想い人(重衝視点)
「…舞、ですか?」
「重衝さん、お願いします。私に教えてくだいませんか?」
敦盛が蘇り、平家の皆は大いに喜んだ。夜はいつもよりも騒がしい宴会を開き、楽しい時間が過ぎていた頃。
「私は構わないのですが…何故、舞など…」
縁側で夜風に当たっていた私の元に、夕様がやって来た。
「…先日の戦の時、死んでいった兵の皆さんが、私を見て【最期に貴方の舞を見たい】って言ってたんです」
「夕様…」
「私は夕ノ姫じゃない。けど…彼女の舞を再現出来るのは、きっと私だけだから」
悲しそうな顔で呟く夕様は、一体どれほど悩んで、私に言いに来たのだろうか。もう居ない姫と比べられ、自分に出来ることを必死で探して…
戦で死んでいく兵に、彼らが望む【姫の舞】を見せてあげる為に。
「…貴方は、お強いのですね」
「…強くなんてない。強くないから、【姫】の存在に頼っているんです」
「いいえ、貴方は…」
強い。
先の戦で、たくさんの辛い思いをしたハズなのに。今なら、もう戦に出ないという選択肢も選べるのに。
なのに貴方は、より辛い方を選んだ。
「…私の舞で良ければ、喜んでお教え致しましょう」
「重衝さん…ありがとうございます!」
その辛さを微塵も感じさせないくらい、目の前の夕様は嬉しそうに笑う。どうしてそんな風に笑えるのだろうか?私には全く分からない。
そこで…ふと、頭に疑問が浮かんだ。
「あの…夕様、舞は私より、兄上の方が詳しいですよ?」
「あ…その、私は重衝さんが良いんです」
その言葉に、心臓が跳ねた。
私が良い…?
夕ノ姫はもちろん、夕様も兄上を見ていたと思っていたのに…
高まる気持ちをなんとか隠し、夕様に尋ねる。
「あ…の、それは、何故ですか?」
すると夕様は、どこか悲しそうな、困ったような笑顔を浮かべた。
「知盛さんは…たぶん平家の誰よりも、夕ノ姫の舞を見てきたと思うから…」
「……」
「ただでさえ…私、顔がそっくりなのに、これ以上夕ノ姫と同じ事をしたら、知盛さんに悪い気がして」
嗚呼、私はなんて…
「夕様…」
「…ごめんなさい。すごく自分勝手な理由で、重衝さんを頼ってしまって」
そっと、彼女の頭に手のひらを置いて、その柔らかい髪を撫でた。
「夕様のお頼みを、断る訳など存在しません」
「…重衝さん…」
「私で良いのであれば、貴方に舞を伝えます」
「…ありがとうございます!」
嬉しそうに笑う夕様を、どうしようもなく愛しく想う。
そして彼女は、やはり兄上を想っていた。想うが故に、兄上の視線の先に居る人物に気付いてしまった。
私は、なんて愚かなんだろうか…
夕様の気持ちに気付かず、自分の愚かな感情に一瞬でも舞い上がってしまった。
本当に、愚かだ。
「夕様、どうか私を…お許し下さい」
「へ…?」
「私は愚か者です、どうか…」
「…重衝さん、」
夕様は私の手を握った。
「夕様、」
「重衝さん、どうしてそんなに自分のことを悲観するんですか?何も悪くないのに謝るのは良くないですよ?」
「私は…」
「私は重衝さんが愚かだなんて思ったことありません。重衝さんはいつも優しい人です」
この前だって、私と敦盛君を守ってくれたでしょう?と微笑む夕様に、つられるようにして笑ってしまう。
やはり夕様は、夕ノ姫とは違うお人だ。
姫は彼女ほど、私を暖かい気持ちにしてはくれなかった。
「…夕様、ありがとう…」
貴方が兄上に想いを寄せるのと同時に、私も貴方へ、愛しい想いを募らせることでしょう…
そして。
「兄上」
「…重衝……」
夜も更け、夕様と別れた後。私はまだ起きているであろう兄上の部屋へと向かった。
…予想通り、兄上は縁側で一人、月見酒をしている。
「兄上、お話があります」
「…飲み足りないのか?」
「いいえ、…夕様のことです」
「…」
彼女の名前を出すと、兄上は眉間にシワを寄せてこちらを向いた。
私は座ったままの兄上を見下しながら、低い声で問いかける。
「率直にお尋ねします。兄上は、夕様のことをどう思っているのですか」
「…それを聞いて、どうするつもりだ」
「…別に。ただ、兄上は【姫】と【夕様】を区別しきれていないのでは、と思いまして」
兄上はゆっくりと立ち上がり、私の胸ぐらを掴んだ。
「何が言いたい…」
「まずは私の質問に答えて頂きましょうか」
互いに睨み合うが、兄上も私も引かない。
「お前には、関係ないだろう」
「…兄上は、夕様のお気持ちを考えたことがありますか?」
「……黙れ、」
「夕様は、ずっと辛い想いをしていらっしゃるのですよ?」
「…重衝……」
兄上は、私の胸ぐらを掴んだまま柱にぶつけた。背中に激しい痛みが走るが、兄上を睨みつける視線は外さない。
「…兄上が、まだ姫を想っているのは知っています。けれど…夕様を通して姫を見るのは、あまりに残酷だ」
「………」
「姫と夕様は、違う」
そう言うと、兄上は手を離した。
「…そんな事、分かっている」
「兄上…」
夜空へと視線を移した兄上につられるように、私もそちらを見た。
「分かっているさ…」
「……」
「ただ、……」
「…兄上?」
兄上は縁側に座り直した。
「…今宵は十六夜…か…」
「……」
「満月から少し欠けた月…」
「兄上…」
それきり何も言わずに、兄上はただ十六夜の月を見上げていた。
一人、真夜中の庭を歩く。
兄上が今、本当に想う人は…誰なんだろうか?
「けれど…」
分かったところで、私の恋は実らない。
兄上が姫を想い続けていようと、夕様を想っていようと…
夕様は、兄上だけを見ているのだから。
「私は、いつも叶わぬ恋をする…」
切なく輝き続ける十六夜の月を見上げて、自嘲気味に笑った。
20090217