宿る光


東京港に並ぶ数多の倉庫。静寂に包まれた薄暗い奥の一室で、赤く染まる足を引きずりながら両手を上げて降伏ポーズを取る男に拳銃を向けるのは、亜希。彼女は感情の読めない顔で言い放つ。


「その男の名前を言え」

「か、勘弁してくれ…バラしたら俺は殺される、」

「言わないなら、今ここで殺す」


男の額に銃口を隙間なく突き付けると、「ま、待て…!」と上がる情けない声。ガタイのいい男は、銃を構えて自分を見下ろす女の姿がただただ恐ろしくて、叫んだ。


「お前…一体何者なんだ…!」


―――刑事、そして公安。日本の平和を脅かす存在を、誰よりも速く駆除する工作員である彼女は今まさに、職務の真っ只中。白い頬から流れる一筋の鮮血を拭うことすらしない表情はどこまでも冷たく、公安局刑事課にいた頃の…シビュラシステムの指示通りにドミネーターで犯罪者を裁いていた時の、無情な姿と重なるかもしれない。けれど、あの頃とは確かに違うモノが一つ。

大事な人の為に自らが汚れることを選択した漆黒の瞳には、光が宿っている。




▽▽▽




『…立花刑事。貴方に公安として、最初の任務を下します』


告げられた言葉に亜希は頷き、説明される内容を頭に叩き込んでいった。

四月上旬、九州地方で武器密輸の疑いがある港を調査し、関わる者の一斉摘発に成功。船に積まれた大量の違法改造された武器のほとんどを押収したのだが、銃器が五十丁、既に関東方面へ出荷してしまったのだと、捕らえた犯人の一人が言ったらしい。


『昨日検挙した敵連合と名乗るゴロツキの中に、武器を所持して襲撃に加わった者が十人いたのは知っているわね?』

「はい」

『その武器は全部、密輸されたモノと同じだったと鑑識結果が出ている』


さすが情報が早いなと亜希は思った。玉川達が徹夜で仕上げた敵達の供述や“個性”がまとめられた膨大な報告書。そこには犯人達が使用所持していた武器類についてももちろん事細かに記載されている。つい先程完成した資料だったが、上層部伝いですぐに公安にも共有されたのだろう。電話の主であるヒーロー公安委員会会長は、淡々とした口調で続ける。


『敵連合がどうやって武器を手に入れたか、残り四十丁の違法改造された銃器はどこにあるのか。それを調査してほしいの』

「分かりました」

『方法は問いません、必要あれば破壊も許可します。もし死柄木達に残りの武器が渡れば面倒なことになる…けれど大掛かりな捜査をして勘づかれたくない。貴方が一人で見つけ出しなさい』


いいわね。そう言って電話を切ろうとする会長に、亜希は小さく声を上げた。


「一つ聞いてもいいですか」

『何かしら』

「九州での調査をしたのは、彼ですか」

『…聞かれると終わったわ。そうよ、ホークスが行った。けれどその任務を最後に彼には仕事を回していない』

「…そうですか」


良かったと安堵する亜希に、電話向こうからは溜め息混じりの声。


『…引き続きホークスに任せても良かったけど、これは貴方が工作員として使えるかのテストも兼ねている。失敗すればすぐに切り捨てるわ。人の心配をしている場合?』

「ご心配なく。私は、彼の負担を減らす為なら…手段を選ばない。何でもやります」

『……そう。なら任務を全うすることね。何度も言うけど貴方は工作員。誰にも知られず、裏から静かに追い詰めなさい』

「はい」

『…塚内警部には上層部から話を通してある。頼んだわよ』


今度こそ返事を待つことなく切られた通話。亜希は仕事用のスマートフォンを胸ポケットに片付け、代わりにプライベート用のそれを取り出し、大事な恋人に『忙しくなった、落ち着いたら連絡する。』とメッセージを送った。おそらく自分は集中すると彼に構う余裕がなくなる。けれど、いきなり連絡が途絶えたら不安にさせてしまうだろう、もう彼に余計な心配はさせたくない。言葉少ない簡潔な一言だったが、彼女なりの精一杯の気遣いだった。

送信後、先程まで会議をしていた部屋へと戻る。ドアに手を掛けようとした時ちょうど塚内が出てきた。少し焦ったような塚内は亜希を見て、どこか辛そうな、悲しそうな表情を浮かべる。


「…事情はさっき内線で、上から聞いた。こっちのことは気にしないで自由に動いてくれていい」

「…はい」


規律を守り正規の方法で犯罪者を追う警察と、事件解決の為ならば違法手段を講じ非道なことも厭わない公安は、似ているようで全く違う存在。彼女がついに、その二つを背負う時が来てしまったのだと、塚内は唇を噛んだ。


「無理は…しないでくれって言っても、君は聞いてくれないだろうな。でも気をつけて」


優しく笑ってくれる上司に、亜希はポケットからあるモノを取り出して、差し出す。


「…たくさん用意したかったんですが、一個しか売ってなくて」

「これ…」


それは、相澤を雄英高校に送った帰り道のコンビニで買った、キュウリの一本漬け。塚内の好物だった。


「いつも、ありがとうございます」


どうあっても心配をかけてしまい、身を案じてくれる上司に日頃の感謝の気持ちを伝えたい。一瞬呆気に取られた塚内は照れたように肩をすくめながらも、そんな彼女の気持ちをしっかりと受け取る。


「…ハハッ、ぬるいなぁ」

「…冷蔵庫に入れておくの忘れてました」


視線を合わせて小さく笑い合い、そして。

警察と公安を兼任し、敵連合と密輸武器についての調査に取り組む…亜希の忙しい日々が幕を開けた。




▽▽▽




時期を同じくして、“ヒーロー殺し”――敵名・ステインなる輩の存在が浮上した。奴はこれまで出現した六ヶ所全てで四人以上のヒーローに危害を加えており、死亡・再起不能に陥ったヒーローの数は多い。神出鬼没のステインを追う為に各警察署が総力を挙げて捜査を開始、本部からは玉川が代表して向かったので、敵連合の捜査から外れた彼に代わりゴロツキの取り調べを担当することになった亜希は、特に密輸武器を所持していた十人に対し執拗な聴取を行った。

ゴロツキ達は全員「武器は、襲撃直前に死柄木から与えられた。俺達は何も知らず受け取っただけ」と口を揃えていたが、亜希は犯人達の胸倉を掴みながら「当時の記憶を思い出せ、死柄木や黒霧の言葉一つ一つ、全部」と何度も繰り返す。女刑事だからと馬鹿にする者や挑発してくる者に対しては問答無用で顔面に拳を放ち、個性制御装置により身動きが取れない犯人達を徹底的に痛めつけた。「自白剤を使われたいか」と脅すことも、拷問に近い暴力を振るうことも躊躇わず、ただ静かに、僅かな情報さえも全て吐かせていく。別室で見守っていた塚内が「立花さん怖すぎる」と震え上がっていたことを知らない彼女は、悪人に手加減する必要などないのだと、どこまでも容赦なかった。

そんな取り調べが数日続いた頃には、何も知らないと言い張っていた敵達も徐々に襲撃の日の様子をポツポツと話し出すようになり、有益な証言が集まる。十丁もの銃器を調達したのは黒霧で、ゴロツキを集めたのも奴の仕業だった。主犯格の死柄木はただ黒霧に言われるがままで、多くを語らずいつもイライラしており、複数の人間の“手”を顔や上半身に装着した姿はとても不気味で、そんな死柄木とまともな会話をした者は誰一人としておらず、ゴロツキ達も近寄ることはなかったらしい。

やはり、黒霧が厄介だと亜希は思う。ワープの“個性”だけではない、“オールマイト抹殺”という無謀な作戦を成功させる為に下準備を行った奴は冷静で、おそらく死柄木よりも頭が切れる。

そこまで考えて、次に奴がどこで武器を調達したのかを調べなければとパソコンに向かい、キーボードを叩いた。記号や英単語が羅列する画面に次々と文字を打ち込んで、予め調査済みのパスコードを迷いなく入力し、目的のシステムに侵入。関東の港湾一覧、国内取引の内容や顧客情報が事細かに記載されている、いわゆる表に出ないデータにハッキングしたのだ。

デスクワークは苦手な彼女だが、完全なるシステム社会で生まれ育ったおかげでパソコンの扱いには慣れている。あの社会で分析官を務めていたかつての同僚・唐之杜ほどの腕はなくとも、この世界のコンピューターネットワークに入り込むことは容易だった。

真夜中、誰もいない本部のフロアで使い捨て用のパソコンを開き、逆探知されないよう多くのサーバーを経由しつつ、不審な点は無いか一つ一つ全てに目を通していく。五十丁もの銃器、重量のある危険物を船で安全に運ぶとなればコンテナやクレーンが要るだろう。貨物船の種類を重量物運搬船に指定、日付は四月上旬、九州から関東まで直通の船舶。そうやって項目を絞っていけば一つの港湾を特定できた。


「東京港…」


意外に近い場所だと思いながら、次に、各荷物の発注主について調べていく。多くは重量機器を取り扱う建築会社だったが、一社、どう検索しても詳細が分からない企業があった。代表者名も住所もデタラメ、取引した荷物内容も詳細が記されていない。怪しいが、架空の企業についてこれ以上ネットで目ぼしい情報は拾えそうにない為、今度は東京港に設置されている監視カメラ映像を早回しで確認。距離があり画質も悪く、忙しなく動く人間達の顔までは判別できないが、東京港に並ぶ倉庫の一室に、一際厳重に梱包されたコンテナがクレーンで運び込まれる瞬間を見つけた。

そして今から数日前、ちょうど雄英襲撃の前日の深夜。ガタイの良い一人の男がその倉庫に入り、大小様々なシルバーのアタッシュケースを持ち出しているではないか。ケースの数はちょうど十個、おそらく違法改造された武器が入っているこれらは全部、敵連合が手にした銃器に違いない。

ケースを運ぶ男の顔を割り出すため映像を拡大し、画像解析ソフトを使って再現を試みたが、ただでさえ荒い画質な上に暗闇に紛れているせいで不可能だった。しかし、ふと、現在時刻までの監視カメラを確認するも、倉庫に出入りしている者は誰もいないことに気付く。港がパトロールの管轄地区であろうヒーローが一名、たまに見回りをしている様子が映っているが、それだけ。何度も巻き戻し目を凝らして見ても、コンテナがある倉庫の扉は閉じられたまま。

…残る四十丁の銃器は、今もここにある可能性が高い。

亜希はすぐにパソコンの電源を落とし、現場へ向かう為に急いでフロアを出た。工作員としての彼女の移動手段は公安から与えられた黒塗りのセダン車だ。普段は警察本部から程近い雑居ビルの地下駐車場に隠すように停めてある。何かあったら乗り捨てて良いと言われており、車両ナンバーも偽造したものなので持ち主は存在しない。駐車場まで駆け足で向かった彼女は運転席に乗り込み、真っ直ぐに東京港へ。

信号待ちをしている時、さっとプライベート用スマートフォンを開いた。彼への連絡を一方的に絶ってもう二週間ほど経ったが、マメな恋人は相変わらず毎日メッセージを送ってくれている。『おはよ。今日も一日怪我しないでね』、『ちゃんと食べてるかな?俺は二日連続で昼飯ラーメン食ってる』、『夜はまだ冷えるから、風邪には気をつけて』、などなど…何通かに一度『返事は要らないよ』と添えてくれる彼に申し訳ない気持ちになるが、自宅にすら一度しか戻れない程に忙しい今、何よりも優先すべきは一刻も早い任務遂行。そんな緊張の糸が張り詰める日々の中、不器用な彼女に返事を送る余裕なんてなかった。それに、もし自分が任務を達成できなかったら“工作員として無能”と切り捨てられる。そうなったら誰が彼の代わりに負担を背負う?…誰もいないだろう。また彼が独りで重荷を抱えることになってしまう。それだけは絶対に嫌だ。
連絡できなくて、何も言えなくて、ごめん。頭の中で彼に謝りつつ、アクセルを踏み込んで目的地へと急いだ。

ギリギリ法定速度のスピードで夜道を走り抜け、港から少し離れた道端に車を停めた亜希は倉庫が並ぶ一角へと足を進める。監視カメラに映らないよう細心の注意を払いながら物陰から観察、パトロール中のヒーローの後姿を見かけたが、離れた隙を見計らって奥の一室の扉へ近付いた。


「(鍵は…指紋認証か…)」


そりゃそうかと思いつつ、下手に触って警報を鳴らされたくはないので他に入り口はないか探す。小さめの倉庫の周りをぐるりと回ると、裏手に小窓を見つけた。地面からは距離があるが屋根からなら近い。亜希は倉庫の壁に取り付けられている雨樋に足を掛け、慎重に、けれど迅速に、屋根の上まで音を立てることなくよじ登った。足場は悪いが、日頃から鍛えている身軽な彼女にとっては容易い壁だ。

屋根から小窓を覗き込んで倉庫内に人がいないことと、小窓の鍵が強度の低い簡単なロック式であることを確認。ポケットから車のスマートキーを取り出し、その中に隠してあるクリップと針を抜いてピッキングを開始する。何故こんなことが出来るのかというと、刑事課にいた頃の大先輩である征陸から教えてもらっていたのだ。

街頭スキャナ未配備地区に逃げ込んだ潜在犯を追いかけている時、「オフライン地区では今も簡易的な鍵が多くってなあ。力でぶっ壊してもいいんだが…こんな方法もある。見とけよ、嬢ちゃん」と、少年のような楽しそうな顔で、たった数秒足らずで鍵を開ける方法を伝授してもらった。当時は「器用だな」と感心しただけだったが、まさか自分の手でピッキングする日がくるなんて。人生とは分からないものである。

…カチャリ。小さく鳴った音と共に開錠に成功。クリップと針を片付ける時間が惜しいので、肌身離さず左手に装着している腕時計の文字盤の裏と手首の隙間に二つを挟んだ。それから静かに小窓を開け、体がギリギリ通る幅の窓に頭から入り込み、積まれている荷物を伝って倉庫内に着地する。真っ暗だが小窓から入ってくる月明かりと夜目に慣れたおかげで目視は十分に可能だ。コンテナは複数あるが、一つだけ厳重な梱包をされているのに蓋は中途半端に開けられたモノを発見。中を覗くと、大小様々なシルバーのアタッシュケースが並べられていた。その一つを取り出しケースを開けると…明らかに改造された大きな銃。大当たりだ。ここに四十丁あればいいが、どうだろう。


「(…三十八、三十九………、一丁足りない)」


何度数えても、一丁足りない。亜希が思わず舌打ちしそうになった時、倉庫の入り口から『指紋認証、確認』という機械音声が響き、ギイイと重厚な音を立てて扉が開いた。即座に物陰に隠れ、腰のホルスターから拳銃を取り出し、息を潜める。


「ええっと、今回は二十丁ですね?はい、はい…種類は…マシンガン銃ね、分かりました。今着いたんで準備します、はい。明け方には相手方にお渡しできるかと…はーい」


スマートフォンで誰かと通話しているガタイの良い男…監視カメラに映っていた男で間違いないだろう。亜希がいるとも知らず、男は電話を切った途端に「チッ、人使い荒いんだよなあ、あの人」と呟きながらコンテナに近付き、乱暴にアタッシュケースを取り出し始めた。


「マシンガン、マシンガン…えーっと、これは…ライフルか…んだよ、分かりづれえな。外から見て分かるように書いとけってんだ」


大きな独り言を聞きながら、この男はただの運び屋なのではと推測する。九州から武器を発注した者は男の電話相手である“あの人”で、そいつは安全な場所から指示し、運び屋を使って武器を捌いているのでは、と。今日この場所を見つけることが出来て良かったと思う、もし少しでも遅れていれば、ここにある改造された銃器の半分が出回ってしまうところだった。


「十九…ん?あれ…マシンガンが一個足りない…見間違いか?」


男はブツブツぼやきながら繰り返し確認するが、何度数えても一つ足りないらしい。亜希が数えた時になかった一丁はどうやらマシンガンなのだろう。この男以外にも運び屋がいるのかと思いつつ、亜希は気配を消して男の背後へゆっくりと回り込む。そして、コンテナに頭を突っ込みながら独り言ちる男の後頭部に拳銃を突き付けた。


「動くな」

「!」

「動けば撃つ」


途端にピンと張り詰める空気。男は驚愕しながら「誰だ」と強い口調で言うが、亜希はグッと銃口を密着させて、静かに問う。


「これは違法武器だ。お前は運び屋か」

「…」

「答えろ。撃つぞ」

「…女?」

「敵連合に武器を運んだのも、お前の仕業か」


男はしばらく黙ったあと、身を翻して亜希に殴り掛ってきた。発砲しそうになったが余計な騒動を起こして人が来たら面倒だと、亜希は引き金に力を込めることなく振り上げられた拳を瞬時に避ける。ガタイの良い男は見た目によらず軽い身のこなしで、彼女の小さな頭を掴もうと手を伸ばしてきた。その腕を躱して捕らえ、力を込めて背負い投げると地面に激突した男は短い呻き声を上げる。が、すぐに体勢を整えて亜希から距離を取り、胸ポケットからナイフを取り出した。


「…痛ぇ…お前、警察か?こんなとこに潜んでやがるとは…」

「さっきの電話の相手は誰だ」

「…」

「言え。そいつが武器を斡旋しているんだろ」


亜希は拳銃の代わりに警棒を構え、真っ直ぐに男を見据える。男は眉間にシワを寄せながらも小さく笑い、ナイフを持つ手に力を込めた。


「…クライアントの情報を言う訳ねえだろうが、信用問題に関わってくんだよ!」


叫んだ男は地面を蹴って飛び上がり、壁を這う。まるで蜘蛛のように俊敏に動き回る男は天井まで一気に駆け上がり、真上から亜希に向かって飛び掛かってきた。突然の速すぎる動きに避けきれず、ナイフは警棒で受け止めたものの、馬乗りになるように圧し掛かってきた男の力は強くて重い。上から押さえ付けられながらも、この身のこなしは男の“個性”かと、どう対処すべきかと、亜希は冷静に考える。


「死ねクソアマ!!」

「…っ!」


男は大声を上げながらナイフを薙ぐように振るい、亜希が構える警棒を弾き飛ばした。カランと転がる音と同時に鋭利なナイフが彼女の顔面に向かって突き立てられるが、間一髪で避けた切っ先は亜希の頬を掠め、そのまま地面に突き刺さる。その拍子で動きが止まった男の胸倉を掴もうと亜希が勢いよく両腕を振り上げた瞬間、彼女の手首から突如、何かが飛び出し、その何かが男の右目に命中した。


「ぐああ?!!」


両手で目を押さえて飛び退いた男は床に転がる。一瞬何が起こったのか分からず呆気にとられた亜希だったが、つい先程、ピッキングに使ったクリップと針を腕時計の裏側に挟んでいたことを思い出し、急いで立ち上がった。手首を見ると針がない。思い切り腕を振るった反動で飛び出て男の目に入ったのか…ラッキーすぎる偶然と、この腕時計を自分にプレゼントしてくれた彼に感謝しつつ、地面に刺さったままのナイフを抜いて、蹲りながら喚く男に近付いた。


「おい、さっきの質問の続きだ。お前は運び屋だな?」

「ぐ、うう…誰が言うか!」

「答えないのなら、」


そう言った亜希は片膝をつき、ナイフを男の大腿部に迷いなく突き刺した。あまりの痛みに叫ぶ男を静かに見下ろしながらナイフの持ち手に力を込めると、さっきまで威勢の良かった男は半泣きで声を上げる。


「う、ああ、やめろ、やめてくれ、」

「質問に答えろ」

「く…ああ、そうだ、そうだよ!だから手を放してくれ!!痛、ぎゃああ!!」


聞いちゃいない亜希はナイフを捻じるように埋めた。痛みに弱い人間は口が軽い。反撃する余裕すら与えないほどに連続して痛めつければ、簡単に口を割るものだ…この男のように。


「敵連合に武器を流したな?その数と、誰からの依頼か言え」

「うっ、ぐぅ…!依頼者は、知らねえ…俺はただ指定された場所に…、確か十個…運んだだけだ…っ」

「それを受け取ったのは、どんな奴だった」

「分からねえ…受取場所には誰もいなかった…ああ、でも…」

「でも?」

「気のせいかもしれないが…黒いモヤが一瞬現れて、一瞬目を離した隙に運んだ武器は消えていた」


黒い、モヤ。…黒霧だ。ワープの“個性”で武器をアジトまで運んだのだろう。


「最後の質問をする、さっきの電話の相手は誰だ」

「そ、それは…絶対に言えない…!」


まるで何かに怯えるような表情を浮かべる男。亜希はナイフから手を放し、代わりに拳銃を構えた。


「答えろ」

「む、無理だ…!俺はどこかで、あ、あのオッサンに監視されている…!きっと俺が誰かにチクらねえか見張ってんだ…!」

「…オッサンということは、相手は男か」


亜希の言葉に男は慌てて口を押えているが、もう遅い。よく今まで、こんな馬鹿に運び屋が務まったものだ。彼女は呆れながらも銃口を男の顔に向ける。


「ひい!!や、やめろ…!撃つな…!」


赤く染まる足を引きずりながら、両手を上げて降伏ポーズを取る男。しかし、どれだけ乞われても、亜希は情報を吐かせる為なら引き金を引くことに躊躇いなどなかった。


「その男の名前を言え」

「か、勘弁してくれ…バラしたら俺は殺される、」

「言わないなら、今ここで殺す」


男の額に銃口を隙間なく突き付けると、ガタイのいい男は「ま、待て…!」と情けない声を上げ、震えながら、叫ぶ。


「お前…一体何者なんだ…!」


答える必要はない。話さないのなら腕に一発、撃ち込んでやろうか。恐怖で引き攣った顔の男を見下ろしながら亜希がそう思った時。座り込んでいる男の頬に、おもむろに赤い点が浮かび上がった。その赤い点は、ゆっくりと額に向かって動き…


「!伏せろ!!」


亜希が声を上げて男を突き飛ばした瞬間、静寂に包まれていた倉庫に、けたたましい銃声音が鳴り響く。赤い点はレーザーポインター…銃の照準器だ。誰かが入り口から攻撃している、しかし相手を確認したくとも、連続して発射される弾の威力は凄まじく隠れるので精一杯。男と亜希がいた場所は一瞬で蜂の巣状態で、あっという間に煙が立ち込めていく。咄嗟に背後のコンテナの物陰に飛び込んだ亜希が男の姿を確認すると、顔面蒼白でグッタリと地面に倒れ込んでいた。大きな体の腹部からは鮮血が溢れ出している。
…避けきれなかったか。だが、まだ息はある。亜希は銃声音が止んだ瞬間に男に駆け寄り、何とか死角の物陰まで重い体を引き摺って隠した。


「…改造された武器の威力は、やっぱり凄いな。一度使ってみたかったんだが…これはクセになりそうだ」


扉から聞こえてくる声の主。その姿を、積まれた荷物の隙間から見た亜希は、驚きで目を見開く。


「“あの人”の言う通り、お前は口が軽くて信用ならないな。忍び込んだネズミは警察か?一緒にブチ殺してやるから出てこいよ」


俺は忙しいんだ。そう言葉を続けたのは…この港をパトロールしていたヒーローだった。監視カメラ映像に映っており、倉庫に侵入する前にも後姿を確認したヒーローを見間違う訳がないが、愉快そうにマシンガン銃を抱えながら笑っている顔も台詞も、とてもじゃないが“ヒーロー”には見えない。一つ足りなかった銃器を…まさかヒーローが持ち出していただなんて。まさかヒーローが…


「ぐっ、うぅ…」


男の咽る声で我に返った亜希は見つからないよう注意を払いつつ、どうやって状況を切り抜けようかと考える。しかし今度は、隠れている物陰…違法改造された武器が大量に詰まったコンテナが、バチバチと火花を散らし始めたではないか。


「(…最悪だ)」


ヒーローの乱射した弾が多く命中したせいで、銃器に込められている火薬類に引火してしまったのだ。このままでは炎上する、一刻も早く離れたいが、この狭い倉庫内に隠れられる場所は他になく、姿を見せればマシンガンの餌食になる。最悪の状況だった。

運び屋の男を監視し、パトロールと称して倉庫を見張っていたヒーローは、男が怯える“あの人”の手先なのだろう。さきほど男と交戦した時の物音で気付かれたのだ。まさかヒーローが裏の人間と繋がっていただなんて信じられないが、この現状に疑う余地はない。


「出てこないのか?それとも、もう死んだか?」


コツ、コツ…ヒーローが近寄ってくる足音がする。もう正面突破するしかない。拳銃を握って飛び出した亜希がヒーローに銃口を向けた時、途方もない殺気が倉庫を包むように広がって、思わず動きが止まった。…いや、感じたことのない邪悪な気配に体がすくんだのだ。それはヒーローも同様だったようで、マシンガンを構えたまま硬直していた。その背後に、大きな影がゆらりと現れる。亜希の視界に悍ましい姿が映り込み、次いで響くのは、怒りが含まれた低い声。


「…銃声が聞こえて来てみれば……ハァ〜…“ヒーロー”が、そんな物を抱えて…何をやっている」


包帯状のマスクをした声の主は、刃こぼれした日本刀のようなものを取り出し、切っ先を「だ、誰だ…?!」と慌てるヒーローに向ける。


「信念なき殺意に何の意味があるというのだ、…答えろ“贋物”」

「お、お前…まさか…!」

「…ハァ……五人目の粛清対象は貴様にする。正しき社会への供物となれ」

「“ヒーロー殺し”…?!う、うわあああ!!」


恐怖したヒーローがマシンガンに手を掛けた瞬間、銃声の代わりに肉が斬れる音と、真っ赤な鮮血が辺り一面に飛び散った。胴体と斬り離されたヒーローの頭頂部がゴロゴロと地面に転がる。目の前で繰り広げられた凄惨な光景に唖然と立ち尽くす亜希の瞳と、交差するのは充血した目。凄まじい威圧感に息を飲みながらも亜希は拳銃を構え、静かに口を開いた。


「…ステインか」


玉川達が追っている敵と、まさかこんな場所で鉢合わせるとは。奴は“五人目”と言った、もうこの辺りで既に四人のヒーローが犠牲になっているのだろう。七ヵ所目の出現場所である、この東京港に現れた神出鬼没の犯罪者を何としても逮捕しなければ。そう思うのに、視線の先で佇む強大すぎる存在に亜希の腕は僅かに震えた。けれでも銃口の照準だけは外さないよう、真っ直ぐに見据える。


「…貴様、ヒーローではないな…警察…?いや、何者だ」


ステインは、自分に向けられた漆黒の瞳を品定めするようにじっと見つめた。その深い闇の中に、確固たる強い意思のような光を見出したステインは…日本刀をゆっくりと下ろしながら歪な笑みを浮かべ、


「…静かに燃ゆる正義…何を成し遂げようとしているかは分からないが、お前は生かす価値がある」


そう呟き、目にも止まらぬ早さで倉庫から忽然と姿を消した。すぐに追いかけようとしたが、すぐ近くでバチバチ!と轟音が響き、直後に熱風が襲い掛かってきて思わず身を屈める。銃器が入っていたコンテナが爆発して炎が上がった。もう時間がない、今すぐ脱出すべきだ。けれど…

狭い倉庫内に蔓延する煙を吸わないように腕で口元を覆いながら、足元に転がっている男の胸倉を掴み上げる。


「おい!電話の相手を言え!」

「…っ、…ぅ」

「早く!」


“あの人”の名だけでも聞かなければ、ここまで来た意味がない。任務は失敗となってしまう。「言え!死ぬ前に言え!」亜希の大声に、息絶えそうな男はヒューヒューと喉を鳴らしながら、


「……ギ、…ラ、ン」




▽▽▽




東の空から溢れる薄明の光が水平線を照らし、真っ暗だった海面がキラキラと輝き出す。夜明けを背後に感じながら、亜希は轟々と燃える倉庫をじっと見つめた。ヒーローと男の遺体は完全に燃えているだろう。空に昇っていく煙の中に二人分の皮膚が焼ける匂いが微かに混じっており、彼女がここに“いた”痕跡も一緒に消えていく。付近の倉庫に飛び火することなく弱まる炎を非通知で消防署に連絡、次いで、女上司へと電話を掛ける。こんな時間に非常識かもしれないが“公安”に常識なんてないのだ、構いやしない。しかもワンコール後には繋がるのだから、ヒーロー公安委員会の勤務形態はどうなっているのか…そもそも会長は一体いつ休んでいるのか、分からない。


「任務遂行の報告です」

『詳細を』

「敵連合は“ギラン”と名乗るブローカーの男から、運び屋を通じて武器を入手したようです。銃器四十丁は東京港の倉庫にて確認しましたが…全部燃えて鉄屑になりました」

『燃えた…?一体何があったの』


亜希は淡々と、港がパトロールの管轄地域であるヒーローがギランの手先だったこと、口封じのために襲い掛かってきたこと。そしてステインと接触し、結果的に奴に助けられたことを伝えた。


「ステインを逮捕できれば良かったのですが…申し訳ありません」

『構わないわ、それは今回の貴方の任務ではない。ギランなるブローカーと、そのヒーローについてはこちらで調査します。詳細が分かり次第また貴方には現場へ行ってもらうから、そのつもりでいなさい』

「分かりました」

『……貴方は噂通り、優秀なようね。まさかこんなに早く有益な情報を掴んで来るとは思わなかった。初めての任務はどうだったかしら?』

「…」

『立花刑事?』

「…お腹が空きました。あと眠いです」


ぐう、彼女の腹の虫が鳴る。思えば昨晩からずっと何も食べておらず、ここ数日ろくに寝ていない。色々と片付いた今、一気に空腹と眠気が押し寄せてきて思い切り欠伸をしてしまった。上司の前だと気付き慌てて口を閉じるが、電話向こうの会長が呆れたように小さく笑った気配を感じ、少しだけ驚いた。この人も笑うのか、と。


『…ゆっくり休んでと言ってあげたいけれど、今日は雄英の体育祭よ。警備中に居眠りなんてしないように』

「……はい」


…すっかり忘れていた。亜希は溜め息を吐きそうになるも飲み込む。数日前に塚内が「なんせ襲撃事件のあとだ。全国からヒーローを呼んで警備を強化するそうだが…俺達警察にも依頼がきてね。校内外しっかり見回ってくれってさ」とクマを浮かばせながらボヤいていたのを思い出す。敵連合やヒーロー殺しの捜査で大忙しの部下達をまとめる彼の苦労は計り知れない。


『…ではまた連絡します。それまでは警察に従事なさい』


またもや返事を聞くことなく切られた通話。亜希はスマートフォンを片付けて、少し離れた場所に停めてある車へと急ぐ。駐車場で仮眠してから雄英に直行しようかと思ったが、煙に焙られた全身には焦げた匂いが濃く染みついており、スーツも所々焼けていることに今更気付いた。家庭用洗濯機では到底落ちないような汚れである。これは彼から貰った大事なスーツなのに、ここまでボロボロにしてしまうとは…クリーニングでも元通りに修繕できるか分からない有り様だが、とりあえず帰宅してシャワーを浴びながら手洗いをしよう。空腹もどうにかしたい…確か、彼が大量に作ってくれた炊き込みご飯のストックが冷凍庫にあるはず。福岡土産として買ってきてくれた明太子と一緒に食べよう。それに急いで帰れば一時間程度はベッドで眠れる。久しぶりの自宅だ。

そんなことを考えながら車に乗り込んだ時、ふとルームミラーに映る自分の右頬に乾いた血の痕を見つけた。返り血かと思い指でこすると鈍い痛みが走り、ああ、運び屋の男に付けられた傷は意外と深かったのかと感じつつ、


「(啓悟は…任務の度に怪我を負っていたのかな)」


彼が歩んできた道を思う。長い間、深紅の翼を広げ、独りきりで闇の中を駆け回っていただろう大好きな人が、少しでも穏やかな時間を過ごせますように。怪我なんてしませんように。その為なら自分は何だってやってやる。だからどうか、彼には安寧を、自由を、平和を。

初めての任務を終えた今、一層と強くなる意思。じわりと血が滲む頬の傷口を気にも留めず、亜希はエンジンをかける。いつの間にか顔を出していた太陽を眩しく思いながら。



20200924


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