現実と綺麗事
「夕」
「知盛さん、」
「お前の近くには重衝と敦盛がいる。絶対に、はぐれるなよ」
「はい!」
一瞬だけ、知盛さんは優しく微笑んでくれた。私の頭を撫でたあと、馬に跨り駆けて行く。
「さ、夕様。こちらにいらして下さい」
「はい」
***
将臣君と知盛さんの隊が前線に飛び込み、敵の陣形が崩れたのを狙って総攻撃というのが今回の戦の作戦らしい。
敵は圧倒的な兵力を持っているらしく、不意を突いて一気に陣を崩していく。
私は重衝さんや敦盛君と一緒に、後方の陣で、怪我をした人達などを救護する役目を預かっていた。
―――ワァァァァ!!!
遠くの方で、騒ぎ声が聞こえる。
ドラマや漫画でしか見たことの無かった【戦争】が、私の間近で起こっているなんて。
怖い…
でも、将臣君は今前線で戦っている。私も、少しでも役に立てるように頑張らなければ。
***
緊張した状態がしばらく続いた。騒ぎ声も大きくなってきている。
その時、
「ぐ、ぁ…助けて、く…れ…」
「!」
すぐ近くで声が聴こえた。振り返ると、
「…っ」
―――血だらけの、体。
背中に数本の矢、頭や腕からは止めどなく赤い血が流れていて。
思わず口を塞いだ。
「大丈夫ですか!…これは酷い…敦盛、すぐ包帯を」
「分かりました!」
重衝さんと敦盛君の声を聞きながら、私は目の前の人の虚ろな瞳から視線を外すことが出来なかった。
「ぐ、あ…なたは…夕ノ姫様…」
「…わ、たし…」
「どう、か……あな…たの…美しき舞を…最期に…ゲホッゴホッ!」
彼の口から溢れ出した血が、少しだけ私の顔に飛び散った。
動かなくなったこの人から、目が離せない。
「…遅かったか…」
小さく呟く重衝さんの声が、耳に響く。
「夕殿…」
「わ、たし…」
包帯を持ってきた敦盛君が、控えめに私の顔を覗き込む。
「…これが、戦だ」
短いその言葉が、重くのし掛かった。
――――その晩。
あれからたくさんの人が私達の所へやってきた。助かった人も居れば、死んでしまった人もいる。
将臣君や知盛さん達が戻ってきたのは、空が赤くなる頃だった。夕焼けと同じように、返り血で全身を真っ赤に染めていて。
私は、陣の中の誰も来ない場所で、一人膝を抱えていた。
――――赤い、血。
初めて見た、人の死体。それもたくさん…数えられないくらいに。
そしてほとんどの人が、死ぬ直前に私を見て言うんだ。
「あなたの舞をもう一度見たい」
と。
気が、可笑しくなりそうだ。
戦に出るということ、自分なりに覚悟を決めていたハズなのに、役に立つ為に頑張ると思っていたのに、なのに…
怖い。怖くて怖くて、寒さとは別の震えが襲ってくる。
「…夕」
「…っ」
突然呼ばれた声に驚き顔を上げれば、まだ鎧を着たままの知盛さんが立っていた。
満月を背に立つその姿は、私が初めてこの世界にやってきた時と似ている。
ただ一つ違うのは、彼から血の匂いがするということ。
「何を、している」
真顔で見下す知盛さんの目は、冷たい。私は頭を抱えてうつむいた。怖さで、言葉が喉で詰まって出ない。
「……っ…」
「………」
――ガシャン、と。
何かが音を立てる。少しだけ目線をそちらに向けると、今さっきまで知盛さんが着ていた鎧が目の前に落ちていた。
「それに付いている血は、俺のでは、ない」
こびれ付いている血は赤黒く変色していてサビのようで。月の光に反射したそれは酷く残酷で。
「全て、俺がこの手で殺した奴らの血だ」
「……」
知盛さんを見上げても、逆光で表情が見えない。
「戦はただの殺し合いだと…お前は知っていたのだろう?」
「…」
そうだ。戦は、戦争は…
勝ち負けを決める為の、ただの殺し合い。そんなこと分かっていたはずなのに。
日本じゃない世界のどこかで、毎日のように起きている戦争を、いつもテレビで見ていたのに。
――将臣君だけ戦って、私は何もしないなんて…そんなの出来ない。
「あんな、の…」
あの時の…刀を手に取った時の私は。何も知らなくて、ただ綺麗事を並べ立てていただけだったんだ。
今更になってそんな重大な事に気付くなんて、私は何て馬鹿なんだろう。
「……」
うつむく私の頭を、知盛さんがそっと撫でた。
何も言わず、優しく優しく、暖かい手のひらでゆっくりと。
今まで恐怖と緊張で出なかった涙がきびすを切ったように溢れ出した。
この温もりも、いつかは昼間の彼らのように冷たくなってしまうんだろうか?
自分の覚悟の弱さと気持ちの脆さを痛感しながら、ずっと泣いた。知盛さんはそんな私を責めず、泣き止むまで髪を撫で続けてくれた。
その優しい手で人を殺したのだと。それを知っても、理解出来なかった。
20090129