雨乞いの儀式
ここ神泉苑は源氏の庭。誰が見てるか分からないから、布を頭から被って顔を隠す。
衣装も着替えず、知盛さんが仕立ててくれた着物のまま、そして知盛さんがくれた舞扇を掲げて、舞台の中心に立つ。
そんな私を…法王様と、将臣君と知盛さんが見ている。
私はゆっくりと深呼吸をした。
「町娘のような女子が出てきたなぁ…何故、顔を隠している?」
「あのような衣で舞台に立つなど、この儀式を馬鹿にしているのか?」
「ちゃんとした白拍子を出した方が…」
見物人の声が聞こえる。
…普通は着物で舞わないだろうし、顔も隠さない。
でも私は普通じゃないから、仕方ない。
「早よう舞え」
急かすような法王様の言葉。
そう、私は舞う為にここに立っているんだ。周りの視線など気にしない。
―――私は力強く舞扇を真横に振った。
それと同時に、優しい琵琶のメロディーと笛の音が奏でられる。
この曲、初めて聞いたはずなのに。メロディーに合わせてテンポ良く舞うことが出来る。
あ…そうだ、この曲は…
「敦盛ー!私あの曲が聞きたいな〜」
「あ、あの…まだ未熟な音なので…っ」
「いいから、私はあの曲の音で舞の練習したいの」
「わ、分かりました…」
夕ノ姫がよく舞の練習をしていた、敦盛君が演奏していた曲。私の中の姫が覚えている。
でも、同じ曲でも、私は違う。
私は私の舞を舞うんだ。
…知盛さんに、見てもらう為に。
舞も終盤に向かい、目を閉じる。
その時、頭の中に響く…彼女の声。
「夕ちゃん、本当に美しい舞だわ」
「夕ノ姫…」
「私とは全く違う舞…すごく綺麗」
「ありがとうございます…」
姫に褒めてもらえるなんて…すごく嬉しい。
「ねぇ、私…夕ちゃんに、お礼をしなくちゃいけないわ」
「お礼…?」
「あなたのおかげで、やっと私も黄泉へと行ける」
「……」
「死んでからずっと、どんな形でも知盛様の側に居たかった。笑わなくなった知盛様を置いて逝けなかった…」
「夕ノ姫…」
「でも、今は夕ちゃんがいる。知盛様を笑顔にしてくれる」
「…私、が……?」
「そう。だから…もう私が思い残す事はないの。夕ちゃんとも、これでお別れね」
「そんな…夕ノ姫…夕さん!」
「やっと、名前で名前で呼んでくれたね」
「…お別れなんて…嫌です…」
「…私の記憶は、今もあなたの中にある。あなたが生きている限り、私の記憶もあなたの中で生き続けるわ」
「夕さん…」
「だから、大丈夫。辛くなっても、悲しくなっても、みんなが居るから」
「…はい。夕さん、ありがとう…」
「こちらこそ、ありがとうね…あなたに幸せが溢れる事を願っているわ」
目を開くと同時に、夕さんの声も気配も消えた。
代わりに…
―――――ポツ、ポツ…
「雨……」
…夕さんのお礼って、きっとこの雨だ…
薄暗くなった空から、小粒の雨が降り出す。
「龍神に認められたか、舞姫と同じ顔を持つ夕よ」
そう呟く法王様の声が聞こえた。
雨はほんの数分程で止み、その間私はずっと布越しに空を見つめていた。
既に演奏の曲も終わっていて、雨が止んだと同時に、舞台に一人の貴族のような男の人が上がってきた。
「誠に素晴らしき舞手よ!そち、名は何と申す?」
「…名乗る程の者ではございません」
一歩後ずさる。しかし男の人はゆっくりと距離を縮めてきた。
「では是非とも顔を見せてたもれ」
「いえ、私は…」
「良いではないか!ほら、早よう布をどけるのじゃ」
布に手を伸ばしてきた。私は布をぎゅっと握り締める、
その時。
「その手をどけろ、無礼者」
「な…お主は…」
―――オレンジ。
長いオレンジ色の髪を結った男の人が、私の前に立ちはだかった。
「この神聖なる場所で、嫌がる女人に触れようとするなど何事だ!」
「く…」
男の人が怒鳴ると、貴族の人は彼を睨みながら足早に舞台から降りて行った。
「…大丈夫か?」
「え…あ、はい、ありがとうございます」
「なら良かった」
振り向いたその人は笑顔で頷いて、舞台から一緒に降りてくれた。腰に刀を差している…武士なのだろうか。
「九郎、」
「これは後白河院、勝手に舞台に上がってしまい失礼致しました」
九郎と呼ばれた彼は、舞台下に居た法王様に深々と頭を下げた。
「いいのじゃ。夕、九郎には名も顔も隠す必要はない」
「あ、はい」
私はゆっくりとマントを取り、九郎さんを見つめる。
「本当にありがとうございました、私は夕と言います」
「………俺は、九郎だ」
何故か戸惑いながら手を差し出した九郎さんと、私は握手を交わす。一瞬九郎さんの顔が強張った気がした。
「九郎、夕は地方で舞をしている者でな。顔を人に知られたくないから隠していたのじゃ」
「…そう、ですか」
「夕のことは他言無用に頼むぞ」
「…分かりました」
九郎さんは仕事があるらしく、法王様に別れの挨拶をしていた。
「では、夕殿。機会があればあの美しい舞をまた見せてくれ」
また会えるのだろうか。きっとそんな確率なんて無いに等しいけど、私は…
「…はい。また、どこかで会いましょう」
「…そうだな。では、失礼する」
また、九郎さんに会える気がした。
先程交わした夕殿の手のひら。
地方で舞だけをしている者の手にしては、豆が多すぎだった。
あのような手のひらは…
「刀を握る手だ…」
そして、【夕】という名前。
以前望美が言っていた、この時空に共に来たという幼なじみの名前と同じ。
「…………」
考えすぎ、か。
どうせまた後白河院の気に入った白拍子だろう。そんな白拍子はたくさん居るしな。
そうだ…明日も行われる雨乞いの儀式に、望美達を案内する為に仕事を終わらせておかなければ…
俺はあまり考えないようにして、仕事の持ち場へと戻った。
舞台から戻ると、将臣君は少し焦った顔で出迎えてくれた。
「夕!大丈夫だったか?」
「うん、平気だよ」
「マジでヒヤヒヤしたぜ…よく見えなかったが、助けてくれた奴に感謝だな」
すると、知盛さんはじっと私を見つめた。
「…あの男の名は?」
「…九郎さん、と仰ってました」
「…クッ、やはり…あのタヌキは信用出来んな…」
「…?」
タヌキ…法王様?
何なんだろ…私はさっぱり意味が分からないままだったけど、用事は済んだので三人で宿へと戻った。
20091217