蘇った彼



「…夕様、朝食をお持ち致しました」

「…どうぞ」


襖越しに藤子さんの声が聞こえて、急いで涙を拭いて身なりを整える。控えめに襖が開くと同時に、朝食の良い匂いがした。


「夕様、お使い下さい」

「これ…」


朝食を運んでくれた藤子さんは、濡れた手ぬぐいを渡してくれた。


「…良ければ、瞼を冷やして下さい」

「藤子さん…ありがとうございます」


綺麗に微笑んだ藤子さんに感謝して、冷たく濡れた手ぬぐいを目に当てる。赤く腫れた目に、それは気持ちよく感じた。


「…夕様、実は…」


言い辛そうな藤子さんは、私に躊躇いがちに視線を送る。


「敦盛殿の葬儀が、行われないことになりました」

「え…?!」


お葬式を、しないってこと?


「…清盛様が、お決めになられたのです」

「そんな、どうして…?なんで…!敦盛君は、私をかばって…っ」

「夕様、」

「私のせいで…!」


死んでしまったのに。


「夕様…!」

「…っ」


いつも静かな彼女が、初めて大きな声を出した。驚いて藤子さんを見つめる。


「ご自分を、責めないで下さい…!」

「………」

「あなたのせいじゃない、全て…源氏が悪いのです」

「源氏…?」

「はい。我ら平家の…敵です」

「源氏…」


源氏。

知ってる…教科書で、しつこいくらい勉強した源平の歴史。


「悪いのは、源氏です」

「源氏……」

「そうです。頭領、源頼朝…鎌倉殿です」


鎌倉殿…昨日、敵の誰かが言ってた。

そうか、鎌倉殿…源頼朝。そいつが全部悪いんだ…!


「…藤子さん」

「…はい」

「将臣君を、呼んでもらえますか?」

「了解致しました」


襖から藤子さんが出て行ったのを確認し、私は部屋の隅に置いてあった学生鞄を乱暴に手に取った。

その中から、歴史の教科書を取り出す。


「源氏…平家……」


―――――あった。

教科書には、源頼朝と平清盛の戦いの様が詳しく書いてある。

見たことのある戦いの名前、それらは全て、源氏の勝利で終わってある。


「…壇ノ浦……」


平家が、滅亡した場所…


その時、廊下からドタバタと足音が聞こえてきた。


「夕?」

「将臣君、入って」


部屋に入ってきた将臣君は、戦の疲労でか、かなり疲れた顔をしている。私は教科書を将臣君に見せる。


「…これは」

「…戦の敵、源氏だったんだよね」

「…ああ」

「教科書見て分かった…平家が壇ノ浦で負ける、って」

「…そうだ」

「…私、もう誰かが死ぬとこなんて見たくない」

「夕…」


教科書を握り締めながら、震える声で静かに言う。


「将臣君、一緒に歴史を変えよう…!」


将臣君は環内府、平重盛。

私は夕ノ姫、平夕。


「…オーケー。夕が居てくれりゃ上手く行きそうだぜ」


死んでしまった彼らと同じ容姿。未来を知ってる私と将臣君。

大丈夫、二人ならきっと変えられる…変えてやるんだ。

もう、大事な人は、誰も死なせやしない。





***
 






将臣君とこれからの戦いについての話した。二年前からこの世界にいた将臣君の話によると、私達が知ってる歴史と、この世界は少し違うらしい。


「今までも何とかなってきたんだ。大丈夫、二人で変えて行こうぜ」

「…うん」


夕方くらいまで話合っていたが、部屋の外が騒がしいことに気付き、将臣君を見る。


「もうすぐ…この戦で死んでいった奴らの葬儀だ」

「葬儀…なんで…敦盛君の葬儀はしないの?」


怪訝そうに聞くと、将臣君は頭を掻きながら小さく口を開く。


「…清盛が、敦盛の遺体だけは燃やすなって言ってんだ」

「どうして…」

「分かんねぇ…けど、明日になっても置いたまんまなら、俺がちゃんと火葬するから」

「…うん」

「…じゃ、俺準備があるから先に行くわ。後でな」

「分かった」


――――バタン…


将臣君が部屋を出て行ってからしばらくして、藤子さんが黒い着物を持って入ってきた。

お葬式に出る為に、着慣れない着物を着せてもらう。

どうして敦盛君だけ葬儀に出さないのか。

考えても分からなくて、私は複雑な思いのまま葬儀場へと向かった。



***





屋敷の裏の山。そこで葬儀は行われた。

多くの犠牲者を出してしまい、死体が戻ってきてない兵士もたくさん居た。

体の無い人には、お経を書いた札を体に見立てている。

熱くて大きな炎で彼らを弔っている時、私はずっと祈り続けていた。





***






「夕殿、」


葬儀が終わり、みんながゆっくりと屋敷に戻る途中。誰かに呼び止められた。

そこには、私と同じ黒い喪服を着た…経正さん。


「経正さん…」


どんな顔をしたら良いか分からなくて俯くと、肩をポンと叩かれた。


「夕殿、気にしないでくれ」

「でも…」

「敦盛は、君を守ることができた。きっと幸せだろう」

「……」

「…なぜ、敦盛だけ葬儀をしないのかは分からないが…」

「はい…」


経正さんは辛そうに笑って、私に背を向けた。


「…敦盛が成仏できるよう、君も祈っていてくれ」

「…はい」


経正さんの顔は分からなかったけれど、その大きな背中が少し震えていて…すごく苦しくなった。




***






その日の夜。

どうしても眠れなくて、寒かったけれど私は縁側に出た。

空を見上げれば、幾千もの星と満月が輝いている。

この空を、望美や譲君も見ているんだろうか…?


「ねぇ望美…私、私ね…」


大切な友達を亡くしたよ。

そして…


「たくさん、人を殺した…」


あんまり、覚えてないけど。


ただ、ただ頭が真っ白になって、体が勝手に動いた。

だけど、刀に食い込む感触とか、血の温度とか…それだけは、鮮明に覚えている。


「望美は、私みたいな思いはしてないよね?無事だよね…?」


こんな気持ち、望美にだけは味わってほしくない。

もう一度、祈るように満月を見上げる。

その時、


「……?」


近くで、何か音が聞こえた。


「誰か、居るの…?」


誰も居ない、暗い庭をゆっくりと歩く。細い木が何本も生えているのもあって、前が全く見えない。


――――ガサッ

「…?」


恐る恐る足を進めて、目を凝らして辺りを見渡す。


「…グッ…ァァア…ッ…」

「…?!」


何、この声…?

近くの茂みで聞こえた、苦しそうな声…だけど何かがおかしい。


「…ガッ…ァアア…ッ…」


人間の、声じゃない…

震える足を必死で動かして、私はそっと茂みを覗いた。


「!!」




――――真っ赤な目。


鼻をつくような異臭、血管が浮き出たような体と、二本の鋭い角のようなもの…

人間じゃ、ない。


「グァアァアアア…ァァ…ガッ…」


得体の知れない【何か】から、恐ろしいオーラが発せられている。

逃げなきゃ…!

来た道を戻ろうと振り返る。けれど、


―――バキ

「…!」


落ちていた木の枝を踏んでしまい、暗闇に音が響いた。


「…ガッ…ァァ…ッ」


【何か】が、ゆっくりと振り向く。


「…っ…、」


声が出ない、寝る前だから刀も持っていない。

【何か】は一歩一歩私に近付いて、そしていきなり飛びかかってきた。


「グッァァア!!」

「っ!!」


有り得ないくらい強い力で、生えている木に叩きつけられた。

体に大きな衝撃が走る。


「ゲホッ…く…ぅ…っ?!」

「ァァァアアァア!!」


休む間もないくらい早く、【何か】は私に馬乗りになって、首を締め付けにきた。


「は…っ…かは……ッ…」

「グァァア…グッ……」


薄れていく視界の中、私の顔の横にある物が落ちた。

敦盛君からもらったお守り…

ああ、さっき叩きつけられた反動で千切れちゃったんだ…

震える手をなんとか動かし、そのお守りに手を伸ばした瞬間、


「…グ、ァ……」

「…?」


【何か】の動きが止まった。驚いて【何か】を見上げると…


「…ア…ナた…は……」

「……?」

「夕………」


私の名前を呟いた途端、【何か】は私の上から飛び退いた。


「ァアアアァア!!!」


叫びながら、のた打ち回っている。


「はぁ…はぁ…ゲホッゴホッ」


息を整えて、ゆっくり起き上がる。そして【何か】をじっと見つめた。


「ァぁァあアァああぁ…ぐ…う…ッ」

「う、そ…」

「あ…ぁあ…」


先ほどまでの、鼻をつくような異臭は消え去り、苦しくなるオーラもない。

そこに居るのは。







―――深い紫色の瞳。

なめらかな、瞳と同じ色の髪。白い体の背中には、入れ墨のような模様と、痛々しい傷跡。


「敦盛君……」



見間違いじゃない。


私をかばって死んだ彼が、目の前に呆然と立っていた。





20090208


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