記憶
全力で馬を駆けた俺と有川は、膝をついて肩で息をする重衝を見つけた。
「く…っ、夕様と敦盛が!」
「なんだと…?!」
無我夢中で森を駆ける。
どこだ、どこだどこだ!!
――――ザァァァ…
雨で視界がくもる。
必死で辺りを見渡すと前方に複数の敵を見つけた。そいつらは、たった今射ち終わったであろう弓を持って佇んでいて。
頭の中に、嫌な予感がよぎる。
馬から飛び降り、無音でそいつらに近寄って双剣で薙払った。
焦る気持ちを隠すように、俺はとにかく走る。
夕、夕…!!
走って、森の深い茂みに入る。
そこで、俺が目にしたもの。
「許さない…」
転がる敦盛。
「絶対、許さない…!」
刀を抜いた、夕。
まるで夕が…夕ノ姫が舞っていた時のごとく、軽やかに、優雅に美しく。
刀を舞わせ…血が飛び散る。
目が、離せない。
間抜けな敵は夕を見て、姫が蘇ったんではないかとざわめく。
「うるさい…」
赤黒い刃が、雨に濡れてギラリと光る。
「夕ノ姫じゃない!!!」
雨と、血が混ざり合う。
あっという間に、夕を囲んでいた人間は地面に横たわっていた。
「敦盛君」
転がる敦盛に近寄った夕は、刀を地面に突き刺して、泣き崩れた。
痛いくらい悲しい悲鳴が、雨の音にかき消されながらも俺の耳に届く。
ゆっくりと近付くと、夕は地面が食い込むくらいに手を握り締め、小さな嗚咽を繰り返していた。
「…夕」
「う…くっ…あぁ…ぁ…」
「夕、」
夕の腕を掴んで振り向かす。折れそうなくらい細いそれには、全く力が入ってなかった。
「…あ……」
「…夕」
全身を赤黒く染めた夕は、雨や涙や土で瞳を濡らしていて。
頬を、透明な水と赤黒い血が流れている。
黙って抱き締めると、夕は俺の胸に顔を埋めて、声を押し殺すようにして泣いた。
震える肩を冷やさないように、出来るだけ強く抱き締める。
「…ふっ…ぅう……」
「もう…大丈夫だ」
傍らに、眠るようにして転がる敦盛は、全てに満足したように微笑んでいて。
…ああ、そうか。
こいつは、夕を……
「敦盛…」
―――いつの日だったか。
敦盛がまだ幼かった頃、夕ノ姫が面白がって笛を取り上げた時。
「ひ、姫!返して下さい!私は…私は知盛殿が舞う時に、後ろで演奏をしたいのです!だから、どうか練習をさせて下さい…!」
涙目で訴えるものだから、遊びで取り上げた夕ノ姫の方が焦ってしまって。
「と、知盛殿!今はまだ未熟ですが…いつかきっと、私に演奏させて下さい!」
俺が、「気が向いたらな」と言うと。
敦盛は嬉しそうに笑っていた。
「まだ…お前に笛を奏でてもらっては、いない」
もう返事をしない敦盛の懐から、白い何かが微かに見える。泣き崩れる夕に気付かれないように手を伸ばすと、それは…
敦盛が、いつも大事に持っていた笛。
「敦盛君……っ」
「敦盛…」
腕の中の夕を思い切り抱き締め、俺と夕はずっと雨に打たれていた。
……
「ねぇ、夕ちゃん」
「…あなたは…」
眩しいくらい、一面が光っている場所に私は立っていた。
いつも頭に響いていた声は、直接辺りに響いている。
「敦盛が、死んじゃったね」
「!!!」
そうだ、敦盛君は…私をかばって!!!
「悲しいよね、苦しいよね」
「…どうして敦盛君が死ぬことを知っていたの?あなたは何、誰なの…?」
泣きながら言うと、ふと体が暖かな何かに包まれる。
そして…目の前に、女の人。
長い黒髪に、大きな瞳。優雅な着物に身を包む彼女は…
なぜだか、私に似ていて。
自然と口が開いた。
「…夕ノ姫…」
「そうよ」
綺麗に微笑んだ夕ノ姫は、私をゆっくりと抱き締めた。
「私は…いつも夕ちゃんの側に居るわ」
「…なんで……?」
戸惑いながら尋ねると、優しい笑顔を浮かべていて。
「私は、アナタよ」
「夕ノ姫…」
目を開ければ、そこにはもう見慣れた天井。布団一枚じゃ寒すぎる部屋で、私は涙を流していた。
「私は、アナタよ」
「夕ノ姫が、私…?」
言葉に出すと、脳裏に柔らかく映像が流れた。
「敦盛!私が笛の特訓をしてあげる!」
「け、結構です…」
まだ若い夕ノ姫と、幼い敦盛君。
「遠慮しない!ほらほら、吹きなさいよ」
「な、姫!やめてください!」
「いーや!ほら早く吹いてってばー!ね、知盛様からも言って下さいよ!」
「ふん…下らない、」
雰囲気が、今よりもずっと優しそうな…若い知盛さん。
「く、下らない…ですか?!」
「…げ!知盛様!敦盛が泣きそうですよ!」
「こんなことくらいで泣いて、先が思いやられるな…」
「う…」
「ちょ…知盛様!」
「これ、は…」
夕ノ姫の、記憶?
…そうか、たまに脳裏によぎる映像は、全部彼女の記憶だったんだ…
「なら、私は…誰なの…?」
私はこんな記憶、知らないのに。
そう思っているのに、浮かんだ映像があまりにも幸せそうで、あまりにも暖かくて。
でも現実、敦盛君はもう居なくて。
「敦盛君…っ」
布団に顔を押し当てて、私は静かに泣いた。
20090203