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コールド・ゲーム 02

テーラちゃんという着ぐるみ越しじゃなく、素の自分で御幸さんと相対するのはこれが初めてだった。
その姿は何度も目にしているはずなのに、いつもとは違うクリアな視界で見る彼はどこか違って見える。私服だから? それとも眼鏡だからだろうか。いつも感じるピリッとした空気はなくて、雰囲気も少し柔らかいように思える。


「え、何? 今日何かありましたっけ?」
「今日、試合前にテーラちゃんでぶつかりそうになった件について、お詫びに、と」


きょとん、と首を傾げていた御幸さんだったけれど、上司の言葉に漸く合点がいったらしく「ああ、あの時ね」と独り言ともとれる呟きを漏らしながら頷いている。
ゆるりと眼鏡の奥の瞳が動き、私へと向けられたのが分かるともう一度深く頭を下げた。


「すみませんでした」
「何も無かったし大丈夫ですよ」
「……すみません」


注意された時の低く冷たい声とは違う、軽いトーンで紡がれた言葉に恐る恐る顔を上げてみるが、やはりその表情に怒りは見えなくてホッと胸を撫で下ろした。
そうか。試合の時と今との違いはこれかもしれない。試合前には勝利を意識してか厳しい瞳で鋭い視線を送っている事が多いが、今はそういったものが全て抜け落ちていて柔らかい印象だ。
くっきりとした二重のきれいな目。意志の強そうな眉に、通った鼻筋、ふっくらとした唇。それらが黄金比で配置されている端正な顔立ちは、彼に女性ファンが多いのも納得せざるを得ないくらいかっこいい。


「テーラちゃんの中って、女の人だったんですね」
「え?」
「男の人かと思ってました」
「……ローテーションで回してますから。男の人の時もありますよ」
「へえー、そうなんですね。ああ、今回のことは次から気をつけてくれればそれで良いので」


じゃあお疲れ様です。と、にっこりと笑みを浮かべた御幸さんは、話は終わったと言わんばかりに私たちへ背を向けるとそのまま歩き出してしまった。
あれ、もう終わり? 半ば強制的に終了した会話に戸惑い、大きな背中を呆然と見つめていたが、二歩分の距離が空いたところでハッと我に返って慌てて彼の肩に掛けられているバッグを掴む。


「あ、あの」
「まだ何か?」


顔だけで振り返った御幸さんの表情は、きっと私にしか見えていなかっただろう。言葉の通り、まだ何かあるのかよとでも言いたげにきゅっと眉間に寄せられた皴。若干面倒くさそうに見えるその表情は、テーラちゃんの中から垣間見るものと同じだった。
成程。インタビューの時にもあまり見せないにこやかな対応は早く帰りたかったからだったのか。そうだよね。一試合終えた後だし、疲れてるよね。


「あの、いつもご迷惑じゃないでしょうか」


早く帰してあげたいのは山々だけれど、これを逃したら御幸さんとお話する機会なんてもうないかもしれない。謝罪がメインとはいえ、どうしてもこれだけは確認しておきたかった。
これまで、お客さんが求めているからという理由だけで本人の許可なしに続けてきたテーラちゃんとの絡み。もし御幸さんが煩わしく思っているなら、たとえ需要があったとしても改善しなくてはいけない。球団にとってはあくまでも選手ファーストなのだから。


「あー……まあ、迷惑って事はないけど」


少し困ったように後頭部に手を当てながら、先ほどよりもかなり砕けた口調でぽつりぽつりと落とされる言葉。マスコットとしての仕事は分かっているし、無理矢理絡まれているわけでもない。でも、今日みたいに死角から来るのは危ないからやめてほしい。最後にははっきりと言ってくれた彼に、私も大きく頷いた。


「分かりました」
「転ぶ時、今日みたいに頭取れないようにな」
「なっ……今日も取れてませんから!」
「はっは、お疲れー」


ひらっと手を挙げて出口へと向かう御幸さんを、今度は止めること無く「お疲れ様でした」と見送る。どんどん小さくなっていく背中を見て、漸く肩に入っていた力がすとんと抜けた。
試合の時と全然違って気安い感じだったけど、今のが彼の素なんだろうか。御幸一也、掴めない人だ。


◇ ◇ ◇


「あれ? 昨日のテーラちゃんじゃん」
「御幸さん、こんにちは」


タブレット片手に関係者用通路を歩いていると目の前から掛けられた声。聞き覚えのある声に顔を上げれば、昨日ぶりの御幸さんの姿があった。
まだ練習着に身を包む彼はどこかへ行く途中だったんだろうか。今までこんなところで会う事なんて無かったのに、珍しい事もあるものだ。


「今日もテーラちゃんやるの?」
「いえ、今日は本業の方を」
「本業?」


テーラちゃんはあくまでも人員不足による補充要員なのだ。私の本業はグッズの企画担当で、今もドーム内のグッズの販売率などを集計していたところだったりする。
それを御幸さんに説明すれば「へぇー、そうなんだ」と興味があるんだか無いんだかよく分からない微妙な返事を頂いた。
まあ、選手にとっては自分の変な写真が使われていない限りグッズはどうでもいい事なのかもしれないけど、私はこの仕事が大好きなのだ。グッズの売れ行きの傾向とかを調べて、新しいグッズを企画する。もし自分の作ったグッズが売り場に並ぶのを見れたらと想像するだけですごくすごく幸せな気持ちになれる。


「御幸一也等身大タペストリーとか売れないですかね」
「邪魔だろ。誰が買うんだよ」
「でも一部の女性に、っ――」


足を一歩後ろに引いた時だった。踵に何かが引っかかって、ぐらりとバランスを崩す。反射的に手で受身を取ろうとしたが、持っているタブレットの存在がそれを阻んだ。まさかこれを投げ出して壊すわけにもいかなくて、ぎゅっと抱えるように身を縮める。
ふわっと足が地面から離れたのと同時に、鈍い痛みと衝撃がお尻に走る。そればかりか、両手の自由が利かないので勢いを殺すことが出来ず、ごろんと後ろへ寝転ぶように倒れてしまった。天井に向いた両足がより一層間抜けだ、なんて自分の状況を冷静に考えられたのはそこまで。


「ぶっ、ははは!」
「うぅ……」


慌てて体勢を戻し、冷たい通路に座り込むようにしながらタブレットで顔を隠す。じんじんと痛みがお尻から伝わってくるが、そんなのはこの恥ずかしさに比べたら何て事なかった。


「……笑いすぎです」
「はは、やべ、腹筋つりそう」


どんだけ笑うんだよと心の中で悪態をつくが、変に心配されるよりもこうして笑い飛ばしてくれた方が後に引かなくてマシなのかも。とは言っても、ここまで笑う必要はないんじゃないかな?
そう思いながら顔の前からタブレットをちょっとだけずらしてみると、お腹を押さえながらしゃがみ込んで肩を震わせている御幸さんが映る。その姿はどう見ても爆笑しているのに、なぜか目が離せなかった。
テーラちゃんの時は転んでも温度のない瞳でちらりと見られるくらいだったのに。昨日垣間見た彼の素の表情ともまた違った、子供みたいな一面。こんな風に笑うんだ、と恥ずかしさも忘れて呆気に取られて見つめてしまっていた。


「あー、腹痛てぇ」


一頻り笑った後、未だ緩んだ口元を隠そうともせず、座ったままの私に向かって伸ばされた手。昨日テーラちゃんに差し出されたものと同じだけれど、着ぐるみ越しじゃなく素手で掴んだ彼の手は少しかたくて、大きかった。昨日はなんとも思わなかったのに、温もりが直に伝わってくるだけでこんなにも違う。グッと力強く引き起こされながらそんな事を考えていた私に、揶揄いを含んだ声が掛けられた。


「テーラちゃんじゃなくても転ぶんだな」


その言葉に、忘れていた恥ずかしさがじわじわと込み上げてきて、体があつくなる。「耳真っ赤」と笑いながら指摘された通り、耳どころか頬までも赤くなっている気がした。


「いつもはわざとですよ」
「分かってるよ」
「でも、重ね重ねすみません」
「いやいや、久しぶりにすげー笑わしてもらったわ」
「御幸さんを笑わすために転んだんじゃないですけどね」
「ははっ、そりゃそーだ」


ポンポンと返ってくる言葉に自然と笑みが浮かぶ。試合の時はいつも厳しい表情を浮かべている事が多いし、当たり前だけど口数だって少ない。だからこうしてころころと表情を変えて軽口を叩く御幸さんは新鮮で。「練習戻るわ」と彼が去ってから漸く自分の仕事を思い出し、同時に会話を楽しんでいる自分に気付いたんだ。


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