復讐(狡噛独白)


狡噛side



逮捕した槙島の取り調べは上層部が行うことになった。ふざけるな、納得できないと声を荒げても、局長から命令を下されたギノは首を横に振るだけ。

俺達は姿を消したかがりと、亜希の捜査をすることになった。

ノナタワーの地下から消息を絶った縢と、俺の目の前で屋上から落下した亜希。鑑識ドローンを大量に配備しタワーの内側から外観まで調べても何も見つからず、唯一、亜希の僅かな血痕が屋上から少し下の柱に付着していただけだった。

俺がノナタワーに到着した時、血だらけの亜希は槙島に首を掴まれ、そしていとも簡単に投げ落とされた。どれだけ手を伸ばしても間に合わず、亜希は闇に飲まれるように落ちていった。全てを諦めたような亜希の顔が、脳裏から離れない。

遺体は、どれだけ探しても見つからなかった。亜希が握っていたドミネーターすらもどこにも無い。落下の痕も何もなくて、ただただ、亜希は忽然と姿を消した。


「亜希…」


誰もいない部屋で、どこにもいない彼女の名を呟く。あの高さから落ちて生きていられるはず無いのに、その証拠さえ見つけられない俺は、どうしても諦めることが出来ず。

目を閉じて、亜希との出会いを思い出す。




「刑事課に配属されました、立花亜希と申します」


職業適性診断の結果が刑事課一択だという前例のない新人、どれだけタフな奴がくるのかと思っていたが、なんてことはない、愛想のないただの女だった。初めての現場で人を撃ち、人目につかない場所で隠れて泣いているような、健康的な市民。

ドミネーターの扱いも下手だった。俺やとっつぁんが居なければ潜在犯に殺されていたであろう場面も多く、本人も疲弊しきっていた。なのに、亜希のサイコパスはいつも理想的な数字で色相もクリアカラー。本人は色相が濁りにくい体質なのだと言う。稀にサイコパスが上昇することはあっても、すぐに低くなるのだと、だから自分は刑事課に呼ばれたのだと。あっという間に濁った俺とはえらい違いだなと鼻で笑ったものだ。

しばらくして、亜希から格闘術を教えてほしいと頼まれた。運動神経も訓練成績も悪くない亜希がドミネーターを上手く扱えないのは、実戦経験の少なさと潜在犯に対する大きな恐怖心からだろう。監視官である亜希が頼りがいのある上司になってくれれば俺達執行官も楽ができると、俺は引き受けた。

驚くことに、亜希の格闘センスは抜群に良かった。あの細い体のどこにそんな腕力や瞬発力を秘めているのか、体格の違う俺やとっつぁんが背負い投げされたことも少なくない。

元から反射神経も良く体幹もしっかりしていた亜希が真面目にトレーニングを重ねた結果、ドミネーターも容易く扱えるように成長した。そして、センスがあると褒めた時に初めて見せた、嬉しそうに目を細めた亜希の笑顔。俺は一瞬、目を奪われた。

端正な顔をしているとは思っていたが、無表情のせいか冷たい印象が強かった亜希の僅かな笑顔。こんな顔もするのかと驚いたのと同時に、もっと笑顔を見てみたいと、笑顔にしてやりたいと思った。

けれど、亜希と俺は監視官と執行官…所詮は飼い主と猟犬。立場も何もかもが違う俺達がどうこうなる訳がない。ならばせめて亜希が監視官として立派に責務を果たせるように手伝いをしてやればいい、分からないことは教えてやればいい。それが元監視官の俺が亜希にしてやれる唯一のことだろう。


そう思いながら過ごしていく内に、亜希はあっという間に頼りになる上司、監視官へと成長した。けれど同時に、亜希の顔からは感情が消えていく。

潜在犯を撃つことに躊躇いがなくなり、迷いなく現場に突っ込む。刑事課で働く者として何一つ間違ってはいないが、その様子は非常に危なげに見えた。自らの意思を無視し、シビュラシステムの判定を忠実に守り続けることで、己が精神もシステムのように無機質なモノになっていく。

この過酷な現場で、そうすることでしか自分を保てない不器用な亜希。きっと何か一つが綻んでしまえば容易く崩壊するだろう。佐々山の事件をきっかけに一気に底まで沈んだ俺と同じ道だけは歩んでほしくない。

だから俺は、俺がなれなかったモノにお前がなってくれたらと願いを込めて、何が正しいのかを自分で判断しろと、正義を優先できる刑事になれと言った。亜希はただ頷いただけだったが、その漆黒の瞳に僅かに光が灯ったのを覚えている。


―――そして、槙島聖護の存在の確立。思い出す三年前の事件と、燃え滾る憎悪。ドミネーターが効かない奴を止めるには殺すしかないと訴えても上からは身柄の確保が絶対だという理不尽な要求をされ、馬鹿げていると心底腹が立った。

一人、喫煙所で吸い慣れたタバコを口に含む。煙の中に佐々山の最期の姿を見て、どうするかと考えを張り巡らせている時。亜希が、無表情の中に、どこか優しさを含んだような表情で近付いてきた。


「私が手伝います。監視官としてではなく、一人の刑事として」


その申し出に驚き、遠回しに断ろうとしても、色相が濁るかもしれないと忠告しても、亜希は一歩も引かなかった。その顔はもう一人前の刑事で、彼女の中で優先した正義が俺と同じであることが分かり、ただただ嬉しい気持ちで胸が満たされる。


「…槙島は、俺が殺す」


だから、俺のこの手を殺人犯にしてくれと、亜希に手を差し出す。小さくて冷たい亜希の手が触れた瞬間、目の前の女を引き寄せて抱きしめたいと強く思った。

一人で抱えている過去を、闇を共に背負おうとしてくれる亜希が、どうしようもなく愛しいと思った。

それなのに。

亜希は、俺の目の前で…


あの時、亜希からの申し出を断っていれば。あの細い体を力一杯に抱き締めていたら。あと少しノナタワーに到着していれば。あの手を、掴めていたら。

亜希は今も、俺の隣にいてくれただろうか。

どうして、大事な人は消えていくのだろう。亜希の控え目な笑顔が目に浮かんで、悔しくて唇を噛みしめる。血が滲み鉄の味が口に広がって、机に置いてあった冷めきったコーヒーを一息に飲んだ。

その時、腕時計型のデバイスが鳴る。発信者は不明。疑問に思いながらも通話に出た。


『夜分失礼する。狡噛慎也の番号で間違いなかったかな?』

「…っ!」


忘れることのない、どこか嘲笑を含んだような男の声。

槙島聖護。

煮えたぎるような憎しみが全身を駆け抜け、何故捕まえたはずの奴から通信がきたのか驚いて声が出ない。何も答えないのを肯定ととったのか、まるで親しい友人と話すような口調の槙島は俺に語りかける。


『今日シビュラシステムの正体を知ったよ。あれは君が命懸けで守るほど価値のあるものではない。それだけを伝えておきたくてね…では、いずれまた』


途切れる通信。慌ててギノに確認を取り、再度驚愕した。槙島を乗せた輸送機の墜落、逃亡…亜希がその身を犠牲にしてまで追い込んだ犯罪者が、また社会に放たれてしまった。

そして俺は、槙島の身柄の保護のため、捜査から外された。


シビュラシステムの正体…奴は俺達も知らない内幕に辿り着いている。あらゆる機関から独立不干渉を保証されたシステム、身柄の運搬が護送車ではなく航空機、しかも同乗していたのはドローンのみ。

何もかもが異常な事態に、俺は再度、決心する。


「…槙島聖護…お前を、必ず殺す」


佐々山、犠牲になった人達、そして亜希。

今度こそ絶対にこの手で復讐を遂げてみせる、と。



20200619


- ナノ -