▼ その子は確かに愛されていた
名前は太刀川隊に所属していた。新隊員の中でも使えると噂だった名前を太刀川がスカウトしたのだ。
名前は仕事ができた。それは戦闘が強いというだけでなく、自分が今隊で何を求められているのかを判断し、指示が出る前に行動する。そんな1言えば10で返すような仕事ぶりは当時の新人の隊員には珍しいことで、高い評価を得た。
「風間さん」
敵船が撤退したという報告を受け、これからやってくる多くの書類提出のため隊室に向かっていたとき。先ほどまで新型含め多くのトリオン兵を狩っていた太刀川に声をかけられた。
「太刀川か。どうした」
「あー……名前見かけなかった?」
「名前? いや、見かけてないが……」
「そうか……」と困ったような様子の太刀川に自室にいるんじゃないかと言うが、別に用事があるわけではないらしい。なら何だと聞くと、「違うかもしんないんだけど」と前置きをして話しはじめた。
「あー……何か、様子が変だったんだよ。別に何が変かって言われるとわかんないんだけど」
「……何だそれは」
「声かけて軽口叩かれて逃げられるのはいつものことなんだけど、今日はちょっと、何か余裕なかったっていうか」
「余裕、か」と風間は考えた。今回はこれだけ大きな戦いだったのだ。名前だけでなく他の人間も余裕なんてものはないだろう。
「あの、今度見かけたら声かけてみてくんない? あいつ俺より風間さんに懐いてるし」
「……わかった。お前ももう休め」
太刀川と別れてから、風間は先ほどまで話に出ていた名前のことを考えた。余裕が無かった、というのがいまいちピンと来ないのだ。いつもへらへらとして余裕たっぷりな態度の奴だ。そいつの余裕が無いというのを、風間はもしかしたら見たことがないかもしれない。
それから少しして、重傷を負い意識が戻らないという三雲の見舞いに行くと名前と会った。
いつもと変わらない様子だった。いつも通り笑っていたし、いつも通りに構って来た。
「風間さん?」
「……いや」
三雲の母親と話しているときも、変化は見られなかった。ベッドに横たわる三雲を心配そうに見ていたのも、普通だ。
恐らく太刀川と居たときにも、この態度は変わらなかっただろう。なら、太刀川には彼女のどこに余裕のなさを見たのだろう。
(ああ、これはもしかして)
それは、太刀川だから気付けたんじゃないのか。いつもへらへらと他人と距離を測っている奴だとは最初から思っていた。そして、他人の感情に敏感な奴だとも。
人の事を気にかけて、そのくせ自分を気にかけてもらえないように離れていく。
だとしたら、そんな人と近いようで距離を保っているこいつの余裕のなさに気付ける人間というのは。限りなく、少ないんじゃないか。
「……お前は」
「はい?」
「隊に戻る気はないのか」
名前は、自分しか黒トリガーを機動させられないと言った。戦闘の意味ならばそうだろう。だが、お前の精神の変化に気付ける人間と共にいないというのは、いつかお前によくない未来を歩ませるんじゃないのか。
「……無理はするな」
「……? はい」
いつも他人に敏感な彼女は、こんなときだけ気付かなかった。
(その子は確かに愛されていた 君は知る由もないけれど)
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