証拠


ふと目を覚ますと、まだ暗い。出発まで随分と時間があったが、ホークスは二度寝せずに亜希の寝顔をじっと見つめ、起こさないように髪を撫でた。小さな体を抱き締めて眠りにつき、起きてすぐ大好きな人の温もりを感じられる今が、ただ幸せだった。


「(…一緒に住みたいな)」


無理だと分かっていても願わずにはいられない。久々の逢瀬、二日という時間は一瞬で終わってしまい、あと少しで福岡に戻らなければならない現実に溜め息が出た。次はいつ会えるのだろう、彼女はまた危険な目に遭うかもしれない。そんな時に傍にいられない現状をどうにかしたくても打開策はなかった。

毎日この可愛らしい寝顔を見て過ごせたら、どんなに幸せか。そう思いながら規則正しい寝息を立てる唇に触れるだけの口づけを落とす。しっとりと柔らかい感触が気持ち良くて指先でふにふにと押しては、なぞった。僅かな吐息を漏らした亜希は起きないものの、ホークスの胸元に擦り寄ってくる。


「ふふっ…」


可愛い、好き、大好きだ。一緒にいればいるほど彼女を想う気持ちが大きくなっていく。少し目を離せば一人でどこかに行ってしまうような亜希を、ずっと腕の中に閉じ込めて放したくない、離れたくない。
そっと抱き締めて彼女の髪に鼻を埋め、シャンプーの香りを吸い込んだ。自分も同じ物を使わせてもらったのに全然違う甘い匂い、この匂いも大好きで、ついスンスンと嗅いでしまう。


「ん……」


くすぐったいのか亜希は少しだけ身動ぎ、そしてゆっくりと目を開けた。覚醒しきっていない大きな瞳の目尻は垂れており、まどろみの中を彷徨っているような朧げな視線が愛しくて、ホークスは小さく笑う。


「…まだ寝てて大丈夫だよ」


優しく言うと、彼女は眠そうな目を擦りながら、欠伸を一つして微笑んだ。


「…啓悟は寝ないの?」

「俺は…亜希さん見てたいから」


さらりと額に掛かる前髪を退かして瞼にキスをする。亜希は恥ずかしそうに、けれども嬉しそうに目を細めながら、ホークスに抱き着いた。


「…私も起きる、少しでも啓悟と話してたい」


背中に回された細い腕にぎゅっと力が入って、彼女の温かさが伝わる。「あんまり可愛いことすると襲っちゃうよ」と耳元で囁けば、「…朝から何言ってるの」と笑いながら顔を上げた亜希と啄むようなキスを何度もして、互いの体温を感じながら笑い合う。なんて幸せな時間なんだろう。


「あ、そうだ…」


ホークスは思い出したように、羽を一枚ふわりと飛ばしてリビングからある物を持ってこさせる。昨日、亜希が警察に戻った後、急いで買いに行った物だ。
手のひらサイズの箱を運んでこさせ、亜希に渡す。


「はい、プレゼント」


突然の贈り物に亜希は上半身を起こし、驚いてホークスを見た。戸惑う彼女の手を取り箱を乗せ「開けて」と言うと、亜希は困ったように眉を下げながら、ゆっくりと包装紙を剥がす。そして箱の蓋を開けた彼女は目を見開いた。


「これ…」

「新しいの持ってなかったでしょ?一番シンプルなやつにしたんだけど、どうかな」


箱の中身は、腕時計。ベルトも文字盤もシルバーで、上品なデザインのもの。彼女が愛用していた腕時計型デバイスのような高性能な物はなかったが、防水、ソーラー機能、電波受信機能は備わっている。

唖然とする亜希に機能の説明をしながら、白い左手首に着けてやる。もう縛った痕は消えていたので隠す必要はないのだが、ホークスにはどうしても、この腕時計を彼女に着けてほしい理由があった。


「ま、待って啓悟、こんな高級な物…」


焦る亜希を無視して、ホークスは笑う。


「あったら便利でしょ?このデザイン嫌?」

「そうじゃなくて、私…啓悟から色々と貰い過ぎてる…」


どう反応したら良いのか分からない亜希の髪を撫でながら「クローゼットにスーツも用意したよ」と言うと、彼女は「え?!」と声を上げて更に驚いた。


「スーツはダメにしちゃったからさ。腕時計は…お詫びの気持ちってことで、受け取ってよ」


あの行為を思い出した亜希は顔を赤くしながら頭を抱え、ホークスを横目で見ながら小さく口を開く。


「……啓悟、何か欲しい物ある?」

「ん?」

「今度は、私が啓悟に何かプレゼントしたい」

「俺が欲しいのは、いつだって亜希さんだよ」


俯く彼女の顔を覗き込んで言うと、亜希は「そ、そうじゃなくて…物で…」とオロオロ視線を彷徨わせた。彼女の熱くなった頬に両手を添わせて目線を合わせるように向けると、明らかに狼狽えている大きな瞳が躊躇いがちにホークスを映す。


「…亜希さんがいい。次会った時は、たくさん抱かせて。もう寝落ちしちゃダメだよ?」


ホークスはそう言って、細い体を抱き締めた。「な、な…」と口籠る亜希は真っ赤になって黙り込むが、否定しないということは承諾してくれたと思っていいだろう。嬉しくて頬が緩むのと同時に、彼の心には…申し訳ない気持ちが浮かぶ。


――どうしても、この腕時計を彼女に着けてほしい理由。

それは、防水、ソーラー機能、電波受信機能と、もう一つ、GPS機能が備わっているから。

専用のアプリケーションがあれば、彼女がどこにいるのか離れていても分かる。購入して真っ先に、ホークスは自分のプライベート用スマートフォンと連動させた。さらに着用者の脈拍を随時アプリ内に記録するという、健康管理機能も付いている。


「(…ごめんね)」


こんな、見張るような真似をしてしまう自分は、心配性なんて生易しいものではない。亜希に依存していて、どんな時も彼女が生きている証拠が欲しかった。昨夜の危険な現場を目の当たりにしたせいで、その思いに拍車がかかってしまったのだ。

悪いことをしていると分かっている、プライベートなんてないようなモノだ。でも、何も四六時中監視しようだなんて思っていない。亜希と連絡が取れなくなった時だけ確認させてもらう。

もし彼女の身に何かあれば、こんなモノに頼らずに駆け付けるつもりだ。けれど、どうしたって自分達の間には距離があって、何も出来ない時も来るかもしれない。一人で突っ込んでいく亜希が命の危険に晒された時、自分がすぐに助けに行けなくとも、GPSがあれば付近の人に知らせることは出来るだろう。


「…ありがとう、大事にする」


何も知らない亜希の言葉に胸が痛むが、ホークスは彼女の首筋に顔を埋めながら小さく口を開く。


「…ずーっと、着けててね」


…ごめんね。どうか許して、こんな俺を。

そう続く言葉は、飲み込んだ。



20200901


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