ファーストキス
熊野は、私達に希望を残してくれた。勝てる確証を手に入れたら、きっと味方になってくれる。
宿舎に戻ると、将臣君は伸びをしながら言った。
「いやー…本当に夕には助けられたわ」
「湛快さんが夕ノ姫の舞を知ってたから、うまくいっただけだよ」
「何言ってんだよ、夕が居なきゃ門前払いだったぜ」
将臣君は笑って、そして何かを考え込むように黙った。
「…将臣君?」
「…さっき女将に聞いたんだが…源氏の一味が、熊野をうろついてるって噂があるらしい」
「源氏が…?」
「ああ。多分俺らと一緒で、熊野に交渉するつもりなんだろう」
平家と源氏。今は私達が圧されているけど、熊野次第でその戦況は大きく変わるだろう。
「熊野…源氏に味方するかな」
「どうだかな…だが源氏には龍神の神子が居るっつー話だし、俺達よりは勝てる確証があるだろうな」
「…」
確かに勝つ可能性は、平家より源氏が高い。一目瞭然だ。
「まだ詳しくは分かんねーから…明日にでももう一度、熊野本宮に行ってみようと思ってさ」
「明日?」
「別当に会わせる訳には行かねーからな…見つけたら捕まえてやる」
「なら、私も…」
「いや、お前は目立ちすぎるから駄目だ。俺一人で行く」
将臣君はニコッと笑って、私の頭をポンと撫でた。
「大丈夫。無理はしねぇから!な?」
「うん…わかった」
熊野に源氏の味方になられる訳にはいかない。ここは将臣君にお願いするしか無いみたいだ。
「じゃ、俺は朝から行くからよ。お前らはゆっくり帰っててくれ」
「…うん、ありがとう。気をつけてね?」
「おう!じゃあおやすみ」
「おやすみ」
***
夜。
私は宿舎の縁側で月を見上げていた。
「満月…」
銀色に輝く満月は、まるで…
「知盛さんの、髪みたい…」
暗闇の中で輝いていて、綺麗で…
「あの月が、か…?」
突然後ろから聞こえた声に振り向けば、知盛さんが柱にもたれ掛かっていた。
「知盛さん…」
「お隣…宜しいかな?」
「どうぞ」
隣に座った知盛さんは、ゆっくりと私の膝を枕にして寝転がった。驚くと、知盛さんは膝の上から私を見上げる。
「ど、どうしたんですか…?」
「…温もりが恋しくて、な」
顔が熱を帯びて、心臓が高鳴る。知盛さんは優しく微笑んでいて、そして私の顔に手を伸ばした。
知盛さんの手は、少しだけ冷たい。
「暖かいな…お前は」
「そ、そうですか?」
「ああ…とても暖かくて、心地よい…」
知盛さんはゆっくりと目を閉じて、やがて静かな寝息を立て始めた。
「ど、どうしよう…」
気持ちよさそうに眠る知盛さんを起こさないように、私は高鳴る心臓をなんとか落ち着かせて、そっと彼の髪を撫でた。
ふわふわで、さらさらで、綺麗な髪…
気持ち良い手触りで、ずっと撫でていると、知盛さんは猫のように身をよじった。
そして、
「…夕……」
呟かれた、私の名前。
ドキンと心臓が跳ね、頬が緩んだ。
「知盛さん…私……」
ゆっくりと、彼の顔に近付く。
美しい顔立ちの知盛さんの、唇に指を沿わす。
「知盛さんが…好き…」
どうしようもなく、あなたが愛しい。
そっと、触れるか触れないかの唇を、重ねた。
相変わらず知盛さんは眠っているけど、私はとても満ち足りて、そしてとても恥ずかしくて。
「私の…ファーストキス」
一人、いたずらに笑った。
***
朝。目が覚めたら、私は布団の中にいた。確か昨日…知盛さんに膝枕をしていて…そして…
「あ、…」
そうだ。自分からキスしちゃったんだ、私…!思い出すと同時に顔が赤くなるのがわかった。
その時、ふと人の気配を感じて起き上がると…
「…!!」
私の布団の隣、知盛さんが畳の上で寝ていた。布団も何も敷いていない所で、静かに寝息を立てている。
「知盛さん…」
昨日…私も縁側で寝たんだ。それできっと、夜中に起きた知盛さんがここまで運んでくれたんだろう…
「…ありがとう…」
心が暖かくなっていく。
知盛さんの優しさ、募る気持ち。
私は自分の掛け布団を知盛さんにかけて、彼が目を覚ますまでずっと寝顔を見つめていた。
***
「望美…?」
「…将臣君!」
夢を見た。望美と譲を探す夢を。目覚めが悪くてすぐに宿舎を出た俺は、再び熊野本宮に行く道を歩いていた。
すると、覚えのある薄紅の長い髪…
望美だった。
久しぶりの再会…だけど望美はまだこっちに来て半年らしい。俺とは三年以上も差がある。夕も一緒に居ることを伝えると、望美はすごく喜んでいた。
望美と譲は、平家が生んでしまった怨霊を退治する旅をしているらしい。今は怨霊に困っている熊野の為に、本宮に向かう途中らしい。ついでに俺も一緒に行くことになった。
望美が旅をしているメンバーは濃いメンツばかりで、その中には…
「あの…はじめ、まして」
敦盛も居た。
敦盛は、俺から目を逸らし、苦しそうな、そして悲しい顔をしている。
「ああ…」
きっと、俺とは初対面の方が良いのだろう。みんなの前ではそういうことにしておいて、歩いている時に小さく話しかけた。
「敦盛」
「将臣殿…」
「…無事だったんだな、心配したんだぜ?」
「…すみません……」
俯く敦盛に、俺は笑いかける。
「…夕も、すげぇ心配してた」
「…っ」
「お前を探しに、三草山にまで一人で行こうとしたんだぜ?」
敦盛は泣きそうな顔をして、俺を見上げた。
「私、は…怨霊を封じる為に、平家を捨ててしまった…」
「……」
「夕に、合わせる顔がない…」
「…夕は、敦盛が無事だったら、それだけで喜ぶんじゃねーかな」
「将臣殿…」
「安心しろ。平家は俺達が守る…だからお前は、怨霊を少しでも退治してくれよ」
「……ありがとう」
敦盛は笑った。
望美と譲、そして敦盛が一緒にいるなんて驚いたが、でもみんなが無事で良かった。
二人で後ろを歩いていると、望美がこちらにやって来る。
「敦盛さん」
「どうした、神子」
…神子?なんで望美が神子なんだ…?
「先生が後で来てくれって」
「そうか、わかった」
「…なぁ、なんで望美のこと神子って呼んでんだ?」
「え…あの…それ、は」
なぜかどもる敦盛。望美は照れくさそうに笑った。
「怨霊を封印する人を神子って言うんだって」
「…封印?」
神子、封印。俺の中で一つの単語が浮かんだ。
【龍神の神子】…
「望美さんは純粋なお方なんです。封印は心が美しい者にしか成せないので、僕達は敬愛して、彼女を神子と呼ばせてもらってるんですよ」
さっきメンバーの紹介をしてくれた弁慶が、割り込むように言った。
「へぇ…神子、ねぇ」
「良かったらあなたも、望美さんを神子と呼ばれますか?」
「はは、遠慮しとくわ」
ふっと笑った弁慶。なんだか変な感じがしたが、俺はあまり気にしないことにした。
…第一、望美が龍神の神子な訳ねぇよな。
そして、俺達は熊野本宮への道を歩いて行った――――
20100815