どうか傷付かないで


始末書と言う名の書類と数時間の格闘を終えた亜希は、思わずデスクに突っ伏す。公用車を破壊してしまった経緯や銀行強盗を逮捕した詳細、それから数多の信号を無視した理由等々。事細かに記載しなければならない報告書の作成はまさに地獄であった。

どれもこれも“犯人を逃がさない為”以外に書くことなんて無いだろうと思いつつ、それらしき堅苦しい言葉を必死に捻出して記入。そうして完成した頃には、二十一時を過ぎていた。

しかし、予想よりも遥かに早く終わらせることが出来たのは。間違いなく、塚内と玉川、二人のお蔭である。


現場に駆け付けた塚内は最初こそ「立花さん無事か?!って、えー?!こ、公用車が!なんでこんなことに?!アレ?!ホークスとミルコ?!え?!」と慌てふためいていたが、隣にいた玉川に「警部、落ち着いてください。立花さんも無事ですし犯人も捕らえられています」と静かに諫められ。

それから二人はヴィランの輸送や現場検証、立ち会わせたミルコへの聴取をテキパキと進めてくれたのだ。

じゃあ、またな!とアッサリ跳んでいったミルコを見送り、ずっと心配そうな表情を浮かべるホークスに亜希は小声で「晩御飯作れそうにない、ごめんね」と声を掛けた。彼から「俺のことは気にせんでいいから…また終わったら連絡して」との返事を貰い、玉川の安全運転で警察本部まで戻ってから、すぐに始末書に取り掛かる。

一人で無茶をした亜希を怒ることなく、塚内も玉川も居残って書類作成を手伝ってくれた。おかげで二時間ほどで終わらせることが出来、感謝してもしきれない。申し訳なさも相まって何度も頭を下げて謝る彼女に、塚内は笑う。


「犯人も逮捕してくれたし新たな被害者も出なかったから、そんな謝らないで。まあ…単独行動は少し控えてほしいかな…心配だからさ」

「はい…申し訳ありませんでした」


深々と頭を下げる亜希をじっと見つめる玉川もまた、ほんの少しだけ、長い髭を垂らすように笑った。


「塚内警部も大概ですが、立花さんも同じくらい運転荒いんですね」

「えっ、俺、運転荒い?」

「自覚ないんですか…昔からずっと変わりなく荒いですよ。警部が運転する車だけは乗りたくないです」

「そ、そこまで言わなくても…」


項垂れる塚内に構うことなく、玉川は驚いている亜希と視線を合わせる。何を考えているか分からない猫そのものの瞳に、穏やかな色を浮かばせて。


「…警部は割と突っ込んで行くので、組むことが多い貴方の身がかなり心配でしたが…そんな必要なかったですね」

「え…」


いつも何か言いたげに自分を見ていたのは、そういうことだったのか。勝手に嫌われているのだろうと持っていた亜希は頭の中で彼に謝る。


「でも、本当にあまり無茶しないでくださいね。我々も貴方に置いて行かれないよう精進しますので、いつでも頼ってください」

「いやホント、若者についていけるか分からないけど俺も筋トレ頑張るよ…」


玉川と塚内の気遣いと優しい言葉を心に刻むように、亜希はしっかりと頷いた。






▽▽▽






本部を出た亜希が彼専用のスマートフォンを取り出し、すぐに電話を掛けるとワンコールも鳴らない内に繋がる。


『もしもし、亜希さん?』

「遅くなってごめん。晩御飯食べた?何か買って帰ろうか?」

『俺は冷凍してた肉じゃが食べちゃった。亜希さんの分は作っといたよ』

「え…ありがとう。すぐ帰るよ」

『あ、待って今どこ?迎えに行く』

「大丈夫、走って帰るから」


亜希はホークスの返事を待たないで通話を切り、走り出した。彼は明け方には福岡に戻ってしまうのだ、早く帰って少しでも一緒に過ごしたい。

今日は朝から雄英バリアーが破壊されたり銀行強盗を追ったりと忙しかったし、正直かなり疲れた。けれど彼が待っていてくれると思えば走るスピードは上がるのだから不思議である。

あっという間にマンションに到着しエレベーターへ。最上階まで運んでもらってから小走りで部屋に向かい玄関の鍵を開けようとした瞬間、内側からカチャリと音がしてドアは開いた。同時に、温もりに包まれる。


「おかえり、亜希さん」

「…ただいま」


ぎゅう、と抱き締められ、亜希も彼の背に腕を回し、視界に広がる赤い翼の根元を撫でるように抱き着いた。いつもは一人ぼっちの部屋で、こんな風に自分を迎えてくれる人がいるのは、なんて嬉しいことなのかと笑みが浮かぶ。


「電話、途中で切ったでしょ。掛け直しても出ないし…」

「あ…ごめん、全力疾走してたから気付かなかった」


早く会いたかったの、と彼女が続けて言えば、ホークスの頬は緩む。しかし、すぐに口元を引き締めて亜希から離れた。


「…ご飯温めとくから、先にお風呂入ってきなよ。お湯入れといたから」

「そんなことまでしてくれたの?啓悟も仕事だったのに…ありがと」

「どういたしまして、あ、俺はもう入ったから。ゆっくり浸かってきて」

「うん」


嬉しそうに頷いて風呂場へ向かう亜希を見送り、ホークスはリビングへ。油揚げとワカメの味噌汁と、作っていた焼きそばを火にかける。

亜希達と別れてから少し寄り道をして帰ってきた為、あまり時間がなく、カット野菜のセットと冷凍してあった豚バラを炒めてソースと麺を絡めただけの簡単な物だが、味はまあまあだ。炊飯器の中には鶏肉と茸たっぷりの炊き込みご飯もある。残りは冷凍しておけば忙しい彼女の食事の助けになると思い、五合炊いておいた。こちらは少し味が薄くなってしまったが、お土産の明太子とでも一緒に食べれば丁度いいだろう。

シャワーの音を聞きつつ時間を見計らって、ダイニングテーブルに料理を並べる。皿に大盛りの焼きそばとお椀から溢れそうな味噌汁、茶碗にこんもりと盛った炊き込みご飯を見下ろすと、およそ人一人が食べる量ではないのだが、彼女は余裕で平らげるだろう。きっと腹も空かせているに違いない。

ホークスの時間配分は寸分の狂いもなく、全て完成したタイミングで亜希がやってきた。濡れた髪から滴る雫が、彼女の肩に乗せられているタオルに吸い込まれていく。
テーブルの上、湯気立つ料理に目を輝かせて、亜希は笑顔を浮かべた。


「美味しそう、啓悟は何でもできるんだね」

「いや全然。どれもすぐ出来る簡単なやつだよ」

「ううん、昨日も作ってくれたし…本当にありがとう。食べてもいい?」

「うん、あ、先に髪乾かさんと…」

「あとでする。今すぐ食べたい」


椅子に座って手を合わせながら上目遣いで自分を見る亜希に、ホークスが仕方ないなあと笑いながら「どうぞ」と声を掛けると、彼女は「いただきます」と言ってから味噌汁を味わうように飲んで、頬を緩ませた。

ホークスは机に片肘を付いて顎を乗せ、美味しそうに食べる亜希をじっと見つめる。大きな口を開けて自分が作った料理を次々に飲み込んでいく様は本当に見ていて気持ちが良いし幸せな気分になる。
できるならずっと見ていたいけど…彼女には、聞きたいことがあるのだ。


「…ねえ、亜希さん」

「ん?」

「…その、今日みたいなことって、頻繁にあるの?」


思い出しただけで心臓が止まりそうになる、あの光景。もしミルコがいなかったら、この小さな体はどうなっていた?猛スピードで駆け抜ける車から投げ出されコンクリートに打ち付けられたら、大怪我では済まないだろう。しかも亜希が追っていたヴィランはライフルなんていう強靭な武器を持ち、彼女が乗っていた公用車のフロントガラスには、夥しい数の銃痕が残っていた。

亜希と離れて約三週間。彼女は毎日こんなにも危険と隣り合わせなのだろうか。ただただ不安で心配だった。ミルコに“チキン野郎”だなんて悪口を言われても仕方ない、だって自分はあの場に間に合わなかったのだから。

泣きそうな顔のホークスに、亜希は箸を止めて目線を合わせる。


「…滅多にないよ。心配かけて、ごめん」


警察に属している限り、ヴィランと衝突することは避けられない。それでも、さすがに今回はやりすぎたかもしれないと亜希自身も反省していた。目の前で犯罪が起これば、つい何もかも振り切って犯罪者を追いかけてしまう。それは決して悪いことではないのだろうが、ホークスや塚内や玉川など周りに多大な心配と迷惑を掛けてしまうのであれば、もっと考えて行動しなければならないのだと。


「…そっか」


申し訳さなそうに目を伏せる亜希を、ホークスはじっと見つめる。どうしたって彼女は前へ突き進んでいくのだ。いくら心配しようが何を言おうが、事件が起これば、またきっと一人で走っていくのだろう。

分かっていたことだ、そんなこと。誰よりも強い正義感を持つ亜希を止めることなんて出来ない。出会った頃から、ずっとそうだ。彼女が犯罪を見過ごすことはあり得ない。今日だって経緯はどうであれ結局自身は無傷でヴィランを逮捕したのだから、むしろ称えるべきなのに。

…いつか、彼女は一瞬で消え去ってしまうんじゃないか。自分が知らないところで傷付いて、痛い思いをして、たった一人で…

その思いが身体中に広まって、苦しい。


「…塚内さんと玉川さんにも、あまり無茶しないように言われた」

「…塚内さん、めっちゃ焦ってたもんね」

「うん…あの、啓悟」

「ん?」

「たくさん心配かけて、本当にごめんね」


ごめんなさい。そう続ける亜希に、何も言えなかった。謝ってほしい訳じゃない、刑事という彼女の仕事を根本的に理解できていなかっただけだ。ヒーローも人のことを言えないほど危険な職業、お互い様だろう。

けれど、自分が傷付くことには慣れたのに。大切な人が同じ目に遭うことだけは、どうしたって避けたかった。…そんな方法は、どこにも無いのだが。


「…もう謝らんで。俺も、心配しすぎでごめん」


ホークスが力なく首を横に振ると、亜希は眉を下げて彼を見つめる。


「今日みたいな真似はしないようにする…気を付けるから」

「…うん」


大好きで、愛しい、大切な人。

どうか、彼女の身に何も起こりませんように。
優しい亜希が、傷付きませんように。

ホークスは手を伸ばし、まだ濡れたままの黒い髪を撫でた。




20200820


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