追跡者


地響きのような轟音が車内を包んでいる。亜希はハンドルを握りながらアクセルを強く踏み込み、数十メートル先のトラックを睨んだ。

とっくに法定速度は越しており、少しでも運転ミスをすれば一瞬で大事故になりそうな程の猛スピードが出ている。帰宅ラッシュが始まり道路は車で溢れていたが亜希は器用に避けていき、トラックから目を離さなかった。数多の信号をフル無視しながら、塚内上司の運転が荒い、だなんて…人のことは言えないなと冷静に思う。

あのトラックは現金輸送車。ヒーローや警察に取り囲まれた為に、犯人は派手に入り口を爆破して目をくらませ、騒ぎに乗じて逃げたのだろう。もしかすると人質も乗っているかもしれない。亜希は片手で無線を操作し、塚内に連絡を取る。「報連相はしっかりやれ」、以前相澤に言われた言葉を彼女は忘れていなかった。


「こちら立花、塚内さん、応答願います」

『立花さん?!今どこ!』

「首都高速付近、トラックは目視確認できる距離にいます。被害状況を教えてください」

『怪我人は多いが人質は全員無事だ、目撃者によるとヴィランは二人、従業員に暴行した後、隠し持っていた爆薬で扉を破壊して逃亡したらしい、どちらもライフル銃を所持してる!』

「全員無事…では連れ去られた人はいないんですね?」

『ああ!ただ奴らは金を持って海外逃亡する話をしていたと証言があった。行き先は空港だろう、今度は飛行機ジャックをするかもしれない!』

「分かりました、止めます」


人質がいないのならば、容赦しない。亜希は即座に右手を腰のホルスターに伸ばして拳銃を取り出し、安全装置を親指で外しながら運転席の窓を開ける。それから腕を外に出して、強い風圧に構うことなくトラックのタイヤに狙いを定め、発砲した。

乾いた銃声音、弾は僅かに逸れて外した。もう一発すぐに撃つが、こちらの攻撃に気付いたのかトラックは揺れるように避ける。


『銃声?!相手はライフルだぞ?!立花さん、え?!止めるって、どうするつもり?!』


慌てふためいている塚内に返事はしないまま、無線の下に設置されているボタンを押して車両天井部分に格納されているパトライトを出現させ、サイレンを鳴らす。お前達を追っているのは警察なのだと犯人に知らせる為に。

少し距離は縮まったか。そう思った瞬間トラックは突然曲がり、高速乗り場へと向かう。亜希は再度両手でハンドルを握りながら同じくカーブし、勢いよくETCバーを突き破ったトラックを追いかけるように高速に入った。


「現在首都高速に乗りました、一般車両の規制をお願いします」

『待って立花さん、一人じゃ危ない!そもそも何で俺のこと置いていったんだ!』

「遅かったので」

『ぐっ…』

「…すみません。ですがヴィランは武器を持っている、新たな被害者が出る前に捕まえたい」

『そ、そりゃそうだけど、』

「大丈夫です、無茶はしません」


たぶん、と心の中で付け加えた時、前方トラックの助手席に人影が見えた。そして同時に激しい銃声が連続して鳴り響き、亜希は咄嗟にハンドルを切って避ける。犯人の一人がライフルで撃ってきたのだ。無線機越しで塚内が心配の声を上げているのが聞こえるが返事をする余裕はない。もう辺りは日が沈んでおり暗く、目視で確認することは困難だったが、亜希はライトをハイビームにしてヴィランの目を眩ませる。

何発かフロントガラスに直撃したが、少し傷が入っただけ。公用車もパトカーも、対敵仕様のため通常の車よりもずっと頑丈な造りであることを彼女は知っている。車体程ではないがタイヤも丈夫なのだ、数発食らったところでスピードは落ちない。けれども蜂の巣にされるのは癪なので、亜希は左右に車体を揺らしながら距離を詰めていく。

何十発もの連続攻撃が止んだ瞬間に引っ込めていた右手を窓から出し、僅かに見えている人影が持つライフルに向かって銃弾を放てば、今度は見事に命中。犯人が手放した大きなライフルが公用車のボンネットに直撃するように飛んで来るが一切怯まず、続いてタイヤに狙いを定める。何度か発砲するが、どれもギリギリで避けられてしまいトラックを停めることが出来ず思わず舌打ちをした。

それでも執拗に撃ち続け、何度も片手で予備弾薬を入れ替えていく。すると今度は運転席から同じライフル銃を構えた男が半身を乗り出すように顔を出し、こちらに向かって撃ってきた。先程の男よりも狙撃技術は上らしい、フロントガラスに当たった僅かな銃弾の痕を狙っており、連続して同じ箇所を撃たれたせいで防弾ガラスにヒビが入った。

しかし、トラックのスピードは落ちている。助手席に座る者が無理にハンドル操作をしているからだろう、亜希は好都合だと言わんばかりにアクセルを更に踏み込み、音を立てて食い込んで来る弾に構うことなく一気に距離を詰めていく。フロントガラスの一部が貫通したと同時に、彼女が運転する公用車はトラックの後方ボディに勢いよく追突し、密着した。


「クソ!見えねえ!」


轟音の中、犯人と思われる男の声が僅かに聞こえる。トラックは乗用車より縦幅も横幅も大きいのだ、ピッタリと後ろに付かれれば撃つことは出来ないだろう。

トラックは追突された衝撃でさっきよりも格段スピードが落ちている。次に、厄介な飛び道具を排除しなければと、亜希はアクセルを踏んだままシートベルトを外し、左手でハンドル操作をしつつ運転席の窓から慎重に身を乗り出す。こちらからは前方も男も見えないが、上半身を出せばギリギリ視界に捉えられるだろう。

トラックのサイドミラーに映らないよう、ゆっくりと、慎重に、けれど大胆に。強すぎる風圧を浴びる中、ライフル銃の先端が見えた瞬間、右手に握る拳銃を迷いなく発砲した。「うわ!」という小さな叫び声と共に前方から降ってくる大きな銃をギリギリで避けた時、

トラックが大きく揺れた。そして、スローモーションのように横に倒れていく。突然の攻撃に驚いた男が勢いよく車内へ戻ったせいでハンドル操作をしていた助手席の男とぶつかり、運転ミスをしたのだ。


「…!」


腰を浮かせて全体重をアクセルに預けていた亜希はブレーキを踏むタイミングが遅れてしまい、横転するトラックに巻き込まれまいとハンドルを切ろうとしたが、遅かった。

シートベルトを外して上半身を乗り出していた亜希の体は反動で窓から綺麗に飛び出し、一瞬で宙へと投げ出される。

運転者がいなくなった公用車は激しくスリップし、回転しながらガードレールに向かって衝突。立ち上がる土煙が視界を遮る中、次は自分が地面に激突してしまう、大怪我では済まない、と、どこか他人事のように考えた。空中で受け身を取ることなんて出来ず、待ち受ける衝撃に亜希が目を閉じて耐えようとした瞬間、

ふわり、浮く体と、この場に似合わない微かなフローラルの香り。


「大丈夫か?!」


すぐ近くで聞こえた声に目を開ければ、褐色の肌と長い睫毛、それに真っ白でふわふわな耳が印象的な…


「あな、た…は…」


ラビット・ヒーロー、ミルコ。 “個性”兎、兎っぽいことを兎以上にできる、トップクラスの大人気ヒーロー。塚内から渡されたプロヒーローリストの上位に載っていた神出鬼没の女性ヒーローが今まさに、亜希を横抱きで受け止めていたのだ。

音もなく綺麗に着地したミルコの腕の中で、亜希はビックリしたまま勝気な笑顔を見つめる。


「一人で無茶したなあ、さすがの私も間に合わねーかと思ったぜ!」


ミルコは「適当に跳んでたら銃声が聞こえたから来た!」と続けてケラケラ笑った。ずっと抱き上げられたままだが、鍛えられたミルコの体はビクともしていない。亜希が驚きつつも「あ、ありがとうございます…」と口を開いた時、近くでバサリと何かが降り立つ音と、「はっ…はー?!」という、聞き慣れた声が響く。


「お、また会ったな!」

「いやいやいやいや!えっ?!何してんですか!!」

「見りゃ分かんだろ、救助だ!」


焦りまくっているホークスの姿を見つけた亜希は、なぜこんなところに彼がいるのかと更に驚く。先程死ぬかと思った瞬間からまだ数秒しか経っていないのに色々と状況が変わりすぎてついていけない。


「亜希さん大丈夫?!怪我は?!」


そんな亜希にホークスは血相を変えながら駆け寄る。彼女をそっと下ろしながら「ん?お前ら知り合いか?」と首を傾げるミルコに、亜希は何と言おうか言葉に詰まった。

自分達が恋人関係であることを知っているのは塚内と相澤だけ。ホークスは知名度も高く女性ファンも多い為、「本当は公表したいけど亜希さんに嫌がらせとかあったら嫌だしメディアも面倒だから、世間にバレないようにする」と話していた彼は現在、ミルコが目の前にいるというのに、何の躊躇いもなく普通に亜希の顔や肩を触りながら「ああ、もうホント何があったの…どこも怪我してない?!」と再三確認してくるのだから、亜希はどうすればいいのか分からない。


「…大丈夫、無傷だよ」

「嘘じゃない?!」

「うん…、あの、とりあえず離れて」


腰にまで手を回してきたホークスの胸に手を当て、やんわりと押し返す。ミルコの視線が痛い、痛すぎる。亜希が居た堪れなさと恥ずかしさから顔を背けると、ホークスはやっと力を緩めて少しだけ離れた。…半歩だけだが。


「お前、もしかして…」


ミルコはそんな二人の様子を見ながら呟いて、亜希を凝視する。ホークスの尋常ではない慌て様と、ついさっきの仕事中での会話を思い出し、彼女がホークスの女なのだとすぐに理解した。

改めて見れば、自分と然程身長の変わらない、けれど対照的に白い肌、細身で、同性であるにも関わらず目を奪われるほどの端正な顔立ちに思わず魅入った。なるほど、ホークスが可愛い可愛い連発するのも頷ける。それにしても相手がまさか警察官だったとは…一体どこで出会ったのだろう。

自分をじっと見つめたまま考え込むミルコに、亜希は控えめに口を開く。


「あの、ミルコさん。本当にありがとうございました」

「え、ああ、いいってことよ!つーか…お前すっげーな!あんな無茶な真似するとは思わなかったぜ〜」


ミルコは笑いながら亜希の肩をポンポン叩いた。本当にとんでもない光景だったのだ。

撮影後、個別インタビューをさっさと終わらせてから、肩が凝ったと思いつつ気晴らしに跳んでいた時。猛スピードで駆け抜ける二台の車を見つけ、事件だと思い後に続けば、トラックを追いかけている覆面パトカーの運転者が自ら身を乗り出して発砲。ありえない、無謀すぎると驚く間もなく事故が起こって、今に至る。


「すみません…ご迷惑をおかけしました」


自身もやりすぎたと反省しているのだろう、深く頭を下げる亜希の髪が揺れる。ほんの一瞬、その白い頸に浮かぶ濃い鬱血痕を見つけてしまったミルコは「あ〜…えげつねえモン付けやがって…独占欲やべえだろ」と思ったが、口には出さなかった。


「本当に痛いとこないんだね?!」

「うん。大丈夫だから、もう落ち着いて」


普段のクールなウイングヒーローはどこにもいない。あの不遜で飄々としているホークスがここまで我を忘れるなんて…珍しいどころではない、動画を撮ってMt.レディ辺りに送れば一瞬でマスコミに拡散されるだろう。

少し呆れながらホークスを宥めている彼女を、ミルコは再度見つめる。


「なあ、お前、亜希?っていうのか、」


そう声を掛けるミルコに亜希が頷こうと顔を向けた瞬間、

彼女の表情は一変し鋭い眼光を浮かべ、数メートル先、ミルコの背後で横転しているトラックに向けて握っていた拳銃を迷わず発砲した。連続して三発の銃声が鳴り響き、次いで「ぐっ…」という呻き声。

一瞬の出来事にミルコとホークスが驚いて振り返ると、トラックの下から這い出そうとした男が小型の銃を握ったまま倒れており、その腕と足からは鮮血がドクドクと流れている。亜希は即座に銃を構えたまま走り出し、唸る男を引きずり出して手錠をかけた。次いで横転している運転席部分に上った彼女は気を失っているもう一人の男を掴み上げ投げ飛ばすように外へ出し、同じように拘束する。

チャート上位のプロヒーロー二人を差し置いて淡々と行動する亜希に、ミルコは感心した。自分の“個性”、兎よりも速く殺気に気付くなんて、並大抵の反射神経ではないだろう。
隣で呆けたままのホークスに向かってミルコは口を開く。


「お前の女スゲーな…私ら立場ねーじゃん」

「えっ、なんで俺の彼女って分かったんです?」

「いやどう見ても分かんだろバカか、言動が分かりやすすぎんだよ」

「そこまで言わなくても…」


あれだけ慌てておいて自覚がないなんて。自分には散々「誰にも言うな、メディアは面倒、彼女に迷惑かけたくない」とか何とか言っていたくせに、本当に隠す気はあるのだろうか。ホークスがこんな態度だとバレるのも時間の問題だろうと逆に心配になる。


「あの動体視力は中々のもんだ。何の“個性”だよ?」

「無個性ですよ」

「え?!まじで?!」

「そんな驚かなくても…って無理か、俺も最初はビックリしました。懐かしいな〜」

「へぇー…オモシレー女だな…」


ミルコは「いやホント亜希さん運動神経もズバ抜けてて行動力ヤバいんですよ格闘センスもあるし…でも心配だから無茶はしないでほしいけど一人で突っ込んでいくから俺の心臓が…」とブツブツ呟いているホークスを無視し、トラックの荷台を開けて中を確認している亜希に近付いた。


「なあ、」

「あ、先程は話の途中ですみません、つい…」

「いやいいんだ、そんなことより敵確保が最優先だからな」

「…ありがとうございます」


ニッと笑いかけると、亜希も小さく微笑む。この超人社会で“個性”を持たない、けれども強く、それでいて綺麗な女。ホークスには勿体ない。もっと良い男がいるだろうに何故あの優男なのか…理解に苦しむ。


「亜希、って呼んでいいか?」

「もちろんです」

「んじゃー亜希、これから宜しくな!」

「え…」

「また何か無茶しそうになったら私を呼べ、あのチキン野郎より速く跳んできてやるよ!」

「ちょっと!チキン野郎て!失礼すぎるでしょ謝ってください!」

「ははっ!うっせ」


ギャーギャー文句を言うホークスと不敵な笑みを浮かべるミルコに、亜希は一瞬キョトンとしてから、小さく笑った。


「…ありがとうございます。宜しくお願いしますね」

「ちょっ、亜希さんも否定してよ!俺は速すぎる男ですよ?!」

「おい喚くなよ、みっともねえーな」

「誰のせいですか!亜希さんも笑わないで!」

「ダッセ〜」


遠くで鳴るサイレンの音が近付いてくる。血相を変えた塚内と玉川が現場に到着するまでの間、二人はずっと言い合いを続けていた。




20200815
補足…何が何でも犯人は絶対に捕まえる、という亜希さんの強い意志は猟犬狡噛さんから学んだことの一つです。ホークスがミルコにペラペラ話していますが、もうバレているしミルコの口が堅いことも分かっているので、今まで誰にも言ってなかった惚気的なことを爆発させている感じです。ミルコ大好きすぎるので「オモシレー女現象」起こしました。


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