最期の微笑み
「お前らァ!今日は帰れないと思え!突っ込んでくぞー!!」
「「「オォォォ!!」」」
早朝、将臣君は大きな声で兵の人達に言った。
将臣君はすごい、みんなの士気を上げて、そして自ら先頭を走って戦っている。
―――私は?
「夕殿、こっちに」
「敦盛君…」
戦場に来てまで、誰かに守ってもらってる。
「行くぜェェェ!!」
「「「ッシャァァァ!!」」」
気合いの入った声が響き渡り、足音が遠ざかって行く。今日も沢山の人が死ぬんだろうか、沢山の人が苦しむんだろうか。
「…顔色が悪いな。少し休んではどうだろうか」
「……ううん、大丈夫」
「だが、」
「…平気だよ」
「…分かった」
本当は、辛い。でも…将臣君も知盛さんも、みんな頑張ってるんだ。
何も出来ないけれど、休んでなんてられない。
***
みんなが突撃してから、数時間が経った。とっくに日は昇っているのに、曇り空のせいで薄暗い。
「…何か様子が変だ」
隣で待機している敦盛君が小さく呟いた。どうしたのか問おうとした時、
――――バァァァン!!!
「?!」
すぐ近くで、一際大きな音がした。思わず身構えると、向こうから誰かの叫び声。
「侵入者だァァ!本陣に敵が…ッぐぁ!」
驚いて振り向くと、そこには…
背中に矢が数本突き刺さった平家の人。
「……な、に…」
「夕殿!!」
敦盛君に手首を掴まれて走り出した。思考が回らない頭でなんとか着いて走る。
なんで、どうして?
今の人は平家の人で、ここは本陣で…味方しか居ないはずなのに。
奥に向かうと、重衝さんと経正さん達、そして清盛さんが居た。
「夕様!敦盛!ご無事ですね?!」
「は、い…」
少し乱れる呼吸を整えながら頷くと、イスに座っていた清盛さんが落ち着いた様子で口を開く。
「…本陣が落とされる」
「そんな…」
まさか、そんな。
本陣を落とされたら…どうなるの?
「やってくれるわ…今すぐ我らは撤退するぞ」
今本陣に居るのは、私達を含めて数人しか居ない。他の護衛兵士達は…たぶんもう生きてはいないだろう。だから今は、この人数で何としてでも頭領の清盛さんを守らなければならない。
私は躊躇いながらも、手入れを欠かさなかった刀を握った。
「清盛の首を取れェェ!!」
近くで声がする。私は恐怖を押し殺すように、清盛さんに続いて走り出した。
***
「環内府殿!知盛殿!」
ものすごい勢いで攻め返してくる敵に悪戦苦闘しながらも、なんとか俺達は現状を平家の良い方向へと向けていた。
前線で刀を振り回していた俺と知盛の所に、ある兵が息を切らしてやって来た。
「お前…どうした?!」
そいつは本陣を守っていた奴だ。さすがに知盛も驚いたようで、そいつに視線を向ける。
「本陣に多数の敵が!清盛様は数人を引き連れて避難中ですが、本陣は落とされました!」
「な、んだって…?!」
本陣に敵?落とされた?
本陣には、あそこには…
「…清盛と、夕は?!」
「清盛様や重衝様方と共に…ですが、あまりにも護衛人数が少なすぎで…!」
そいつの言葉を遮るように、俺の後ろに居た知盛は周りの敵を一太刀で薙払った。
「…有川、この戦は負けだ」
そして、本陣の方に向き直る。
「知盛…」
「今すぐ撤退だ…早く指示をしろ!」
「あ、ああ…!」
いつも感情を表に出さない知盛が声を荒げる。それにハッとし、俺はそいつに「撤退する」と伝令を託した。
「本陣に戻るぞ!」
「…ああ」
周りの敵はどれだけ斬っても減らない。
一刻も早く清盛や夕の元に戻るために、俺達は刀を振りながら駆け出した。
***
数分走ったところで、何とか敵と距離をあけることが出来た。
でも、安心できない。
「重衝、現状は?」
「はっ。追手はおよそ五十を越えており、我々は十にも満たない人数です。ここは裏道から直ちに戦場を離れるのが宜しいかと」
「そうか…」
清盛さんは少し考えて、静かに言った。
「離脱するぞ」
二匹しか居ない馬に、清盛さんと経正さんが乗る。
「夕殿、私の後ろに!」
経正さんの言葉に、私は手を伸ばそうとした。けれど、
――――シュッ!
後ろから飛んできた何かが馬の足元に刺さり、驚いた馬は悲鳴を上げながら大きく跳ねた。
言うことを聞かなくなった馬二匹は、勢いよく駆け出す。
地面に突き刺さったのは、矢。私は恐る恐る振り返った。
…ほんの50メートルほどの距離に、こちらに弓を向けた数人の人。そして…
「清盛は逃がしたか…ならば残党を捕縛し、鎌倉殿に突き出すぞォォ!」
鎌倉殿…?
呆然としていると、重衝さんが私と敦盛君の前に立った。
「ここは私が引き留めます!敦盛は夕様を連れて行ってくれ!」
「…分かりました」
「え、そんな…!」
重衝さんを置いて行く気なのかと聞く暇もなく、敦盛君は私を引っ張るように走り出す。
「重衝さん…!」
「大丈夫です、後で必ず会いましょう!」
重衝さんは優しく微笑んで、そして敵の居る方へと向かって走って行った。
―
***
「はぁ、はぁ…あ、敦盛君…っ」
「く…、」
しばらく走り続けたけれど、違う方向からも敵が追手が来てしまった。木々の間に隠れたけれど、見つかるのも時間の問題だ。
「探せ探せェェェ!この辺りに潜んでいるはずだ!!」
少し遠くで聞こえる声。私は握っていた敦盛君の手をギュッと握った。
「…夕殿」
敦盛君は黙って、私の手を握り返してくれる。
「…すぐに、将臣殿や知盛殿が来てくれる…それまでは私が貴方を、命に代えても守る」
「………」
「安心してくれ」
「…守らなくていいから…だから、絶対死なないで」
「……」
もう、人が死ぬところは見たくない。見たくないんだ。
「こっちだァァァ!!」
「…見つかったか…」
聞こえる声に震えを押し殺す。私は腰に差してある刀を握った。
その直後、
「夕殿は隠れていてくれ」
「え…、」
敦盛君は手を離し、敵に姿を見せるようにして飛び出した。
「私が相手だ!」
「自ら出てくるとは…その首頂戴致す!!」
木々の間から見える敦盛君の背中。私はもう一度、強く刀を握り締める。
「ぐぁぁあ…!!」
「貴様…!」
心臓がうるさい。敦盛君が長い槍で敵を貫いていく。
「……わ、たし…」
―――何をやっているの?
重衝さんや敦盛君に全て任せて、私は何の為に鍛錬をしてきたの?
戦うため、平家の役に立つためじゃなかったの?
これじゃあ、足手まとい以外の何者でもないじゃないか。
「はぁ!!」
一人、また一人と。確実に倒していく敦盛君。
その時、
「やああああ!!」
「っ!!!!」
敦盛君の後ろに、刀を振りかざした人。
頭で考えるよりも先に、私の体は動いていた。
――――ガンッ!
「ぐはっ!」
「な…夕殿…?!」
鞘に入ったままの刀で、私は敵の頭を殴った。
手に、感じたことのない痛みが響く。
「はぁ…っはぁ…」
殴った敵は、死んで、いない。鞘に入ったままなら…
「…っ、夕殿!!!」
「え…、」
いきなりの敦盛君の叫び声に、私は驚いて前を見る。
――――!
「ぐっ…!」
目の前にいる敦盛君が、私を抱き締めた。暖かい体温と、僅かな反動が伝わる。
「仕留めたぞォォォ!!」
響き渡る、声。
「…あ…つ、もり…君」
口から血を垂らす敦盛君と、その背中に突き刺さった無数の矢が視界に広がった。
敦盛君の体重が寄りかかり、私は彼を支えるようにして尻餅をつく。
「…っ、」
「い、や…敦盛君、敦盛君!」
嘘だ。嘘だ嘘だ嘘だ!!!
血を吹き出す敦盛君を見つめる。まさか、そんな…!
「…っ、夕…殿…」
「なん、で…」
かばったの?
敦盛君の背中から、私の足にまで生暖かい液体が伝ってくる。
「…私、は……」
敦盛君は優しく、綺麗に微笑んで。
「あ、なたが…夕が、好きだった」
「敦、盛…君」
「姫ではない、貴方が…夕が…」
「…え、……」
「夕が、誰を…想っていても…」
――私は、貴方を愛している。
―――ポツッ
「あ、つ…盛…君…?」
―――ポツ、ポツッ
「ねぇ…返事して、よ…」
――――ザァァァ…
微笑んだ敦盛君のまぶたに、顔に、体に、雨が降りかかる。まるでそれは泣いているようで、彼の血を洗い流しているようで。
「…………」
「敦盛君…」
…私が、いけないんだ。隠れてろって言われていたのに、後先考えずに飛び出した私が。
あんな状況で、人を殺すことに躊躇った私が。
こんな時まで、何も出来なかった私が。
「許さない……」
私は、私が許せない。
ゆっくりと立ち上がって、鞘から刀を抜く。雨が当たって、雫が跳ね返った。
「絶対に…許さない…」
少し離れた場所にいる敵に向かって、私は叫びながら走り出す。
「ああああ!!!!」
―――ザンッ!
振り下ろした刀、何かが斬れる感触。生暖かい血が辺りに飛び散る。
「貴様!よくも!!」
間近で聞こえた声に振り返り、思い切り刀を振れば、耳につく千切れる音。
「な…お前、その顔は…!」
「まさか平家の…夕ノ姫?!」
「何を…!姫はもう死んでいるではないか!」
ざわめく敵。
「うるさい…」
私は、私は。
「夕ノ姫じゃない!!!」
刀を振り上げて迷わず斬り捨てる。
私は夕ノ姫じゃない…敦盛君は、敦盛君は!
「姫じゃない、私を…ちゃんと見てくれた…」
あんなに優しい敦盛君を、
「お前達は殺した!!!」
許さない。
私自身も、敵も、みんなみんな許さない。
私は怒りと悲しみだけで、刀を振り続けた。
***
ザァァァー…
「…敦盛君」
地面に横たわる彼に近付く。血は洗い流され、幻想的なほどに真っ白で。
「…っ……」
赤黒くなった刀を地面に突き刺して、崩れ落ちるように膝をついた。
「…う…、…ぁあ…っあああああ!!!」
止めどなく涙が流れる。うずくまって、泣き叫んだ。
「大事な人が、いなくなってしまう」
「覚悟は、しておいて」
あなたは、知ってたというの?
敦盛君が死んでしまうと。
どうしようもない思いが溢れ出すように、私は雨に打たれながら叫び続けた。
平 敦盛
享年十七歳
戦死
20090219