わーっ!! 思わず端末を手放しそうになって、慌ててつかみ取る。隣にいた照屋をちらりと見ると、ふふといつものように笑っていた。
画面に表示されていたのは「隊員募集のお知らせ」と書かれた今期新設の隊について。その中には、隊長 久野優希の文字があり、募集要項の記載が書かれている。自分が募集の条件を出すなんておこがましい……とずっと空白のままにして悩み続けていたら、「早く出せ」と影浦先輩にそのまま提出先に連れていかれたが、最低限の記載は事務局でしてくれたみたいだった。
「あ、ほら。小荒井くん来たよ」
照屋の言葉に顔を上げると、遠くから手を振っている小荒井の姿があった。先日、前回の入隊式の担当をしていた小荒井に新隊員の情報を教えてもらうことになっていた。
「いやーなんか、感慨深いわ。オレが久野に新隊員の紹介するとか!」
「そ、そ、そう、だね」
ボーダーに入隊した日が、ほんの少し前だった気も、すごく前だった気もする。小荒井も同じような感覚なのだろう。
次のランク戦に出たいとなると、入隊時からそこそこポイントが高くて早めにB級隊員になれる子の方がいいだろう、と入隊時から抜きんでていた子を教えてもらえた。それ以外にも、小荒井が見て上手いなと思った子や、ちょっと変わった面白そうな子など、とりあえずいろんなパターンの人材を小荒井は教えてくれた。
「あ……」
「どうした? 気になるやついた?」
「あ、いや、んと……」
C級隊員の中で、入隊時からポイントの高い人たちを見ていると、ひとり、前シーズンに入隊してきた人がいたのだ。同い年の、女の子。基本的に入隊時から期待されてポイントを付与されている人が次のシーズンまでB級に上がらないことは少ない。これくらいの時期なら、何も点が付与されていない人でもB級に上がることもある。確かに、と二人も首を傾げた。
「あんまりボーダーの活動に参加してない人なのかもしれないね」
「部活が忙しいとか」
照屋や小荒井の言葉に、そっか、そういうこともあるのかと思った。なら特に気にする必要もないんだろうけれど、なぜだか、気になった。
有島さん、かぁ。
も、もらいすぎた……。C級の隊員でも、隊員に公開できる範囲なら資料を渡せますが、と事務局で申し出されたためついついたくさんもらってしまった。誰のが欲しいですか?と聞かれて、「全員ください」なんて、言わなければよかった。で、でも、やっぱりちゃんと全員チェックしたいし……。そんなことを思っていたら、腕に限界がきた。
と、トリオン体になろう……。次の角を曲がれば、ベンチが……そこでトリガーを出そう……と思ったとき、なにかにぶつかった。
「わっ!?」
まだ生身だったことも、腕に限界がきていたこともあり、情けなく優希は転んだ。だ、大丈夫ですか? と知らない人の声で聞かれた。人にぶつかってしまったらしい。ばっ!と勢いよく立ち上がり「ごごごごごごめん、なさ、い」と謝った。
「あ、いえ……私もぼーっとしてて、すみませんでした」
「い、いえいえいえ! わわわたし、が!」
わたわたと優希がぺこぺこと頭を下げ続ける。困ったように相手の女の子は、とりあえず散らばってしまった資料に手を伸ばした。
「あ、あああごめ、なさ、すすすみませ」
代わりに拾おうとしてくれているとわかった優希がぺこぺこしながら急いで床の資料をかき集める。「あの、本当、気にしないでください」と言いながら相手の女の子の声が聞こえるが、やっちまったモードの優希は「ははい! ほ、ほんとうすみません」と謝り続けた。
「あれ……」
資料を拾ってくれていた女の子が、突然固まった。「どどど、ど、どうか、しました……?」半泣きで優希が尋ねると、「なんで、これ……」と回答にならない言葉が返ってきた。
「え? あ、ちょ、ちょっと……隊員、を、集めたくて」
「……久野さん?」
え? 優希が驚いた顔をすると「……募集、出してたから」と女の子が説明した。
「あ、ああ! そそ、そ、そう、です……」
少し話して、優希も気付いた。彼女が手にしている資料と、彼女が同じ顔だということに。先日話題に出た、有島さんだ。優希の視線で気付いたのか、有島は資料を軽く曲げて、写真を優希から見えないようにした。
「ああ、あの、ごめんなさい。い、い、いや、でした、よね……」
優希の言葉に、「あ、いやっ違うの」と有島が咄嗟に否定する。
「あぁ……いや、ちがく、ないんだけど……」
苦い顔をして、有島は言葉を止めた。数秒、嫌な沈黙があった。「ごめんなさい」口火を切ったのは有島だった。
「資料見るのは、当然よね。気にしないで」
「あ……い、いや……」
「でも、私、あなたの隊には入れないから。いらないよ」
他の資料をとんとん、と床で揃えて有島は渡してくれた。自分の資料だけを抜き取って。優希は、あ、そ、そうだよね……と苦笑した。実際のわたしを見て、入りたいなんて思わない。当然だ。
「……別に、あなたが嫌だからじゃないから、気にしないで」
「ひぇい……っ!?」
態度にでていたのか、有島がそう言った。言い当てられた優希はびっくりして腰を抜かし、有島もその態度に驚いたのか「だ、大丈夫?」と聞いてきた。
とりあえず、とよろよろとした優希を有島は近くにあったベンチに座らせた。や、やさしい……! と優希はおぼつかない足のまま感動した。
「……隊員、集まってないの?」
「あ、うん……まだひとりも」
「……そう」
「ごめんなさいね」と有島が言った。気遣わせてしまった! と「い、いや!」と優希は思わず声が大きくなった。
「う……ううん。し、仕方ないよ。きょう、きょうよう、は、できないから」
「……そうじゃなくて」
やめるの、私。有島の言葉に、その場の空気が変わった。
「え……?」
「……ポイント、稼げないし。B級にだってなれない。やめるの」
なんでもないことのように、有島は言った。だけど、優希にとってはとても驚いた。優希はまだ、ボーダーを辞めた知り合いがいなかったから。
「そ、そそ、そ、そんな、だって、ゆ、有望視されてたから、ポイント……」
「……」
「え……?」
なぜなのか、優希にはわからなかった。最初から才能のある人が、なんで? 単純に疑問だった。
他の人間に追い抜かれたことがショックなのかとも思ったが、それにしては、諦めがすぎるというか、やめるというはっきりとした意思を感じた。
「……こんな話されて、迷惑だったわよね。だからまあ……あなたのせいじゃない。それだけがわかってもらえればいいから」
有島は、そう言って立ち去ろうとした。なのに、つい、「な、あ、あの、」ともごもごと口にしてしまった。
「……なに」
「あ、あの……そ、なんでか、って……聞いたら……」
だめ、かな……い、嫌なら、いい……けど……。もごもごと優希が小さく言った。嫌に、決まってるだろうな。言ってから思った。そんな、初めて会った人間に言いたいことなはずがない。
「……人を、斬れないのよ」
ぽつり。有島の言葉に優希が顔を上げた。
「人、斬れないの!」
すうっと息を吸って、今度は大声で。近くを通った人が、驚いたような顔をしていた。優希に再確認させるように、そして自分にも、言い聞かせるためみたいに。
「……有望視されてても、できなきゃだめなのよ。当然だわ。隊員なんだから」
そう言う有島の表情は、笑っていた。自嘲的、とも取れる笑顔だった。
「そ、そん、」
「……」
「そ、そそん、そんな、そ、こ、」
「……あなた」
「な、なに」
「嘘下手でしょう」
「……うう」
「……いい人なのね。あなた」
有島の視線に、優希はうつむいた。だって、全然、良い人なんかじゃなかったから。有島のことを、上手に慰めてもあげられない。
有島は、優希の表情を見て、いろいろと話をしてくれた。笑いながら。多分、空気を変えたかったんだと思った。だけど、全然上手に返事ができなかった。
「……あっ!」
「え?」
あることを思い出して、声を上げた。
「お、おぺ、おぺぺぺ」
「ど、どうしたの」
「ご、ご、ごめん……」
あまりに興奮して変なつまり方をしてしまった。あらためて呼吸を整えてから、言った。
「おぺれーたー、は、だ、だめ……?」
「……オペレーター?」
有島が怪訝な顔をした。それは、トリオンの少ない人の仕事でしょう。有島のとげのある言い方に、「そ、そんなことない!」と優希はいつになく声を荒げた。
「ひ、人を攻撃できない、ひ、ひとも、いる。当然だよ、や、やや、やさしいから」
「……別に、」
「で、で! そういうひとは、オペレーターに転向すること、も、あるって!」
確か、影浦隊の仁礼がいつか言っていた。人を攻撃できない人が、隊員からオペレーターに転向するときがたまにあるんだって。
「だから、そ、そういうのは、有島さんだけじゃ、ない」
「……」
「お、オペレーターは、すごく仕事が、おお、くて。わたしも、あの、あれ、教えてくれた人が、いるけど、むずかしくて」
「あ、有島さんなら! あたま、良さそうだし、その……オペレーション、でき、そう……」
「……推測なの」有島の言葉に「う……ごめん……」優希が謝った。「ううん」有島が否定した。それから、ありがとうと優希に礼を言った。
「い、いやあの、見ず知らずで、ご、ごめん……」
「見ず知らずに事情言ったの私じゃない」
「そ、い、いや、」
「ありがとう、十分。考えてみるわ、オペレーター」
「ほ、ほんと……!?」
「……このまま引き下がるのも、癪だしね」
ふふっと有島が笑う。その顔は、無理して笑ったんじゃないって、優希でもわかった。
「それで?」
菊地原にじとっと見られ、「……ま、まだ誰も」と優希が申し訳なさそうに言った。
本部内で出合い頭に隊の状況を聞くと、菊地原はやれやれとでもいたげに首をすくめた。
「もう募集かけて3週間は経ってるでしょ」
「B級に上がる奴がまだいないだけじゃないか?」
「……ほ、他の隊には、入ってるみたい、なんだけど…」
「そ、そうか……悪い」
「い、い、いや、こちらこそ……」
二人は、なんだかんだ心配してくれているらしくたまに声をかけてくれる。しかしなんら成果のない優希はただただ落ち込むという結果となっていた。
「オペレーターも目星つけときなよ。隊員集めるだけじゃだめなんだから」
菊地原の言葉に、先日の彼女を思い出す。オペレーターと言えば、あの子は、どうなったのだろうか。あれから結局姿を見ていないが、……本当に、やめてしまったのだろうか。3000点からスタートなんて、相当試験の出来もよくて、頑張ったんだろうに。
「……ちょっと、聞いてんの?」
菊地原の言葉にはっとして顔をあげた。
「え、あ。そ、そうだね。早くオペレーターも、見つけないと……」
「は……?」
突然、女の子の声がした。驚いて声のほうを見ると、先ほど考えていた有島の姿があった。____スーツを着た、有島が。
「あ、ありしま、さ」
驚いて立ち上がる。菊地原と歌川も有島を見る。優希はとても驚いたが、それ以上に有島が驚いた顔をしていた。
「あ……あんたあれ、私を誘ったんじゃなかったの……?」
ひく、と顔をゆがめた有島。言っている意味がわからず、一瞬優希が固まった。
「えっ……? だ、だって……有島さんは、もっと、いい隊に……」
「あんたに止められたんだからあんたの隊に入るに決まってんでしょ……っ」
わなわなと震える有島にえっえっと優希が焦る。なんで怒ってるんだ、なんで___え?「はい、る?」有島さんが、わたしの隊、に?
「……そう言ってんでしょ」
驚いた顔をする優希に、有島が不満そうに言った。自分の隊でオペレーターになりなよ、と呼び止められたと思っていた有島からすれば、優希の態度のほうが驚きである。じわじわと状況を理解した優希は、ぶわああっ!っと有島の言葉に、全身が震えるのを感じた。視界が歪んでいく。有島の顔が、徐々に滲んできた。
「あ、あり、ありしま、さ」
「……みちるでいいわよ」
「みみみ、みち、みちゅる、ちゃ、」
「……もうどれでもいいわ」
ぼろぼろ泣く優希の鼻を拭きながら、「しっかりしてよ。隊長でしょう?」と呆れたようにみちるが言った。