私にできること
重衝さんに舞を教えてもらえることになった私は、翌朝早々に起きて、庭で空を見上げていた。
「今日は晴れ、かな…」
白い雲が青い空によく映えていて、綺麗。テレビがないここでは、自分で天気を予想するしかない。
「……」
この時代に、だんだんと体が慣れてきた。それは喜ばしいことなんだろうか?
目覚ましの機械音ではなく、鳥のさえずりで起きて。
昼間は澄んだ空気の中で、剣道をしたり。
月と蝋燭だけが灯りの夜、風の音を聞きながら眠りの世界へと。
そして、戦…。
この手で、人を殺す。
何度も体を洗ったのに、何故だか血の匂いだけが取れないのは、私の気のせいだろうか?
「ううん…取れない方が良い…」
これは、この匂いは。私の罪の証だから。
戦が続く限り、これからも私は人を殺すだろう。平家のみんなを守るために。
…覚悟は出来た。
もう、戦場で躊躇わない。
「だから、どうか…」
みんなが幸せでありますように。誰も悲しまないよう、私が戦うから…
私は誰にも気付かれないように、心の中でそっと誓いを立てた。
***
しばらくして。
「おはようございます、夕様」
「重衝さん、おはようございます」
にっこりと笑う重衝さんは、綺麗な布に包まれた何かを私に差し出した。
「これは…?」
「舞扇です。貴方に似合うものを選んできました」
重衝さんはそっと布を広げた。
中から出てきたのは…銀色が基調で、紅色の桜の刺繍がされた舞扇だった。
「綺麗…」
宝石やラメが付いていないのにキラキラと輝くそれに、思わず目を奪われた。
「よく、お似合いですよ」
「あ…でもお金…!」
こんなに綺麗な舞扇だ。この世界での値段は分からないけど…絶対何十万円とかする気がする…
「これは、私から貴方への贈り物です」
「でも…」
「夕様、どうか受け取って下さい…それとも、この模様はお気に召しませんでしたか?」
悲しそうな彼に、私は全力で首を横に振る。
「すごく綺麗だし、嬉しいんです!でも…」
やっぱり受け取りにくい。だけど重衝さんは、嬉しそうに微笑むと私の髪を撫でた。
「良かった…貴方がその扇で舞う姿は、考えただけでも美しい…」
至近距離でそんな事を言われると、有り得ないくらい恥ずかしくなってしまう。赤くなる顔を誤魔化すように、私は必死で言葉を探した。
「あ…あ、あの!舞の練習はどこでするんですか?」
「ああ、そうでしたね…今日は天気も良いことですし、庭でいたしましょうか」
「はい!」
布を取り、舞扇を手に持った。その時…
「大丈夫よ。夕ちゃんなら舞えるわ」
「…夕ノ姫……」
頭に響いた彼女の声に、私はしっかりと頷く。
…うん…貴方みたいに舞えなくても、私もきっと舞えるはず。
「私は貴方で、貴方は私…なんでしょ…?」
どうして彼女の声が響くのか、とか、なんで姫が私なのか、とか。分からないことだらけだけど…
同じ顔を持つ彼女に以前言われた言葉を、近くにいる重衝さんに聞こえないように。
そっと呟いた。
***
「あ、あれ…?」
「夕様…」
「ん?…??」
重衝さんの言う通りにやっているつもりなのに、なかなか思うように行かない。なんか…もっとなめらかに舞いたいのに、カクカクとしたロボットダンスみたいになる。
「夕様、そこで手首を回して下さい」
「こ、こうですか?」
「………」
何とも言えない顔の重衝さんに、申し訳ない気持ちが膨らんでくる。やばい…舞ってこんなに難しかったんだ。
全然ちゃんと舞えないじゃない…!重衝さん困りきってるし、私もどうしたら良いか分からない。
「あ、あの…」
自分が情けなくて、恥ずかしくて。おずおずと声を出すと。
後ろから、何かに腕を掴まれた。
振り返ると、
「何をしている」
知盛さんだった。
驚いていると、重衝さんがこちらに向かって歩いて来る。
「兄上、邪魔をしないで頂きたい」
「…お前には聞いていない」
「手をお離し下さい」
「…俺が掴んでいるのは、お前じゃない」
知盛さんはそう言うと、唖然としている私を見下すように見つめた。
「で…?」
…以前、剣道の練習をしていた時も、今と同じように知盛さんに詰め寄られた。ただ一つ違うのは、あの時みたいに…知盛さんが怖くないということ。
きっと、私に覚悟ができたからだろう。
「…自分に出来ることがあるなら、どんなことでも…私はやりたいんです」
「………」
「姫みたいに舞えないのは分かっています。でも、何もしないより良いはずだから」
…本当は、知盛さんに知られたくは無かった。姫と同じ顔の私が舞なんかしたら、否が応でも思い出してしまうだろう。
そして、益々姫と重ねて見られるかもしれない。
…でも、知盛さんが見てくれるなら…【姫】だろうが【私】だろうが…どっちでも良いと思う自分もいる。
それが彼を傷付けてしまうことだとしても…
「…夕」
「…は、はい」
知盛さんはしばらく無言だったが、ふと私の名前を呼ぶと、掴んだ腕はそのままに…私の背後に回った。
「…肩に力が入りすぎ、だ」
「え…」
「もっと息を吐け…」
「は、はい…」
…知盛さんが、教えてくれている。
「…俺に、委ねろ」
耳元で言われるがままに、体の力を抜いた。知盛さんは器用に私の腕と腰を支えながら、さっき重衝さんが教えてくれた振り付けをやってくれた。
…出来てる…!
さっきまではあんなにガチガチだったのに、知盛さんが腕と腰を支えてくれているから、自然に出来た。
「…出来た…出来た!知盛さん、ありがとうございます!」
「…お気に召したなら、何よりだ」
そう言って笑った知盛さんは、すごく優しい笑みをしていた。
…というか、さっきすごく密着してた気が…舞ってる時は気持ち良くて気にならなかったけど…は、恥ずかしい!今更ながらに頬が赤くなる。
ふと、知盛さんは重衝さんに向き直った。
「…重衝」
「…はい」
「お前に譲るつもりは無い…どちらも、だ」
「兄上…」
…譲る?どちらも?
何のことだろうか。
知盛さんはそれだけ言うと、ゆっくりと屋敷の中に戻ってしまった。
残された重衝さんは、無表情。私は舞扇を握り締めて、彼にそっと歩み寄った。
「あの、重衝さん」
「夕様…」
「本当にありがとうございます。最初の段階は何とか出来るようになったので、次も教えてくれませんか?」
「…しかし、私より兄上の方が…」
「重衝さんの教えが無かったら、さっきだって出来ませんでした。それとも…駄目ですか?」
迷惑かなと思っておずおず尋ねると、重衝さんは柔らかく首を横に振った。
「…いいえ…むしろ光栄です。私に出来る限り、貴方にお教えしましょう」
「ありがとうございます!」
平家の為に私が出来ることは限られている。その少しの出来ることを、今は精一杯やろう。
きっといつか、役に立つはずだから…
20090225