手詰まりの捜査


報告書は翌日の昼頃に完成した。一時間だけ仮眠室で寝てから簡易シャワールームで身を清め、食堂にて朝昼兼用の特盛野菜炒め定食を食べた亜希は、相澤が入院する病院へと車を走らせる。彼に襲撃事件の事情聴取をする為だ。「俺が行くよ」と言う塚内は眠気のせいかフラフラで非常に危なっかしい状態、玉川や他の同僚達は敵の素性調査で未だにパソコンに向かっている為、亜希は自分が一番適任だろうと名乗りを上げたのだった。

雄英高校から程近い総合病院に到着し、相澤が入院する病室に向かう。そっとノックをして入ると部屋の中央にあるベッド上で全身包帯だらけの長身の男が力なく横たわっていた。音を立てないよう近付き、枕元のネームプレートに掛かれている文字を小さく読み上げる。


「相澤、…ショウタ、って読むのかな」

「呼び捨てにすんな、さん付けろ」


包帯に覆われた口元がモゴモゴと動き、驚いた。


「…起きてたんですか」

「ついさっきな。オイちょっと手伝え、体が重くて座れん」

「まだ寝てた方が良いと思いますけど」

「こんなことで一々休んでられるか」

「……目の具合は?」


彼の“個性”の要である目、そこに何かしらの後遺症が残るかもしれないと聞いていた亜希は、いてて、と言いつつ体を起こそうとする相澤に手を貸しつつ、気遣うように口を開く。


「失明した訳じゃない。まだ何とも言えねえが、まあ大丈夫だ」

「…しぶといですね」

「ああ?」

「冗談です」


ホークスとのことがあり何となく気まずかった二人だが、この状況のおかげか気付けば以前のように軽口を叩けるようになっていた。微妙だった距離感は互いにもう感じられない。


「…生徒達は?」

「無事です。緑谷君だけリカバリーガールさんの治療が必要でしたが、元気そうでした」


上半身を起こした相澤はギブスで固定された両腕を煩わしそうに見ながらも、「…そうか」と安心したように息を吐く。


「そういや、お前ここまで車で来たのか?」

「はい。公用車で」

「なら学校まで乗せていけ。事情聴取しに来たんだろ?話は車内でする」

「…仕事する気ですか?今日は臨時休校ですよ」


誰がどう見ても重体なのに、そんな体で何ができると言うのか。ワーカホリックとはまさに彼のことだと呆れる亜希に、相澤は「イベント事が多い高校なんだよ」とベッド下に並べてある靴を履くために足を下ろした。

心配ではあるが、おそらく自分が何を言っても聞きはしないだろう。「退院手続きするぞ」と、さも当然のことのように言いながら立ち上がる相澤に亜希は溜め息を吐きつつ。仕方なく病室のドアを開けてやり、窓口へと向かった。




▽▽▽




「それにしても…イレイザーさんがここまで大怪我するなんて意外です」

「…厄介な相手だったんだよ」


相澤を助手席に乗せ、車内で襲撃事件の詳細について話す。大勢の敵や死柄木、雑木林で確保した“脳無”という敵と対峙した彼の話は壮絶な内容だった。死柄木に触れられた肘は文字通り崩れ、脳無の怪力はオールマイトのようで手も足も出なかったらしい。相澤の事務的な報告を黙って聞いていた亜希は小さく口を開く。


「…生徒達を守る為に、随分と無茶したんですね」

「…」

「子ども達、みんな心配してましたよ」


その言葉に返事はしないまま、相澤はふと、ハンドルを握る亜希の左手首に光るシルバーに気付いた。


「…腕時計、買ったのか?」

「え、あ、これは…」


唐突な問いに口籠る亜希。相澤は「…ああ、ホークスに買わせたんだな」と勝手に納得しながら頷く。


「買わせたって訳じゃ…まあ…貰ったんですけど…」

「同じだろ。お前は何かしてやってんのか?」

「…どんなモノを渡したらいいのか分からなくて、まだ何も」

「そんなもん、自分の首にリボンでも巻いて真っ裸で迫れば喜ぶだろ」


…コイツ、車から引き摺り出してやろうか。なんて発想をするんだと亜希は若干引きながら横目で睨むが、相澤は素知らぬ顔で続ける。


「まあ本人に何が欲しいか聞くのが一番合理的だな」

「それ、は……」


言葉に詰まると、相澤はしばらく考えてから、思い切り鼻で笑った。


「…なんだよ。まさか“貴方が欲しいです”とか何とか言われたのか?」

「!」

「うお?!」


亜希は思わず急ブレーキを踏んでしまい、シートベルトが鎖骨に食い込んだ相澤が「危ねえだろうが!俺は怪我人だぞ!」と大声を上げるが、亜希は顔を真っ赤にして大声で怒鳴る。


「さ、さっきから変なことばっかり言って!セクハラですよ!」


それ以上言ったら山の中で降ろしますから!と続ける彼女に相澤は「図星か…」と察したが、その言葉は飲み込んだ。


「(……分っかりやすい奴)」


…まあ、アレだ。他所のカップルにとやかく言うつもりはないが…この二人は自分の想像以上に相思相愛ってやつなんだろう。もっといじって遊んでやろうかと思ったがムチウチになるのは御免。自分の身が危険なので大人しく口を閉じる。それに万が一、あの嫉妬深い男に彼女を性懲りもなく揶揄ったことがバレたら非常に面倒だし、それこそ命の危機だ。
覆われた包帯の下で相澤は一つ溜め息を吐き、もう何も言うまいと窓の外へと視線を向けた。




▽▽▽




あれから無言のまま相澤を雄英に送り届けた亜希が警察本部に戻ると、少し休んだおかげで調子が戻った塚内や、報告書をまとめ終わった玉川達が完成した書類を手元に事件について話し合っていた。「おかえり、どうだった?」と顔を向ける上司に相澤の状態や聴取した内容を口頭で伝え、亜希も席について会議に参加する。塚内は大量の資料をペラペラと捲りつつ眉間にシワを寄せた。


「主犯格である死柄木、及び黒霧の情報は皆無。捕らえた72名の敵は路地裏のゴロツキ…小者ばかりか」

「生徒達の目撃証言から死柄木は二十〜三十代の男、その年代の個性登録を洗ってみましたが“触れたモノを粉々にする個性”は該当なしです。黒霧も同様で、どちらも無戸籍かつ偽名でしょう」


徹夜で充血した猫目をこじ開けるようにして説明する玉川に、塚内は「裏の人間だな」と呟き、腕を組んで唸る。検挙した敵はどいつもこいつも目ぼしい情報を持っておらず、ただの寄せ集めにすぎない連中だった。

亜希は敵達の証言や供述一覧のページに目を通す。“個性”を持て余した連中は死柄木の【オールマイトを殺す】という言葉に賛同し、今回の襲撃に参加。おそらく先日の雄英バリアー破壊も死柄木の仕業で、高校内に忍び込み授業カリキュラムを盗んだのだろう。一見無謀にも見える奇襲だが、死柄木には平和の象徴を確実に殺せるという算段があった。

それが、脳無である。オールマイト並みのパワーだけでなく、ショック吸収や超再生の“個性”をも持ち合わせた究極のサンドバッグ人間。オールマイトに何百発と殴られたのにも関わらず発見時には外傷なし、無抵抗で大人しく、無事に確保できたが呼びかけに一切応じずに口がきけない状態の為、取り調べは不可能。

捜査は完全に手詰まりで、フロアに重い空気が流れる。それでも事件を解決しなければならないのが警察である。捜査網を拡大し、小さな綻びを見つけ出すように地道に調べていかなければならない。

現段階で何かヒントはないのかと、小さな文字が並ぶ報告書を一文字も漏らさぬよう頭に叩き込んでいく。ふと、胸ポケットに入れてあるスマートフォンが震えたので亜希は塚内に一言断ってから部屋を出て着信元を確認し、息を飲んだ。

…この番号は。万が一スマートフォンを紛失した時のことを考えて登録はしていないが、しっかり覚えている。ついにこの時が来たのかと思いながら、周りに人がいないかを確認して電話に出た。


「はい」

『久しぶりね。今の生活にも、もう慣れたかしら?』


亜希にとって塚内と、もう一人の上司であるヒーロー公安委員会の会長。相変わらず抑揚のない、どこか冷たさを含んだ静かなこの声を聞くのは、数週間前に“まずは刑事の仕事に慣れろ”と言われた時ぶりである。


「塚内さん達に助けてもらって、なんとかやっています」

『なら、良かったわ』


そう言った会長は一呼吸した後、小さく言葉を続けた。


『…立花刑事。貴方に公安として、最初の任務を下します』




20200912


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