006.願い届け
「道は曲がるもんだ」
釣糸を垂らしながら親父が言った。
「何だよ、突然」
「だってそうだろう。ひたすら真っ直ぐな道なんて見た事あるか」
「アメリカとか、真っ直ぐじゃん。映画なんかで見ると」
「馬鹿、例えだ。本読まないのか」
「読まないよ。例えって何の」
親父は軽く溜め息をつく。
──初めてだ。
こうして親父と一対一で話すのは、初めてだった。
可もなく不可もない。
意見を衝突させることもない。
ただ無難な、親子。
「例えば、道を人の人生に例えたりするだろう」
「するの?」
「少しは本読め」
「わかったから、で?」
「曲がって然るべきということさ。道も人生も」
「……意味わかんねえ」
「たまには寄り道も必要って言えば、お前にもわかるか」
「はいはい」
うんざりだ。
たまに話をしたかと思えば、本を読め。
たまに話をしたかと思えば、人生の話。
今日とて、どうしてか釣りをしている。
ひく気配の無い糸。
川を覗いても魚が居る気配はない。
風もなく。
水面が揺らめくこともなく。
釣糸を垂らし、ただ話をしている。
「……ここって、本当に魚釣れるの?」
「太公望だ」
まともな返答とは思えない。
「魚が釣れるかどうかじゃない。釣れるまでの時間を楽しむんだ」
「何それ?魚釣れなかったら意味ないだろ」
魚を釣る為の釣竿であり糸であり、餌である。
親父は喉を鳴らして笑った。
「私もそう思うね」
「……意味わかんね」
「さっきのは爺さんの言葉だ。私はお前に賛成だよ」
──くすぐったい。
親父が俺に賛成するほど、俺の事をわかっているとは思わなかった。
「だけど」
親父は釣竿を引いて一度、釣り針を取ると餌をつけ直し、また投げた。
「太公望が座ってたっていう石は見たいと思ったなあ。長いこと座り込んでいたから、太公望の尻の跡がついてるんだそうだ」
「へえ……」
雨垂れが石を穿つのは聞いたことがあるが、人の重みで石がへこむなど初耳だった。
「見てみたくなるだろう」
してやったりの顔で俺を見る。
言い返そうと、した。
多分、いつもの俺ならそうするだろうし、今の親父の口調も気にくわない。
だけど。
初めて親父と合った。
意気投合って言うんだろうか。
そんなに、無難な親子でも無かった事に、俺はほっとしている。
そんな自分は、それほど嫌じゃない。
「今度、行ってみるか?」
親父が誘うが、まだ無理だと思った。
用意が出来ていないし、お金もない。
第一、母さんの許しがないことには。
「もうちょっとしたらにしようぜ。急すぎる」
「……ああ」
自分に、こんな計画性があったのかと驚く。
少し間をあけて返事した親父も、多分。
「……ああ、もう暮れてきた」
本当だ。
空が少し、赤みがかっている。
「隆、先に帰って、母さんにビール冷やしておいてくれるよう言っといてくれ」
「親父は?」
「釣れそうなんだ、手が離せない」
確かに、釣竿がしなっている。
「手伝う?」
「平気だ。私のは五本な、五本」
「飲みすぎだよ。三本な」
「母さんに似たな、お前」
「はいはい」
釣り道具を片付けて、立ち上がる。
川から道路にあがる階段の所で、親父を振り返った。
「言ったら戻ってこようか!」
「いい!大物釣って自慢してやるからなあ!」
奮闘中の親父の顔は子供みたいだった。
見たことの無い顔を見れて、少し嬉しい。
「早く帰って来いよ!」
「……隆ぃ!」
階段の途中で振り返ると、親父がこっちを見ていた。
「気を付けて帰れよ!」
手を振って応えて、路肩に停めてあるバイクに荷物をくくりつけ、ヘルメットを被る。
ガードレールの向こうに、ちらりと親父の頭が見えた。
エンジンをかけてバイクを出す。
景色が流れていく。
道路の白線が流れていく。
──家?
家は、こんなに山奥だっただろうか。
近くにマンションがあって、駅があって、学校のある──街中だったはずだ。
俺は、どこに向かっている。
俺は。
親父は。
どこだ、ここは?
早く、出ないと。
早く、ここから。
景色の流れる速さが増す。
──気を付けてな。
親父の声が聞こえる。
──真っ直ぐな道なんて、無い。
そうだ。
道は真っ直ぐじゃないことを俺は知っている。
目の前にカーブが迫り、速度を落とそうとした時、大きな光が現れた。
──だって俺は。
こうしてトラックにひかれたんだから。
──気を付けてな。
何を?
──気を付けて帰れよ。
何処に?
──母さんが待ってる。
母さんが?
──女を泣かすには、十年早いんだ、お前は。
「隆っ!!」
体が、重い。
目が霞む、気分が悪い、眠い、疲れた。
おまけに耳元でわんわん泣く女の声が煩い。
──女を泣かすには、まだ早いんだっけ。
「………かあ、さん」
女は──母は俺の手を握った。
力強く。それは少し痛い。
「……ここ、どこ……」
「病院よ、あんたトラックと衝突して……!」
ああ、だから。
目に映る物が皆、白いんだ。
「あんたまで……お父さんみたいに……」
──そうだ。
親父は二年前に腎臓を壊して死んだ。
死んだんだ。
「……親父に、会ったよ」
母さんは俺を見た。
「釣り、一緒にした」
「そう」
「……ビール、五本だって」
「そう……」
「でも、三本にしといて」
「……そう」
「……俺に、気を付けて帰れって、言ってくれた」
──痛いのに。
痛いのに、鳴咽を堪えられない。
「……太公望の座った石、見たかったって……」
「……うん、そう、そうよ……それがお父さんの口癖だった……」
疲れる。
泣くのは本当に疲れる。
──でも。
帰ってきたよ。
親父の言う通り、気を付けて。
ビールも頼んだ。
後は、太公望の石だけだな。
なあ、親父。
俺らって、結構良い関係だったと思うんだ。
これ、本読まなくてもわかったんだぜ。
どうかな?
終り
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