行き過ぎた行動


「立花さん、おはよう。今日もよろしく」

「おはようございます、車回してもらってすみません」


いやいや、ついでだから。と笑う塚内は、助手席に乗り込んできた亜希がシートベルトを着用したのを確認し、公用車を発進させる。昨日に続き今日も二人で雄英高校の見回りだ。亜希も運転免許は持っているが塚内は運転するのが好きらしく、いつも甘えさせてもらっていた。基本的には安全運転をしてくれる上司だが、たまに荒くなるのは気にしないフリをする。


「ホークスがこっちに来てるんだって?」

「え、なんでそれを…」

「昨日本部で見たって三茶が言ってたんだ。どう?仲良くやってるかい?」


優しく笑いかける塚内の言葉に亜希は一瞬いろいろと思い出して赤くなりかけるが、首を僅かに振って平然を保ち、「…はい」と頷いた。三茶とは塚内が信頼を寄せる部下の一人で、猫とそっくりの見た目をしている玉川である。彼に昨日の一部始終を見られたのか気になるが、恥ずかしいので考えるのをやめた。


今朝。

ホークスの腕の中で目覚めた彼女は彼を起こさないようベッドを抜け出し、物音を立てないで身支度をしていたのだが。手首や太ももに付いている僅かな痕に驚いたり、乾燥機に入っていた衣類の残骸に戸惑ったりしている内にホークスは起きてしまい、また散々揶揄われ、キスを繰り返され…大変だった。手首を撫でながら「見えないとこにも痕いっぱい付けちゃった」と嬉しそうに笑う彼に赤面し、朝からかなり疲れたのだ。彼の愛情表現の大きさに慣れる日はくるのだろうか。

自分より出勤時間が遅いホークスに洗濯物を任せ、亜希は持っているスーツの中で一番袖が長いジャケットとブラウスを選んだ。といっても腕を伸ばせば手首は丸見えになってしまうのだが、しかし腕時計型デバイスが無い今、手首を隠せる物を持っていない為どうしようもなかった。太ももの痕は他人から見られる心配はないし、どちらも色濃く残っている訳ではないのだが…明らかに縛られたような痕を誰かに気付かれでもしたら恥ずかしさで死んでしまう、と内心で思っている。

そんなことを考えていると、雄英高校付近に到着した。まだ生徒が登校する前だというのに既に多くのマスコミが張っている。亜希は仕事モードに気持ちを切り替え、隣の塚内を見た。


「運転ありがとうございました」

「どういたしまして。ここでしばらく見張ってようか」

「はい」


スモークガラスで中が見えないシルバーの公用車を木影に停めた塚内は、「今日も何も無ければ良いんだけど」と苦笑する。

高校側から警察に見回りの要請は入っているが、現段階で問題を起こしている訳ではなく、報道の自由もあるのでマスコミを直接規制することはできない。

基本的に事件が起きてから動くのが警察だ。しかも、ただでさえ忙しいので見回りだけで大量の人員を割けない。その為、少人数でコッソリと監視する方法が一番合理的だった。塚内と亜希以外の数人の警察官も、何台かに別れて公用車から見回っている。


「生徒達が登校してきましたね」

「だな…あーあ、早速捕まってる」


一人の男子生徒を囲むように報道陣が動き出した。窓を少し開けて耳を澄ますと、「オールマイトの授業はどんな感じです?」と言った質問が矢継ぎに飛び、生徒はオロオロとしながら言葉を濁して校内へと走っていく。

続々と登校してくる生徒達に対してマスコミはインタビューを続けており、「“平和の象徴”が教壇に立っている様子は?」と聞かれた女子生徒が「えー…と、筋骨隆々!」と答えていたのには、亜希も塚内も思わず笑ってしまった。


「…でも、どうしてNo.1ヒーローが教師に転身したんでしょうか」

「うーん…まあ色々あって。また立花さんに紹介するよ。オールマイト」

「お知り合いですか?」

「長く刑事をやってるからね。楽しみにしといて」


亜希は小さく頷く。
警察に正式に採用されてから、主に東京近辺で活躍するプロヒーローリストを見た。ヒーローと警察は密接で敵逮捕には二つの組織が協力しなければならない。だから顔を合わせる機会があれば仲良くなっといた方が役立つよ、と塚内から教えられていた。

世間的に警察は“敵受取係”と揶揄されているらしいが、そもそも警察は派手に動き回る組織ではない。地道な聞き込みや捜査を進め犯人を追っていくのだ。その捜査の結集、一番の醍醐味である“逮捕”という手柄を「ヒーローに取られた」と思い込み、不満を口にする警察官は多くいるらしい。ヒーローと警察は決して100%良好な関係ではないが、亜希は犯人が捕まればそれで良いので特に何も気にしていなかった。人付き合いは得意ではないが、事件の早期解決の為なら尽力するつもりだ。

プロヒーローリストにはテレビで見ることも多いヒーローがたくさん載っていた。オールマイトはもちろん、その“個性”ゆえに地方ヒーローだが全国的に活躍しているホークスの名前もあり、改めて自分はとんでもない人と関係を持っているのかと驚いたものだ。


「オール…小汚っ!なんですかあなた?!」

「彼は今日非番です。授業の妨げになるんでお引き取りください」


聞き覚えのある声に顔を向けると、昨日顔を合わせたばかりの相澤がリポーターに対し、しっしっと手を振っていた。亜希はなんとなく気まずく、塚内にバレないように溜め息を吐く。ホークスがヤキモチを焼いてくれたことは嬉しいが、仕事で顔を合わす機会が多い相澤との距離感が難しい。こちらに気付いていないようで安堵する。


「ちょっと!少しでいいのでオールマイトに…」


そっけない相澤の態度にイラついた様子の女性リポーターが、雄英校内へと足を踏み込む。その瞬間ブザー音が響き、入り口の門に厳重な扉が現れ遮断された。あまりの勢いに亜希が呆然としていると、塚内が「あー…全く、」と口を開く。


「あれね、雄英バリアーっていうんだ。関係者以外が立ち入ると強制的に締め出される。マスコミもヒートアップしているし注意しに行こうか」

「…はい」


未来のヒーロー達を守る重厚な扉に阻まれた報道陣は、ザワザワと戸惑っている。運転席のドアを開ける塚内に続き、亜希も外へ出た。




▽▽▽




塚内と亜希は報道陣に厳重に注意をしたのだが、彼らは撤退する様子を見せない。何か問題が起こってはいけない為、引き続き高校周辺を公用車でゆっくりと走りながら見回る。


「それにしても広いですね。どこまで敷地なのか分からないです」

「ははっ、国立だからな。授業によっては学校内なのにバス移動することもあるらしいよ」

「…すごいですね」


小高い山の上にそびえる名門は亜希の予想を遥かに超える規模だ。大事な生徒を守る為にいくつかあった正門以外の扉も全て雄英バリアーなるもので閉じられている。高い外壁から見えるビルのような建物は校舎だろうか。そんなことを思いながら亜希が外を注視していると塚内のスマートフォンが着信を知らせた為、道の端にハザードランプを灯して停める。


「あ、三茶だ…もしもし、どうした?」


電話に出た塚内は、「なんだと?!」と声を上げて亜希を見た。電話口から漏れる玉川の声に、彼女も耳を澄ます。


『看守が一瞬目を離した隙に…体内に猛毒を隠し持っていたようです』

「…クソ、結局何も聞けなかったって訳か」

『手掛かりになるかは分かりませんが、奴は最期に「英雄症候群の病人達の行く末を見られないのは残念だ。あの無個性の女のように、強くいられるかな」と呟いていたそうです』


亜希の頭に、一人の男が浮かぶ。金色の瞳と灰白色が印象的な、二つの世界に存在した犯罪者が。

黙り込む亜希を横目に一言二言交わした塚内は電話を切り、彼女に向き直った。


「…マキシマが、獄中で自殺したらしい」


マキシマ ショウゴ。このヒーロー社会を壊そうと、自身の“個性”【製薬】で創った、“個性”の威力を高めるブースト薬をばら撒いていた人物。

亜希とホークスの身を挺した戦いにより奴を逮捕した。マキシマは瀕死状態で長く意識不明が続いており、極悪犯罪者専用監獄タルタロスへ収監された後は監獄内で治療を受けさせていたのだが。つい先程、意識が戻り。いつから隠し持っていたか分からない毒で服薬自殺をしたと。


「“個性”制御装置を付けていたのに…迂闊だった。何処にブースト薬を撒いたのか、一から捜査しないといけないな」

「そう、ですね…」


呆気ない、死。死ぬよりも苦しい監獄で生きることを、奴は拒否したのだろう。


「…無個性の女、ってのは、君のことかな」

「…おそらく」


亜希はぼんやりと、マキシマの顔を思い浮かべる。


「君は“個性”もないのに、僕に挑んでいるのか。面白い、興味が湧いた。これで君を殺す」


至極楽しそうな笑みを浮かべて、剃刀を構えた姿が鮮明に蘇る。左肩と、そして腹部の傷が、痛む気がした。


「…まあ、死んだものは仕方ない。全国の警察とヒーローにブースト薬の情報を提供して、似た症状を発症する者がいないか目を光らせてもらおう」

「…私の手で拷問でも何でもして吐かせてやりたかったので、残念です」


静かに言う亜希に、「立花さん怖いよ…」と塚内が苦笑するが、これは彼女の本音だ。自身もホークスも散々痛みつけられ、たくさんの人がマキシマの犠牲になったのだ。自分だけ簡単に、楽に死ぬなんて許せない。
そうは言っても、もうどうしようもないのだが。それでも言いようのない悔しい感情が心に広まる。

その時、車に搭載されている無線機から『塚内警部!現在の位置は?!』と切羽詰まったような音声が響いた。本部で通信を管理している課からの連絡だ。


「雄英正門から少し離れた場所だ、何かあったのか?!」

『正門が何者かによって突破されたと高校から通報が!一番近いのは警部です、至急現場へ!』

「分かった!」


飛ばすよ!と言った塚内がアクセルを思い切り踏み、いきなり全速力で走り出す公用車。突然のスピードに亜希は咄嗟に助手席の窓の上についているアシストグリップを両手で掴む。とんでもない速さに亜希は若干の冷や汗を掻きつつ塚内の運転の荒さを思い出した。普段は温厚な上司だがハンドルを握るとたまに人が変わったようになるのは、これで数回目である。

ほんの一瞬で正門に到着した二人は、無残な姿に成り果てた雄英バリアーを見て驚いた。あんなに厳重だった重厚な壁が粉々に壊されていたのだ。急いで車から降り駆け寄る。


「校舎内にマスコミが入り込んだ…この破壊の仕方はおかしい、追おう!」

「はい」


ビルのような校舎から少し騒がしい音が聞こえ、塚内と亜希は走り出した。広い校舎内へと一気に突き進むと鳴り響く警報音と『セキュリティ3が突破されました、生徒の皆さんはすみやかに屋外へ避難して下さい』との放送。段々と大きくなる悲鳴のような喧噪に、亜希は走りながら腰のホルスターから拳銃を取り出した。


「待って立花さん!銃はダメだ、生徒も大勢いるし危ない!」

「大丈夫です、実弾は抜きました」


銃を片手に走る亜希は速く、追いつけない塚内は「なんて準備の良さだ…」と呟くが、彼女には聞こえていないだろう。

亜希はしばらく突き進むと、奥まった場所に群がる集団を見つけた。


「オールマイト出して下さいよ!いるんでしょう?!」

「非番だっての!」

「一言コメント頂けたら帰りますよ!」

「一言録ったら二言欲しがるのがアンタらだ」


微かに聞こえる押し問答の中に相澤の声がある。教師達が必死で生徒達を守っているのが分かった亜希は、周囲を確認してから右手に握る拳銃を天井に向け、

発砲。空砲だが、威力のある音が響いた。

突然の銃声に辺りは一瞬で静まる。恐る恐ると振り返る報道陣は、銃を見て息を飲んだ。亜希はゆっくりと口を開く。


「全員、今すぐここから出ろ」


冷たく言い放つ亜希の言葉に、リポーターは「貴方はさっきの警察…!」と声を上げた。今朝注意したマスコミの一人だ。続いて、「なんて横暴なんだ!」「報道の自由を奪うつもりか!」と文句の声が次々と沸き起こる。亜希は迷うことなく再度、引き金を引いて発砲した。それから銃をマスコミがいる方へ向ける。「ひっ…!」と小さな叫び声を出すリポーターは思わず後退った。


「正門の破壊、不法侵入、教師への公務執行妨害…この数々の暴挙、ヴィランと見なして逮捕されたいか」


次は実弾を込める、と亜希が言うと、報道陣は口を噤んで目線を彷徨わせる。その中の一人がこっそりとテレビカメラを亜希に向けようとしたのを、追いついた塚内が止めた。


「…撮るんじゃない、お前たちの行動は行き過ぎている。さっき注意したのを忘れたのか」


塚内が警察手帳を片手に睨んで言うと、カメラマンは大人しく従い俯く。微かに聞こえるパトカーのサイレンだけが響く中、報道陣は銃の構えを解かない亜希にビクつきながらも渋々と足を動かし外へ出た。
やがて駆け付けた他の警察官達と共に報道陣を完全に敷地内から撤退させ、雄英バリアーを破壊したのは誰かを一人一人に尋問する。不思議なことに全員が口を揃えて、気付いたら門が崩れていた、と言った。

結局犯人は分からないままマスコミは解散し、塚内と亜希を含む数人で破壊された門を調べることに。


「…塚内さん、と…亜希、」

「ああ、イレイザー。大変だったな」


控え目に声を掛けてきた相澤は昨日の今日で気まずい為、亜希の方は見ずに近付いてくる。亜希も軽く頭を下げて目を逸らした。そんな二人に気付かない塚内は「お騒がせしたね」と笑っている。


「ありがとうございました。まあ、さすがに校内で発砲するのはアレだが…助かった。礼を言う」

「…いいえ。教師も大変ですね」


素っ気なく会話する二人に、相澤の後ろにいた人物が口を開いた。


「なになに?この可愛い子ちゃんとイレイザー知り合いなワケ?!」

「…マイクうるさい」

「紹介してくれよ!HEYHEY〜!俺はプレゼントマイク!イレイザーの同期で友人だぜ!よろしく!」


自分で自己紹介してるじゃねえか…という相澤の呟きは山田の大声で遮られる。前のめりの山田に亜希は驚きつつ、目線を合わした。


「初めまして、刑事の立花亜希です。よろしくお願いします」

「亜希ちゃんな!さっきはクールで痺れたぜ〜!なあなあ彼氏いんの?!俺立候補しちゃおっかな〜!」

「な…!オイやめろ!こいつに手を出すんじゃない!」


軽口を叩く山田に、相澤は必死の形相を向ける。


「えっなんだよ、…ハッ?!まさかお前の女…?!」

「んな訳ねえだろうが!それ以上何も言うな!」

「なんだってんだよ〜、って痛っ、おいイレイザー髪掴むなよ!痛い痛い!」


ホークスの殺気の籠った視線を思い出した相澤は悪寒を感じながら山田のセットされた髪を掴み、「もう昼休みも終わりだ、授業に戻るぞ」と歩き出す。あの男はどこで何を聞いているか分からないのだ。ドスの効いた声で「次はありませんよ」と言われている相澤は内心で冷や汗を掻きつつ、喚いている山田を横目に塚内と亜希に振り返る。


「…じきに校長が来ると思うんで、後はよろしく頼みます」


亜希ちゃん、またね〜!と手を振る山田に、彼女は戸惑いながらも頭を下げた。そしてすぐに砂状になった門の残骸に視線を向けて調査に戻ったので、


「イレイザー!なんだよ引っ張りやがって、まだ時間あるだろ、もっと亜希ちゃんと話したかったのによ〜」

「…悪いことは言わない。いいか、アイツだけは止めとけ、痛い目見るのはお前だぞ」

「んだよ、あんな美人滅多にいねーってのに…もう誰かのモンなのかあ?」

「ああそうだ、気安く手を出していい相手じゃない。本当殺されるぞ」

「え、…お、おう…」


血走った目で言う相澤と、そんな彼に気押された山田の会話には、気付かなった。




20200807


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