安心する場所


亜希の食事が終わってから、二人で食器の洗い物をする。「片付けは私が」と言い張る彼女と少しでも離れたくないホークスは隣に立ち、布巾で皿やお椀を拭いていた。

もう乾きかかっている彼女の髪にキスをしたり耳元に唇を寄せたり。ちょっかいを掛けていれば真っ赤になった亜希から「邪魔!」と怒鳴られたが、そんな彼女が可愛いので止めない。

後片付けが全部終わってから、ホークスはドライヤーを持ってきてスイッチを入れる。気持ち良さそうに目を閉じる表情を見つめながら、黒髪を乾かすのがとても好きだった。


「啓悟、ありがと」

「ん。もうほとんど乾いてたから一瞬だったね」


仲良くソファーに腰かけ、亜希の肩に腕を回して隙間なく引っ付く。なんとなく付けていたテレビが今日のニュースを読み上げるのを、二人でぼんやり見るのは心地良い。


『本日、雄英高校の門、通称“雄英バリアー”が破壊されるという事件が起きました。犯人は未だ見つかっておらず、警察は行方を追っています。』

「このニュース…ヒーローネットワークでも流れてたけどマスコミが入り込んだんでしょ?亜希さん確か見回りだったよね、大丈夫だった?」

「あ…うん、現行犯で捕まえられたら良かったんだけど。逃がしちゃって」

「そっか。今日は色々大変だったね、本当にお疲れ様」


柔らかい髪に指を絡め彼女の額にキスを落としながらホークスが言うと、亜希は嬉しそうに小さく笑う。


「啓悟もお疲れ様。雑誌撮影どうだった?」

「ん〜…あ、ミルコさんとの写真が多いかも」

「え、ミルコさん?」


胸元に凭れかかっていた彼女が勢いよく頭を上げたので、白い肩に顔を埋めようとしていたホークスの顎とぶつかりそうになった。危ない危ない。ギリギリ避けてから、自分に向けられる漆黒の瞳を見つめ返す。


「どしたの?」

「…ミルコさん、すごく素敵な人だった」

「へ?」


唐突な言葉に、思わず素っ頓狂な声が出た。え、え、え?と戸惑うホークスを他所に、亜希はじっくりと思い出すようにミルコについて語りだす。

空中で抱えられた時、とても頼もしかったこと。あまり変わらない背丈の自分を軽々と横抱きにできる筋肉の感触や、ビクともしない抜群の安定感。剥き出しの腕は同じ女性とは思えない程に力強く、ただただ、見惚れたことを。


「かっこ良かったな…動きに無駄も無くて」

「…」


亜希がここまでペラペラと他人を褒めるのは珍しい、というか初めてだ。相手が女性だから良かったものの、これが男だったらホークスのヤキモチはとんでもないことになっていただろう。とは言え、いくらミルコであっても面白くはない。嫉妬の対象が相澤からミルコに変わっただけである。
盛大に眉間に皺を寄せて亜希をギロッと睨んでしまうが、彼女は何も気にせずに笑顔を浮かべたまま。


「どうやったらあんなに綺麗な筋肉付くんだろ。憧れる…私もミルコさんみたいな体になりたい」

「え?!」

「え?」


キョトンとする亜希に、ホークスは「あ〜…憧れかぁ」と言葉を濁した。

ミルコの筋肉量は女性ヒーローの中でも群を抜いている。兎の“個性”を活かす為に日夜とんでもない数や量のトレーニングをしていることもホークスは知っていた。いつだったか「お前もやるか?」と誘われたが、あまりにも激しい筋トレメニューを見て「筋肉量増やすと飛行に影響が出るんで結構です」と即答で断ったものだ。


「私、体質的にあまり筋肉つかなくて…でももっと丈夫になりたい」


亜希は刑事課にいた頃、筋肉隆々の狡噛や征陸に憧れ、自分もそうなりたいと思い。プロテインを飲んだりウエイトトレーニングをしたり、とにかく出来ることは何でもやった。しかし望むような筋肉を手に入れることは出来ないまま、現在に至る。

自身の二の腕を触りながら「筋トレしてるんだけどな…」と呟く彼女は、相変わらず細い。その小さな体のどこに高い身体能力を隠しているのか本当に疑問である。

ホークスは亜希の腕に手を伸ばし、程よい柔らかさを残した感触を楽しんだ。ミルコに憧れるのも結構だが彼女は今のままで十分すぎるほどに魅力的。


「俺は、この触り心地めちゃくちゃ好きだよ」

「…筋肉無いって言いたいの?」

「違う違う、気持ち良いなあって」


少し口を尖らせて、拗ねたように「…やっぱり無いんだ」と言う亜希に、思わず笑ってしまった。


「そりゃミルコさん程はね?でも亜希さんも、綺麗に筋肉付いてると思うよ」

「そうかな…」

「うん…特に、ここ」


寝間着の裾に手を差し入れ、薄いウエストをなぞる。引き締まったくびれが美しい、手のひらに吸い付くような瑞々しい肌を撫で上げると、亜希は途端に頬を赤くしてホークスを睨む。


「…くすぐったいよ…っ」

「ん〜?」


とぼけながら彼女を抱き寄せ、ゆっくりとソファーに押し倒した。焦ったような声を上げる赤い唇に自分のそれを重ね舌を絡ませながら覆いかぶされば、大好きな人を簡単に腕の中に閉じ込めることができて満たされる。


「…っ、…啓、悟…んぅ、」


キスだけで真っ赤になる初々しい反応は、いつまで見られるのだろう。こんなにも可愛らしい彼女がいつか、妖艶な顔で自分を求めにくる日は果たして来るのだろうか。もしそんなことされたら悶絶死するかもしれないと思いつつ、ホークスは少しだけ顔を上げて至近距離で亜希を見下ろした。漆黒の瞳が早速潤んでいるのだから、たまらない。
 

「…亜希さん、」

「…ん、」

「大好き…」


微笑んでくれる彼女の体温を確かめるように力強く抱き締める。そっと背に回される腕を感じながら、中途半端に捲れあがった亜希の寝間着を剥ぎ取ろうとした時。彼女が胸に擦り寄ってきたので、思わず手を止めた。


「…啓悟の腕の中、安心する」

「え…ふふ、そう?」

「うん、温かくて…気持ち良い。私も大好きだよ」


ぎゅ、っとしがみ付いてくる亜希が可愛くて、頬が緩む。彼女は恥ずかしがり屋だが、こうやって気持ちを素直に口に出してくれるのが嬉しくて、そんなところも愛しかった。小さな体を押し潰さないように包むと幸福感でいっぱいになる。

しばらく抱き合ってから、さあ、これからもっと気持ち良いことしようよ、と手を再び動かそうとした時、背にあった亜希の腕から力が抜け、ソファーにだらりと垂れた。あれ、まさか…
ホークスが顔を上げると、穏やかな表情で目を閉じて寝息を立てる彼女。


「え、嘘でしょ…なんか前にもこんなことあったような…」


唖然として亜希をじっと見つめるが起きる気配は無い。確か初めて二人で過ごした夜も彼女は一瞬で眠ってしまい、盛大なお預けを食らったことを思い出した。


「亜希さん、おーい、亜希さん…」


あの時は我慢したが、今日は無理だ。散々ヒヤヒヤさせられて心配し、やっと迎えた、落ち着いた二人だけの時間。昨日は無理矢理に近い形で抱いてしまったから、今日は優しく時間をかけてゆっくりと全身を堪能するつもりだったのに。


「ねえ起きて、ねえってば…」

「…」

「亜希さあーん…」


我ながら情けない声が出たと思うが、ホークスは必死で亜希を呼ぶ。けれども体を揺すってまで起こさないのは、心の底では彼女をゆっくり休ませてあげたい気持ちもあるからで。

…いや、でも次いつ会えるか分からないんだし。体触ってたら起きてくれるかな、前に寝込みを襲うような真似をしてしまったから控えたいけど、少しならいいかな。でも疲れてるよな、朝から雄英見回って銀行強盗追い掛けて…あーでもでも、抱きたい。目の前でこんなにも無防備な寝顔を晒すって、それはもう襲ってくれと言っているのと同じなのでは?

亜希をじっと見つめながら、ホークスはひたすら脳内で自問自答を繰り返す。既に自身は熱を持っているし、寝間着から覗く白い肌に噛み付きたい衝動に駆られる。

…しかし、自分の腕の中を安心すると言って、こんなにも幸せそうに眠る彼女に痛い思いをさせて起こすのは可哀想だし申し訳ない…そんなことをして嫌われるのは絶対に嫌だ。


「…はあ、もう…あー…」


ホークスはそっと起き上がり、溜め息を吐いて頭を抱えた。彼女はおやすみ三秒、いや一秒なのだ。それを忘れていた自分が悪い、いや別に悪くはないが、それだけ亜希の疲労は溜まっているのだろう。

…無理をさせる訳にはいかない。我慢しよう、次の機会に今日の分もぶつけさせてもらえば良い、本当は嫌だが仕方ない、そう仕方ないのだ。諦めなければならない時もあると自分に言い聞かせ、ふと閃く。


「…あ、そうだ」


机の上に置いてあったプライベート用のスマートフォンを手に取り、カメラモードにして、それをスヤスヤ眠る彼女に近付けた。音が出るところを指で抑えつけ慎重にシャッターを押す姿は到底ヒーローらしかぬものだが、誰も見ていないのだから構いやしない。


「…可愛い」


完全なる隠し撮りである。フレームに納まった亜希は実物と変わらぬ可愛さでニヤけながら数枚撮った。絶対に彼女にバレないようにしようと肝に銘じつつ、我慢しているのだから別に写真くらい良いだろうと開き直り、全部保存。会えない間は画像越しの寝顔を見て癒されよう。

それから亜希を横抱きにしてベッドまで運び、自分もぴったりと引っ付いて横になる。首の下に腕を入れて、足も絡めて。彼女の温もりを全身で感じられるように隙間なく密着。穏やかな寝顔にキスを一つ落とし、ホークスはやっと目を閉じた。



20200823


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