漆黒の舞扇
翌朝。
藤子さんが居ないので自分で着付けをする為に早く起きた私は、持ってきた着物を見つめた。
春物で、薄いピンクに赤い花が刺繍されている可愛らしい着物だ。羽織ってみるとサイズもピッタリ。
出掛ける時に藤子さんが荷物をまとめて渡してくれたので、藤子さんが仕立ててくれたのかもしれない。
ぎこちなかったが、なんとか自分で着物を着ることが出来た私は、朝食の待つ部屋へと向かった。
***
「あ…」
「……」
部屋に入ると、そこにはまだ眠そうな知盛さんが頬杖をついて座っていた。
…普段は男用みたいな着物を着ているので、改めて女物の着物姿を見られると恥ずかしさが込み上げてくる。
「お、おはようございます」
赤くなる頬を隠すように下を向くと、知盛さんは立ち上がり私の目の前まで来て、顔を覗き込むようにしゃがみ込んだ。
「よく、似合っているな…」
「知盛さん…」
「…お気に、召されましたかな?」
優しく微笑んだ知盛さんに、私は驚いて声を出した。
「これ…知盛さんが?」
信じられないような顔をすると、知盛さんはゆっくりと頷く。
「お前に…夕に似合うモノを、用意した」
「なんで…」
嬉しすぎて涙が出そうになる。知盛さんは私の髪に手を伸ばした。
「いろんな姿のお前を、見たいんだ…」
切なそうに、だけど…大切なものを扱うかのように、ゆっくりとゆっくりと髪を撫でる知盛さんの手。
くすぐったくて、だけど心地よくて…この時間がずっと続けば良いと思った。
…んだけど…
――――ガラッ!
「いや〜よく寝た!って……あ」
「っ!!」
「……有川…」
寝癖をガシガシとしながら将臣君が勢い良く部屋に入ってきて、私はとっさに知盛さんから離れた。
知盛さんは髪を撫でていた手をゆっくりと引っ込め、将臣君を睨んでいる。
「な、なんだよお前ら…朝からイチャついてたのかよ!」
気まずそうにあたふたする将臣君に申し訳ない気持ちが募り、私は赤くなった頬を冷ましつつ謝った。
「ち、違うの、べべ別にそんなんじゃなくて…」
「…って、お前その着物…」
私の着物姿を見て、将臣君は優しい笑顔で頭を少しだけ掻いた。
「…似合ってんじゃん」
「あ…ありがとう」
お互いに照れて笑うと、知盛さんがいきなり将臣君の足を蹴った。
転けた将臣君は一瞬呆然とし、打ったであろう腰を抑えつつ知盛さんに怒鳴る。
「いきなり何すんだお前は!」
「…いいから食え…飯が冷める」
黙々と、だけどゆっくりと朝ご飯にお箸をつける知盛さんに、将臣君はニヤリと笑う。
「…知盛、お前妬いたのか?」
「黙れ…」
「ぶふふ…!おーおー、あの知盛がね〜ははは!」
「…黙れと言っている」
そんな知盛さんを見て、なんだか嬉しい気持ちになる。
からかう将臣君に本気で怒りそうになる知盛さんを見ながら、私は幸せな気持ちで朝食を食べ始めたのだった。
***
たわいない話をしながら朝食を済ますと、将臣君は伸びをして立ち上がった。
「そろそろ、俺は行くわ」
「どこまで行くの?」
「…ちょっと、夢を見てな。まずは下鴨神社の方にでも行ってくる」
「夢…分かった。気をつけてね」
「おう。知盛、こいつの事頼んだからな?」
「言われなくとも…」
「ははは!じゃあな!」
「行ってらっしゃい」
将臣君はラフな服装で部屋を出て行った。残された私と知盛さんも、出掛ける支度をして立ち上がる。
「…行くか?」
「…はいっ」
ゆっくりと歩み始める知盛さんから離れないよう、隣に並んで宿を出た。
***
「わぁ…」
京は、想像以上に盛んだった。デパートやコンビニ、遊園地もない時代だし、静かなんだろうなと思っていた自分が恥ずかしい。
そんなもの無くても、現代からは考えられないくらい…人の元気で満ち溢れている。
感動しながら町を見渡し歩いていると、店の前に立っていたおばさんがこっちを見た。
「ちょいとお二人さん!この団子なんでどうだい?」
突然のおばさんの勧誘に驚くと、知盛さんが私の前にきた。
「…二本頂こう」
「毎度あり!」
「知盛さん…」
「食べるだろう?」
「…はい!」
お団子を頬張る。ほんのり甘くて素朴な味のお団子は、すごく美味しくて。
「…そんなに、旨いか?」
「はい!すっごく美味しいです」
にっこり笑うと、知盛さんも優しく微笑んでくれた。
お団子を食べてから、またゆっくりと歩き出す。たくさんお店が出ていて勧誘もいっぱいされるけど、知盛さんは全部無視していた。
だけど…
「そこの美男美女のお二人さん!この舞扇なんてどうだい!」
「……」
知盛さんは舞扇のお店の前でいきなり立ち止まった。私も止まり、その店を見渡す。
色とりどりの柄や布で施された舞扇が美しく並んでいる。
「わぁ…綺麗…」
「だろう?可愛いお嬢さんに似合う扇もいっぱいあるよ!」
眺めていると、知盛さんが私を見た。
「…舞扇は持っているのか?」
「あ…はい、以前重衝さんに頂いたので…」
「……重衝?」
「はい。舞を教えてもらう時に頂きました」
銀色が基調の、紅色の桜が描かれた舞扇。
「………」
「知盛さん?」
黙り込んだ知盛さんは、じっと店内を見渡した。何も言わない知盛さんは、数秒ある舞扇を見つめ、おじさんをギロリと見下ろした。
「あの扇を…」
「お目が高い!ただいまお持ち致しやす!」
「え…知盛さん…」
おじさんは慣れた手つきで舞扇を包み、知盛さんに渡した。
それを受け取り、金貨のようなものを数枚渡す。
「旦那、こんなに…」
「行くぞ」
「は、はい」
「…ありがとうごぜえましたぁ!」
深々と頭を下げるおじさんを後にし、知盛さんは人気の少ない森の方へと歩いて行った。
はぐれないように急いでついて行く。
***
無言で人気の無い場所まで来た知盛さんは、木の幹にもたれかかるように座った。私も隣に腰を下ろす。
「……やる」
「へ?」
知盛さんは先程おじさんに包んでもらった舞扇を私に向かって差し出した。
やる、って…
「お前に、似合う扇を選んだ」
「私に…?」
「…そうだ」
「でも…」
「…開けてみろ」
戸惑いつつその包みを開ける。
――漆黒に、真っ赤な蝶が舞うようにして描かれている…少し小さな舞扇……
「綺麗…」
「…舞う時は、これを使え」
「…はい」
重衝さんに頂いた舞扇とは全く逆の色合いのそれは、美しすぎて私には勿体ない代物だけど。
こんなに美しい舞扇を私に選んでくれたこと、そして、勘違いかもしれないけど…
「重衝にもらった舞扇は捨てろ」
「…そ、それは出来ません」
「チッ…」
もしかして、ヤキモチ…妬いてくれたのかな?なんて。
「…知盛さん、大事にします」
「…あぁ」
すっごく嬉しい。
20091123