一部を小さなナイフに変化できるものらしいが、ホークスが対峙した時、男はナイフの何倍もの大きさのあるノコギリのような刃物を振り回していた。

“個性”をブーストさせる薬はどれだけ厳しく取り締まっても無くならない。昔よりは随分少なくはなったが、それでも捜査が追いつかない程に蔓延っているのが現状だ。


「…どこにでも、ドラッグの類は存在するんですね」


彼女がいた世界にも違法薬物はあったのだろう。社会の隅々まで監視しているようなシステム社会でも隙を這うように違法に手を染める人間はいるのか。ホークスは苦笑しつつ、二枚目の画像をクリックする。


「建設現場の近くには注射器の本体が転がっていました。この男の首に刺さっている物と一致しています…で、次の画像。これは東京タワーの下に落ちていて、先程発見されたそうです」


折れた三本の注射器が写っている画像を見た亜希はしばらく考えるように黙り、ハッと顔を上げた。


「…もしかして、私がいた場所ですか?」

「はい。すぐ近くの資材置き場で」


三本の注射器は使用された後で針の部分が紛失しており、中身も指紋も採取できなかったらしい。しかし複数人で使った形跡はなく、おそらく一人で一気に注入したと思われる。

そして、先程の男が使用していた注射器と同じモノだということが分かった。


「…電気“個性”のヴィランがブースト薬を過剰摂取、そのすぐ近くには電力が集中する東京タワー、ブースト薬により人を瞬間移動させる力が増強されて、同じく多大な電力の近くにいた私が引きずり込まれた…そして、さっきの男も同じブースト薬を使っていた…」


情報を整理するように呟く亜希の言葉を肯定するように、ホークスは頷く。


「そうです。そしてこのブースト薬…どうやら新種らしくて。男の体内から検出できた僅かな成分を調べても、過去に摘発したどの違法薬物にも当てはまらないみたいです」


しかも中々粗悪で、中毒性が酷い成分が多量に含まれており、一度使用するだけで後遺症を発症するような強い副作用が確認されたらしい。


「…電気“個性”のヴィランは、これまでにもブースト薬を使用していたのでは…?」


亜希は考えるように手元の湯飲みを見つめる。ホークスは「お?」と思い、彼女の言葉の続きを待った。


「違法薬物は普通、少量から始める…徐々に慣れてくると使用量が増えていき、薬物依存から抜け出せなくなる。私がこの世界に来る前に起こった六件の事件でも既にブースト薬を使用していたとすると…」


ヴィランの“個性”は電気、一見すると人を瞬間移動させる力はないように思える。けれどブースト薬で“個性”の威力を高め、人体に流れる微弱な電気をも自在に操ることが出来るとしたら。
亜希は自身の横に置いてあるドミネーターを見た。


「何か…目的があって人を電子分解し、移動させていた…?」

「…これだけの情報でよくそこまで…刑事の勘ってやつですか?」


ホークスは感心して小さく拍手をする。塚内からのメールにも、今亜希が考えていることと同じようなことが書いてあったからだ。

シビュラシステムという、考えることを放棄しても生きていけそうな世界で育った彼女は、塚内と同じかそれ以上に思慮深く鋭い。その事実に内心驚いていると、亜希はふと、目を伏せた。


「…同僚に教えてもらったんです。犯罪心理学やプロファイリング…捜査に役立つだろう、って」

「へえ…その同僚さん、随分仕事熱心な人なんですねえ」


何気なく言ったホークスの言葉に、亜希は小さく頷く。


「…私に、刑事としての生き方を教えてくれました。『役目ではなく正義を優先できる刑事になれ』って…」


そう言って、亜希はほんの少しだけ笑った。初めて見た彼女の笑顔はとても綺麗で、けれど、それ以上に寂しさが溢れている。


「…戻りたいですか?元の世界に」


彼女をこんな表情にさせている同僚とは一体どんな人物なのだろうかと思いながら、湧いた疑問を口にする。電気“個性”のヴィランを捕まえれば戻れる可能性は0ではないだろう。

しかし亜希は、首を横に振る。


「…無理でしょう。それに戻れたとしても…きっと私の居場所はもう無い」


ノナタワーから落下した自分は遺体が見つからなくても死亡者として処理されているだろうと、亜希は静かに言った。


「…会いたい人とか、いるんじゃないですか?」


例えば、その同僚さんとか。そうホークスが言うと、亜希は少し驚いたように顔を上げて、また悲しげに目を伏せる。


「…彼はきっと、もう私のことなんて考えてもいないと思います」


彼…同僚は男だったのか。ホークスは驚きつつ机に肘を付けて頬を乗せた。彼女の口ぶりからして同僚は恋人ではないのだろうが、大事な人に違いない。

これ以上深く聞くのは気が引けたため、話題を変えようと口を開く。


「…そうだ、すっごい今更なんですけど、なんて呼んだらいいですか?」

「…え?」


なんとなくタイミングが合わず、彼女の名前を呼ぶ機会がなかった。


「あだ名とかありました?」

「……鉄仮面」

「え」

「…私、無表情なので。陰でそう呼ばれていたらしいです」


自覚あったのかと思いつつ、ホークスは笑う。


「鉄仮面か〜…それは却下ですねえ。貴方、自分が思ってる以上に表情豊かですよ?さっき美味そうに飯食ってたし、デザート来た時も頬緩んでたじゃないですか」


そう言うと、亜希は顔を赤くしながら困惑の目をホークスに向けた。


「な…だって、美味しかったし…」

「ははは!ほら、今も困ってる。顔赤いですよ」

「…」


茶化す言葉に亜希は返事はせず、ホークスを一瞬睨んでから残りのお茶を一気に飲み干した。


「あ、おかわり要ります?」

「結構です!」


即答した亜希はホークスから勢いよく目を逸らした。揶揄いすぎたかなと思いつつも、先程までの悲しげな雰囲気が消えたことに安心する。


「すいませんって…じゃあ、亜希さん、って呼ばせてください」

「…ご自由に」

「俺も、ホークスでいいですよ。さん付けしなくっていいです」

「分かりました…それは、あだ名ですか?オールマイトとか…」

「ああ、これはヒーロー名です。まあ…あだ名みたいなもんかな」


顔は日本人なのに横文字の名前が不思議だった亜希は納得したように頷き、そして、


「ホークスの本名は何ていうんですか?」


単純に疑問に思っただけだろう、亜希はホークスをじっと見る。


「…普通の名前ですよ」


それ以上は答えられない。自分の名を知っているのは極数人で本名よりも「ホークス」と呼ばれた時間の方が圧倒的に長かった。「そうですか」と言ったきり深く聞いてこない亜希に内心で感謝しつつ、ホークスは言葉を続ける。


「…あ、タメ語にしてくれません?俺堅苦しいの苦手で。しばらく一緒に行動するし…仲良くしましょうよ」

「…なら、ホークスも敬語やめたら?」

「…俺は、クセみたいなもんなんで気にしないでください…ってことで、改めてよろしく、亜希さん」


強引に話を進めるホークスに亜希は何か言いたげだったが、特に反論するでもなく頷いた。


敬語けいごやめたら?”


その言葉に一瞬ドキリとしたが、亜希は気付いていないらしい。

啓悟、その名をまた誰かに呼ばれる日は果たして来るのだろうか。意味は違えど久しく聞くことのなかった言葉の音色に、ホークスは考えても仕方ないことをつい思ってしまった。



20200624
PSYCHO-PASSの世界でのご飯事情、見た目も味も本物に限りなく近いと思うのですが朱ちゃんの自宅の電子レンジみたいな家電から出されたご飯が衝撃的だったので、本物は珍しいという設定。料理好きの同僚は縢君です。


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