015.摂氏35℃
小さい頃に、親父と観に行った映画のことを、最近よく思い出す。
おふくろは映画を観るとか、そういう趣味は無くひどく現実的な人で、代わりに親父は子供がそのまま大人になった様な人だった。
だから二人で、よく映画を観に行った。
戦争とは無縁な国で、私はスクリーンの中で繰り広げられる世界の危機に胸を躍らせ、その主人公と自分を重ねた。
彫りが深い顔の主人公と、私は似ても似つかなかったが。
特に好きだったのは、近未来ものの映画。
見たことのない機械を見たことのない世界で巧みに操る「彼等」。
そして美しい女性を隣に、近未来特有の危機から世界を救うのだ。
その相手はいわゆる宇宙人であったり
隕石であったり
地球規模の天変地異であったりした。
何故、あんなにも心惹かれたのだろう。
何故、あんなにも。
夢から覚醒し、私は体を思い切り伸ばしてから無精髭をなぞる。
──寝つけないな。
一日の内、約12時間以上は無重力の中に居るのだから。
居住区だけは重力が働き、こうしてベッドにも縛りつけずに寝られる。
ありがた迷惑だ。
私の体はもうここ何年も、引き付ける力を知らないのに。
小さく分厚い窓の外には、広大な宇宙が──ただ暗く、闇く、黒くたゆたう。
何を生む訳でもなく。
獣の口の奥の様に狂気を潜め、輝く星々につられてのこのこやってくる人間を嘲笑う。
無力なんだ、と。
人類で初めて地球を見た人は、地球の丸さと青さを讚えた。
今の地球を見たら何と言うだろう。
「ああ、地球は白かった」
きっと物凄く簡素で、恐怖と少しばかりの感動を込めて、言う。
十年程前から、春の終りまで雪が降る様になった。
それが年中通して降る様になったのはそれから一年後。
遠い昔。
思いを馳せるのも気がひけてしまう程、昔。
地上に君臨した歯牙の持ち主達を滅したと言われる、時代。
政府が公式発表をした三日後に、国連が全世界に向けて発表した。
「地球は氷河期に入りました」
笑えなかった。
笑えない。
冗談にしてはありきたりすぎる。
事実にしては、酷すぎる。
笑い話のネタにもなりえないそれは、やはり事実で、どうにか実用の目処が立っていたスペースコロニーに人々は移った。
大国はそれなりに大きなコロニーを持ち、小国はその隙間に入り込む。
人は宇宙に出た。
決して歴史的快挙などではなく、ただ住みかを奪われやむをえずに。
だから人も、私も、捨てきれない。
地球を。
暖かだった、あの星。
どうにかして、取り戻そうとしていた。
極寒の地に、再び茶色の大地を。
何度も研究をし、何度も熟考をし、何度も実験をして、大地を取り戻そうとした。
真白な地球。
あの白を溶かす為に、研究の粋を全てつぎ込んだポッドを地球に投下すること、既に百を越えている。
九十を越えたあたりから、焦燥感が漂い始め、百を越えた時には諦めが漂った。
始めは意気込んでいた仲間も一人ずつ抜けていき、今は私を含めわずか六人である。
──駄目かもな。
リーダー的な男が呟いた時、私は気分が楽になるのを感じた。
私を縛っていた使命感がほどけ、希望や落胆といった今までの感情全てを投げ出すのは
熱意を冷ますのは
いたく簡単だった。
だが、底の方で。
まだくすぶっているものがある。
もしかしたら、という今までも抱いたもの。
その度に裏切られた事も覚えている。
年甲斐もなく、その度に泣いたことも、覚えている。
いつの間にか泣くのにも飽きていた。
もう涙も、流せる程溜っていない。
その時、電子音がし、私は電話をとった。
「ああ!居た!」
受話器の向こうで何やら騒いでいる。
「来い!早く来い!戻ってきた!」
戻ってきた。
火花が頭の中で炸裂して、私は受話器を投げ出すと仲間が集まるモニター室に走った。
普段運動していない所為か、居住区を出るまでは何度も転んだ。
ようやく無重力のモニター室に辿り着いた時には、あちこち打ち身や擦り傷で痛かった。
「ほら!見ろ!」
大きなスクリーンを指差す。
いままで群青と緑でしか構成されていなかった球体。
その、端。
球体を形づくる線の右端の真ん中辺り。
本当に、少し。
親指で押さえてしまえば、すぐ隠れてしまうほど少し。
黄色かった。
──ああ。
「戻ってきたんだ。……まだそこだけしか確認出来ていないが、恐らく地表温度は35℃だろう」
──暖かい。
私の横で、後ろで、すすり泣く声が聞こえる。
──還暦もいいとこの男ばかり。
さぞや見映えが悪かろう。
「……なあ、わかるか。35℃だ、35℃。今まで越えられなかった壁だ」
──やっと。
何て分厚い壁だろう。
35℃。
私の体温より少しばかり低いだけなのに。
少しばかり低いそれに到達するのに、一体何年かかったのだろう。
暖かいものが、喉をこみあげてくる。
水銀の体温計や電子体温計でそこまで下がるとあれだけ怖かったのに。
今は、今のこの気持。
近未来の映画に、何故あんなに惹かれたのだろう。
私はその気持の温度を
尊さを
知っている。
終り
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