緊急通報


大好きな人と離れる瞬間は、じんわりと寂しさが襲う。けれども今回はホークスの出発時間ギリギリまで二人揃ってベッドの中で微睡んでいたものだから、慌ただしかった。急いでヒーローコスチュームに着替えながら「腕時計、肌身離さず着けててね?絶対ね?」なんて念を押すように言う彼に亜希は苦笑しつつも頷く。言われなくてもそのつもりだったが、なぜこうも必死なのか。その理由を彼女は知る由もない。

朝食を食べる時間もなく、しかし深い口づけと抱擁だけはしっかり交わして。そうしてホークスは「また連絡する」と微笑みを残し福岡へと飛んでいった。ベランダで朝日を感じながら彼の赤い翼が見えなくなるまで見送った亜希は貰ったばかりの腕時計と、クローゼットにある真新しい二着のスーツを見比べ、小さな溜め息を一つ。


「…何をあげたら良いんだろう」


彼はいつだってたくさんのモノを与えてくれているのに、自分は何もしていない。折角会えたというのに何の準備もしていなかった自身に呆れるが、これまでの人生で誰かにプレゼントを贈るなんて経験がなかった亜希は一体どうすれば良いのか皆目見当がつかなかった。何が欲しいか聞いても「亜希さんだよ」という彼に「では私をどうぞ」だなんて、恥ずかしがり屋の彼女が言える訳もなく。そもそも亜希は、既に自分の身も心もホークスだけのモノだと思っていたし、他人に渡す気もさらさら無いのだ、今更である。しかしそうなってくると、ますます何を贈れば良いのか分からなくなってしまった。


「…塚内さんに聞いてみようかな」


ここは上司であり人生の先輩に教えてもらおう。そう結論付け、亜希は早速ホークスが用意してくれたスーツを身に纏ってみる。ジャケットの丈も袖も、パンツの裾も全てピッタリで驚いた。いつの間に把握していたのか…確か彼は下着のサイズすら一瞬で覚えていたことを思い出した亜希は「洞察力と記憶力が良いんだな」と改めて感心しながら、ゆっくりと朝食の準備を始めた。




▽▽▽




出勤してから始業までの隙間時間、亜希は盛大な欠伸をしている塚内に昨晩の謝罪と感謝を伝えた後、「貰って嬉しいモノってありますか?」と聞いてみる。


「休日だな!」

「……出来ればモノでお聞きしたいのですが」

「モノ?うーん…あ、キュウリの一本漬け!あれ美味いんだよ」

「…………参考にします」


何とも言えない表情を浮かべる亜希に塚内は首を傾げた。


「いきなりどうしたんだ?そんなこと聞くなんて」

「…お世話になっている人に贈り物をしたいのですが、何を渡したら良いのか分からなくて」

「ああ、ホークス?」

「……はい」


なんとなく気恥ずかしくて、小声で聞いてきた塚内の視線から逃げるように顔を背ける亜希。そんな彼女の姿を微笑ましく思いながら、塚内は笑う。


「君が選んだモノなら何だって喜んでくれると思うよ。こういうのは気持ちが大事なんだ」

「気持ち、ですか」

「うん。例えば…君がキュウリの一本漬けに“いつもありがとう”って気持ちを込めるだけで、どんなモノにも勝る最高のプレゼントになる」

「?」


例え話の意味がよく分からなかったが、とりあえずホークスにもっと感謝の気持ちを伝えるべきなんだろうと思った亜希は「ありがとうございます」と一応の礼を述べた。そんな二人の会話を小耳に挟んだ猫頭が、ひょっこり顔を出す。


「何の話ですか?」

「あ、三茶。何を貰ったら嬉しいかって話をしてたんだ」

「警部の好物ですもんね、キュウリの一本漬け」

「あの…玉川さんはどんなモノが良いですか?」


玉川にも聞いてみようと亜希が尋ねると、彼もまた即答で「休日」とのこと。自分よりも長く務める彼らが口を揃えて熱望するほど、警察には休みがないのだ。やはりホークスへのプレゼントについては自分で考えようと思った亜希は、二人に軽く頭を下げてから自分のデスクへと戻って業務に取り掛かった。




▽▽▽




雄英バリアーを破壊した者の詳細は未だ掴めていない。鑑識が夜通しで調べているが粉々になった瓦礫から指紋を見つけるのは困難らしく、担当者から塚内に「これは難しいです」と半泣きで内線が掛かってきた。

現在、遅めの昼休み中。受話器片手に頭を抱える上司を横目にコンビニで買ってきた大盛り唐揚げ弁当を一瞬で完食した亜希は、食後の一服として缶のオレンジジュースを一気飲みしていた。

もう一度、雄英高校に行って現場を見た方が良いか。既に門は修復されているが、もしかすると何か手掛かりが見つかるかもしれない。

そんなことを考えていると突如フロア内に警報が鳴り響き、次いで、


『――緊急通報!緊急通報!雄英高校が多数のヴィランに襲撃された模様!場所は敷地内USJエリア、至急現場に急行せよ!繰り返す――』


スピーカーから流れる音声。ちょうど内線を切った塚内は立ち上がって部屋にいる全員を見渡し、「全員出動だ!」と声を上げた。

パトカーのキーを持った玉川に続き、亜希は塚内と共に駆け出す。やはり昨日、何者かが侵入していたのだ。現行犯で捕まえていたらこんなことは起こらなかったかもしれないのにと思うと悔しい気持ちが溢れる。それに昨日の今日で出入り口の監視は更に厳重になっているだろうに、どうやって敵は敷地内に入ったというのか。

玉川が運転する車内に緊張感が走る。助手席に座った塚内は無線で通報の詳細を確認するが、「二名の教師が救急搬送された」こと以外は、分からなかった。




▽▽▽




生徒達が着ている様々なコスチュームは所々汚れたり破れたりしている。彼らが何十といる敵を倒したおかげで事態は既に収まっており、警察は戦意喪失した敵達の身体拘束をするだけだった。
現場に到着してすぐに広大なUSJ内に敵が潜んでいないかの確認をしていた亜希は、報告の為に塚内の傍に寄る。


「塚内さん、怪しい者はいませんでした」

「そうか…とりあえず生徒らは教室に戻ってもらおう、すぐに事情聴取って訳にもいかんだろ」

「そうですね」


いくら天下のヒーロー科とはいえ、まだ十五やそこらの子どもだ。授業中に突然襲われて怖い思いをしたことだろうと思うと亜希は胸が痛んだ。
彼らはどこか不安そうな表情を浮かべながら塚内と亜希を見つめており、その中の一人、長い黒髪の女生徒がおずおずと口を開く。


「刑事さん、相澤先生は…」

「相澤先生?」


亜希が聞き返すと、塚内が「イレイザーのことだよ」と教えてくれた。彼の本名を知らなかった亜希は目の前の生徒達が相澤のクラスだったのかと、この場にいない彼の身に何が起こったのかと息を飲む。塚内が病院に電話を掛けている隣で、亜希はまん丸の瞳を揺らす女生徒に問いかけた。


「…何があったの?」

「ケロ…先生は私達を守る為に一人で敵達に向かっていって、大怪我を…」


あの人が?あの強い相澤が大怪我?救急搬送された二名の教師のうち一人は彼だったと?信じられないと目を見開く亜希は、塚内がスマートフォンをスピーカーにしたので顔を向ける。

――両腕粉砕骨折、顔面骨折、脳系の損傷は見られないものの目に何かしらの後遺症が残る可能性がある。


「…だそうだ」


更にもう一人の教師である13号は命に別状はないものの重体、オールマイトと、両脚に重傷を負った一人の生徒はリカバリーガールの治癒で十分処置可能とのことで保健室に運ばれたと。

泣きそうに顔を歪めたり、呆然とする生徒達。亜希にも動揺が走った。つい昨日、相澤とは言葉を交わしたばかり。ヒーローという仕事の危険性を目の当たりにし、何と言えば良いのか分からなかった。

保健室に用があるという塚内は現場の指揮を玉川に任せ、目を伏せて立ち尽くす彼女に「立花さんも俺と一緒に来てくれ」と声を掛ける。

亜希は小さく頷き、ざわつく生徒達を横目に保健室へと向かった。



20200904


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