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コールド・ゲーム 01

まぶしいくらいの照明に四方八方から聞こえてくる喧騒。時折響く売り子の声や、諸注意を促す場内アナウンス。そのどれもが狭い空間の中にいる私へはボワボワとどこか遠くに聞こえる。
暑いし蒸れるし早く帰りたい。まだこれを着てほんの数分しか経っていないというのに、狭い視界の中、薄く感じる酸素を必死で吸い込みながらそればかりを考えていた。

私が今居る場所は、東京ブルーラーテルズが本拠地とするドームの中。プロ野球の球団の一つであるラーテルズは、成績はAクラスで昨年はリーグ優勝にあと一歩及ばなかったものの、CSで優勝し、その勢いのまま日本シリーズを制覇して頂点に輝いた。今シーズンの成績も上々で、ドームの入場者数は日に日に増している。
その球団の職員である私は普段グッズの企画販売を行っているが、人員不足によりシフト制で度々マスコットキャラクターの中の人をやらなければならなくなり、こうして全身着ぐるみに身を包んでいるのだ。
球団名にちなんで、マスコットキャラクターはあなぐま。名前は男の子がラールくんで女の子はテーラちゃん。ネーミングセンスの欠片もない安易な名前だが、安易な方が意外と覚えられやすいのでまあ良しとしよう。
私は女の子のテーラちゃんの中に入っているけれど、人気は断トツでラールくんの方が高いので殆どオマケみたいなものだった。ラールくんという名前と存在は皆知っていても、テーラちゃんは球団ファンくらいしか知らない。そのくらいの認知度である。

でも、そんなテーラちゃんにも重要な仕事があった。選手一人一人に絡んでがんばれ、と応援するようなパフォーマンスをしたり観客に手を振ったりはもちろんの事だが、この大きな尻尾を使ってわざと転ぶ事により、選手との触れ合いをお客さんに見せる事だ。
最近の需要はラーテルズの正捕手である御幸一也選手。彼は一筋縄ではいかないので、お客さんもそれが面白いらしい。御幸さんの目の前でわざと重心を崩して転がってみせても、助けてくれるどころか邪魔そうにひょいっと跨がれて放置。それならまだいい方で、酷い時にはこちらが目に入っていないかのように無視されてしまう。観客席からは無碍にされる度に楽しそうな笑い声が聞こえてくるが、こちらとしても一度くらいは、と段々躍起になってきて、構ってちゃんの如く毎回御幸さんに寄っていたらいつの間にか名物化していたという訳だ。


「今日も無理だろうな」


頭の重さで肩が痛くて、ため息混じりに独りごちる。着ぐるみの中だから独り言が反響して自分に返ってきてしまい、余計に虚しい気持ちになった。
大体、絡みにいくのも怖いんだよなあ。試合開始時間が近づくにつれて選手は集中して体を作り始めるので、絡むタイミングを一歩間違えれば球団側から厳しい叱責が待っているのだ。リズムを崩されて試合に負けてしまっては元も子もないからね。
だから開始時間よりも早い時間を狙うんだけど、そうすると御幸さんはブルペンに居たりするので中々チャンスが訪れない。


「あ、居た」


視界が狭いので頭ごと動かして全体を見渡すようにしてみれば、こちらに背を向けて他の選手と話している御幸さんを発見する。大きな足を蹴るようにしながら一歩一歩亀の速度で進んでいき、漸く手が届く位置に来た時、御幸さんと話していた選手がこちらを指差しながら何かを伝えた、らしい。


「えっ」


そのせいか、くるんと振り返った御幸さんと、短い手が届く距離にいた私。咄嗟にぶつかるのを避けようと体を引いたけれど、着ぐるみでは上手くいかずに重心がぐらりと後ろへ傾いた。
あ、倒れる。そう思った時には既にクッションの上に落ちたような衝撃があって「ぐぇっ」と可愛さの欠片もない呻き声が口から漏れた。とりあえず頭が外れるという最悪の事態は免れたものの、着ぐるみ越しの変な体勢で転んだのでしたたか腰を打ち付けてかなり痛い。


「大丈夫か?」
「っ、」


天井の照明に目を細めながら暫く痛みに悶えていたが、スッと光が遮られて視界に何かが映った。いや、それが何かは分かっていたけれど、信じられなくて理解するのに時間が掛かってしまったのだ。
どっと沸く場内。どちらかと言えば驚きにどよめいたような音が響いているので、観客も私と同じ気持ちだったのかもしれない。


「おーい」


何も反応を示さない私にしびれを切らしたのか、若干苛立ちが滲む声に慌てて目の前の手を掴めば、より一層場内が騒がしくなった。
それもそうだろう。私が掴んだのは御幸さんの手で、初めて御幸さんがテーラちゃんと接触した瞬間だったのだ。私たちにとってはアクシデントだったけれど、お客さんにとってはきっといつものやり取りと同じように映っただろうし、あの御幸選手が、と驚くのも無理はないかもしれない。


「大丈夫か?」


もう一度問い掛けられた同じ言葉に、今度は大丈夫だと大袈裟にジェスチャーで返した後、ペコペコとこれまた大袈裟に頭を下げて謝った。怪我の功名、というものだろうか。結果的にこうして御幸さんとの接触に繋がったのだから、転んでよかったかも。


「仕事なのは分かるけど」


ほくほくと満ち足りた気持ちに水を差したのは、正面から聞こえてきた低い声。私にしか聞こえないくらいの小さな声量だったので、着ぐるみ越しだし聞き間違いかな? と首を傾げながら視線を上げると――がちり。金縛りにあったかのように身動きが取れなくなる。


「後ろからはやめてくれ」


真正面からの射抜かれるような視線。冷たく、温度のない瞳は彼の怒りを表していて、スウッと血の気が引くような感覚が襲った。
もし、転んだのが御幸さんの方だったら? もし、怪我をしたら? 下手したら登録抹消になり、シーズンを棒に降る可能性だってある。選手が一番気を付けている事で、私達も細心の注意を払わなければいけない事だ。
御幸さんからの言葉で漸くその可能性に行き当たり、自分の失態に気付いてもう一度謝ろうと姿勢を正したが、御幸さんは既にこちらに背を向けてベンチへと向かってしまっていた。

肩を落としながらとぼとぼとスタッフルームへ――と言いたいところだが、実際は色んなところに手を振りながら大きな足を蹴るように進んでいた。とりあえず仕事を全うしないと。と思うのだが、未だにうまく扱えない手足に焦れてしまう。
だってこの大きな足、思い切り踏み出さないと全く前に進まないんだもん。もうちょっと中の人の事を考えて改善して欲しいよ、切実に。


「高宮〜」


スタッフルームに入った瞬間、一音一音を強調しながら呼ばれた自分の名前にびくりと肩が跳ねた。もちろん、心当たりがあるからだ。
重い頭を脱ぎ、一息つく暇もないまま上司の説教が始まった。額から流れる汗は暑さのせいだけじゃない気がする。本業でもここまで怒られた事はないし、そもそも業務違いだという理不尽さも感じているけれど、仕事は仕事。今回の件に関しては全面的に自分が悪い。だから、ヒヤリハットだのなぜなぜ分析だの再発防止だの言われても、粛々と受けるしかないのだ。


「試合が終わったら御幸さんに謝りにいくぞ」
「はい」
「終わったらすぐ準備しろよ」
「分かりました」


その後は必要に応じて恙無く役割をこなした。7回裏の前のパフォーマンスに参加したり、ラールくんと一緒にドーム内を歩いたりしていれば、あっという間に試合も終わり、足早にスタッフルームへと急ぐ。
勝てばヒーローインタビューに参加したり、外野席の応援と一緒になって盛り上がるのだが、残念ながら今日はあと一歩及ばず僅差で負けてしまったのでテーラちゃんのお仕事はこれで終わりだ。


「高宮、行くぞ」
「はい」


テーラちゃんを脱ぎ捨てるように着替えたが、髪の毛はペタンコでぐちゃぐちゃ。メイクも汗で崩れて酷い有様だった。これは酷い……と鏡を見ながら思わず眉を顰めるけれど、自分に構っている時間なんてなくて、そのまま上司とともにスタッフルームを後にして関係者用通路へと急ぐ。
まさか選手のロッカーを直撃するわけにもいかなくて、御幸さんと接触を図るには必ず通るであろうこの場所で待ち伏せするしかなかった。一人、また一人と通り過ぎていくのを見ながら、どんどん緊張が増していく。
試合に負けた直後だからか、お疲れ様ですと挨拶を交わしても皆どこかピリピリとしていて、表情も硬い。この状態で謝罪するのかと思うと胃がキリキリと締め付けられる。許してもらえなかったらどうしよう。すごく怒ってたし、ちょっと……いや、かなり怖い。


「おい、来たぞ」


試合中のスポサンから眼鏡へと変え、軽装に着替えた御幸さんがこちらへ近づいてくるにつれ、緊張が高まりごくりと息を飲む。
上司が御幸さんに声を掛け、一言二言話しているのを聞いていたが、彼の瞳が私に向けられた瞬間、勢いよくかばりと頭を下げる。


「本日は、誠に申し訳御座いませんでした!」


ゆっくりと頭を上げた時、驚いたようにくるりと見開かれた御幸さんの瞳と視線が交わった。



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