悟った事実


ホークスはビルの屋上から街を見渡していた。剛翼を飛ばし、どんな些細な情報をも逃さないよう注意深く感知していく。神出鬼没の犯罪者、ヒーロー殺し・ステインの情報を集めているのだ。奴は今、最も世間を騒がせている逃走中の殺人鬼であり、犠牲になった同業者の数も多い。昨日、雄英体育祭が行われている裏でターボヒーロー・インゲニウムまでもが襲われて再起不能に陥ったという。ホークスもさすがに驚いたものだ。自分と同じく“速さ”に重きを置いているヒーローがやられるなんて、他人事ではないな、と。

ヒーローネットワークでも注意喚起や目撃証言、警察の捜査状況などの情報が多く流れているが、未だ逮捕には至っていない。九州方面に現れたという噂は聞かないものの、いつどこで姿を見せるか分からない為、こうしてパトロール中に街を観察していた。


「…特に目ぼしい情報はなし、か」


ポツリと呟いた言葉が小さく響く。今のところ福岡は平和らしい。道行く人々の会話にステインの存在を恐怖する声はあるものの、具体的な内容はなかった。
どうするかな、と街を見下ろした時、仕事用のスマートフォンが鳴った。画面を確認し、驚く。連絡を寄越してきたのは随分と久しい人物だった。


『久しぶりね』


ヒーロー公安委員会会長だ。相変わらず抑揚のない声に「どうも」と返事をしたホークスは、ずっと疑問に思っていたことを、つい、口にする。


「…最近、連絡が無いなあって思ってたんでビックリしました。敵連合とかステインとか…厄介な事件が起きてるのに」

『…』

「新しい人員でも、補充したんです?」


ホークスは幼少から公安に身を投じてきた為、内情には詳しい。しかし、自分以外に現場へ行くような人間がいるなんて話は聞いたことがなければ、こんなにも長い期間、任務の依頼がないことも今までになかった。前回の任務からは既に約一カ月が経っている。
事件が起きないほど日本が平和に向かっているのかとも思ったが、逆だ。雄英襲撃事件に、ヒーロー殺し…拡散されていく“敵”の存在に犯罪件数は少しずつ、確実に増加の一途を辿っている。なのに、自分に声が掛からなくなったのは何故か。――それはやはり、他の“誰か”が自分の代わりに任務に向かっているから。そうとしか考えられなかった。
ホークスの確信めいた質問に返答があったのは、数秒後。


『…そうよ。優秀な人材を見つけたの。今はその者に多くの任務を任せている』


静かな肯定の言葉にホークスは息を飲む。やはり、いたのだ。自分以外に。同じようにヒーローを兼業しているのか、それとも専門の工作員として活動しているのか。いつから、どこで訓練していたのだろう。特殊な公安の任務に慣れる為には数をこなさなければならないが、その人物は忙殺されてはいないだろうか。剛翼は凡庸性が高く隠密活動に向いているが、その者も同じような個性を持っているのか。ただ、気になった。


「…どんな人なんですか、個性とかは?」

『答える必要はないわ。そんなことより、貴方に提案があって連絡したの』


問いに答えることなく、会長は一方的に続ける。


『雄英体育祭は観た?』

「へ、まあ…はい」

『なら話が早い、職場体験を受け入れてみてはどうかしら』

「え?」


予想しない言葉に素っ頓狂な声が出る。ホークスはプロになってから体育祭指名をしたことがなかったのだ。何故かと聞かれれば特に理由はないものの、強いて言うなら、そんな暇があるなら事件の一つでも解決した方が良いと考えていたから。


『…貴方も、後進育成をすればいい』


それから会長は『また連絡する』と言って電話を切った。後進育成だなんて。これまで会長の口から出たことのない言葉に、ホークスは暗くなったスマートフォンの画面を眺める。


「…俺が、育成ねえ」


わざわざ、そんなことを言う為に電話してきたのか。任務の依頼かと構えたのに拍子抜けだな、そう思いながらスマートフォンを片付ける。

公安からの仕事がない、なんて本来は喜ぶべきことなのかもしれない。その分ヒーロー業に専念できるし、何より精神的負担を抱えることが無いのだ。それは想像以上に気が楽で、肩の荷が降りた気もする。けれど自分がそうして自由になった分、“誰か”が代わりに苦痛を味わっているかもしれないと思うと、どうにも複雑な気分だった。それに会長が言った、『貴方も』という言葉。公安組織は自分の知らぬ間に駒を増やしていたのだと、今更ながらに悟る。
ホークスは、過去に経験してきた過酷な訓練や任務を思い出した。優秀な人材という、その“誰か”がどんな人物なのかは分からない、しかし。


「…独りじゃないといいな」


知らぬ“誰か”が重責に圧し潰されないことを、静かに願う。一人ぼっちで社会の裏を走り、貼り付けた作り笑顔の下で隠れて泣くような…そんな日々が苦しいことを身をもって知っているから。
今の自分には心の支えとなる存在がいる。全てを曝け出せる、唯一の愛しい人が。その“誰か”にも、自分にとっての亜希のような人がいればと、思わずにはいられなかった。そして、


「…もし、いつか会えたら、」


自分と会えたら、公安の激務について愚痴でも何でも言い合える仲になれるはずだ。先輩としてアドバイスだってしてあげられるし、互いに貴重な存在なることだろう。
…何より、“孤独”ではないことを伝えたい。


「ホント…誰なんだろうな」


その“誰か”に、この思いが届けばいいのに。街を見下ろしながら小さく呟いたホークスは、パトロールへと戻る為、ビルの屋上から羽ばたいていった。





▽▽▽





「さて、どーすっかな…」


夕方。事務所に戻って来たホークスは早速、体育祭指名をどうするか悩んだ。眉間にシワを寄せながらデスクトップに表示されているトーナメント結果一覧と睨めっこ。提出期限は本日二十時。高校側にメールでオファー票のデータを送ればいいので時間はまだあるが、ゆっくり体育祭を見直して誰にするかを決める程の時間はない。昨夜は亜希との久しい電話を楽しんでいた為、流し見しかしていなかったのだ。指名する気もなかったし、考えてもいなかったので仕方ない。そもそも、プロになってからずっとヒーローと公安を兼業している多忙な自分に、後進育成なんてしている暇はなかったのだから。

しかし今はどうだろう。公安の任務を“誰か”が担っている今、自分には時間が出来た。その時間は後世の為に使うべきだろうか。それに生徒から直接、敵連合の話を聞ける良い機会でもある。名門襲撃という大事件の犯人についてだ。誰に頼まれている訳でもないがヒーローとして情報収集だけはしていたので、生の声を聞いておきたい気持ちもあった。
考えに考えた結果、あまり前向きとは言えないが無駄ではないかと、ホークスは会長からの提案を受け入れることにしたのだった。


「第一希望は、…焦凍君かな、やっぱ」


オファー票には第一から第三まで、希望する生徒名を順に記入する欄がある。一番上には体育祭二位の男子生徒の名前を入力した。“No.2の息子”という肩書きは話題性があって良い。次はどうしようかと考え、そういえば同じ鳥仲間がいることを思い出した。


「…常闇、踏影、君か。かっこいい名前」


呟きながらポチポチとキーボードを打って名を入力する。彼は強かった。ダークシャドウという一風変わった“個性”は無敵に近い。が、少しだけ勿体ないと感じたのだ。どうして彼は飛ばないのだろう、と。トーナメントでも力技の攻撃が多かったような気がする。ダークシャドウがどんなものなのか詳しくは分からないが、飛べる奴は飛ぶべきだとホークスは思った。もし飛び方を知らないなら、自分の姿を見て学んでくれればいい。


「第三は…もういいや」


他、特に目ぼしい人物はいなかった為、第三希望は空白のまま書類を完成させてメールを送信した。こちら側がいくら悩んだところで、どこの事務所を選ぶかの決定権は学生にある。考えるのが面倒になったホークスがパソコンの電源を落とし伸びをすると、オフィスチェアーが軋んだ音を立てた。背凭れに体重を預けながら、夕焼けに染まる景色を窓から眺める。相棒達はパトロール中の為、事務所内は静かだ。


「亜希さん、何してるかなー…」


今日の仕事は終わったことだし、とホークスは何となくプライベート用のスマートフォンを取り出す。画面にメッセージ受信のマークが出ていて「え?!」と声が出てしまった。どうして気付かなかったのか、送信者は亜希だ。


『啓悟も気をつけてぬ』

「ぬ、って…“ね”、だよね。急いでたのかな」


短くも可笑しな文面に笑みがこぼれる。返事を送ってくれたのは数時間前。遅めの昼休憩にでも送ってくれたのだろう。ちょうどホークスが会長と電話をしていた時だった。
昨晩、久しぶりの電話で何度も謝罪を口にした彼女は、長く連絡をしなかったことを余程申し訳なく思っていたのか。ホークスが毎日、返事を期待せずに送っていた『今日も事故とか怪我とか気を付けて』といったメッセージに、珍しく返信をくれていた。

画面を見ていると、ただただ嬉しい気持ちでいっぱいになる。素っ気ないような一言でも、一切の音沙汰がなかった頃に比べれば大きな安心材料だ。


「『また電話しようぬ』っと…」


送ってから、思わず声を出して笑ってしまった。こんな下らないやり取りが出来るなんて昨日までの自分からは考えられない。きっと今日はもう返事は来ないだろう、でも、それでも良かった。あの寂しい日々を過ごしたおかげか、たった一通、たった一言だけで心が満たされていくのだ。こんな状態で亜希と会ったら自分はどうなってしまうのか。想像し、苦笑する。おそらく気持ちが溢れてとんでもないことになるのは間違いない。

そんなことを考えていると、デスク上の固定電話が鳴った。ホークスはにやけていた顔を引っ込めて仕事用の表情に戻し、受話器を取る。


「はい、ホークス事務所」

『お、所長本人が電話番なんて珍しいなあ』

「…ん?その声、ファットさん?」

『せやで〜昨日はお疲れさん』


電話口から聞こえる関西弁は、つい昨日聞いたばかりだ。


「どうしたんです?何か会場に忘れ物とか?」

『ちゃうちゃう、チームアップの依頼』

「え、珍しいですね。内容は?」


ファットガムとは他のヒーローを含む大きな任務で何度か顔を合わせたことはあったが、こうして直接チームアップをするのは初めてである。


『二週間後、大阪のホテルで大規模な政治パーティーが開催されるんやけど、その警備と護衛』

「昨日と似たような感じか…てか、それ要ります?俺」


場所が大きければ大きい程、警備人数は必要だ。けれど、わざわざ九州を拠点とする自分を呼ばなくてもいいはず。大阪が管轄のヒーローで十分間に合うだろうに。
ホークスの明け透けな問いに電話口のファットガムは『え〜っと…』と言いづらそうに言葉を濁しつつ、口を開いた。


『…昨日、俺が護衛してたお偉いさんおるやん?その人の娘さんがホークスの大ファンらしくて』

「…それで?」

『是非ホークスに会いたい、と』

「お断りします」


即答すると、なんでや!と受話器から大声が聞こえて、思わず耳を離す。


「ヤですよ。俺の個性が必要っていうならともかく、そんな理由で大阪まで行くの面倒です」

『そんなん言わんといて!昨日、俺とお前が仲良さそうに喋ってんの見たからって頼まれてん』

「いや知りませんし」


ホークスは隠すこともなく溜め息を吐いた。ファンは大事だ。支持率に大きく影響する。自身もサービス精神は高い方だと思っているが、それはヒーロー活動中に声を掛けてくれるから、という部分も大きい。特に剛翼を必要としない遠方に赴き、“護衛対象の娘のワガママ”なんてものに付き合うつもりは毛頭なかった。


『俺の顔立てると思って、頼む!』

「えー…」


一応スケジュールが書かれたカレンダーを見ると、ふと、政治パーティーが開催される日の翌日が、自身の休日であることに気付いた。しかも半日ではない、久々すぎる丸一日の、休日。


『お願い!たこ焼き奢るから!』


喚いているファットガムの声を聞きながら、ホークスは閃く。大阪まで行くなら東京も近い…亜希が休みでなくとも、彼女が宿直であっても、少しは顔を合わすことが出来るのでは、と。


「…そんなに言うなら、いいですよ」

『そうよなあ、アカンわな…ってマジで?!ホンマに?!』

「ホンマです。その代わり昼飯奢ってくださいね、たこ焼き」

『奢る奢る、なんぼでも奢ったる!てか晩飯もご馳走させてや!』

「や、晩はいいです。行くとこあるんで」

『なんや冷たいなあ、でも、おおきに!助かるわ』


安心したように笑うファットガムと一言二言交わしてから、電話を切った。会場場所や時間などの詳細はメールで送ってくれるらしいので、その間に即、カレンダーに任務を書き込む。思わぬ嬉しい事態と自分の閃きを褒めてやりたい。
先程亜希にメッセージを送ったばかりだが、善は急げ。もしかしたら休みを合わせてくれるかもという微かな希望を込めつつ、東京に行ける日程を送信しておいた。

ほどなくして帰ってきた相棒達にもチームアップを伝える。大阪、休日という連日スケジュールに勘の良い部下は何もかもお見通しらしい、「今度こそ彼女さんとのツーショット撮ってきて」なんて揶揄われてしまった。それを笑って誤魔化しつつ、


「(やっと会える…)」


久しぶりに亜希に会える目途が立ったと、ホークスは期待に胸を膨らませたのだった。



20201019


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