夢のあとさき
83

ヘイムダールへ向かったのはアルテスタの家で一泊させてもらった後だった。コレットを話しをした後、すこし気持ちが落ち着いた気がした。
「クラトスさんのこと、私にできることはないかもしれない。でも、レティが私に寄りかかってくれて、ちょっとだけでも苦しくなくなるなら、私うれしいの」
コレットの言う通りだった。ずっと溜めこんできたものを誰かに伝えることで楽に慣れたのかもしれない。この気持ちを背負わせるのはつらいけれど、それをコレットが受け入れてくれることは知っている。
……思えば、ユアンにも似たようなことを伝えたのだっけ。あの人はどちらかというとクラトスよりの立場だろう。四千年前ともに旅をしていて、四千年間一緒にいたのだから、友人――のようなものなのかもしれない。
だから私の気持ちを背負ってくれることはないだろう。たとえクラトスをオリジンの封印を解くために殺そうとしていたとしても、あの二人の間には私の知らない何かがあったと思う。

そのユアンはヘイムダールにはいなかった。まあ、ユアンはハーフエルフなのだから里の人に拒まれたのかもしれない。オリジンの封印を解くことにこだわっていた人だから来るかと思っていたが――私はあたりを見回して、やはりユアンがいないことを確認した。
ふと顔を上げるとリフィルと目が合う。リフィルとジーニアスはロイドが族長に頼みこんで入村を許可してもらったのだ。
「よし、クラトスのところへ……」
「ロイド、待って」
入村を許可してもらったところでさっそくオリジンの封印の元へ向かおうとするロイドを呼び止める。ロイドは振り向いて眉根を寄せた。
「……頼みがある」
「なんだよ」
「クラトスと戦うのは私だけにしてほしい」
ロイドは目を丸くしてこちらを見た。ロイドだけではない、他のみんなも私を驚いた表情で見ている。瞠った目をだんだんと細めて、そしてロイドは叫ぶように言った。
「ダメだ!」
予想外の大声に今度は私が驚く番だった。仲間たちだけではなく、エルフの里の住人もこちらに視線を寄越す。幸いそれはすぐに逸らされたが、ロイドの必死な表情に私は何も言うことができなかった。
「ダメだ。クラトスとは俺が戦う!」
「……、ロイド。その意味が分かってる?」
「わかってるよっ!」
なぜかひどく傷ついた顔でロイドが私を見る。そして息を吐いて、ゆっくりと首を振った。
「だいたい、姉さんがオリジンと契約するわけじゃないんだろ」
「そうだね。オリジンとの契約はロイドがするべきだと思う」
私もエターナルソードが扱えないわけではないが、ロイドがこなしてきた精霊との契約の旅に関しては私は途中で離脱していたのだ。みんなからの信頼もロイドの方が厚いし、私よりもロイドの方がふさわしいと思っている。
「じゃあ、俺がクラトスと決闘したほうがいいだろ」
「いいや。ロイドがオリジンと契約するなら私がクラトスと戦った方が良い。クラトスと戦ったあと、オリジンの封印が解放されたなら契約するためにはまた精霊と戦闘になるだろう。なら私が――」
「ダメだ!」
私の言葉をロイドが遮った。私はいっそ困惑してロイドを見る。どうしてロイドがこんなに強く否定するのかわからなかったからだ。ロイドは感情的なところがあるが、こんなふうに私に対して大声を出すことなんてめったになかった。
そんなふうに思う自分が少しおかしくなる。ロイドに、こんな怒鳴られるなんて思ってなかった――なら、そのロイドに私はなにをしてしまったのだろう。理由なく怒る子ではないはずなのだ。
「ねえ、ロイド。落ち着いて。ちゃんと説明しないとわかんないよ?」
そんなロイドを気遣うようにコレットが手を取る。ロイドはコレットの手袋につつまれた手と、自分の赤いグローブの手を見下ろしてゆっくりと数回瞬いた。
「……聞いてたんだ」
「え?」
「姉さんと……コレットが、きのう、話してたの」
私は自分の表情が強張るのを感じた。何のことかわかってしまったからだ。
「俺だって、姉さんに苦しんでほしくないんだよ……!」
「ロイド、」
「姉さんには、任せられない。俺に戦わせてくれ」
いくぶんか落ち着いたトーンでロイドが言う。その言葉にまるで足元が崩れ落ちるようだった。まるで――いや、そのまま、まるごと――アイデンティティの崩壊だ。
ロイドに一体私はなにを言わせているのだろう?私は姉なのに、弟であるロイドに任せられないなんて言われるなんて。そんなことを言わせているなんて、私は、ふがいなくて、悔しくて――。
「レティ」
肩を掴まれる。誰の声か分からなくて私は振り向いた。視界の端で赤い長髪が揺れて、青い瞳が私を見ていた。
「一回お互い落ち着いたほうがいいぜ?焦るべきじゃない」
「そうね。今夜はここに泊まって気持ちを整理しましょう。ロイド、レティ。あなたたちには考える時間が必要だわ」
リフィルも、ゼロスの言葉に頷いた。私はどうすることもできなくてゆっくりと視線をロイドに戻す。ロイドは首を振ってコレットに手を引かれていて、私もゼロスに腕を取られていた。
ゼロスは眉を下げて微笑んでいた。ゆるく腕を引かれて、彼が歩く方向についていく。そのまま無言でしばらく進んで、私たちは川のすぐ近くのベンチまで来ていた。
「……ゼロス」
何と言えばいいのかわからなくてゼロスの名前を呼ぶ。ゼロスは首を傾げてこちらを見た。彼の燃えるような赤い髪がさらりと揺れる。
「ひどい顔してるぜ」
「……」
そうだろう。私は顔をうつむかせた。こんな顔はだれにも見られたくなかった。
「……最悪だ」
言葉が零れる。ゼロスがどんな表情で私を見ているかなんて考えたくもなかった。今だけはひとを思いやることなんてできない。八つ当たりしてしまいそうになる。ベンチに座り込んで、身をかがめて両手で顔を覆うと、ゼロスの手が私の背に触れるのが分かった。
「レティ」
私の背中をさする手は優しい。優しくて、腹立たしかった。その気持ちを飲み込めない自分が情けない。
沈黙が下りる。目の前の川の水が流れる音と、木々のざわめきが聞こえてきた。
世界はこんなに穏やかだ。なるべく早くエターナルソードで世界を統合しなくてはならなくても、今この瞬間はとてつもなく平和であると錯覚させられる。
どれくらいそうしていただろう。いつの間にか私は自分の顔を覆っていた両手を下ろしていて、ゼロスも私の背をさするのをやめていた。
「……あのさ」
ゼロスが囁くように言う。私は地面を見下ろしたまま次の言葉を待った。
「お礼、言ってなかったなって思って」


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