最高の幕開け


「亜希さん…」


ぎゅう。大好きな人を力いっぱい抱き締めながら、ホークスは呟く。久しぶりの彼女の匂いと温もりが愛しくてたまらない。自分とは違う柔らかい髪に鼻を埋め、細い体と隙間なく密着。それから少しだけ顔を上げて、腕の中の亜希を見つめた。


「…亜希さん、会いたかった」

「…私も」


目を細めて笑う亜希につられるように、ホークスも笑う。彼女の顔を見ただけで疲れが一瞬で吹き飛ぶから不思議だ。全身に広がる幸せを感じつつ、ずっと触れたかった赤い唇にキスを落とそうと顔を近付ける。が、亜希は腕の中からするっと抜け出してしまった。


「…お腹空いてるでしょ?晩ご飯作ってるから、温めるね」

「え…あ…うん…」


…今、避けられた?ホークスのそんな思いを知ってか知らずか、亜希はカウンターキッチンに足早に向かっていく。リビングに取り残されたホークスからは彼女の表情は見えない。ホークスは行き場の失った両手をぎこちなく下ろしながら、バレないようにジャケットの匂いを嗅いだ。


「(ぶっ飛ばしてきたから汗かいたし…クサかったんかな…)」


不安になりながら確認するも、別に気になる程ではない。でも絶対に避けられたような気がする。久しぶりに会えたのだからキスの一つや二つ、挨拶がてらにしてくれたっていいのに…。なんとなく物悲しい気持ちになりつつジャケットを脱ぐと、ホークスの仕事用スマートフォンが鳴った。画面を見れば相棒からの着信。何か事件でも起きたのかと思いすぐに通話ボタンを押すと、途端に相棒の大声が響いた。


『ホークス!!何やっとん!!』

「え?いきなりどうしたんです?」

『ニュース!いいからニュース見て!』


相棒の慌てた声に驚きつつ、リビングで付けっぱなしだったテレビを見る。天気予報を終えたキャスターが今日のニュースのまとめを簡単に説明しており、その中に一瞬、自分の写真が流れて、ホークスは目を見開いた。


「…何、今の」

『見た?!熱愛報道されとうよ?!』


とんでもない言葉にホークスの手から脱いだばかりのジャケットが落ちる。あまりの事態に絶句していると、電話向こうで相棒が溜め息を吐きながら続けた。


『…この写真はもう削除されてる。でもスクショがネットに拡散されとって…さっき速報で流れてた』

「速報?!」


思わず振り返って亜希を見る。さっき、自分がベランダに降り立った時…彼女はテレビの前で正座をしていなかったか。


『彼女さん大丈夫?見てなかったら良いけど…』


相棒の心配そうな声を聞きつつ、ホークスはゴクリと唾を飲んだ。彼女は鍋をかき混ぜたり何かを皿に盛ったりと忙しそうで、普段となんら変わりない様子に見える。しかし、なんとなく、表情が曇っているような…


「…もう、遅いかも」

『…マジで…何やっとん…』

「いや…待って、本当に何もないんですって…!」


相棒は呆れたように、『分かっとうよ。事務所から否定文出しとく…でもホークスも軽率な行動は慎むように!彼女さん悲しまたらいかんで!』と語尾を荒げて、電話を切った。

ホークスは呆然としながらソファーに座り込む。最悪だ、やっと愛しの彼女に会えたっていうのに、こんなタイミングで根も葉もないスキャンダルをすっぱ抜かれるなんて。


「(…どうしよう、なんて説明したら…)」


ホークスは頭を抱えながら、数時間前の出来事を思い出した。





▽▽▽





今日はファットガムとのチームアップ、そして、愛しい人に会える日だ。やっとこの日が来たと思いつつ、ホークスは早朝、亜希に『20時頃には行けると思う。また連絡します』とのメッセージを送り、大阪へ。

――亜希と会える目途が立ってたからの彼の二週間は、忙しいものだった。連日流れるヒーロー殺しのニュースに感化されたのか、敵の暴動が急増したのだ。それに加え、職場体験として常闇が来たのである。ヒーロー免許を持っていない学生を現場に連れて行くことは神経を使った。大事なヒーローの卵に怪我をさせる訳にはいかない。
…と言っても、ただ後を追い掛けさせただけで個別指導や特訓などは何もしていないのだが。

何も得られなかった常闇が悔しそうな表情を浮かべながら東京へと帰ったのが、昨日。そして同時刻、ヒーロー殺しが逮捕された。功労者はエンデヴァー。連続殺人犯を逮捕したとなると、これから警察は益々忙しくなるだろう。彼女は忙殺されていないかと、ホークスは亜希のことを思った。

亜希とは定期的にメッセージのやり取りをしている。一日一通ではあるが、あの連絡無精な彼女がマメに返信してくれることが嬉しいやら申し訳ないやら、でもやはり嬉しい気持ちが大きく、彼女の優しさを身に染みていた。

残念ながら亜希は仕事が立て込んでいるようで休日は取れなかったらしい。一緒に過ごせる時間はきっと少ないだろう。でも、やっと会えるのだ。亜希が忙しいのなら代わりに家事をやってあげよう、ご飯もたくさん作ってあげよう。たくさん抱き締めて、キスをして、それから…。

そんな幸せな想像をしながら、剛翼を羽ばたかせてファットガムに指定された場所へと向かう。


――そうして、大阪。規模の大きな設立パーティーの警備とあって、召集されたヒーローの数も多い。約束の時間より数分前に到着したホークスが会場内を見渡していると、ファットガムが大きな体を揺らしながら駆け寄ってきた。


「ホークス!来てくれてホンマおおきに!」

「おはようございます。昼飯のたこ焼き、忘れてないですよね?」

「もちろん!美味い店の個室予約してるから、腹一杯食ってな!」

「おお〜準備がいい、楽しみにしてます」


そんな言葉を交わしつつ、ファットガムに手渡された会場内の見取り図を頭に叩き込んでいく。ホークスの警備場所はファットガムと同じ出入口付近だ。早速持ち場につこうと二人が一歩踏み出した瞬間、ふいに背後から「やあやあ二人とも!」との声が掛かり、振り返った。

そこには、いかにも高級そうなスーツに身を包んだ初老の男性と…一人の女の子。ホークスは一目で、この二人が自分を大阪に呼んだ張本人かと察し、営業スマイルを浮かべる。


「ファットガム、それにホークス。よく来てくれた!」

「おはようさんです。お約束通りホークス連れてきましたで〜」

「初めまして、ホークスです」


大阪府議員の男性が愛想の良い笑みで右手を差し出したので、その手を握って握手を交わした。すると、男性の隣で熱い視線を向けていた女の子が突然グイッと顔を寄せてきて、ホークスは思わず仰け反るように後ろに一歩引き下がる。ギョッとする彼に構うことなく、女の子はニッコリ笑った。


「ホークス!わあ、本物…!あたし…あなたの大ファンなの!会えて嬉しい!」


そのまま抱き着かれそうになり、咄嗟に避ける。勢い余った彼女が転ばないように剛翼を数枚飛ばし、支えることだけは一応忘れなかった。「なんで避けるの〜」なんて口を尖らせている女の子に驚きつつ、ホークスは営業スマイルを崩さずに口を開く。


「…えーと、応援ありがとうございます。危ないんで、飛び付くのは止めてね」

「ホークスだったら受け止めてくれると思ったの!」

「はっはっはっ、やめないか。ホークスが困っているだろう?」


はしゃぐ女の子の肩に手を置き、笑っている議員の男性。ホークスが横目でファットガムを見ると、彼は口パクで「なんかごめん」と眉を下げている。関西人特有の距離の詰め方なのか何なのか…やたらと馴れ馴れしい二人に内心、面倒そうな親子だなと思ったのは内緒だ。

さらに男性――父親は、誰も聞いていないのに自分の娘がどれだけ優秀なのか勝手に語り出した。女の子――娘は二十歳、現在大学生。卒業後は海外留学が決まっており、将来は医者になるとかならないとか。高校生の頃は読者モデルもしていたらしく、自慢の娘なのか父親の口は止まらなかった。

確かに娘は可愛らしい顔立ちをしている。スタイルも良い。だがホークスにとって世界で一番可愛いのは、もちろん亜希だ。亜希に比べたらどんな女も霞んでしまう。いくら娘が可愛かろうが凄かろうが、心底どうでもいい。それを顔に出さないように「素敵な娘さんですねえ」と棒読みのお世辞を言うのは中々大変だった。あまりにも感情の籠っていない言い方にファットガムは冷や汗をかいていたが、父親と娘は何も気にすることなく喜んでいたので、ホークスはやれやれと肩を竦める他ない。


「おっと、もうこんな時間か。では二人とも、警備を頼んだよ」

「じゃあねホークス、また後で!」


好きなだけ喋った父親は娘を引き連れて会場へと戻っていく。そんな二人の後姿を見ながら、ファットガムは小さな声でホークスに耳打ちした。


「すまん…あのお偉いさん、大阪府ヒーロー協会に多額の寄付してくれとってな…無下に出来へんのや」

「…別にいいですよ。それに挨拶もしたし、もう関わらないでいいでしょ?」

「せやな!気を取り直して仕事しよか」


大規模なパーティーには多くの参列者がいる。こんな大勢の中で、あの親子と顔を合わすことはないだろう。そう思いつつ、ホークスはファットガムに続いて持ち場についた。

…しかし数時間後、少し遅めの昼休憩。約束通りファットガムが予約した個室のたこ焼き屋に向かおうと二人で会場を出た瞬間、なんと、あの親子と鉢合わせしてしまった。


「やあ二人とも!これから休憩かい?」

「そうです〜ホークスにたこ焼き食べてもらおうと思いまして」


父親の問いかけにファットガムが返事をすると、父親は閃いたとばかりに両手をポンと叩く。


「ちょうど良かった!なら、娘も一緒に連れて行ってくれないか?」

「「へ?」」


思わぬ言葉にファットガムとホークスの声が重なる。娘は目をキラキラさせて二人を見た。


「え、いいの?!是非連れてって!」

「い、や〜…あの、それはちょっと…」


ファットガムが困り顔で断ろうとするも、父親は笑顔で続ける。


「実は我々も昼食がまだなんだ。挨拶回りで忙しくてね…しかも私はこれから重役会議に出ないといけない。でもこんな広い会場に娘を一人にするのは気が引ける。そこで君達二人に昼食の間だけ、ボディーガードをお願いしたいんだが」


ホークスは絶対に嫌だった。ファットガムがいるとはいえ、自分のファンと明言している異性と長時間、共に過ごすことは避けたい。余計なトラブルに繋がりかねないからだ。しかし、立場上ハッキリと断れないファットガムがオロオロしている様子がどうにも不憫に見えてしまい、助け船を出せるのは自分しかいないのか…と、半ば諦め近く、了承したのだが。


――これが、そもそもの間違いだった。


たこ焼き屋。四人掛けの個室、座敷席。体の大きなファットガムは一人で二席使うので、娘は当然ホークスの隣に座る。そして、やたらと引っ付いてきたのだ。「あたしのオススメは明太子マヨです〜!」だの「ポン酢も美味しいですよ、ハイ、あーん」だのと、とにかくホークスに触れようとしてくる。ホークスが迷惑そうな顔で「離れてください、自分で食いますから」とハッキリ口にしても、娘はホークスに構い続けた。


「(…鬱陶しい)」


ファットガムはこの状況が気まずいのか、黙々とたこ焼きを焼いてはホークスの皿にそっと乗せてくれている。それに礼を言いつつ、ホークスは娘を無視して自分で食べた。やたらと纏わり付いてくる娘の香水がキツイ。香ばしいソースの匂いが台無しだった。

普段はファンサービスを欠かさないホークスであるが、今回は別だった。娘は明らかに自分のことを“ヒーロー”ではなく“一人の男”として見ているのだ。あわよくばお近づきに…なんて魂胆が見え見えである。しかも、拒絶の態度を全面に出しているのに全く気にする素振りを見せない。非常に厄介で面倒すぎる。

せっかくの奢りだというのに香水のせいで胸焼けし、ろくに食べられず、あっという間に昼休憩も終わりの時間。そろそろ仕事に戻ろうかとファットガムと話しつつ食事を切り上げようとした時、娘が上目遣いでホークスに詰め寄った。


「ねえホークス!一緒に写真撮って!」

「え」

「いつもファンと写真撮ってるでしょう?ずっと羨ましかったの!」


ホークスは地上に降り立った時、写真を撮ってと言われることも多い。ツーショットをSNSに上げるファンも多く、娘もそれを知っていたのだろう。気乗りしないがホークスが机を挟んで目の前にいるファットガムを見れば、苦笑しつつも「俺が撮ったろか?」なんて言われてしまった。このまま断れば駄々を捏ねられるかもしれない…さっさと撮って仕事に戻るか…そう思い、仕方なく「一枚だけなら」と頷いた瞬間。娘は自分のスマートフォンを片手にホークスの腕にぎゅっと抱き付き、なんと自分の胸を押し当てるように全体重をかけてきた。


「ちょっ…!」


何するんだ。その言葉を口に出そうとしたが、一層強くなった香水の匂いに咄嗟に剛翼を一枚飛ばし、触れそうになった娘の唇と自分の頬の間に忍びこませる。ギリギリ娘に触れられることはなかったが、遅れて聞こえたパシャリというシャッター音に、ついにイライラの限界を超えてしまったホークスは、腕に巻きつく娘を思い切り振り払った。


「…何?」

「えー、キスくらい別にいいじゃない、減るもんじゃないし」


悪びれる様子のない娘の行動に、ファットガムはビックリしたまま固まっている。ホークスは冷たい視線を娘に向けた。先程までとは違う怒りを露わにした表情に、娘は思わず息を飲む。


「…俺はヒーローだ。ファンでいてくれることは嬉しい。でも、こんな迷惑行為をするような人はファンだと思えない」

「な、迷惑行為って…」


怯む娘に、ホークスはさらに続けた。


「迷惑に決まってるでしょ。そういう写真を撮られたらヒーロー活動に影響するって分からないかな。スキャンダル捏造して楽しい?」


低い声に、娘は狼狽えながら答える。


「…で、でも、みんな撮ってるし…」

「…あのさあ、本当にSNS見てる?みんな節度を守ってくれてる。君みたいに度を超すようなことはしてないし、俺の嫌がることもしない」


これまでにも、ホークスのサービス精神を勘違いしてパーソナルスペースに踏み込んで来る女は何人かいたが、この娘ほど図々しい女は初めてだった。


「その写真はすぐに消してください。それからもう俺には関わらないで。ファットさん、この子が写真消したか確認お願いします。俺は先に会場に戻っとくんで」


ホークスは立ち上がり、振り返ることなく個室を出る。ファットガムには申し訳ないが一刻も早くこの場から立ち去りたかった。娘が父親に泣きついて問題になったらどうしようかと一瞬だけ思ったが、こっちだって職業柄、線引きはしっかりしたい。それに何より不愉快だ。あの娘はヒーローを何だと思っているのだろう。もし「娘を侮辱された」などと父親に抗議されても正直に全部言えばいい。ウンザリしつつ、足早に仕事へと戻った。

落ち込む娘を引き連れながら遅れて戻って来たファットガムは、「娘さん写真消しとったで。人気者って大変なんやな…色々すまん…」とホークスに頭を下げる。彼が悪い訳ではないので首を横に振り、残りの警備をこなした。

特に問題も起こることなく、夕方。パーティーが終わった頃、父親と一緒に別れの挨拶に来た娘は気まずそうにしながらもホークスをじっと見ていたのだが、ホークスはそれに気付かないフリをして言葉だけを交わし、早々に大阪を出発。


―――そうして現在、東京、亜希の家。

ソファーで頭を抱えたまま項垂れるホークスのスマートフォンが、また鳴る。今度は誰だと画面を見ると相手はファットガム。呆然としたまま電話を取った。


「もしもし…」

『ホークス!ごめん!今速報見たんやけど…俺確認したのに、ああ、もうホンマすまん…!』


開口一番に謝罪したファットガムは、『実は…』と、この熱愛報道の顛末を続けて説明してくれた。

娘が写真を消すのを、しっかりと目視確認した。しかし偶然にも連写モードだった為、一枚だけフォルダに写真が残っていたらしい。それに気付いた娘はホークスに冷たくされた腹いせに、つい自分のSNSに載せてしまったとのこと。しかしアップした写真が一瞬で炎上してしまい、怖くなってすぐに消したが拡散は止まらない。騒ぎを知った父親に問い詰められた娘は正直に、自分がホークスに対してやってしまったことを全部打ち明けた。
そして、娘の失態を知った父親からファットガム事務所に「ホークスに謝罪させてほしい」と連絡があったのが、ついさっき。


「…なるほど」


ホークスはソファーの背凭れに頭を預けて天井を仰ぐ。年頃の娘にキツく言ったことが裏目に出てしまった…が、もう遅い。ネットというものは事実か嘘かは後回しで、一瞬で噂を広めてしまうのだ。あの娘もこれで懲りただろう。反省しているようだし、今更文句を言う必要もない。というか関わりたくない。


『俺がもっと確認しとけば…ごめんなあ…』

「いえ…そもそも俺が自分で操作して消せば良かったんです。でもイライラしちゃって…こっちこそすいません」


あの時、娘のスマートフォンを奪って削除すれば良かったと、遅すぎる後悔をする。数時間前の自分を恨んだ。


『俺のことは構へん。そんでな、父親と娘さんが直接詫びさせてくれって言うてるんやけど…』

「あー…もういいです。うちの相棒が事務所から否定文出してくれるみたいなんで。二人には適当に伝えてください」

『分かった。色々ごめんなあ、今度改めてたこ焼きご馳走させてや』

「ありがとうございます、楽しみにしてます」


電話を切ったホークスが溜め息を吐くと、ちょうど亜希から声がかかった。


「啓悟、ご飯できたよ」

「あ、はい」


振り向きながら立ち上がると、コップを両手に持った亜希と目が合う。思わずじっと見つめると、彼女はきょとんとしながらも小さく笑ってくれた。


「どうしたの?」

「いや…」

「電話、仕事?」

「あー…えっと、うん…」

「そっか」


深く聞いてこない亜希が「食べよう?」と言ってくれたので、ホークスはおずおずと近付く。ダイニングテーブルの上には色彩豊かな和食が並べられており、思わず「うまそう…」と呟いた。メイン料理は鶏肉だ。自分の好物を作ってくれたのが嬉しくて、同時に腹の虫が鳴る。昼、たこ焼きを思う存分食べられなかったせいで、かなり空腹だったことを思い出した。

互いに向かい合って座り、「いただきます」と手を合わせてから湯気立つ鶏肉と大根の煮物を口に運ぶ。ほろほろと柔らかく、甘辛い味付けも好みで、それはそれは絶品だった。


「うまか〜…え、めっちゃ美味しい、亜希さん天才…」

「褒めすぎだよ。でも…良かった」


嬉しそうに笑う亜希は、それ以上何も言わない。ホークスの脳裏に、さっきキスを避けられたのは偶然で、彼女は何も知らないのでは?…そんな甘い考えが過る。しかし、普段の亜希とは少し様子が違うような気がするのも確かで。


「…あの、亜希さん」

「ん?」


…このままモヤモヤするのは良くない。ホークスは意を決し、口を開いた。


「そ…速報、見た…?」


想像以上に小さな声になってしまったが、亜希にはしっかり聞こえたらしい。彼女は一拍の間を置いて、僅かだが、こくんと首を縦に振った。やはり見られていたか…目の前が真っ暗になるような感覚を覚えながらも、誤解は絶対に解かねばならない。ホークスはテーブルに額をぶつける勢いで頭を下げた。


「…本当ごめん!熱愛なんてありえないから!」

「…分かってるよ」


怒られるだろうな、と思っていたホークスは、穏やかな亜希の声にゆっくりと顔を上げた。彼女は困ったような、そしてどこか悲しそうな笑顔を浮かべていて。


「…亜希、さん」

「分かってる。…その、ビックリ、したけど」

「ごめんなさい…」

「…謝らないで。何か事情があったんでしょう?」

「…うん」


勘の良い彼女は察してくれたらしい。ポツポツと事情を説明すれば、亜希は「大変だったね」と労いの言葉まで言ってくれた。自分を一切責めない亜希はこの話題は終わりとばかりに「ほうれん草、茹ですぎちゃったから苦いかも」と明るい口調で話し出す。

「そんなことないよ、美味いよ」と頷きながらも、いっそ怒鳴ってくれた方がマシだとホークスは思った。自分は以前、亜希と相澤の件で盛大に責めたうえに酷いことまでしたっていうのに。優しい彼女は何も言ってくれないので、もう謝ることもできない。

…けれど、ついさっきの傷付いたような表情。あんな顔をするくらいなら、もっと怒鳴って、全部ぶつけてほしかった。

自分はいつだって亜希を独り占めしたいと思っているが、彼女はどうなんだろう。何とも言えない気持ちが邪魔をして、せっかくの手料理が味気なく感じてしまうのが悲しい。それでも絶品なことには変わりないので黙々と食べていると、ふと、ホークスの頭に疑問が浮かんだ。


「…そう言えば亜希さん、今日は仕事終わるの早かったの?」

「え?」

「晩飯作ってくれてたから。ヒーロー殺し捕まったから警察は大忙しだろうし、亜希さんも残業かなって思ってた」

「…えっと、」


ホークスの問いに口籠る亜希。何かを言おうとして、やめて、やっぱり言おうとして…そんな歯切れの悪い様子にホークスは首を傾げる。


「…どうしたの?何かあった?」

「…あの、実は」


亜希は小さな声で、「…謹慎になったの」と答えた。予想外の言葉にホークスは目を見開く。


「謹慎…?亜希さんが?」

「…うん」

「…もしかして、昨日のステイン逮捕に関係してる?」

「……うん」

「え…でも捕まえたのってエンデヴァーさんでしょ?」


言いながら、なんとなく嫌な予感がして目の前の亜希を凝視する。薄手の長袖のTシャツに短パンというラフな服装の彼女は見た感じ、どこも怪我はしていない。以前、雄英体育祭の時にあった頬の傷も今は見当たらないが…でも、


「…まさか、ヒーロー殺しと戦った、とか?そんな訳ないか」


ははは。と続け様に笑ってみると、亜希が「なんで分かったの?」と普通に答えるものだから、ホークスは今度こそ「ええ?!」と大声を上げてしまった。


「え?!マジで?!嘘でしょ、ちょっと、え?!どこも怪我してないよね?!」

「あ…えと…少し…」

「どこ?!」

「いや、全然大したことないよ、掠り傷だから」


亜希は苦笑しながら「…エンデヴァーさんより先に現場に着いちゃって」と続けているが、ホークスは言葉を失ってしまった。

ヒーロー殺し・ステイン。あんな凶暴で残忍な殺人鬼と彼女が対峙していたとは…。亜希は運動神経も抜群だし格闘センスもある。けれど“個性”という武器を持っていないのだ。そんな人間が凶悪な犯罪者と一瞬でも顔を合わせただなんて、あまりの衝撃に寿命が縮まった気がする。


「…でも、なんで亜希さんが謹慎?」

「…それは、言えない」


ごめん、と頭を下げられてしまい、ホークスは口を閉じた。現場で何かあったのだろうが、警察には守秘義務がある。正直ものすごく気になるし何が何でも聞きたいが、問い詰めて彼女を困らせたくはないので、答えてくれそうな質問をすることに。


「…謹慎はいつまでなの?今日?」

「…明日」

「え…明日?」

「うん…だから私、家から出られないの。せっかく東京まで来てくれたのに、出掛けられなくて、ごめんなさい」


悲しそうに目を伏せる亜希とは正反対に、ホークスの脳内は一瞬で喜びに変わった。明日まで謹慎…家から出られない…それはつまり、丸一日以上、彼女とずっと一緒に過ごせるということではないか。

思わず頬が緩みそうになったが、亜希はどうやら落ち込んでいるようなので必死に引き締める。それに自分もあんなスキャンダルがあったばかりなので、外出しない方が身の為だろう。
ホークスはコホンと咳払いをして、俯く亜希に笑顔を向けた。


「俺は、亜希さんと一緒にいられるだけで嬉しい。明日は二人でゆっくりしよっか」

「…うん、ありがと」


礼を言うのはこちらの方だと思いつつ、残りの料理を綺麗に平らげた。謹慎なんて言い渡された亜希はショックだったに違いない。しかしホークスにとっては、最高な休日の幕開けなのであった。



20201119


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