自分だけの舞



朝食を食べ、私達は熊野本宮に向かう。

宿から見える山の中に本宮があるらしく、馬には乗らずに歩いた。




***





日が真上に上がった頃。

静かな森の中を歩く。突然、汗ばんだ体に冷たい風が当たった。


「結界、だな」

「結界…?」


知盛さんが見えない壁を触るかのように、手を前に差し出した。


「こりゃまた丈夫な結界だな…ま、神聖な場所だからな。怨霊が入れないように結界が張ってあるんだ」

「私達は通れるの?」

「おう。人間は大丈夫だ」


そう言って、将臣君は普通に歩くように前へ進む。

知盛さんは躊躇っている私の手を引いて、ゆっくりと結界を通してくれた。


「あ…」


なんか、空気が変わった気がする…

ただでさえ綺麗な空気だったのに、この結界を通ると、清浄された、すごく澄んだ空気だ。

深呼吸をすると、知盛さんが少しだけ微笑んで言った。


「違いが、分かるか?」

「はい…空気が、とっても綺麗です」

「…そうか」


繋いだ手は離れることなく、ゆっくりと熊野の地を歩く。



―――――ガザ…



「ん…?」

「どうした?」

「今、あっちで物音が聞こえた…」

「風じゃねぇのか?」

「そうかなぁ…」


ふと、どこからか視線を感じる。けれど、辺りを見渡しても何も無くて。


「ほら、行くぜ?」

「う、うん」


気にする間もなく、本宮へと向かった。



***





「へぇ…あの子が平家の舞姫か…」


なるほどね。小さい頃に一度しか見たことないけど、確かに夕ノ姫にそっくりだ。


「ま…俺は姫よりあの子の方が、咲きかけの花みたいで惹かれるけど」


にしても、あの子。

姿までは見つからなかったけど、俺の気配に気付いていたな…


「熊野は平家の舞姫か、源氏の神子…さぁて…どちらに手を差し伸べようか…?」


あの子か、望美か…


「究極の選択…ってやつだな」


熊野別当である俺は小さく呟いて、本宮までの裏道をゆっくりと歩いた。




***





「ど、どうしよう…緊張してきた」


本宮に着き、使いの人に客人部屋まで案内される。私の緊張はなぜだか最高潮に達していた。


「馬鹿。いよいよ別当と会うってのに何緊張してんだっつの」


知盛さんにもらった舞扇を握り締めながら、将臣君と知盛さんの間に座る。

舞を披露するので、今の私は着慣れない白拍子の衣装に包まれている。

私は落ち着くことなくソワソワする。知盛さんは涼しい顔で、将臣君は私を見て苦笑いをしていた。

すると、突然襖が開いて。


「よく来たな!俺は藤原湛快だ」


赤い髪を揺らして、体の大きな男の人が現れた。




***





今、別当は居ないらしい。変わりに、前熊野別当の湛快さんが将臣君の話を聞いてくれた。


「平家は水軍の力が滅法弱い…熊野水軍の力を借りる事が出来たら、この戦は俺達平家の有利になる」

「有利、ねぇ…」

「あぁ。今は源氏に圧されているが…あんた達が平家に付いてくれたら、きっと巻き返せる」


将臣君は湛快さんを説得しようと必死で話した。けれど、湛快さんは首を捻るばかり。


「きっと、ねぇ…俺達熊野は、絶対勝てる方にしか付けねぇ」

「それ、は…」


うつ向く将臣君に、湛快さんは何かを考え込む。


「…少し話は反れるが、夕さん。あんた、神泉苑で雨を降らせたんだってな?」

「え、あ、…はい…」


夕ノ姫がお礼、と言って降らせてくれた。


「…実は、ここ熊野も、最近雨が降ってなくてな。夕さんに雨乞いの舞、やってもらってもいいかい?」

「え…」

「それで…雨を降らせてくれたら、俺達も平家の為に一肌脱ごう」

「…!」


まさかの展開に、私は驚いて声が出せない。雨を降らせる…?

将臣君と知盛さんも驚いているのか、二人とも何も言わない。

そんな私達を見て、湛快さんは豪快に笑う。


「はっはっはっ!ま、夕さんの舞を見たいってのが一番なんだがな。じゃあ、早速来てくれ」


そう言って、湛快さんは中庭に案内してくれた。




***





木々が生い茂り、紫陽花が辺り一面に咲いた中庭。そこには小さな舞台のような場所があって、そこで舞うようにと言われた。

いよいよ、だ…

さっきの湛快さんの言葉…私が雨を降らせる事が出来れば、か。

空は快晴。夕ノ姫が居ない今、私が雨を降らせる事は不可能だ。

仮に雨が降ったとしても…ただでさえ圧され気味の軍に、味方するなんてきっと難しい。

だけど、私の舞を見たいと思ってくれて、こんな舞台まで用意してくれた熊野の為に。味方になってもらえなくても、私に出来る一番の舞を見てもらいたい。

考えていると、緊張なんて、とっくに無くなった。

舞台の真ん中に立つ。

目の前の御座には、湛快さんと、他にも熊野の重臣達が並んでいる。

聞こえてくる琴と笛のメロディーに合わせて、私はゆっくりと舞扇を開いた。




***



パチパチ……


「美しい舞だ……」


湛快さんが静かに手を叩き、それに続いて他の人達も盛大な拍手をしてくれた。

近くにいた将臣君がニコッと笑ってくれて、私も緊張の糸が解けてへらっと笑う。

ゆっくりと舞台を降りる私に、知盛さんが手を差し伸べてくれた。


「お前だけの舞を、舞えるようになったな…」


そう言って、私が転ばないように優しく湛快さんの所まで連れて行ってくれた。


「夕さん、あんたの舞…しかとこの目に焼き付けた」

「…ありがとうございます。けれど、雨を降らせる事が出来ず、申し訳ありません…」


予想通り、雨は降らなかった。
分かっていたものの、貴重なチャンスをモノに出来なかった自分が情けない。

頭を下げると、湛快さんは少し困ったように笑った。


「…いや、謝るのは俺の方だ。熊野は、つい三日前に雨が降った」

「え…」

「…平家の舞姫と呼ばれた夕ノ姫と同じ顔を持つあんたの舞、それを見れば、重臣も気が変わるかもしれねぇ…試したんだ。すまねぇ」

「あんた…!」


怒った将臣君が前に出るのを、私は片手を出して制する。


「…私の舞は、いかがでしたか?」


湛快さんは、微笑む。


「…綺麗だった。夕ノ姫の舞とは正反対の、力強く、儚い舞で…いい歳して見惚れちまったよ」

「…ありがとうございます。そう言って頂けただけで、熊野に来て良かったです」

「夕さん…」


振り返ると、将臣君は呆れたような笑顔で、知盛さんは優しく微笑んでくれる。


「…湛快さん。貴重なお時間を、ありがとうございました」


頭を下げると、湛快さんは私に向かって手を差し出した。


「…もしも、少しでも勝てる確証が持てたら、その時はすぐに知らせてくれ」

「え…」


湛快さんは笑う。


「また、夕さんの舞を見せてくれるなら、力を貸そう」

「…はい!」


握手を交わす。

私と将臣君は顔を見合わせて、大きく頷いた。




20100524


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