075.えくぼ(3)
「さっきからお前が言っているだろう。怒らずにいられるかと。いいものを持たずにいれば、お前がここで激昂することもなかったはずだが」
「持たないと生きていけねえ。……あのな?お坊っちゃんよ。ここは妙なくらいに平和だ。こんな箱庭からじゃ世の中わからなくても仕方ねえだろうが、ここほど外は暢気に生きてられねえんだよ」
神さまは菜園に視線を戻す。
「だろうな。時々、ここへやって来る者たちを見ても、運び屋を見てもそう思う。しかし残念ながら、ここにはいいものを持っていようが悪いものを持っていようが、傷つける者もいなければ、傷つける相手もいない。そうすることで得られるものが何もないからだ」
「まあ、確かにありませんね」
「そうだ。全くない。実は屋敷も倉庫もあるらしいんだが、ぼくは未だに見たことがない」
「……家を?」
「うむ。運び屋は見たことがあるそうだが」
「風見鶏の鶏冠ですけどね。ここは本当に何もありませんよね、神さま」
「本当に全く、何もない。しかし、ぼくはこの庭と椅子があればわりと充分だ。だから、お前がもし奪おうと思っても、奪えるほど物があるかは疑問だ」
「……」
タクミは痛みを忘れて神さまを見た。神さまは緑の瞳にタクミの顔を映す。
「外はここ以上に物が溢れているようだから、ここほど穏やかにもいられないのだろうな。だが、ここではいいものをいいものとして持つことは可能だ」
「……争うほど物がねえから?」
「そうだ。それを貧しいと言われたこともあったが」
「違う?」
「物質的には貧しいのかもしれない。見る人によればこれは貧乏というものだろう」
「まあ、貧乏に程近いところにはいますねえ」
「と、運び屋も言う。しかし、善し悪しが逆転するほど貧しいとは思わない。貧しいからといって、ぼくは自分の心まで食べたことはない」
「……そりゃ、食べれねえだろ。普通」
「神さまなら食べれるかもしれないよ」
「まあ、普通は食べれないだろう。ぼくも食べたことはないし、食べたという話は聞かない。実際食べれるものではないかもしれない。だが、確実に心が減っている人間は見たことがある。ぼくは、それが貧しいということだと思う」
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