七人目の被害者


「とりあえず…君はまだ安静にしとかなきゃだから、さあ、座って」


呆然とする亜希を安心させるように塚内は笑う。彼女は戸惑いながらも、塚内が持ってきたパイプ椅子に腰かけた。

ホークスは自身の羽でボロボロにしたシーツを拾い、ナースコールを押して看護師を呼ぶ。やってきた看護師はベッドの惨状と床に転がる輸血袋や飛び散った血に驚いていたが、何も言わずに手早く片付けてくれた。

看護師に声を掛けられた亜希は再度ベッドに座り、輸血が再開される。大人しく針を刺された亜希は、人の動きをぼんやりと眺めていた。
片付けと処置が終わった看護師が出て行き、塚内とホークスはベッドサイドにパイプ椅子を二つ置いて亜希に向き合う。


「じゃあ…えーっと、立花さん、でいいかな?」

「…はい」

「俺は塚内、警察官だ」

「…ホークスです。よろしく」


二人の言葉に亜希は小さく頷く。


「まず、現状を説明するね。君は昨晩、東京タワーの下で発見された。左肩と腹部に大怪我を負っていたから、こちらで治療させてもらった。何があったのか教えてほしい」


亜希は思い出したかのように、輸血の針が刺さっている左腕と腹部を見た。ホークスの目に、驚愕している彼女の顔が映る。


「そういえば…私、ネイルガンで撃たれたのに、どうして…」


独り言のように呟く亜希は、何故痛くないのかと、傷口を押さえて塚内を見た。


「リカバリーガールの治癒のおかげだね。君も随分と体力があったから一日でここまで回復したんだ」

「リカバリー、ガール…?」

「うん、たまたま居合わせてね。立花さんは運が良かったよ。…で、ネイルガン、っていうのは何かな?」


亜希は疑問を表情に残したまま、ゆっくりと口を開く。
ネイルガンは、十センチ程の長さの針を撃てる武器であり、工具の釘打ち機のようなものだ。

塚内はメモを取りながら頷き、ポケットからIDカードを取り出して亜希に渡した。


「では次に、君の所属について教えてほしい」


IDカードを黙って受け取った亜希は、どう説明したらいいのか分からないというような、困ったような顔で塚内を見返す。そこに、今まで黙っていたホークスが口を挟んだ。


「貴方って、公安の刑事なんですか?そのカードには刑事課って書いてますけど」

「…はい」

「なら、どうして警察じゃなく、厚生省所属なんです?」

「どうしてって…警察組織は、もう何十年も前に解体されたじゃないですか」


なぜそんなことを聞くのか、という表情の亜希に、ホークスも塚内も目を見開いた。塚内は驚きすぎて持っていたペンを落とす。ホークスも思わず椅子から落ちそうになったが、小さくかぶりを振って再度亜希を見る。彼女が冗談を言っている様子は一切なく、動揺している二人を怪訝そうに見ているだけだ。


「…解体って、いつされたんですか?」

「…四十年程前だと思いますけど…」

「えっと…今って何年だっけ?」


塚内がペンを拾いながら聞くと、亜希は「2112年」と答えた。

病室に、沈黙が流れる。塚内は開いた口が塞がらないまま呆然とし、ホークスは先程の亜希との会話を思い出した。


「…東京タワーが、もう無いんでしたっけ?」

「…はい。ちょうど同じ時期に壊されて…今はノナタワーが建っています」


ホークスと塚内は顔を見合わせる。まさかの事態に何と言ったらいいのか分からず、不安そうな顔をしている亜希にかける言葉が見つからない。

今は、2014年だ。彼女は、未来から来たというのか。

未だに手掛かりのない電気を操る“個性”を持った者は人を瞬間移動させることが出来る。まさか、今度は未来に生きる人間を連れてきたというのか。


「…落ち着いて聞いてください。ここは多分、貴方がいた時代じゃない。警察も東京タワーも存在してる…今は、2014年です」


静かに言ったホークスの言葉に、今度は亜希が驚愕して彼を見つめる。やがて、確認するかのように口を開いた。


「ここは…過去、ということですか」


頷いたホークスを見て、亜希は考えるように黙った。困惑、焦り、不安がない交ぜになっている。そんな彼女を見た塚内が声をかけた。


「…今、俺たちが追っている事件で人が瞬間移動することが分かっている。犯人は電気系の“個性”を持っていて、膨大な電力の傍にいた人を巻き込んでいるんだが…君は、その“個性”に引っ張られるようにして過去に連れてこられたのかもしれない」


きっと亜希は、この事件の七人目の被害者だ。電気“個性”を持つヴィランではない。
ただ、これまでの六件は全て現代の東京都内で起こっている。同じ場所だからといって未来から人を連れてくるなんて、もしこんなことが頻繁に起きてしまったら…世界は終わる。

緊迫した雰囲気が流れる中、亜希が小さく呟く。


「…“個性”、って、なんですか?」


疑問符を浮かべる亜希に、塚内とホークスは再度、顔を見合わせた。嫌な予感が二人の脳裏をよぎる。

先程ホークスがヒーローと名乗った時、彼女は「何を馬鹿なことを」と言わなかったか。剛翼を、ホログラムと言わなかったか。

もし彼女がこの世界の先にある未来から来たのなら、“個性”のことを知っていて当然じゃないのか。もし彼女が生きる時代に“個性”を持つ者が少ないとしても、たった百年先の未来で、この超常現象を学ばない訳がない。

今度こそ頭を抱えてしまった塚内に代わり、ホークスは動揺しながらも言葉を探した。


「…えーっと…まず、人口の八割が何らかの特異体質のもっている超人社会、それが【今】です」

「…特異体質?」

「特異体質っていうのは、例えば…物凄くパワーが強かったり、炎を操れたり、物を浮かせたり…様々あって、それらを“個性”と言います。俺の“個性”はこの翼で、羽を自由自在に操ったり、飛ぶことができる」


亜希はホークスを見る。赤く大きな翼、その羽の一つを亜希はまだ握っていた。日常に溶け込むホログラム映像とは違う本物の羽は、柔らかくて軽い。


「ほとんどの人の見た目は貴方と変わらない。でも俺みたいに翼が生えていたり、ウサギの耳が生えていたり…姿形が普通の人とは違う“個性”も多い」


ホークスのゆっくりとした口調に亜希は徐々に現状を理解していく。思い出したくもない程の怪我を負った重症の自分を治療してくれた人も、きっと“個性”とやらを使って治してくれたのだろう。亜希がいた時代の医療は日々猛スピードで進化しているが、それでもあんな怪我を一日で治せる訳がなかった。傷口に僅かな熱はこもっているが、それだけ。こんなことができるなんて、まるで…


「…魔法みたい」


そう呟いた亜希の言葉が病室に響く。違う次元の世界に来てしまったことを諦めに近い形で認めた彼女に、ホークスはなんと言葉を掛けたらいいのか分からなかった。

百歩譲って、自分が生きる世界の過去であったなら少しはマシだったかもしれないのに。よりにもよって超人溢れるコミックのような世界だなんて。逆に、もし自分が“個性”の無い世界に突然飛ばされてしまったら、この背中の翼はどう思われるのか…考えただけでもゾッとする。

亜希もホークスも黙ると、頭を抱えていた塚内が顔をあげた。


「…立花さん。君はこの世界に来る直前、何をしていたか覚えているかい?例えば電力が集中する場所にいたとか、なんでもいい、教えてくれないか」

「確か…ノナタワーから落ちた、って…」


亜希が答えるよりも先にホークスが答えた。亜希は小さく頷く。その瞳に滲んだ小さな恐怖の色をホークスは見逃さなかった。


「…私は、ある事件の容疑者を追ってノナタワーへ行きました。そこで戦闘になり屋上から投げ落とされました」

「容疑者の男って…マキシマ?」


亜希が昨晩呟いていた単語を言うと、彼女は驚いたようにホークスを見る。


「なんで、その名前を…」

「俺に銃を向けながら呟いてましたから」

「…ああ、薄っすらと覚えています。申し訳ありませんでした」


頭を下げる亜希に、ホークスは気にしないでくださいと言った。突如よく分からない奴が目の前に現れたら誰だって警戒するだろう。
気まずそうに顔をあげる亜希に、塚内はさらに言葉を続ける。


「そのノナタワーは、観光スポットか何かかな?電力会社とか…」

「いいえ、厚生省が管理する本部のビルで…」


そこまで言いかけて、亜希はノナタワーに突入する直前に入った同僚の常守からの通信内容を思い出した。


「シビュラシステムの通信経由点、それがノナタワーです!奴は…槙島はきっと本体を壊そうとしている!」

「…シビュラシステムが、集中する場所…」

「しびゅ…?」

「シビュラシステム…私達の生活になくてはならない膨大なシステムです。そのシステムの本体が一点集中している場所が…ノナタワーです」


聞き返す塚内に、亜希は絶望に染まった記憶を呼び起こす。

落下していく時、ノナタワーは淡く光っていた。




20200614


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