前代未聞の不祥事


―――数時間後、保須総合病院。


「怪我の具合は、どうワン?」

「…大したことありません」


犬面にじっと見下ろされた亜希は、視線を逸らしながら小さく答えた。彼女の目の前には保須警察署署長・面構が腕を組んで立っている。消灯時間を過ぎた病院の待合室には現在二人しかおらず、面構の低い声が静かに響いた。


「君も無茶をしたワンね」


つい先ほど手当てが終わった亜希の左腕、上腕部。破れた袖の隙間からは白い包帯が覗いている。ステインに斬られた傷は意外と深く、薄っすらと血が滲んでいた。
返事をせずに黙り込む亜希に、面構は呆れたように続ける。


「前代未聞だワンよ」

「…」

「警察ともあろう者が、資格未取得者の学生を逃がすでもなく、ましてや彼らの“個性”を用いて危害を加えさせるなんて…これは大いなる規則違反だワン」

「…はい」


亜希は返す言葉もなく、ただ俯く。

――飯田、緑谷、轟。彼らが何故ヒーローコスチュームで集まっていたかというと、職場体験中だったのだ。ホークスからのメッセージで職場体験という訓練が全国で行われていることは知っていたのに、すっかり抜け落ちていた亜希はここにきてやっと、自分がしでかした過ちの大きさに気付いた。


「…学生三人、及び、彼らの保護管理者であるプロヒーローのエンデヴァー、マニュアル、グラントリノ。そして立花刑事。この七名には厳正な処分が下されなければならないワン」

「…生徒達は、どうなるのでしょうか」


ステインは、逮捕した。轟の“個性”と亜希の銃で攻撃を繰り返し、動けるようになった緑谷と飯田も加わって、激しい戦闘の末に確保。その後、突如として現れた脳無に緑谷が攫われステインが彼を救出するというアクシデントに見舞われたものの、最終的にヒーロー殺しの身柄は警察の手に渡った。


「…もちろん、彼らも罰されるワン」


面構の返答に、亜希は生徒達に対して申し訳ない気持ちでいっぱいになる。切羽詰まった状況だったとは言え、ステインを捕まえる為に彼らを利用したのだ。ヒーロー免許を持っていない彼らに“個性”を使わせ、規則を破らせてしまった。名門雄英に属する彼らはどうなるのだろう、謝って済む問題ではない。


「ただし…それは公表すればの話ワン」

「…?」

「明日、本人達に提案するが…今回はステインの火傷痕からエンデヴァーを功労者とし、この違反はここで握り潰そうと思ってるワン」


亜希は顔を上げる。それはつまり、彼らの功績と一緒に、本来受けなければならない処罰も消すということだ。
驚いている彼女を見つめながら、面構は続ける。


「…君も、警察官としては目も当てられない問題行動を起こした」

「…はい」

「とてもじゃないが褒められるものではない…でも、殺人鬼を捕まえてくれたことには感謝しているワン。ありがとう」

「犬面署長…」

「面構だワン」


亜希の失礼な呼び間違いにコホンと咳払いを返した面構は、「しかし、お咎めなしという訳にはいかないのは分かるワンね?」と、つぶらな瞳を亜希に向けた。


「は、はい」


頷きながら、どんな罰なのかと考える。自分の行動は大きな不祥事だ。減給だろうか、給料全額カットも十分にありえるし、まさか…懲戒免職…?
険しい表情を浮かべる亜希に、面構は自身のヒゲを撫でながら静かに告げた。


「謹慎ワン」

「…謹慎?」

「塚内警部に連絡したら、君には今日から三日間の自宅謹慎を命じると言っていたワンよ」

「み、三日?!」


思わず大声を出した亜希に面構は「ここ病院だワン、静かに」と苦言を漏らすが、亜希は絶句して、ポカンと口を開けたまま固まってしまった。


「…塚内警部にちゃんと礼を言っておくように。彼が手を回してくれたおかげで、もっと重い罰則は免れたワン」

「は、い…」

「では私はこれで。失礼するワン」


出口に向かう面構に慌てて頭を下げた亜希は、誰もいなくなった待合室のソファーに腰を下ろし、大きな溜め息を吐いた。


「(謹慎…三日…)」


…明日、彼が来るっていうのに。自宅謹慎ともなれば、自分は家から一歩も出られない。折角の休みに東京まで来てくれるのに、デートはおろか食事に行くことすらも出来ないのだ。彼は呆れるだろうか、怒って帰ってしまうだろうか。ただただ彼に申し訳ない。職を失うことに比べれば随分と軽い罰だが、それにしたってタイミングが悪すぎる。

そんなことを考えながら頭を抱えていると、ふと人の気配がして、同時に名前を呼ばれた。


「立花刑事!」


顔を上げると、緑谷、飯田、轟の姿。入院を余儀なくされた彼らは喉でも乾いたのか、三人とも自販機で買ったと思われるジュースの缶を持っている。亜希はハッとしてすぐに立ち上がり、彼らに頭を下げた。


「…三人共、ごめんなさい」

「え?!ど、どうしたんです?!」

「私は、貴方達を守る立場なのに…戦わせてしまった。…本当にごめんなさい」


明日、面構が直々に彼らと話す。今の時点で亜希の口から詳細を伝えることは出来ないが、それでも、せめて謝罪だけはしなければと思っていたのだ。
頭を下げる亜希に、緑谷が慌てた様子で口を開く。


「そ、そんな…そもそも僕達が勝手に動いたことですし…っていうか立花刑事…ステインと知り合いだったんですか…?」

「え?」

「や、その…ステインが“あの時の女か”って言ってたような…」


亜希は正直に頷いた。


「…うん。前に逃がしてしまったの。あの時私が奴を捕まえていれば、…保須で犠牲者が出ることはなかった」


亜希の言葉に、両手にギプスを巻いた飯田が息を飲む。ハッキリと口にしていないが、兄・インゲニウムのことを言っているのが分かった。


「…飯田君。私の力が及ばなかったせいで、ごめんなさい」


目を伏せる亜希を、彼はじっと見つめた。


「…立花刑事さんが謝ることではありません。悪いのはヒーロー殺しなんですから。それに…」


そう言って、飯田は笑う。


「立花刑事さんの言葉に俺は救われました。もっと…もっと強くなります。だから、ありがとうございました」


飯田にとって、亜希が言った“復讐が悪いことだとは思わない”という言葉は、周りが見えていなかった愚かな自分を唯一、認めて肯定してくれるものだった。あの言葉がなければ、未熟な自分を受け止めきれず弱さに飲み込まれていただろう。ヒーローを志す者が抱いてはならない感情を、警察という立場の亜希に同意してもらえたことで、ほんの少しだけ、許されたような気がしたのだ。そして改めて、兄のようなヒーローになりたいと強く思えた。

飯田の笑顔に亜希も小さく笑みで返すと、ずっと黙っていた轟が、亜希の左腕を見ながら小さく口を開いた。


「…刑事さん、傷は大丈夫ですか」

「うん。まだ少し痛むけど、縫う程でもなかったよ」

「…」


口籠る轟に亜希は首を傾げる。緑谷が「轟くんどうしたの?」と聞くと、轟は冷や汗をかきながら言った。


「…なんか、俺が関わると手がダメになるみてぇな…感じに…なってて…」


思わぬ言葉に、緑谷と飯田が声を合わせて笑う。二人は腕に包帯を巻いており、亜希もまた同じように腕に怪我を負ったことを、轟は何故か気にしているらしかった。


「あっはははは!何を言っているんだ!」

「轟くんも冗談言ったりするんだね」

「いや冗談じゃねぇ、ハンドクラッシャー的存在に…」

「「ハンドクラッシャーーー!!」」


大真面目な轟と、大きな声を出して笑う緑谷と飯田。彼らの様子に亜希も思わず声を上げて笑ってしまった。

…無力な自分だけではステインを捕まえることは出来なかっただろう。けれど、友を助け、友の為に体を張った彼らの協力のおかげで、事件は解決した。飯田にも笑顔が戻って本当に良かったと思う。

院内を巡回中の看護師に「静かにしなさい!」と怒鳴られるまで、亜希は彼らと談笑した。





▽▽▽





「塚内さん、本当に申し訳ありませんでした」

『ハハッ、まあ今回はさすがに俺も肝が冷えたよ』


スマートフォン越しで聞こえる上司の声には疲れが滲んでいる。病院を出た亜希は真っ先に塚内に電話をしながら、路上に停めていたセダン車まで徒歩で向かっていた。


「あの…謹慎中、私が家で出来ることはありますか。脳無のDNA検査の解析とか…何でもやります」


塚内は今、USJ襲撃事件の時に逮捕した脳無の取調べで大忙しである。亜希が公安の任務で本部にいない間も、連日徹夜をしていたのは言うまでもない。


『気にしなくていい。立花さんには復帰後、嫌ってくらい手伝ってもらうから』

「ですが…」

『大丈夫大丈夫。それに君も疲れただろう?一人であんな量の任務をこなして…さらにヒーロー殺しまで捕まえるなんてさ。本当にご苦労さん』


――今回の亜希の不祥事。本来であれば懲戒解雇ものだったが、彼女が所属する公安と警察上層部は有耶無耶にしようとした。しかし罰がないと他の警察官に示しがつかないし、怪しまれる可能性がある。そこで、周囲に分かる罰として謹慎をさせてはどうかと、事情を知る塚内が提案したのだった。

塚内はそれを口には出さず、申し訳なさそうに謝罪を述べ続ける亜希に笑いながら言った。


『今日を含めて三日間。立花さんは大人しく家で反省すること。分かったら帰って休みなさい。いいね?』


優しい上司の言葉。きっと色々と気を遣ってくれたのだろうと察した亜希は、電話越しで深く頭を下げた。





▽▽▽





警察本部から程近い雑居ビルの地下駐車場にセダン車を戻した頃、時刻は日付を大幅に回っていた。亜希は真っ直ぐ家に帰ろうして、ふと自宅に食べ物がないことを思い出す。二週間ほぼ帰っていなかったので当然だった。


「(…一瞬だけ寄らせてもらおう)」


駆け足で近所の二十四時間営業のスーパーへ。謹慎を言い渡されているので寄り道なんて言語道断なのだが、仕方あるまい。引っ掴んだカゴへ手当たり次第に食材を入れていく。明日…というか今日、彼が来るのだ。自宅からは出られないが、せめて彼の好物くらいは作ってあげようと思いつつ鶏肉を手にした時、亜希はとんでもないことに気付いてしまった。


「(…あ!プレゼント!!買ってなかった!!)」


ここがスーパーでなければ、人目がなければ叫び出していただろう、衝撃的な事実。そう、いつも贈り物をしてくれる彼に何かお返しをしようと思っていたのに、すっかり忘れていたのだ。


「(ど、どうしよう…)」


しかし、ここはスーパー。自宅までの帰り道にもコンビニや飲食店しかない。どう考えても今から何か準備するなんて、絶対に無理だった。


「(最悪だ…)」


亜希は激しい自己嫌悪をしながら、でもどうすることも出来ず。あっという間に重くなったカゴを持って、大人しくレジに向かった。

会計後は真っ直ぐに帰宅し、久々の自宅を懐かしく思いながら食材を冷蔵庫に入れた。その後すぐにシャワーを浴びるために浴室へ。左腕の包帯には血が濃く滲んでいる。全部取ると、真新しい傷跡は未だ出血しており、じんわりと鮮血が流れた。お湯が染みて痛いが、我慢して全身の汚れを落としていく。

風呂上がりに新しいガーゼと包帯を巻いてみたものの、自分でやるとどうにも上手くいかない。止血さえ出来ればいいと適当に終わらせベッドに入ると、疲れ果てていた亜希は一瞬で眠りへと落ちていった。


――そうして、目覚ましをセットすることなく眠った亜希が目を覚ましたのは、昼を過ぎた頃。久しぶりにたっぷり寝たおかげで体はスッキリしている。スマートフォンを確認すれば、彼からメッセージが届いていた。


『20時頃には行けると思う。また連絡します』


彼は今日、大阪で仕事だ。亜希は『分かった』と一言だけ返し、昼食として棚に眠っていた袋ラーメンを贅沢に三袋茹でた。麺をすすりながらテレビを付けると、【お手柄エンデヴァー!ヒーロー殺し、ついに逮捕!】とのニュースで持ち切りである。面構の提案を生徒達は受け入れたのだろう、彼らが“個性”を使用したことは一切報道されておらず、安堵した。

食べ終えてから、部屋の掃除でもしようと室内を見渡す。と言っても元々物が極端に少ないので、ベッドのシーツを取り替え、掃除機をかけるくらいなのだが。大して汚れていない水回りも少し磨いただけでピカピカになった。

さて次は料理でもするかとキッチンに立つ。彼の好物を使ったレシピを調べ、失敗しなさそうな鶏肉と大根の煮物を選んだ。他に、ほうれん草のお浸しと、玉ねぎと卵の味噌汁、レタスとキュウリとトマトでサラダを作れば今日の夕食になる。彼が喜んでくれることを祈りつつ、早速調理開始だ。

包丁で豪快に材料を切っていき、それらを鍋にぶち込んで調味料を入れていく。全部目分量だが、まあ大丈夫かという謎の自信で蓋をした。あとは煮込んでおけば完成する。彼が来た時に温めればいい。ほうれん草は少し茹ですぎてしまったが、味付けで誤魔化せばなんとかなるだろう。


「…ふう」


やることがなくなった亜希は一息つきながらソファーに座り、付けっぱなしのテレビをぼんやりと見つめた。相変わらずステインの話題ばかりが流れている。

開け放ったカーテンの向こうで夕日が沈んでいくのが見えた。オレンジ色の優しい暖かさが部屋中に広がって、あんなに寝たというのに再び眠気がやってくる。それを心地よく感じながら、ゆっくりと目を閉じた。

いつの間にか眠っていた亜希は、耳元で鳴った受信音でハッと目を覚ます。プライベート用のスマートフォン、メッセージの相手はもちろん彼だ。


『もうすぐ着くよ。亜希さんは仕事中?』


今頃こちらに向かって飛んでいるのだろう。亜希が『家にいるよ』と送ると、すぐに返事が来た。


『超特急で向かいもす!ベランダ開けといて!』

「もす…」


彼の珍しい打ち間違いに小さく笑う。謹慎になったことは会った時に伝えようと思いつつ、真っ暗になった部屋に灯りを点けた。それからベランダの鍵を開けようと窓辺に一歩踏み出した時、


『え〜ここで芸能ニュース、速報です。ウイングヒーロー・ホークス熱愛か?!』


付けたままのテレビから流れた言葉に、亜希は思わず「え」と声を上げて画面を凝視した。


『お相手は大阪府議員の娘(20)、いやあ〜驚きですね〜』

『女性側が本日夕方、SNSに写真をアップしたことで発覚したようですね。現在その写真は削除されていますが、一瞬で拡散されています』

『場所は大阪の個室たこ焼き屋とのこと。お忍びデートでしょうか』


二人のキャスターの言葉と共に、画面いっぱいに映し出される一枚の写真。今時風の可愛らしい女の子がホークスの腕に絡まりながら顔を寄せて、彼の頬にキスをしている…ような写真だった。


「え…え…?」


思わずテレビに詰め寄り、至近距離で見る。女の子の自撮りのような構図で、二人の距離はかなり近い。ホークスは驚いた表情を浮かべており、完全に不意打ち、といった顔だ。目を凝らして見れば、彼の頬に女の子の唇が触れているのかも怪しい。それでも衝撃的な絵面に亜希は動揺を隠せずテレビの前に正座する。個室に二人きりというのも引っかかったが、中でも一番気になったのは…


「お、大きい…」


女の子の胸だ。彼の腕に押し当てられている胸が、かなり大きい。鎖骨が丸見えのゆったりした襟元からは谷間がしっかり見えており、亜希はつい、目線を下げて自分の胸を確認する。…比べ物にならない。再度女の子の胸を食い入るように見ていると、ふと、雄英体育祭の時に見たミッドナイトと、客席の男性陣が歓喜の声を上げていたことを思い出した。


「…」


…胸、大きい方が良いのだろうか。こんなことを考えるのは人生初である。まだ片手で数える程度だが、彼と触れ合う時に大きさを気にしたこともなければ、彼から何か言われたこともない。けれど、でも。

彼と密着している女の子は守ってあげたくなるような雰囲気で、曝け出されている肌には傷一つない。胸だけでなく全身が柔らかそうで、同性の自分ですら可愛い人だと思ったのだ。つい昨日負ったばかりの左腕の傷が、服の下で痛む。傷だらけの自分とは正反対の、絵に描いたような、女の子。


「(…私なんかより、ずっとお似合いだな)」


そこまで考えて、慌てて首を振った。きっとこの写真は事故だろう。驚いている彼の顔が何よりの証拠だ。元々サービス精神が旺盛な彼のこと、何か事情があったに違いない。分かっているはずなのに、心の中はモヤモヤとして、なんだか、嫌な気持ちで。


『では続いて、明日のお天気です』


戸惑っている亜希を置いていくように画面が切り替わる。同時に、ベランダで物音して顔を上げると、


「…っ」


カーテンを開けっ放しにしていた窓の向こうに、ずっと会いたかった人の姿が。深紅の翼は大きく広がっており、たった今降り立ったばかりの彼の髪がふわり、揺れる。ガラスを隔てて見つめ合った瞬間、満面の笑顔を浮かべた彼の手が窓枠に伸びた。亜希はすぐに立ち上がって窓辺に駆け寄り、慌てて鍵を開ける。


「亜希さん…!」


窓を開けた瞬間に強く抱き締められた。ぎゅうっと力を込められて少し痛い。けれど、


「…啓悟、」


ついさっき見た写真も、感じたモヤモヤも。大好きな人に触れた途端どうでもよくなって、今はただ、やっと会えた彼の体温と匂いを、たくさん感じたくて。

亜希も彼の背中に腕を回し、首元に顔を埋めるように擦り寄った。



20201106
ハンドクラッシャーのくだり、原作と時間軸が違います。どうしても書きたかった…


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