その声を聞くだけで


「オールマイト、久しぶり」

「塚内君!君もこっちに来てたのか!」


多くの人間が理想のヒーローだと口を揃える、平和の象徴オールマイト。その真の姿に亜希は言葉を失った。彼は誰よりも力強く勇敢さに満ち溢れたナチュラルボーンヒーローだと認識していたが、今目の前にいるのは、目元が窪み全身が痩せ細った男。

保健室の扉を開けた塚内に続いて足を踏み入れた亜希は喀血しながら上司と親しそうに話すオールマイトをじっと見つめる。その視線に気付いた彼は一瞬驚いたものの、口の端から垂れる血を雑に拭いながら笑顔を浮かべた。


「今日はまた随分と綺麗なお嬢さんと一緒なんだね」

「彼女は立花さん、俺の部下だよ」

「…初めまして、立花亜希と申します」

「初めまして。よろしくね」


ゴホッ、と血の混じる咳をした彼の向こうのベッドから、少年が慌てたように起き上がって亜希と塚内を見る。


「…オールマイト…え、良いんですか?!姿が…」

「ああ、大丈夫さ!何故って?彼は最も仲良しの警察、塚内直正君だからさ」

「ハハッ、なんだその紹介」

「その塚内君が連れてきたってことは彼女…立花君も信頼できる人なんだろう、案ずるな緑谷少年」


何と言えば良いのか分からない亜希は、ただ黙って塚内とオールマイトが事件について話すのを聞いていた。そんな彼女に保健室のデスクに座っていたリカバリーガールが「昨日の今日でよく会うねえ。そういや新しい怪我なんてしてないかい?」と声を掛ける。


「今のところ大丈夫です」

「今のところって…アンタいくら丈夫だって言っても“個性”ないんだから、あんまり無茶するんじゃないよ?」

「“個性”がない?」


反応したのは、緑谷だった。目を真ん丸にして自分を見ている少年に「そうだけど、どうしたの?」と亜希が問うと、彼はハッと口を両手で押さえながら首を横に振った。


「あ、いや…すみません、その、珍しいな〜って…」


そっか警察だもんな、でも無個性の人と会えるなんて、なんだか親近感が…そうブツブツと独り言を言っている緑谷に亜希が不思議そうに首を傾げると、彼は顔を赤くして「あ、えっと、何でもないです…!」と目を逸らす。元々異性に対して免疫のない緑谷は亜希に真っ直ぐ見つめられて焦った。可愛い女子が勢揃いの1−Aで過ごしている内に少しは耐性がついたと思っていたが、とんだ思い違いだったようだ。頭の中で「綺麗な人だなあ…」と感心しつつ、彼女もまた、過去の自分と同じ無個性なのだと思うと親近感が湧いた。この人も“個性”がなくて苦労したのかな、僕も無個性だったんで気持ち分かります、なんて。ついうっかり“個性”を譲渡されたことを漏らさないよう、歯を食いしばるように口を閉じる。

そんな彼の心情を知らない亜希は、生徒の中で一番の大怪我を負った緑谷が想像よりもずっと元気そうで良かったと、安堵した。




▽▽▽




オールマイトと緑谷から事件の詳細を聞いた塚内と亜希は、次は生徒達から事情聴取する為に保健室を後にする。広い校舎の中、教室へ向かう途中で亜希は隣を歩く上司に話しかけた。


「…塚内さん、どうして私にオールマイトさんを紹介してくれたんですか?」


トップヒーローの実態。詳しくは聞けなかったが活動時間に制限があり、ヒーローでいられるのはほんの僅かな間で、普段は先程のヒョロっとした姿なのだと。緑谷の慌てようからして知っている者は少ない衝撃的な事実。そんな重大なことを何故自分に教えてくれたのかと疑問符を浮かべる亜希に、塚内はふっと小さく笑う。


「…あんな姿になってなお敵の抑止力として人々の憧れであり続けている彼は、多くの敵を確保し、多くの命を救い続けている。…なんだか、君と似ているなって思ったんだ」

「私と…?」

「強い正義感と、迷わず突き進んでいく姿がね。つい頼ってしまうけど、たまに抜けてて…なんだか放っておけないところも」


歩みを止めた塚内は、自分よりもずっと小さい亜希を見た。ヒーローであるオールマイトと無個性の彼女は全く違う存在だというのに、塚内にとっては重なる部分が多い。それに、


「…立花さんが公安として動く時、俺が力になれることは少ない。けれどオールマイトは長い間、一人で様々な現場や敵と対峙してきた。彼と顔見知りになっておけば参考になる話を聞いたり出来るだろ?」


本来であれば口外は許されていない、平和の象徴の秘密。けれど、そんな彼と似ている亜希になら伝えても良いと思ったのだ。ヒーローが表立って動けない事件を追うであろう彼女の助けになることがあるなら、上司として何か手助けをしたい。警察の仕事に慣れる為まだ亜希に公安としての任務は下っていない今の内に、彼女がいざという時に頼れる人を一人でも多く作ってあげたいというのが、塚内の思いだった。


「…塚内さん、」

「余計なお世話かもしれないけど…顔が広いに越したことないからさ」


亜希は優しい表情の上司を見上げる。出会った頃から迷惑も心配も掛けっぱなしで手のかかる部下だろうに、いつだって自分のことを気にかけてくれている塚内の存在は温かくて、彼もまた、亜希にとって大切な人だった。


「さあ、教室に行こう」

「……はい」


今度、塚内の好物であるキュウリの一本漬けを大量に用意して贈ろう。“いつもありがとうございます”、その気持ちを込めて。
亜希はそう思いながら、広い背中を追いかけた。




▽▽▽




制服に着替えた生徒達一人一人から事件の詳細を聞き、警察本部に戻ってひたすら報告書にまとめていた亜希がふと顔を上げれば、もう日付が変わる時間。ずっとパソコンと向き合っていたため目の奥は痛く肩凝りも酷い。首を左右に傾けるように伸ばすと骨がゴキッと盛大な悲鳴を上げた。


「すごい音ですね…まだ終わらないですし少し休憩したらどうですか」

「……そうします」


自分と同じく長時間デスクに座りっぱなしの玉川の言葉を素直に受け取り、亜希は伸びをしながら席を立つ。検挙した大勢の敵達の取り調べを行った彼もまた現在、亜希と同じく報告書の作成中。他にもパソコンに張りついている同僚達は何人もおり、外は真っ暗なのにこの部屋だけ真昼のように明るかった。度重なる徹夜の限界がきたのか半分意識がないような状態でポチポチとキーボードを叩く塚内には誰も何も言わず、亜希も音を立てないようそっと部屋を出る。

消灯した真っ暗な廊下の奥にある簡易な休憩所、そこにひっそりと佇む自動販売機で眠気覚ましにエナジードリンクを買い、座り心地が良いとは言えない硬いソファーに腰を下ろして背凭れに首を預けた。疲弊した頭でぼんやりと考えるのは、襲撃事件について。

捕らえた敵は全員で72名、生徒や教師達の証言から主犯格だと思われる死柄木と、ワープゲートなる“個性”を持つ黒霧は取り逃がした。死柄木の方は触れたモノを粉々にする“個性”を持っており、二人とも実に厄介な敵だと立ち会った全員が口を揃え、確保できなかったことを悔やんでいたのだが。


「あのゲート野郎…実体があった。全身モヤって訳じゃねえ」


聴取した中で亜希が一番記憶に残っている生徒の言葉。あの場で黒霧“本体”に触れた爆豪勝己は、確かにそう言った。この超人社会で希少価値が高く謎が多い、無敵とも言えるワープの“個性”。しかし爆豪の行動のおかげで黒霧逮捕は不可能ではないと思えたのだ。


「…有効な手段は、」


ポツリと呟いた声が静かな廊下に響き、口を閉じる。“個性”という能力を持たない自分が対抗できる術は格闘術と武器を使った攻撃だけ。銃弾や刃物の類は黒霧に通用するのか分からないが爆豪は奴を物理的に押さえ付けたらしい。ならば、実体部分に何かしらの衝撃を加えることさえすれば確保できるはず。

死柄木の“個性”も十分に脅威だが、そもそも黒霧がいなければ雄英高校の敷地内に入れなかったし逃げることもできなかったのだ。面倒なワープを持つ黒霧を早急に確保しなければと強く思った時、亜希のポケットの中でスマートフォンが小さく震えた。

短い振動に急いでプライベート用のそれを取り出して画面を見ると、二度の着信履歴と『大変っぽいけど、大丈夫?』という、たった今受信したばかりのメッセージ。電話は数時間前に掛けられていたが仕事に集中していたせいで全然気付かなかった。もう夜も遅いが…と少しだけ悩んでから、亜希は折り返しの電話を掛ける。ワンコール後、繋がった。


『亜希さん?』

「こんな時間にごめん、電話気付かなくて」

『全然大丈夫です。まだ仕事中…だよね?ヒーローネットワークで雄英襲撃って流れてきたから驚いた』

「うん、しばらく徹夜が続くと思う」


まだメディアには嗅ぎ付けられてはいないが時間の問題だろう、名門への襲撃事件。ヒーローネットワークは何よりも情報が早いので、ホークスの耳にも勿論入っていた。


『そっか…最近、世間が騒がしいね。まあ主に雄英やけど…』


警察大忙しでしょ?ホント心配だなあ。そう続く声に亜希は小さく笑みをこぼす。僅かな吐息が聞こえたホークスは『どしたの?』と不思議そうに言っており、その表情が手に取るように分かって、もう一度笑った。


「…今朝まで一緒にいたのに、もう会いたい」


昨日も一昨日も共に過ごしたというのに、大好きな声を聞くと顔が見たくなり彼の体温を直接感じたいと思ってしまう。疲れ切った亜希は素直な気持ちを吐露しながら、自分を優しく包んでくれる温もりを思い出そうと目を閉じた。


『えっ、待って亜希さん、そんな可愛いこと言っちゃう?』


まぶたに浮かぶ、おそらく照れたような、嬉しそうな黄土色の瞳。ついさっきまで仕事モードで眉間にシワが寄っていたのに彼と話すだけで緩んでしまうのだから、自分は本当に彼のことが好きなんだなと実感した。恥ずかしいので口にはしないが、この穏やかで低い声を聞くだけで疲れが吹き飛ぶように思える。

俺も会いたいよ。そう紡ぐホークスと少しの会話を楽しみ癒された亜希は、通話を切ったあと大きく深呼吸し。


「…よし、」


気合いを入れ直して、残った仕事を片付ける為にデスクへと戻った。



20200908

本編からずっと塚内さんがキュウリの一本漬け好きという設定をシレッと引っ張っていますが、これは私の想像です…彼の好きなものは野球です。今更ですがご了承ください。


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