ボーダーライン


「伏せてください」


そう言った亜希は真っ直ぐにドミネーターをホークスへ向けた。少し離れた位置にいるにも関わらずハッキリと見える銃口の青い光に、ホークスの背中に冷や汗が流れる。


「え、ちょ、ちょっと待って!」


静止の声は全く聞こえていないらしく、引き金に添えられた亜希の指に力が入ったのが見えた。ホークスは咄嗟に背後にいる子ども達を庇うように覆いかぶさる。その瞬間、空気圧のようなモノが彼の体を襲った。土煙がホークスと子ども達を包み、激しい衝撃に飛ばされそうになりながらもゴーグル越しに目を開けると、目前まで落下していた鉄骨が跡形も無く消えていた。

子ども達は全員無事だ。みんな号泣しているが誰も怪我はしていない。安心して起き上がったホークスが次に目にしたのは、泡を吹いて倒れている男の頭にドミネーターを突きつけた亜希の姿だった。


「何やってんですか!」


ホークスが慌てて駆け寄ると、亜希はドミネーターはそのままに視線だけを向ける。


「何って、殺すんです」

「え…」

「犯罪者は殺さないと」


当たり前のように言う亜希の目があまりにも真剣で一瞬言葉に詰まったが、何の迷いもなく引き金に力を込める亜希の手に、ホークスは即座に自分のそれを重ねた。小さな手は、氷のように冷たい。
ドミネーターを下げてくれと願いを込めながら手に力を入れ、青い光を灯す亜希の目を真正面からじっと見つめる。


「…殺しちゃ、駄目だ」

「…どうして」

「…ヒーローは、人を殺さない。どれだけ極悪人でも、捕まえることを優先する」


亜希は、男の頭からゆっくりとドミネーターを外す。それと同時に彼女の瞳は元の漆黒に戻った。そして、


「犯罪者を生かして、何の意味があると言うんですか」


私には分からない、そう言葉を続ける亜希に、ホークスは彼女が生きてきた社会を思う。

罪を犯す可能性がある者、または罪を犯した者は、システムの判定により隔離・排除の対象となる。白か黒か、0か100か。

恐ろしい程ハッキリとしたボーダーラインに沿って犯罪者と向き合ってきた彼女にとっては、たった今暴れ回ったこの男は間違いなく排除の対象なのだ。

けれど…ここは、この世界は違う。


「…然るべき罰を受けてもらう。何も殺すほどじゃない」


黙る亜希が何を思っているのかホークスには分からない。でも、僅かに揺れたその瞳は、戸惑っているように見える。

きっと、この冷たくて小さな手で、彼女はこれまでに何人もの命を奪ってきたのだろう。けれど彼女にとっては…彼女の社会では当たり前に行われている正義の執行であり、それは殺人ではなく犯罪者から人々を守るための行動なのだ。統治するシステムの判定、シビュラシステムが罪人と示せば、それを裁くだけ。

それが正しいことなのかは、違う世界でヒーローとして生きてきたホークスには分からない。しかし躊躇いなく人を殺せる心を持つ彼女が、その瞳が、どうしてだか痛々しく思えるのは確かだった。

刑事という、ヒーローと決して遠くない立場にいるはずの亜希との思考の違いを強く感じる。

漆黒の瞳はやがて、泣いている子ども達に向けられた。


「…ヒーローは、守るものが多いんですね」


亜希が呟いたのと同時に遠くでサイレンの音が鳴り響く。同時に一つの足音がすぐ近くで聞こえ顔を向けると、肩で息をしながらこちらに向かって走ってくる塚内の姿。


「立花さん、走るの早いよ…」

「…すみません」


塚内が息を乱しながらジロリと亜希を見ると彼女は少しだけ申し訳なさそうに頭を下げた。塚内は「いや謝らなくていいんだ、俺も歳かな…」と独り言のように呟き、呼吸を整えながら周りを見渡す。

倒れている男に、転がるノコギリのような大きな刃物。泣いている子ども達と、最初に落下した鉄骨。少し離れた場所にいる気を失った人達。そして翼の大半を失ったホークスと、ドミネーターを握る亜希。


「…二人は、先にサポートアイテム会社に戻っていてくれ」


ある程度状況を把握した塚内が言う。亜希の存在は公にしないようにと、公安から警察上層部を伝って塚内にも連絡が入ったのだ。

塚内は「あとで連絡するから詳細はその時に」と言い残し、サイレンが鳴る方向へと走っていく。


「…とりあえず、行きましょうか」


倒れた男を黙って見下す亜希に声を掛けたホークスは亜希が頷いたのを確認し、現場から退散するために久しぶりに両足を使って走った。



20200621


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