全ての始まり


壊された雄英バリアーの破片は採取し、鑑識に回すことになった。どれだけ調べても現場で分かることは何もなく大勢がいても仕方ない、と、亜希と塚内は警察本部に戻ることに。

どう見てもネズミにしか見えない校長や個性豊かな教師達、そして何度も世話になったリカバリーガールに挨拶をしていたら気付けばもう夕方。どこかで遅すぎる昼食を取るついでに公用車で街中をパトロールしながら帰ろうか、という塚内に頷いた亜希は、助手席に乗り込んでからこの不可解な事件について思案する。

突然崩壊した鉄壁は、明らかに何者かによって壊されていた。あんなにも派手に、豪快に、なのに誰にも見つからず。そんなこと可能なのだろうか。それに、あまりにも雑すぎるのが気がかりだった。もし自分が高校内に忍び込むのならば誰にも気付かれないよう最善を尽くす。あんな壊し方をすれば見つかるのは時間の問題だろうに、犯人は何を考えている?まるで、こちらの出方を楽しんでいるような、わざと見せつけているような気がするのは考えすぎなのか。

窓の外に視線を向けたまま難しい顔をして考え込む亜希。そんな彼女をミラーで確認した塚内もまた「うーん」と唸りながら、口を開く。


「犯人の目的はなんだろうね。騒動を起こしたかっただけなのか、それとも校内に侵入するのが目的だったのか…敷地内の全監視カメラに怪しい人物は映っていなかったけど」

「…わざわざ正門を壊すなんて、喧嘩を売ってるとしか思えないです」

「ははっ、天下の雄英にか。でも…無いとは言い切れないな。大事にならないといいんだけど…」

「そう、ですね…」


なんとなく、嫌な予感がした。

この時の亜希はまだ知らない。この予感が、これから自分やホークス、そしてヒーロー社会全体を揺るがす出来事の、始まりだったことを。






▽▽▽


 



「立花さん何にする?俺は焼き魚定食にしようかな」

「私は生姜焼き定食にします」


平日のオフィス街に佇む定食屋。ランチはとっくに終わってもうディナータイムに近いが、この店は昼も夜も同じメニューらしい。中途半端な時間だったため待つことなくテーブル席に案内された二人は注文を済ませから、やっと一息ついた。

店内の時計は十七時を過ぎており、亜希はぼんやりと今日はホークスに晩御飯を作れないだろうなあと思う。そもそも帰れるか微妙だ。鑑識結果が出れば雄英バリアーを破壊した者の調査も始まるだろう。大好きな彼と共に過ごせないのは寂しいが、こればっかりは仕方ない。


「もうこんな時間か…今日は朝からバタバタしたな」

「そうですね。お腹空きました…ここの定食おかわり自由みたいで嬉しいです」


亜希の返答に、塚内はおしぼりで顔を拭きながら笑った。彼女の大食いは警察内でも密かに有名だったりする。デスクワークが長く続いている時期、亜希はひたすらキーボードを叩きながら黙々と何かを食べ続けていたからだ。それがチョコレートやクッキーという、おやつ感覚の物であれば誰も気にしなかっただろう。しかし亜希は、食パン一斤や大量のおにぎり、庁内コンビニの大盛り弁当やバナナ一房など、とにかく量が尋常ではなかった。

いつ見ても何かを食べている彼女を少し注意しようかとも思ったが、匂いのキツイ物を食べている訳ではないし電話もきちんと取るため、何も言えないまま今に至る。それに亜希は仕事が早くミスもほとんど無かったので、職務中の激しい飲食については目を瞑っていた。もしかすると慣れない事務作業で溜まったストレスを食べることで発散しているのかもと塚内は思い、無駄口を叩くでもなく真面目に仕事をこなしながら静かに暴食する亜希を優しく見守っていた。

ただ、“警察試験でほぼ満点を叩き出した無個性の新人”、という、本人も知らぬ内に噂になっていた肩書と、人の目を惹く容姿。配属当時から彼女は目立っていた。人付き合いが得意ではない亜希は相変わらず愛想がなく近寄りがたい雰囲気を醸し出しているのだが、それも相まって、警察内では高嶺の花のような存在として扱われていたりする。そんな彼女の異常な食いっぷりを見た周囲が唖然として引いていたこともまた、亜希は知らない。本人に言ったところで困惑することは目に見えているのでわざわざ伝えないが、自身が話題になっていることに全く気付かない彼女を見ているのは面白かった。

そして、あんなに食べているのにも関わらず全く太らず、むしろ細めの体形を維持していることが羨ましいと塚内は思う。最近、年齢のせいか少しだけ腹回りの中性脂肪が気になっているのは秘密だ。

そんなことを考えていると、店員が両手にお盆を持って現れる。


「お待たせ致しました、焼き魚定食と生姜焼き定食になります。ご飯とお味噌汁のおかわりはご自由にどうぞ」

「どうも、さあ食べようか」

「はい、いただきます」


湯気立つ味噌汁を口に含むと疲れが吹き飛ぶ気がする。オーソドックスな豆腐とワカメの味が身に染みるなあと塚内がお椀を置くと、一瞬で飲み干した亜希が席を立って早速おかわりしに向かったのでさすがに驚いた。こんなに熱いのに…よほど空腹だったのだろうか。
溢れそうな程よそってきた亜希を、塚内はサバの塩焼きをほぐしながら見た。


「立花さん、火傷してない?」

「少し熱かったですが大丈夫です」

「やっぱ熱かったんだ…」


そりゃそうだろうな、と苦笑しつつ、千切りキャベツと生姜焼きを一緒に口に運んでいる彼女を見ると、どことなく幸せそうでこっちまで頬が緩む。食べる量は尋常ではないが、食べ方が綺麗な人の大食いは見ていて気持ちが良い。しかも普段クールな亜希が柔らかい表情を浮かべる貴重な瞬間だ。あんなに無表情だった彼女が…と、まるで娘の成長を見ている気分になる。…娘なんていないが。

ご飯もおかわりするんだろうと思っていたら予想通り、しかも三回もしたものだから塚内はついに声を出して笑ってしまった。いつか相澤が彼女の胃袋を「ブラックホール」と称していたが、上手い例えだと思う。

何故笑っているのか分からないと疑問を浮かべる亜希に塚内は「なんでもないよ」と笑顔を向け、食事に舌鼓をうった。




▽▽▽



腹も満たされ、駐車場に停めていた公用車に戻る。ここから本部までどの道を通るかナビを覗き込んだ時、無線から『パトロール中の全車両に告ぐ!』と勢いのある連絡が入った。


『新宿区二丁目の銀行、敵出現!人質を取って立て籠もっている模様!敵、人質共に人数不明、至急現場へ!繰り返します、新宿区…』

「大変だ、すぐ向かおう!」


亜希が頷いた瞬間、塚内はアクセル全開で公用車を発進させる。タイヤが地面を擦れて耳障りな音を響かせたがそんなことはお構いなしの塚内に、亜希は咄嗟にアシストグリップを掴みつつ本日二度目の荒い運転に食べた物を吐きそうになりながらも耐えた。これから彼と車で外回りをする時は腹八分目にしようと心の中で思う。

しばらくして現場に到着すると、既に数人のヒーローや警察官、パトカーが銀行を取り囲んでいた。規制線である立入禁止テープの外側には野次馬が集まっている。二人が公用車を付近に停めてから人混みを掻き分けると、そこに見知った猫の顔を見つけた。


「三茶!タルタロスから戻っていたのか、状況は?」

「警部、お疲れ様です。ちょうど帰り道に無線が入りまして。私も今来たばかりなので何とも…」


玉川はそこまで言って、塚内の後ろにいた亜希に視線を向ける。彼女が小さく頭を下げると、会釈はしたものの視線を逸らした。亜希は若干の居心地の悪さを感じつつも仕方ないかと諦める。

玉川は、塚内が特に信頼している部下だ。この二人はいつも基本的に行動を共にしていたらしい。しかし亜希が警察に入ったことで変わってしまった。込み入った事情を知らない玉川は塚内の相棒のようなポジションを奪われたと思っているだろう。もちろんそれは亜希の想像で、直接何か言われた訳ではない。しかし普段から何か文句でも言いたげな視線で自分を見ていることは知っていたし、何を考えているか全く分からない猫そのものの大きな瞳が、亜希はどうにも苦手だった。


「どうするか…人質の人数が分からない以上、下手に動いて犯人を刺激したくないな」


現在いるヒーローはパワー型が多いようで偵察などに向いている“個性”はいないようだ。塚内の呟きに、辺りを見渡していた亜希が口を開く。


「…ですが、逃げ場はありません。表も裏も包囲されているので、もしかしたら、」


強行突破するのでは。

そう言おうとした瞬間、鼓膜を破るような爆発音と激しい風圧が亜希達を襲った。瞬時に立ち込める砂埃と舞うような瓦礫に身動きが取れず、蹲るようにして体を守る。しばらくして少しだけ視界が開けた時、亜希は一台のトラックが猛スピードで走っていくのを捉え、声を上げた。


「…塚内さん!鍵!」

「へ?!」

「公用車の!貸してください!」


大声を出す珍しい亜希に驚きつつも、未だ座り込んでいる塚内は咄嗟にポケットから車のキーを取り出す。彼女はそれを引っ手繰るように奪い、「犯人が逃げました追います!」と言って走り出した。


「え、えー!待って立花さん一人じゃ、」

「もう行ってしまいましたよ」


あまり表情に出ないものの自分と同じく驚いている玉川の言葉に、塚内は腰を上げながら溜め息を吐く。洞察力も行動力もある分、いつも一人で突っ込んでいってしまう彼女の身体能力についていけない自分が恨めしい。やはり歳なのか。


「…三茶、被害状況を確認してすぐに立花さんを追うぞ!」

「はい!」


二人は急いで入り口が破壊された建物へと向かった。




20200813


- ナノ -