007.太陽に負けた
荒涼たる大地を歩く男がいる。
人は彼を旅人だと言うが、彼は詩人を自負していた。
彼は、詩人だった。
春ともなれば、柔らかに芽ぶいた草木の青さを讃え、手触りを讃え、形の定まらぬ雲を仰ぎ、その美しさを詠う。
夏ともなれば、目に痛いほどの空の蒼、陸の青、海の碧に目を細め、勢いの増す生命たちに言葉によって、更なる生命を与えようとした。
秋ともなれば、木々より落ちる一つ一つの葉にそれまでの季節を透かし見て、穏やかに衣を変えた自然に合わせ言葉の装いも変えた。
冬ともなれば、白い外套をまとい、細く立ち尽くす木々や物や全てのものに対し、色鮮やかな言葉を綴った。
彼は、詩人だった。
自然全てを愛し、
人々を愛し、
獣を愛し、
世界を愛し、
言葉を愛した。
だから目に映る全てを言葉で表すことを生きがいとし、それこそが自分の運命であると言って疑わなかった。
だから彼の目に移らぬものは全て、彼の世界の外にあった。
姿の見えぬ神も然り。
偶像は偶像でしかないと言う。
太陽もまた、然り。
見る者の目を焼く光をどうして讃えられようか。
彼の愛でるものは、真に目に映らなくてはならぬ。
彼は、太陽を隠す雲を愛した。
何故なら雲は太陽を隠す。
何故なら雲は陽光を遮り、詩人の目を守る。
──雲よ、お前は敗北者ではない。
──太陽の前にあって、敗北者ではない。
何故もっと現れない。
私は。
私なら。
お前を讃える詩を詠おう。
ある時、雲は答えた。
──馬鹿な男だ。
──何故そのように罵る。私はお前を敗北者ではないと言った。
──そう、敗北者などではない。
雲は動き、その向こうから突き刺す様な光が現れて詩人の目を焼いた。
──そして勝利者でもない。私と太陽は常に対であり、争う云われなどない。お前の様な男に我々の関係に段差を付けられる云われも、無い。
──雲よ、何故に。何故にあなたは。
──目に見えるものが全てなのだろう。お前が愛でるものは目に映るものなのだろう。
ならば。愛しい私にその目をおくれ。
詩人は目を押さえた。
けれど焼けてしまった目を、詩人の体は拒絶した。
──何故、何故。
──映すものなき穴の奥で光を感じるが良い。
目に映るものが全てと思うな。
太陽の光の奥にある真円を見よ。
──お前は私を太陽の前にあって敗北者ではないと言った。
私はどちらでもない。
お前こそが敗北者だ。
お前こそが全てのものの前にあって、敗北者だ。
──太陽に目を焼かれた、お前こそが。
雲は語るのを止めた。
そうして詩人は目を失った。
暗い穴が二つ、顔にある。
包帯でそれを隠す彼を誰も、詩人と認めない。
詩人は目を失った。
愛でる対象もない。
えぐられたような痛みを呪う言葉しか、口から現れない。
痛い、痛い。
何故に。
何故に私が。
私は詩人なのに。
痛い。
痛い、痛い、痛い。
呪いの言葉しか生み出せぬ。
美しい言葉が生み出せぬ。
穴からは、涙も出ぬ。
何も映さず。
詩人はもう、詩人でなくなっていた。
数十年、経った。
ある時、彼は包帯を変えようとほどいた。
穴は、まだ穴でしかなかった。
なかった、が。
彼は、光を感じた。
熱く、赤く、黄色く、鋭く、時に柔らかな光。
──ああ。
涙も出ない。
しかし、わかる。
これを讃える言葉を。
──何と、美しい。
彼は、目を失った。
しかし言葉があった。
彼は、詩人だった。
終り
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